第14話
魔王じいちゃんが目を覚ますと隣には孫が寝ていた。窓に目を遣ると辺りは薄暗くなっており、禿げ頭にいち早くよぎったのは夕食のことだった。
「ここ数日、時間があっという間にすぎてしまうわい」
「んーじぃじ」
「すまんの、起こしてしもうたか」
魔王じいちゃんはゆっくりと体を起こした。蓄積した疲労が老体を蝕み、一つ一つの動作が重くなる。
「そういえば、えっちゃんはどうしたんじゃ?」
「さっきかえったよ」
「楽しかったかの」
「うん! はじめておともだちできたよ!」
魔王城という鳥かごで過ごすさっちゃんにとって、友達は縁遠い稀有な存在。会話する相手といえば身内を除くと、召使いや上級貴族、教師くらいしかいない。この境遇のせいで、見知らぬ相手にはどうしても口数が減ってしまう。
勇者、女魔導士、お姫様役の女。だからこの中で最初に目をつけたのは、ゲームを持ったお姫様役の女だった。今時の子どもがゲームを知らないはずがない。さっちゃんの部屋にもゲームはある。
それでも、嘘をついてでも、すぐにゲームに走ってしまう理由。
相手との上手な距離の測り方がわからない以上、逃げ出したくなることもある。ということだ。
こればかりは場数を踏んで慣れていくしかない。
「ほうほう、そりゃよかったわい」
魔王じいちゃんもよく考えて采配している。
まずはいつもの環境と似たそこまで近しくない者と慣れ親しみ、次に同年代の者と触れ合わせる。ステップを踏むことでさっちゃんに友達を作りやすくしてあげたのだろう。
ただ一つ、相手が人間でなければ満点だった。だがもし同年代の魔族と仲よくなるために人間を踏み台にしたと考えるならば、それも高采配、満点だ。
「じぃじ、ありがとう!」
「わしゃ何もしとらんよ」
孫の頭をぐしゃぐしゃと撫でると、髪があっちこっちに跳ねた。
魔王じいちゃんの腹が鳴る。昼を食べていないせいで腹の音は絶好調だ。
「じぃじクッセぇー」
「おならじゃのぉて、おなかじゃ。さて、下に降りてメシにでもするかの」
「えー、ぼく、おなかへってないよー」
「昼には何を食べたんじゃ?」
二人はしゃべりながらベッドから出て外へと向かう。
「えーっとね、チーズインハンバーグとローストビーフとビーフシチューと……あとなんだっけ?」
「なんじゃその呪文のような食べ物は。本当に食べられるのか?」
「すっごくおいしかったよ。とくにお肉!」
「ふむ。もしかするとすでに食べたことがあるかもしれんの」
孫がドアノブに手をかけ先に部屋を出て、魔王じいちゃんはその後に続く。
一階のめし処に降りると、なにやら妙に騒がしい。
「あ、おじい、さん、起きられ、ました、か」
「どうしたんじゃ、この騒ぎは」
タイミングよく店内に入ってきたのはお姫様役の女だった。あわてて魔王じいちゃんのもとに駆け寄ってくるも、途中で盛大にすっ転び、床に顔から着地した。
「おねえちゃん、だいじょうぶ? けがしてない?」
「大丈夫、だよ」
駆けつけた孫に介抱されながら立ち上がり、近場の椅子にぐったりと腰を下ろした。その間に魔王じいちゃんもお姫様役の女の元に。
「街が、火事で、大変なんです」
「火事じゃと? レンガ造りのこの街のどこから火の手が上がるというのじゃ」
「ス、スラム街、です」
「エミリアちゃんのとこだっ」
「話はあとじゃ。とりあえずそこまで案内せい」
魔王じいちゃんはどうしてお姫様役の女がここに戻って来たのかをすぐに理解した。水魔法を使える女魔導士は現場へ。男手が必要な場所には勇者が。お姫様役の女は魔王じいちゃんを呼びにめし処に。といった役割分担ということだろう。
王都の勇者が反勇者軍の街を救おうとする。
もし皆が皆この者たちのような心であれば、人間同士で争いが起こることはないだろうに。
「わかりました」
「おぬしらは反勇者軍を助けようというのか?」
「そんなの、関係、ない、です。助けるん、です。絶対、に」
お姫様役の女が鼻血を垂らしながらなんとか立ち上がる。
言葉の力強さ、目に宿る熱い意志、折れない心。敵に塩を送る行為は魔族にとっては考えられない。魔王じいちゃんは一瞬怯んでしまう。
しかし、すかさず身体強化魔法で彼女の鼻血を止め、さらに身体能力を向上させた。次いで自分とさっちゃんにはさらに強い強化魔法をかける。老魔と子どもは若者よりも当然身体能力が劣るせいで、効力を強める必要があった。
「これで走れるじゃろ。無理させてすまんの」
三人はめし処を飛び出した。通常の倍速以上で街中を走り抜ける。慣れないスピードにお姫様役の女は道行く人に度々ぶつかる。無論、相手はただではすまない。
「気にせんと走れい! わしがなんとかするわッ」
本来ならば骨折してもおかしくはない。だが、接触する瞬間に怪我対策魔法を相手にかけることで骨折はおろか、かすり傷一つつかない。
十分も走り続けると、すっかり暗くなった空が明るくなり始めた。同時に立ち込める煙も濃くなってくる。そろそろ出火場所が近い。
三叉路を左に曲がると、水魔法で消火活動をしている魔導士が三人いた。しかし燃え盛る炎はいっこうに消える気配がない。
「もっと水力をあげんかッ」
魔王じいちゃんに喝を入れられ女魔導士は水力をあげた。
「お、おじいさん! やっと来た、お願い、手伝って!」
「わしは水魔法を使うことはできん。おぬしらが踏ん張るしかないのじゃ」
「この役立たずがっ! 水鉄砲って私のことバカにしてたくせに! 頼った私がバカだった、とんだ不良品つかまされたわ。てかどうしてさっちゃんも連れてきたの、あぶないでしょ!」
騒音に負けじと怒鳴り合いながら二人は意思疎通を図る。
スラム街の大火事の原因は木で作られた家だった。貧困層が集まるスラム街ではレンガ造りの家を建てる金はない。寄せ集めの木で家の
ここには親をなくした子どもしか住んでいない、と女魔導士が言っていたから。
「他に水魔法を使える奴はおらんのかっ、救出作業は終わったのかっ」
「いることはいるけど、手伝ってくれないの。だから救出も全然できてない。あのバカ勇者が一人でやってる」
「なぜじゃ、こんな一大事に他の人間どもは何をやっておるのじゃ」
「スラム街は反勇者軍のお荷物なんだって、ごくつぶしの住む場所なんてなくなっていいんだって」
「……ふざけおって。力なき子どもを見捨て、見殺しにするとは」
「ごめん、何言ってるか聞こえなかったから、もう一回言って」
怒鳴らなければ会話が成立しないこの場では、呟いた魔王の声は届かない。
しばらく忘れていた感覚が魔王の心に蘇る。
魔王は歩き出した。孫や女魔導士たちの制止を振り切って、炎の中へと姿を消した。
泣き叫ぶ孫。ありったけの魔力で放水を続ける女魔導士たち。ひどく心配するお姫様役の女。誰もが懸命に事をなすも、炎はゆらゆらと嘲笑うかのように強くなり、火の手をさらに広めていく。
三十分も経てば、力尽き、術なく地に這いつくばることしかできなかった。
そして、悪魔の炎で燃え上がったスラム街は、消失した。
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