第18話

 雑音除外魔法でさっちゃんの音が聞こえてくる部屋前まで辿り着いた。

 魔王じいちゃんがドアノブを捻り、扉をゆっくりと開ける。眼前には無造作に投げられた子どもの姿が——。


「さっちゃんッ!」

「下手に動くでないわッ」


 女魔導士が叫ぶもさっちゃんに声は届かない。気を失っている。

 人の姿は目視できないが、確かにこの部屋の中に三人潜んでいる。僕が多分に力を発揮できれば問題ないのだが、生憎あいにくこのざまだ。正確な位置情報を掴み切れない。さらに厄介なことに、特定したもの以外の雑音を消す魔王じいちゃんの魔法とは相性が悪い。

 動きを遮られた女魔導士はじれったそうに体をそわつかせる。

 それにしても人間の分際で透明化魔法とは。いくら最強の魔王と言えど、さっちゃんの喉元に突き立てられた刃を相手取れば、対等に殺し合うことはできない。

 魔王じいちゃんは部屋の中に一歩だけ入った。


「聞きたいことがあるんじゃが、おぬしら、王都軍の勇者ではのぉて、反勇者軍なのじゃろ?」


 魔王じいちゃんが誰かに語りかけるも返事がない。言葉が空気中をさまよった。

 それでも再び乾いた唇を開く。


「王都の勇者が魔族と手を組んだとなれば、反勇者軍に王都を打倒する方便ができるじゃろ。なぁに単純な話じゃ」


 何かを知ったふうに問いかける。

 おそらく『反乱軍の勇者が身分を偽って王都の勇者を名乗ることで、あたかも王都側が魔族を利用し、反乱軍を打倒しようとしている』と自演し、画策するつもりだったのだろうか。

 王都が憎き魔族とくみすれば、人類への反逆とみなし、正々堂々と正面切って反乱を起こすことができる。

 しかし、かなりあやうい陰謀だ。もし反勇者軍の陰謀だと王都側に知れれば、逆に反勇者軍を壊滅へと追いやる絶好の機会となる。まるで頭の悪い下級魔族どもが考えそうな奇策、茶番だ。


「別に隠してたつもりはねぇさ」

「確かにの。おぬしの言動は怪しさの塊じゃった。わしらとは日中ほとんど別行動。反勇者軍を勇者ではないと否定をすれば、いさみよく反発してきおった。さらにおぬし、その粗雑な性格ゆえ、偽装的な視線が苦手じゃな」

