彼女が泣いた
俺は今、これからどうしたらいいのか困っている。恋愛経験が少ないってこういうとき本当に困る。
高木梨奈が我が家に今夜は泊まる。
我が家には両親も妹も居る。そして彼女は妹の鍵付きの部屋で寝る。やましい気持ちがあって彼女を我が家に連れてきたわけではない。
じゃあ何を悩んでいるのかと言えば、彼女とどう接したらいいのか判らないんだ。
いや、いつもなら他愛ない話しているし、妹持ちの俺は相手が女性だからと臆したりはしない。
あれから啓太のマンション風のアパートへ一緒に行き、「啓太の傘借りてくるから待っててね」と言われ、アパートの階段下で俺は雨宿りしながら待っていた。そのあと、二階にある啓太の部屋から、彼女が泣きながら降りてきて、傘もささずに俺の手を引っ張り歩き出した。
何が起きたか判らないまま、引っ張られるまま彼女と会ったタバコ屋の軒先まで歩いた。
「傘くらいさそうよ?」と声をかけても、振り向かずに「いいの!」と怒ったように言うだけ。
頑なな様子から、どうやらちょっとした喧嘩ではないと感じて、俺は黙って豪雨の中を付いていった。
タバコ屋の軒先に着いても彼女は黙っていた。怒って泣いているのは判る。でも恋人同士の喧嘩だろうし、俺が事情を訊いても良いものか判らないから黙って横に立っていた。
雨が徐々に弱くなり雷の音も遠くなってきて、駅まで送ってから帰ろうかと考えていたとき、彼女が口を開いた。
「もう啓太とは別れる」
高木梨奈に惚れてる俺は「おお! これはチャンス!」とか「感情的で一時的なものだろう?」とか、感情的な俺と、冷静な俺の間を行き来していた。そして何と答えたらいいのか判らない俺は一言だけ答える。
「……そう」
「だって……今までも何度も……」
「うん」
「今日は鈴木さんとベッドで寝てた……」
「え? バイトで一緒の?」
「そう、あの鈴木さんよ!」
俯いたまま吐き捨てるように言う。
俺は大学近くの喫茶店スタンドランプでバイトしている。高木梨奈も鈴木絵里香も同じ喫茶店のバイト仲間だ。菊沢啓太は俺や高木梨奈と同じ大学で学部は違うけれど同学年。
ちなみに鈴木絵里香は俺達とは違う大学に通っている。自宅がスタンドランプの近所らしい。あと、美人でスタイルも良く、男性ウケする色気を持っていると自覚しているのか、啓太にはもちろんだし、他の男性バイトにも粉かけているという噂だ。
俺に対しても色目を使っているのか、それは判らない。
苦手なタイプだしな。
店長から美味しくコーヒーを淹れるための指導を受けている俺は、休憩時間もコーヒーのことばかり考えている。だから、高木梨奈は別だけど、他のバイト仲間のこともさほど興味を持っていない。たまに入ってくる噂程度しか知らない。仕事で不便にならない程度の人間関係があればいい。
菊沢啓太は常連のお客で、カウンターに座ると話しかけてくるから多少は人柄も知っている。男性モデルをやっていると言われても不思議に感じない爽やかなイケメンで、高校時代はラグビーやっていたという細マッチョ。学業面の成績は知らないけれど、実家はそこそこ裕福らしいし、お洒落で会話も達者だから誰と話していても中心にいるような……男性大部分の敵のような男だ。
正直なところ、俺と比較したら女性千人中千人が啓太を選んでも即座に諦める。女性一万人なら一人くらいは俺を選んで欲しいという切ない祈りはあるけれど、千人じゃ確実に啓太に軍配があがると確信している。
菊沢啓太目当ての女性客も十数人居る。そんな相手だから、高木梨奈の彼氏が奴だと知った時には仕方ないよなと納得した。
とにかく、慰めればいいのか、それとも一緒に怒ったほうがいいのか俺が悩んでいた。
彼女が苛つき、怒っているのは判る。
だけど、雨でずぶ濡れになっている彼女をどうにかしなくは、風邪をひいてしまうだろう。
「今夜は帰ったら?」
「嫌! 帰りたくない。うちには
「じゃあ、誰か……女友達のところとか……もし遠いなら送っていくからさ? 少し落ち着いてよ」
「泊めてくれそうな友達のところまで行ったら、陽平くん帰れなくなる……」
もうびっしょりと濡れた彼女を一人で電車に乗せてはいけない。
衆目の視線から彼女を守らなくちゃいけない。
今は十一時になろうかという時間。
一時少し前に終電が……それで送ったら俺は戻ってこられないと考えると、彼女の友達の家までは一時間以上かかるんだろう。
どうしようか?
びしょ濡れだから、どこかホテルに彼女を……。
ホテルって遅い時間にチェックインしてもランドリーサービスやってるんだろうか?
コインランドリーがあるホテルもあるって聞いたことある。でも、今から入れるホテルにあるかは判らない。
……この時間だと、服や下着を買えそうな店は開いていない。
彼女を見ると、バッグからハンカチを取り出して涙を拭き、やや俯いている。
まさか付き合ってもいないのに、何もしないとしても二人でラブホ入るわけにはいかないよなぁ。
彼女一人だけでというのもなぁ。
そもそも俺はラブホ利用したことないからシステムとかさっぱり判らない。
着替えもないのにずぶ濡れの彼女を漫画喫茶へ連れて行くわけにもいかない。
明日、着替えを誰が買うのかって話もある。
だったら……。
俺は鞄からスマホを取り出して電話する。
「ああ、母さん? 陽平だけど、ちょっと事情があって大学の同級生……女の子なんだけど、うちに泊めたいんだ。……うん、これから連れて帰る……。その子ずぶ濡れだから……うん、頼むよ」
俺が家に電話しているのを高木梨奈は聞いている。俺が電話し終えると、
「そんな、いいよぉ……どこかで朝まで時間潰すから……」
「そんな格好じゃダメだ。うちには両親と妹がいるのは知ってるだろう? 男一人の家に行くわけじゃない」
うちから高木梨奈が出てくるところを見られても、妹と友達だからと言い逃れできる。
というか、言い逃れる!
男友達の実家へ深夜に行き泊るのは抵抗があるんだろう。
それは判る。
だが、彼女が納得する宿泊先を探すためにここで時間を使っていては、風邪をひいてしまうかもしれない。
後で彼女に怒られてしまうかもしれないが、ここは多少強引でも……。
小雨になった今がいいタイミングだ。
こちらに向かってくる、多分、駅へ向かう空車のタクシーに手を上げ、俺は躊躇う彼女の腕を引っ張り乗車した。
「近くてすみませんが、お願いします」
我が家に来た彼女を見た母さんは、風呂にすぐ入るよう促し、妹の優里に着替えを用意するよう言った。そして特に事情も訊かずに、俺の部屋から布団を居間へ運ぶように言って、
「あんたは今夜居間で寝なさい。優里の部屋にはあの
お客用の部屋など無い我が家の今夜の就寝体制をテキパキと指示する。
俺をチラっと見ただけで何も言わない父さんは、全てを母さんに任せていた。
怒られたり、追求されないで済んで俺はホッとした。だけど、これから高木梨奈の
あとで何か理不尽な要求がくるかもしれないけれど、優里にも一緒に聞いてもらおうと俺は覚悟して決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます