俺と彼女
高木梨奈の部屋の前まで、二人とも無言だった。情け無いことに、いつものように何を話したらいいのか判らなかったし、何を話してもわざとらしくなる気がする。
彼女がまだ怒っているのか、表情を確認することもできない俺には判らない。俺に出来たことは、彼女の隣を彼女に合せて歩くだけだった。
彼女の部屋までの通りもクリスマスの雰囲気に溢れているのに、微妙な空気があるからなのか楽しげに思えないし、リースの針葉樹からも触れば刺さってきそうなプレッシャーも感じていた。
部屋の前に着くと、高木梨奈は鍵を開ける。
「じゃあ、おやすみなさい」
挨拶だけはできた。明日から今まで通り話せるだろうかと心配だけど、どうも気まずい空気が俺と彼女の間にあって今はどうすることもできない。
「……陽平くん、ちょっとだけ寄っていって?」
「ああ、うん、じゃ、ちょっとだけ」
高木梨奈の部屋に入るのは二度目で、前回と同じく俺が望む甘い感じとはほど遠い。でも前の時は、一緒に居る必要があったと思うけれど、今日はその必要があるのか判らない。彼女なりに何か思うところがあるのだろうけれど、俺には想像もできなかった。
玄関に入り、扉に鍵をかける。靴を脱いだ高木梨奈が振り向いて頭を下げた。
「私が、鈴木さんの誘いを断らなかったから……嫌な思いさせちゃったね。ごめんね」
「いや、高木さんのせいじゃ……」
スニーカーを脱いでもいない俺に、ファサァと彼女は抱きついてきた。
軽い彼女を抱き留めたとき、香りがしてドキッとする。
「……さっきの、ファーストキスだったんでしょ?」
俺の胸元から聞こえる彼女の問いかけは、どこか緊張しているような強ばった感じがした。
あ、言われてみると確かにそうなんだけど、そんなこと気にしていなかった。というより、キスの対象にいれていなかった。
あんなの単なる衝突だ!
でも見た目はキスに違いないし、高木梨奈に見られて嫌だったのも確か。
何より、俺のファーストキスかどうかなんて高木梨奈にどうして判るんだ?
もう奴しかいない。敵性家族の優里がバラしたに違いない。
まぁいい、この件は帰宅してからでいい。
で、今のこの状況で俺はどうしたらいいんだ?
抱きつかれるのはすげぇ嬉しい。
……抱き返した方がいいのか?
いや、彼女は謝っていた。
ということは、これって謝罪のギュッ?
確かに、高木梨奈に抱きつかれるのは、俺にとってご褒美だ。
謝罪だと言われたら、もう喜んで謝罪してもらっちゃう。
あ、まだ理性が正常なうちに、彼女の問いに答えなければ……。
「あ、ああ、一応、そうなるのかな……」
「そっか」
大人しめな返事が聞こえたあと、ゆっくりと俺の首に手を回して、顔を近づけ唇を押し当ててきた。
え? え? なにこれ?
俺、酔っ払って幻想でも見てんのか?
柔らかい……そして、何て蠱惑的な香りなんだ……。
間近にある彼女の吐息と香りで、理性ぶっ飛びそうだ。
一秒? 二秒? どのくらいか判らないけれど、彼女が唇を離すまでの短い時間、俺は理性を保つことだけに集中して固まっていた。
唇を離した彼女は俺の胸に顔を埋めた。
「フフフ、私だと離れないんだね、良かった」
「……そりゃ、そうだよね……びっくりした……」
「今ので鈴木さんのキスは帳消しにして?」
鈴木絵里香のは単なる衝突!
高木梨奈とのキスがファーストキス!
俺の中で、悪夢が吉夢に変わった瞬間だった。
「お釣りが多すぎて……」
もっと気が利いたこと言えないのか、俺!!
俺の胸から顔を離さず彼女は言葉を続ける。
彼女から伝わる鼓動と俺の心音が重なっている気がして、それが心地良くて、このままでずっと居たい。
「鈴木さんに、自分を好きな男だからって縛ってるの? と言われて……縛ってないって答えたけど、やっぱり縛ってるよね?」
「そんな風に考えたことないよ」
「ううん、私、狡かった。私の気持ちに整理がつくまで陽平くんは返事をずっと待っていてくれる。陽平くんの気持ちに甘えてた」
「んー、俺が告ったのが原因なんだし……」
俺は自分の両手を持て余していた。
彼女を抱きしめたいけど、そうしていいものかさっぱり判らないから、下げているだけだった。
「鈴木さんが陽平くんにキスしたとき……すっごく嫌だった。私の陽平くんに何をするのよ! って」
「うん」
「鈴木さんの言う通り、彼女でもないのにね。だから、もう答えは出ていたって判ったよ。だから……」
俺の両頬に手を当てて、目を合せる。高木梨奈は泣きそうな目をしていて、俺はとても切なくなった。
「一つだけ約束して?」
「ん?」
「私以外の女の子に触っちゃ嫌、浮気は絶対しないって約束して?」
ああ、そうか、俺が思っていたよりもずっと彼女は傷ついていたんだ。
啓太とのことがシコリになっていたんだ。
それが判って、包んであげなきゃって思えて、俺はやっと彼女を抱きしめられた。
……軽く……だけどね。
「約束するよ」
「もう嫌。嫉妬して、疑って、苛々して……自分がどんどん嫌な女になっていくのが判るのは嫌。だからお願いね?」
抱きしめた手に力を少しだけ入れて、彼女の耳元でもう一度伝える。
「約束するよ」
「私だけの陽平くんで居てね?」
俺の腕を掴んだまま彼女は身体を離し、首を傾げて見つめている。
切なそうでいて微笑んでいるような彼女の瞳から目を離せない。
「ああ、もちろん」
彼女は俺から本当に離れた。奥へ数歩歩いて振り返った。
「今夜、泊まっていく?」
自然な物言いと愛らしい彼女に吸い込まれそうで、一瞬俺は固まった。
何かもうとにかく狂おしいほど彼女が愛おしい気持ちが湧いてきて、「うん」と返事しそうになった。
……でも。
「ううん、今日は帰るよ」
抱きしめたいし、彼女ともっと一緒に居たい。
若いパトスの赴くままに、キスもまだまだしたいし、もちろん抱きたい。
でも、俺が馬鹿なのかもしれないけれど、勢いに流されるのは嫌だったんだ。
すると、これまで見たどの時よりも可愛い表情で、ニッコリと彼女は笑った。
俺の返事を判っていたような柔らかく優しい……そんな笑顔に変わる。
「陽平くんらしいね」
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