「視線……だと?」

「女二人への視線と男二人への視線が違いすぎじゃ」

「エロい目で見てたってか?」

「それもいなめんが、かわいい女の子二人に向ける視線から敵意がだらだらと滲み出ておったわ。あれは仲間に友好を示す瞳ではなかったわい」

「エロって横文字は知ってんのかよ。この変態ジジィが」


 魔王じいちゃんは「ぐぬぬ」と歯を食いしばる。

 下手な挑発と日常会話で時間を稼ぎながら敵の位置を捕捉しようとするも、うまくいっていない。声が部屋中に反響して位置を探られないようにしている。


「ちょっと待ってよ。だ、誰と話してるの。もしかして知ってる人なの」

「おぬしと、ぱぁてぃ、とやらを組んどった男三人じゃ」

「…………」

「あの勇者もどきと、お菓子の盾を持ったイカツイ男と、弓使いじゃ」


 女魔導士に一瞥もくれずにサラッと答えあわせをした。


「おぬしは仲間と思っとっても、向こうさんはどうやら違ったらしいの」


 女魔導士は出かけた言葉も呑み込んで沈黙に徹した。いくら事実を疑おうとも、耳に届く確かに聞き覚えのある声が反論を受けつけなかった。


「せっかくじゃし姿を現して話をしたらどうじゃ?」

「バカか。あんたに姿見せたらまた押し潰されちまうだろうが」

「見せずともここら一帯を更地にしてやってもよいのじゃぞ。ならばあっという間に事は片付こう」


 魔王じいちゃんが壁に手をかざす。手始めに壁を吹き飛ばそうと手に魔力を込め始める。

 たっぷりと五秒が経過した。しかし壁に穴は開いていない。どうした。威嚇程度なら三日前に大樹を潰した時のように躊躇しないはずだ。


「おいおいじいさん。壁を吹き飛ばさないのか?」

「なんのことじゃ」

「強がっても無駄だ。あんたはいつも一瞬で事を成せることくらい、ここ数日見ててわかってんだよ。それがこのあり様だ。……なぁ、アンタ、魔力の使い過ぎで弱ってんだろッ」


 高らかに笑い始める勇者。笑い声が室内に響き渡る。


「スラム街に火を放っておいてよかったぜ。あんなデタラメな余力が残ってたら今さらコロッとやられちまってたよ」

「……まさか、昨日のは勇者あなたのしわざだったの」

「そうさ。じいさんの魔力を浪費させるのと、王都軍のしわざだって反勇者軍の士気を高めるためになァ!」


 様々な感情が入り混じって女魔導士は声を発することができなかった。

 勝利を確信したのか、勇者が孫の隣に姿を現した。


「姿を現しおって。先程のがハッタリだとは思わなかったのか」

「思わないね。あんたのつらそうな表情がそう語ってる。それに、やれんならもうやってんだろ?」

「なんじゃと?」

「やれんならもうやってんだろ、って言ってんだよ! アンタの大好きな孫がこんなザマなんだぜ?」

「ふむ、よかろう。それでは、やってやるとしよう」


 これはおそらくハッタリだ。もし目の前にいる男一人を殺せたとしても、後がどうなるかわからない。魔力が尽きれば、敵なしの魔王もただの老いぼれジジィに成り下がる。


「ま、かまわないぜ。まだ策はあるからよ」

「ほうほう。それは興味があるのぉ。この透明化といい探知阻害といい、結構なものではないか。次の手はなんじゃ?」

「この子には毒を注射してある。あと一時間もしないうちに死ぬだろうよ。解毒剤の場所は俺たちにしか――」


 続く言葉を聞くことはできなかった。

 終焉を知らせる魔王の死力の一撃が轟く。建物は一瞬にして倒壊し、数秒にして一面が更地となった。超過重力に耐きれず、地割れを起こしている場所もある。大都市北西部の市街地は跡形もなく潰れ、存在はなかったことにされた。

 重力魔法を駆使する魔王は、さっちゃんと女魔導士を両脇に抱きかかえて宙に浮いている。


「やってしまったわい」


 魔王の中で憤怒の炎が静かに揺れる。しかしそれでも冷静さは欠いていない。人間には手心を加え、身動きが取れない程度に少なくとも手足の骨を粉砕している。僕に断末魔が届いてこないのは、魔王による雑音除外魔法のせいだろう。声が聞こえなくとも大地を転げまわる滑稽な人間どもを見下ろす、ただそれだけでもいささか心が躍る。


「貴様には伝えたはずじゃぞ。孫に手を出したら話は別じゃと」


 顔見知りの勇者も身悶えして会話どころではない。

 魔王は市街地跡地全域に痛覚を遮断する魔法をかけた。この拷問用魔法を孫のために日光遮断魔法とやらに応用させたのだから、孫の存在というのはいかに大きいものか。

 両足をあらぬ方向に曲げられた勇者はまだ敗北に塗り潰された表情をしていない。


「やっぱりな……この力、敵に回すより、味方につけた方が都合がいい」

「そういうことじゃったか」


 魔王じいちゃんに理解できたように、僕にも理解できた。

 人間の考えることは愚かだ。行うことは浅はかだ。そのさもしさに反吐が出る。これがさっちゃんを誘拐した真の理由か。やはり人間の考えることは愚かしい。圧倒的強さ欲しさに目が眩んだか。

