第12話

 さっちゃんとお姫様役の女が水遊びをし始めて、かれこれ二時間経過した。

 魔王じいちゃんの呼吸は荒く、老体に体力の限界を感じさせる。腰を下ろして休みながらも、まだ子供たちに魔法をかけ続ける姿は、とても魔王には見えない。


「おぬし、意外と筋がいいの」

「そりゃどうも」


 教え甲斐があるせいで指導に力が入りすぎた。

 この短時間で、女魔導士は怪我対策魔法を自分に十秒間持続してかけることを可能にした。負荷のかかる心魔法の会得に体力は尽き、老人に構うことなく大の字になって寝転がっている。


「そろそろワシも限界じゃ。さっちゃん帰ってきてくれんかのぉ。宿に帰りたい」


 魔王じいちゃんの気持ちが通じたのか、さっちゃんが帰ってきた。


「楽しかったか、さっちゃん……誰じゃこの子は」


 さっちゃんの左隣には見知らぬ顔の女の子がいた。歳はさっちゃんと同じ五歳くらい。二人は仲よくなったらしく、手を繋いでいる。


「おともだちになった」

「わたしエミリア。みんなにはエマとかリアって呼ばれてます。はじめまして」

「初めましてエマちゃん。さっちゃんと仲よくしてくれてありがとの」


 少し緊張気味のエミリアはそれでも丁寧に自己紹介をしてくれた。お辞儀も忘れずに。顔をあげると綺麗な金色の髪がなびき、透き通り煌めく蒼い瞳は魔王じいちゃんの心を掴んだ。


「美しい瞳じゃな」

「おじいちゃんと同じ色だよ。だからおじいちゃんも美しい瞳だね」

「ほっほっほ、そうじゃったの」


 酸化した血の色を思わせる瞳を隠し、魔法で偽装した偽の色。何も知らずに純粋にしゃべるエマを笑ってごまかすしかなかった。

 気を利かせた女魔導士は二人の間に割って入る。エミリアの前にかがんで視線の高さをあわせて「よろしくねー」と頭を撫でた。


「この子どうしたの? 迷子?」

「えっと、その、ひとりでいて、さっちゃんが、話、かけて、仲よく」


 見上げながら問いかける女魔導士に、お姫様役の女が答えた。


「なるほどね。エマちゃん、お母さんは?」

「いないよ」

「じゃあお父さんと一緒に来たのかな?」

「違うの。わたしは街はずれのスラム街に住んでるの。気分転換にこの公園に来たらプールがあったから、体と服を洗ってたの」


 洗ったという服はすでに渇いていた。よく見ると白いワンピースの所々に取れない汚れやほつれがある。


「スラム落ちの子か」

「ほう、スラム落ちとな」

「この街って反勇者軍の街でしょ。だからたまにあるのよ。お父さんとお母さんが王都の勇者軍に捕まったり、あるいは、その勇者軍に……」

「もう言わんでいいわい」


 言わずとも知れる言葉は遮った。女魔導士も口にしたくないだろう。

 魔族における可能性を疑うことなく、原因に王都や勇者を挙げる。迷いなくそんな発言が先に出てくるこのご時世、耳を疑いたくなるが間違ってはいない。間違いなく魔族のしわざではない。ここにエミリアが確かに存在しているのだから。

 スラム街に住んでいる割には服はさほど汚れていない。これは、スラム街に住み始めて間もないことを示している。


「えっちゃんもお昼一緒にどうじゃ?」

「……えっちゃん?」

「そう、おぬしのことじゃ。エミリアじゃから『えっちゃん』じゃ。で、どうじゃ? 一緒に昼ごはん食べんかの?」

「でもわたし、もうお金持ってなくって」

「大丈夫じゃ。わしも金は持っておらん。しかしのぉ、金はあるところにはあるんじゃよ」

「あいつ今の聞いてたら怒るわよ。また財布の中すっからかんになるって」

「どうして怒るのじゃ。怒るはずなかろう。、人っ子ひとり救えんようじゃ真の勇者になれるわけなかろう」

「その通りね。それに今日のレッスン代、私も払わなくちゃいけないしね」

「れっすん大とはどれくらいの大きさなんじゃ?」

「さっちゃん、エマちゃん、行くわよー」


 魔王じいちゃんのボケに付き合うのは面倒。当然無視。

 女魔導士は身軽に立ち上がった。そこで彼女は違和感を覚える。疲れ切っていたはずの体がどうして軽いのか。


「体力回復魔法は基礎中の基礎じゃぞ。呼吸と同じようなものじゃからの。今回は特別じゃから、今後は鍛錬するように」

「私もおじいさんみたいになれるかな」

「さて、どうじゃろうな。わしは天才じゃからな、ほっほっほ」


 身軽な女魔導士とは対照的に、魔王じいちゃんは腰に負担をかけないようゆっくりと立ち上がる。明らかに疲労が蓄積している。

 異変を感じたお姫様役の女はすぐさま魔王じいちゃんに肩を貸した。


「あの、おじいさん、どうか、したの?」

「ちょっと無理が祟っただけよ。私がおぶってくから」

「何を言うか! 女子おなごにおぶってもらうほど落ちぶれておらんわ! こらよせ! やめんか馬鹿もん!」

「黙っておぶられてろ」


 反発的な言葉とは裏腹に体は抵抗することができなかった。気力はあっても体力は魔力の過度な消費で消耗している。

 老人が子供さながらの駄々をこね、それをなだめるお母さんがその禿げ頭を容赦なく引っ叩く。ということで、大人しくなった魔王じいちゃんを女魔導士が担ぐ。


「……いい匂いがして落ち着くのぉ。しばらくこのままでもいいかもしれん」

「落とすよ、ヘンタイ糞ジジィ」

「じぃじって糞なの? うんち?」

「こら女魔導士おぬし、汚い言葉を使うのはやめんかっ。さっちゃんが覚えてしまったらどうするのじゃ。どうしてくれるんじゃ」


 耳の近くで激怒する魔王じいちゃんは果てしなくうるさい。


「アタマつよ」


 振り向きもせずに放たれた言葉は恐怖の塊となって魔王じいちゃんに被弾した。一瞬にして静かになる。かつての魔王が手玉に取られるとは滑稽である。

 こうして三人の子供を連れ、お母さん二人は拠点であるめし処まで足を進めたのであった。

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