第19話

「さっちゃんにも見せてやりたかったのぉ。せっかく勇者たちを一網打尽にしたというのに」

「あのさ、正直言っていい? さっきから私おびえてるの気づいてる?」

「そうじゃったのか?」


 内心ホッとして女魔導士はため息をつく。そこには、頭をポリポリと掻く彼女の見知った魔王じいちゃんの姿があった。

 歩き続けて一時間。魔王じいちゃんは「自分で歩けるか」という言葉を最後に無言になった。放つ空気は殺気にまみれ、履いている靴は血にまみれ。女魔導士が縮こまってしまうのも致し方ない。上級魔族でも逃げ出したくなるこの状況。むしろ人間のくせにタフな精神だと褒め称えてもいいくらいだ。


「さっきまで全然何もしゃべんなかったし、しかも殺気バリバリにやばかったし、それに今にも世界滅ぼしそうなオーラ出しててチョーやばかったんですけど」

「ギャルみたいな喋り方になっておるぞ」

「ギャル知ってるんだ!? ゲームも知らないおじいさんが!?」

「んーうるさいぃ……むにゃむにゃ」


 魔王じいちゃんの背中で眠るさっちゃんの寝言。生きている証拠だ。勇者が宣言した一時間は経過し、毒も間違いなくさっちゃんの体内からすべて抜けている。

 さっちゃんに会話を中断させられた二人は、もう一度沈黙を貪ることに。

 しかし今回の沈黙はあっけなく五分で閉ざされた。


「体力回復魔法をかけてくれんかの」

「え、それ……うん、わかった」


 気づけば魔王じいちゃんの息づかいが荒くなっている。

 体力回復は基本中の基本と彼女は昨日教わったばかり。その呼吸に等しいとする魔法すら人に頼むとはかなり疲弊しているのだろう。それを察して女魔導士は何かを言いかけたようだが、途中で言葉を呑み込んだ。

 まばゆい光が魔王じいちゃんを包み込む。光の粒子が飛散している。これは魔法の効力が外部に漏れ出ている証拠だ。体内に光を押しとどめなければ、回復の効果はほとんど得られない。


「すまんのぉ。助かるわい」

「ごめん、前にも言ったけど、回復魔法、苦手なの」

「十分じゃ。これで宿までは歩いて帰れる」


 魔王じいちゃんの呼吸はいっこうに整わない。

 女魔導士は魔力をほとんど垂れ流しているだけの状態だ。これでは治せるものも治せない。


「ちょっとさっちゃんのお父さん! 見てるなら出てきなさいよ! あなたの息子もお父さんも大変なことになってるのよ、ちょっとは手を貸したらどうなの!」


 息子は無事だ。魔王じいちゃんは死なない。だから心配ない。

 だが不甲斐ないのもまた事実。悔しいがこの女魔導士の言う通りだ。本当は今すぐにでも駆けつけて孫をおぶってやりたい。父を助けられるのなら僕が助けている。しかしそちらに転移するための魔力はもう残っていない。この透視で見守るのが精一杯なんだ。


「あやつが今所有しておる魔力量はごくわずか。多少魔力は回復しておろうが、こちらに転移するための魔力はもう残っておらん。本当は今すぐ飛んででもこの場に来たいはずじゃ」


 やはり理解してくれていたか。さすがは偉大なる父だ。ありがとう。


「じゃあ走ってこればいいじゃない。心配なんでしょ、場所はわかってるんでしょ。それだけ知っててどうして動こうとしないの? ……これだからちょっと魔力のある魔族ってのは。だらしない。人間はね、こういう時は全力で走って我が子を迎えに行くもんなのよ!」


 心臓が感情の圧に負けて破裂しそうになった。

 気づけば扉を蹴飛ばして、僕は走り出していた。人間ごときに降されて甚だ悔しいが、やはりこの女の言う通りだ。






 孫のためにと走り出したサタンジュニアは百メートル走っただけで息を切らしている。日頃から魔都統括として玉座にふんぞり返っているから、大事な時に動けなくなる。

 正直、今はこんな情けない息子より、孫の方が気になって仕方ない。

 私の手元にある銀色の宝石に映し出される映像を切り替えると、魔王じいちゃんが孫を担ぎながら力なく歩き始めていた。


「おじいさん、私がさっちゃん担いだ方が」

「おぬしはワシに回復魔法をかけておれ」

「わ、わかったわ」


 いつ気を失ってもおかしくはない。二百年前に旧王都を半壊させた時と状態が酷似している。気力も魔力も限界が近い。

 魔王じいちゃんが足をもたつかせ、片膝をついた。


「こうなるとわかっておるなら、わしのせがれを連れてこさせるべきじゃった」

「置いてきたのはおじいさんでしょ。さっちゃんパパの魔力が尽きそうで、足手まといになりそうだからって」

「そんな理由で置いてくるか」

「じゃあどうして?」

「かっこよくさっちゃんを迎えに行くのは、わしだけで十分じゃろ」

「あー……」


 女魔導士は孫への溺愛ぶりを思い出したようだ。

 魔王じいちゃんとジュニアが二人で助けに行ったとする。孫と対面した時、間違いなく父であるジュニアに関心が向けられる。となれば、魔王じいちゃんは孫救出作戦のメインではなくオマケになってしまう。

 結局のところ、意識を失っていた孫の前では何も意味をなさなかったが。

 魔王じいちゃんよ、よく頑張った。せめて魔王じいちゃんの背中で孫が一度目覚めますように。


「なにを変な顔しておる。『じぃじありがとう!』と喜んだ顔を見たいのは当たり前じゃろうて。独り占めしたいのは当たり前じゃろうて」

「そ、そうだねー……溺愛しすぎだろこのジジィ」

「おぬし、わざと聞こえる声で囁いておろう」

「もう話しかけないで! 気が散って魔法うまくかけれないから!」


 事実、溺愛からの想いだけでたった独り、身を削ったのではない。

 この街のように人間が跋扈する場では魔族はまさに外敵。魔都から人間のいる世界へと連れ出した孫を守ってあげられるのは魔王じいちゃんただ一人。孫を守ることは責任であり義務でもある。だから自分の始めたことで何かが起きたなら、自分で落とし前をつけなければならない。今回の救出劇についてはそんなところだろう。

 女魔導士が汗を垂らしながら回復魔法をかけ続けている。相変わらず魔力を周囲に拡散させてはいるが、何か様子がおかしい。魔王じいちゃんを包む白い光が赤みを帯び始めた。


「んぬ? おぬし、本当に回復魔法をかけておるのか」

「……はぁ……はぁ……かけてる……わよ」

「今すぐやめるのじゃ! 目から血が流れておる! 過度な魔力負荷に体が耐えられておらんのじゃ!」

「もう……少しで……」

「んぐっ」


 魔王じいちゃんと女魔導士が力なく地に伏した。

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