 大人しく静観しておけばよかったものを――いや待て。以前に魔王じいちゃんがクーデターを止めると軽口を叩いたことが引き金になったのかもしれない。となれば今回の誘拐、事の発端は――。


「じいさんよ、どうすんだよ? 今ので解毒剤も消し飛んだぜ」

「そうだよ、おじいさんッ。早くしないとさっちゃんの命が……」

女魔導士そいつの言う通りだ。……だが安心しろ。もしアンタが俺たちの仲間になるってんなら、解毒剤の調合の仕方、教えてやってもいいぜ」

「孫を人質に取れば、このわしが仲間になるとでも思うたか」

「ああ。孫のためならなんだってするだろ」


 魔王は不敵な笑みを浮かべた。


「よくわかっておるの。じゃから、孫の体内にあった毒は、すべてわしが引き受けた」


 これでさっちゃんの無事が確かなものになった。

 多少魔王じいちゃんには苦しんでもらうことになるが、適切な判断と処置だ。さっちゃんの体内に毒を残しておくと、この人間の言う通り一時間で取り返しのつかないことになり兼ねない。


「わしの体なら時間にして一カ月は軽くもとう。それまでに宮中専属治療魔導班が解毒法を見つけて治してくれよう。これでようやっと帰れるわい」

「……宮中? って、じいさん、アンタ何者だ」

「あれから百年も経てば、寿命百年もない人間はわしを知らんくても仕方ないか。この際じゃから言うがの、ほれ、わしは魔王じゃよ、魔王サタン。知らんか? 一度くらいは聞いたことはないか?」

「おいおい冗談もたいがいにしろよ。悪逆非道の魔王サタンは百年前に死んだとされている。それから表舞台にはいっさい出てきてない……から……な」

「どうやら言いながら気づいたようじゃな。わしは死んではおらんよ。隠居しただけじゃからな」

「……ゆ、許してくれ」


 唐突に態度を一変する勇者。先程までの威勢は見る影もなく、死相すら感じさせる。さあ、今こそ立ち上がれ勇者たちよ。眼前にいる魔王はお前たち勇者の悲願であるぞ。ちまちま勇者同士で争う必要はない。ここでこの魔王を倒せば、その者こそ真の勇者となれるのだから!


「これこれ、わしの言葉を信じるのが早すぎやせんか? 魔王じゃぞ? 平気で嘘八百並べるやもしれん」

「当時の、伝承と、酷似、している、から、な」


 動揺が呼吸に表れ、呼吸の乱れが言葉の乱れを生んでいる。


「ほう、それは一度聞いてみたいもんじゃが、おぬし、知っておるか?」


 女魔導士はひと言も発することなく、力いっぱい首を左右に振った。隣にいるじいさんが魔王だと知って心を恐怖に乗っ取られている。


「俺が悪かった。な、なんでもする。許してくれ、あんたの言うことなら、何でも、何でも聞くッ。そうだ、俺を仲間にしてくれ仲間になりたい、一緒に王都を滅ぼす手伝いをさせてくれ。いや、仲間なんておこがましい、命が助かるんだったら、なんだって言うことを聞く、臣下に、ダメなら、忠実なしもべになるから。ならせてくれ、ならせてください、頼む、まだ死にたくないんだ」


 怖気づいて箍が外れたらしく、人間としての尊厳を放棄した瞬間だった。

 他の人間も神にでもすがるように懇願を始めた。内臓が潰れた人間は血反吐を吐きながら。目が潰れた人間は血の涙を流しながら。魔王のことを勇者や神のような救世主とでも勘違いしているのか、全員の視線が魔王に注がれた。


「頼むから、お願いしますッ、どうか、命だけは助けてください」


 倒した勇者達が仲間になりたそうにこちらを見ている。


「命を取るつもりはない。しかし、次はないと思え」


 無慈悲ではなく慈悲のある言葉が、反して恐れを際立たせ、人間の心に真の恐怖を植えつけた。

 空中から降りた魔王は二人を両脇に抱えたまま赤い湖を歩いていく。

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