第4話
日が傾きかける頃、王都を囲む街のひとつを目前として、魔族のじいさん&孫コンビは足を止めていた。
「そうじゃった。また魔族じゃとバレんよう、目の色は変えておかんとの」
「んー?」
魔王じいちゃんと孫の両目が瞬く間に蒼くなった。いくらヒト型魔族とはいえ、紅い瞳を持たない人間にまざれば、瞳の色ですぐに魔族だと見破られてしまう。これから入るのは人間がはびこる街。孫にとっては危険がいっぱいだ。
「あやつら程度の勇者なら束になってかかってこようが全くかまわん。じゃが、真の勇者が複数人いた場合は、少々面倒じゃからの」
「でもじぃじ、ゆうしゃさんよりつよいんだよね?」
「そうじゃが、余計なことはするなとパパに怒られるやもしれんのじゃ」
ここ五十年、魔都と王都の交流はまったくない。この交流という言葉の真に意味するのは
すると、魔都を統括するパパの仕事が増える。結果パパは怒る。
「まだ魔王でもない息子に魔都統括を無理矢理押しつけておる以上、これ以上顔をあわせにくくなっても困るからのぉ」
「パパって魔王じゃないの? いつもぼくに、おれが魔王だっていってるよ?」
「……あの地位に就いてからわしと顔をあわせるたびに、いつもいつも嫌な顔しとるくせして。息子の前ではデカいツラひけらかしおってからに」
魔王じいちゃん、変な気を起こして平和を壊さなければいいが。
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魔王じいちゃんと孫が本日の目的地である街に入る頃には、太陽の半分が地平線に隠れていた。
魔都と変わりない街並み。石畳の道の両脇にレンガ造りの建物が並ぶ。そこにいるのが人間か魔族か、違いはその程度。生態系から鑑みるに、この二種族は元を正せば同じ単一種族だったのかもしれない。
「ちと探検してみるとするか」
「うん!」
仲よく手を繋いで歩く二人。傍から見ればただの人間のおじいちゃんと孫、角もなければ翼もない。誰もこの二人が魔族だと勘繰ることはなく、違和感を抱くことなくすれ違っていく。
「じぃじ、これ!」
「ほうなんじゃ? に、にてんどろくじゅーよん? ぷ、ぷら、ぷらいすたーおん……これは読めんのぉ。せが……なんと!? これにはサタンと名がついておるではないか。人間とはなんと恐れ知らずなんじゃ」
「ちがうよ、これこれ! じぃじこれこれ!」
孫が指差すショーウィンドウの向こうには、お姫様役の女にやらせてもらったものと同じ携帯型ゲーム機が展示してあった。
孫の目がキラキラと輝いている。魔王じいちゃんは孫の言いたげなことがもちろん手に取るようにわかった。
「じぃじ、これかって!」
孫は知っている。お父さんお母さんにねだっても買ってもらえそうにないものは、おじいちゃんおばあちゃんに頼めば高確率で買ってもらえることを。最初こそは心からお願いしていた。しかし、数回望むうちに頼めば買ってもらえる、もし無理そうでも駄々をこねたり泣いたりすれば、たいてい買ってもらえる、と悪知恵が身につき働くようになる。
これは、無垢な心が真っ黒に染まりつつあることを意味する。
魔族としては素晴らしきことなのかもしれない。だが隠居魔王じいちゃんとしては、そんな孫に育ってほしくはない。
「……し、しかたないのぉ。買ってあげよう。今回だけじゃぞ」
だが、かわいい孫の頼みとあらば、わかっていても逆らえない。孫の喜ぶ顔が見られるのなら、逆らえるわけがない。隠居魔王じいちゃんとしては、月に一度遊びに来てくれる孫の笑顔が一番の宝物となるのだ。その笑顔を抱いて夜は眠る。曰く、そうすることで夢でも孫と出逢えて幸せな笑顔をくれる、という。
「じぃじありがとう!」
孫の笑顔はおじいちゃんにとって麻薬に他ならない。その刺激・甘未・愉楽をひとたび味わえば、一度だけでなく憑りつかれたかのように何度も何度も欲してしまうのだから。
店内に入ろうと孫の手を引き、入り扉に手をかける――とその時。
「あっ」
魔王じいちゃんから絶望に塗りたくられた感嘆符が漏れた。
