格好つけたかった

 お風呂上がりの高木梨奈は、俺にとって破壊的な魅力に溢れていた。上気した白い顔が、モウ!モウ!モウ!モウ! と語彙力ねぇのか! と責められるレベルでしか俺には表現できない。見慣れている優里の上下セットのシャツパジャマタイプの寝間着……薄いブルーで白抜きの猫のデザイン……が光り輝いているかのように感じた。


 マジ天使!


 日頃から化粧は薄いせいか、すっぴんでもあまり印象は変わらない。というか、しっかりと直視できないから、どこが変わっているのかさっぱり判らない。さっきまで泣いていた女の子の顔をガン見するのは失礼な気がしているんであって、照れくさくて見られないわけではないと主張しておこう。


 俺と優里、そして高木梨奈はテーブルに座った。ちなみに足下には今夜俺が使用する布団が畳まれている。

 優里が気を利かせて俺にはコーヒー、高木梨奈にはホットミルクを入れてくれた。マグカップを両手で持つ高木梨奈は当然可愛いらしくて、その仕草に俺のモウモウ状態が再発した。


 状況が状況なので、俺は浮かれた表情はしていない。いたって真面目な態度で椅子に座っている。浮かれ気分半分、そしてこれからへの困惑と彼女への心配が半分といった心境だ。

 話をどう切り出したらいいのか判らず困っている俺を見て、ちっとため息ついた優里が口火を切った。


「で、お兄ちゃん。紹介してよ。私は二歳年下の妹で優里です宜しく」

「あ、ああ、高木梨奈さんと言って、同じ学部でバイト仲間」


 彼女がペコリと頭を下げて、優里へ自己紹介を始める。だいぶ冷静になったのか、深夜に突然訪問したことを詫びていた。そこは、俺が強引に連れてきたのだから、彼女は気にする必要はないときっちり言っておく。


 どれほど表面を誤魔化していようと、優里は雰囲気から俺の気持ちを察するスキルの持ち主。自己紹介している高木梨奈を見る俺へ、予想通りのニヨニヨ顔を向けてきた。


 やはりゆりは鋭い。高木梨奈に俺が惚れているのが、これほど早くバレるとは……。


 妹のニヨニヨ視線から逃げるため、自己紹介を終えた高木梨奈に話しかける。


「だいぶ落ち着いたみたいだね。良かったよ」

「陽平くん、ごめんね。迷惑かけて……」


 うつむき加減でしょんぼりしている彼女にどう言葉を続けたらいいのか判らなかった。


「何か事情があるようだから、私は部屋へ行くね」


 自分が居ては話しづらいと思ったのか、空になったカップを持って優里が席を立った。「ここにいてくれ」とすがる気持ちを目にこめて俺は優里を見た。俺の気持ちは判っているくせに無視して二階への階段を昇っていった。

 高木梨奈と二人で居間に取り残された俺は、ドキドキしている心音が彼女に聞こえないかと心配になる。


「あのね、陽平くん。落ち着いて考えたけれど、やっぱり啓太とは別れる」

「……や……うん」


 つい、「やった!」と口にしそうになったけれど、間一髪で飲み込めた。彼女が傷ついているのに、なんて自己中な男なんだろうと罪悪感も感じていた。


「啓太とも鈴木さんとも顔合わせたくないからバイトもやめる」

「そうかぁ、でも気持ちは判る」


 彼女と顔を合わせられる機会が減るけれど、これは仕方ない。店長に言ってシフトを調整して貰って鈴木さんと顔を合わせないようにはできるだろう。でも、頻繁に来る啓太とは顔を合わせる。それは嫌だろうしなぁ。

 彼女と同じ授業をいくつかとってる俺は大学で会えるから、まぁ何とか我慢できるし。


 その後、付き合ってからこれまでに何度かあった啓太の浮気についての愚痴を高木梨奈は続けた。鈴木絵里香とは今回で二度目らしく、他にも別の女性二人と遊んでいた現場を見た話もする。

 これまでは浮気現場を見つけるたび啓太を問い詰め、そのたびに聞かされる言い訳を、好きだから信じようと思っていたという。でも鈴木絵里香がベッドの中から勝ち誇るように笑っていて、啓太もため息をついて、「あ、今日も来たのか……」と最初に口にしたのを聞いて、もうダメだと思ったという。


 一度は落ち着いたものの、話している間に悔しくなったのか、それとも悲しくなったのか、いろんな感情が湧いたらしく、高木梨奈はボロボロと涙をこぼす。

 声を抑えた「悔しい……」というつぶやきが聞こえる。この時ばかりは、二人が別れそうで嬉しいとは思えず彼女に同情した。


 それに、啓太と彼女はこのまますんなり別れるのだろうかとも、彼女の愚痴を聞いている間に思い始めていた。


 だって、何度も浮気したから別れると彼女は言う。だけど、何度浮気しても我慢できたほど好きだということでもあるよな。現場を見てしまって、今はまだ怒りや悲しみが強いから別れようと思っている。でも時間が経ったら、やはり好きだからと、今度こそはと思い直すかもしれないし……。


 彼女の味方の顔をして、啓太の悪口を言うつもりはない。それは男としてみっともない。

 傷ついて弱っている彼女に優しくして、俺に好意を持って貰おうだなんてことも、弱みに付け込む卑怯な行為だからしたくない。


 いろいろなことが頭に浮かんで、俺は彼女に何を言えばいいのか更に判らなくなっていた。

 鼻をすすり、手で涙を拭う彼女の前にティッシュの箱を置く。そして彼女のカップを持ち「ホットミルクでいいかな?」と訊いた。


「……うん、ありがとう」


 俺は席から立ち、台所へ向かった。


 カップに入れたミルクを電子レンジで温める。同時に俺用にインスタントコーヒーを作った。

 タイマーが鳴り、このままではカップも熱すぎるから別のカップに入れ直す。

 コーヒーとホットミルクを持って戻り、テーブルに置く。

 ここまでの間、俺は何も考えないようにしていた。


「見て、これ」


 俺が席を立っている間にバッグから取り出したのだろう。手にしたスマホを彼女は俺に渡した。画面には啓太からのメッセージがあった。

 

「馬鹿にしてるよね。”今夜、また来る? ”だって」


 泣き笑いする彼女にスマホを返して「そうだね」とだけ答えた。

 啓太って俺が感じていたよりデリカシーのない奴だったのかと、正直驚いていた。俺なんかよりも女心に詳しい男だと思っていたからなぁ。

 それとも高木梨奈は啓太に惚れているという自信が、こんな態度をさせているのか?

 

 でも、好きな女のこの手の話を聞かなきゃいけない男って不便だよな。何の思い入れもないただの女友達相手なら、啓太のことを糞野郎とか罵っていたかもしれない。こんな奴とは速攻で縁を切れと言っていたかもしれない。


 でも器の小さい男と思われたくなくて、恋敵の悪口は言いたくない……言えない。

 実際、器の小さい男なんだから、格好つけても仕方ないだろうと思わないでもないけれど、やっぱり言えない。


 画面を下にしたスマホをテーブルに置く彼女を見ながら、俺は自分を情け無く思っていた。


「……私、陽平くんに申し訳ないことしてるよね」

「ん?」

「ご家族がいるのに……。うちに帰った方が良かったんだろうけど……」

「いいよ、俺が無理に引っ張ってきたんだからさ。気にしないで。ほら、女の子が泣いているのに何もしないのはやっぱり格好悪いしさ」


 父さんと母さんが交際関係に理解があるのは、彼氏持ちの妹への日頃の態度で判っていた。だから、コソコソ隠れず正直に話せば大丈夫とは思っていた。だけど、ここまですんなりと進むのは、俺を信用してくれたからのことか、それとも別の理由があるのか、明日にでも聞いてみよう。


「明日、バイト先に辞めるって言いに行かなくちゃ……」

「電話で済ませたら? 啓太に会うかもしれないよ? それとも、店長に俺から話してもいいよ」

「陽平くんに頼むのは、店長にも陽平くんにも申し訳ないから、電話にしようかな。あ、ダメ。少しだけどロッカーに荷物置いてある。やっぱり直接話す」

「……そう。判った。それ飲んだら、ゆっくり眠るといいよ」


 俺は着替えただけで、まだ風呂にも入っていない。彼女が妹の部屋へ向かったら、風呂に入ってこれからのことをゆっくり考えるとするさ。彼女と啓太が別れるとしても、俺が次の彼氏になれるわけじゃない。それ以前に、彼女ともっと親しくなる方法を考えなきゃいけない。


「うん、ありがとう」


 恥じらっている彼女が可愛いやら、可哀想やらで複雑。


 それにお礼を言われるようなことはしていない。家は両親のものだし、妹は俺イジリのネタを手に入れてニヨニヨだし、俺は彼女のプライベートを少し知れて、複雑な面もあるけどちょっと嬉しい気持ちもあるしな。


「たいして力になれることはないけれど、愚痴くらいならいくらでも聞くから……気にせずにね」

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