魔都と王都では通貨が違う。無論両替所もなければ、異空間魔法による異空間物置には金目のものは一切ない。金がない。
「じぃじどうしたの?」
突如入り口で固まって動かなくなった魔王じいちゃんに孫は首を傾げる。
「そ、それがのぉ、今、お金を持っておらんのじゃ」
「じゃあ、ゲームかえないの?」
「……ごめんの、さっちゃん」
「じぃじ、買ってくれるっていったのに」
「本当にすまんの」
「じぃじの嘘つき。じぃじ嘘つきだから、きっと、ゆうしゃさんよりつよいってのも嘘なんだ」
孫は握っていた魔王じいちゃんの手をプイっと素っ気なく離し、ふたたびショーウィンドウにへばりつく。一度すねてしまった孫の心を再び開かせるには、かなりの気苦労が必要だ。
魔王じいちゃんの心にぽっかりと穴が開いた。その穴から絶望と欲望の波が溢れ出してくる。魔王じいちゃんの力があれば強奪くらい呼吸をする程にたやすい。孫のためならば昔のように罪を犯してでも奪いかねない。
蒼い目が端の方から少しずつ紅く回帰していく。
「なんだよ、ゲーム機でもほしかったのか?」
魔王じいちゃんは我に戻り、目が蒼色に戻る。そして、背後から声をかけられて初めて後ろをとられていることに気がついた。
振り向いてみると、そこには先程の勇者が些細な報復目的で満面の笑みを浮かべて立っていた。瞬殺されたあてつけにしては些細も些細すぎる。
「……孫がほしがっての。しかし金がのぉて困っとるんじゃ」
「買ってやろうか」
「ほんとうかッ!!」
「嘘に決まってんだろ」
「…………ぬか喜びさせおって。あとで後悔させてやろう」
「何か言ったか?」
「何も言っておらんわ。おーいさっちゃん、あっちに噴水広場があるぞ。一緒に行かんかの」
孫は顔を渋らせながらショーウィンドウを離れた。買ってもらえそうにないことを理解し、魔王じいちゃんの言う通り、二人で噴水広場へと歩き出す。
すると噴水広場のとあるベンチに、見慣れた顔がいくつか並んでいた。どうやらさっちゃんも気がついたらしく、一目散に駆け出した。
「ゲーム貸してください!」
巧みに敬語を駆使して懇願するのは、お姫様役の女がもつ携帯型ゲーム機。
さっちゃんはつい数秒前とは比較にならないほど生き生きした顔をしている。ベンチに座っていた女二人の間にちょこんと座り、待望のゲーム機にありつく。
孫をとられた魔王じいちゃんは、ただでさえシワのある顔を悔しそうにさらにシワシワにした。
「すまんの、うちの孫が」
「いえいえ、かわいいお孫さんじゃないですか。歳はおいくつなんですか」
「今は五つで、もうすぐ六つじゃ」
「ふふ、ことさらかわいいお年頃ですね」
魔族と知りながらも気さくに話しかけてくる女魔導士。長い赤髪を後ろで一つに束ね、綺麗な首筋が露になっている。目尻が吊り上がっておりきつい性格を思わせるが、口調は柔らかくおしとやかだ。心が綺麗な証拠だ。
人間は皆、魔族を嫌悪する。しかし、外見が人間と酷似しているというだけで親密になることができる珍しい人間もいる。魔王じいちゃんは柄にもなく感動し、頷きながら目を涙ぐませた。
「あの、今から私たち夕食にしようと思ってたんですけど、ご一緒しませんか」
「いえいえとんでもない。そのお心遣いだけでワシは腹いっぱいじゃ。孫の分くらいなら川で魚でも釣ってくれば十分事足りるでの。どうぞお構いなく」
「そうしろそうしろ。一文無しにメシくれてやるほどこちとら金銭に余裕はないんでね」
「で、でも、さっちゃん、私から、離れそうに、ない、よ?」
お姫様役だった女が相変わらずたどたどしく言葉をつむいだ。透き通る白い肌に手入れが行き届いている滑らかな黒髪を見るに、役に関係なく、本物のお姫様を思わせる容姿をしている。
「正確には、ゲームから離れそうにない、だけどな……ったくしょうがねぇじいさんだぜ。孫に感謝しな」
「さっちゃんじゃ」
「へいへい。そんじゃめし処行きまっせ」
再び勇者一行と出会った魔王じいちゃんは、成り行きに逆らわず言われるがまま身を任せた。
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