第2話

 隠居と孫の誕生をきっかけに、強きも弱きも無差別に殺し尽した若き日の過ちを反省し、余生は可愛らしい蝶を愛で、殺生はしないと誓った。かつては拷問をこよなく愛していた魔王じいちゃんが、心を百八十度入れ変えることとなった。

 孫とは人でも魔族でも相変わらず、心を浄化するかけがえのない存在なのだ。


「自慢? お披露目? ……あぁ紹介じゃった。うちの孫のさっちゃんじゃ」

「よろしくおねがいします」

「…………」

「返事くらいせい! おぬしら若いくせしてだらしないのぉ。それに、勇者を名乗るならもっとシャキッとせんかい」

「……なぜ……魔族に……説教なんて」

「弱いのぉ。手応えがこれっぽっちもないのぉ。勇者といえば、熱戦を繰り広げられる好敵手と相場は決まっておるのにのぉ。ここ数年で何が起きたんじゃまったく。あまり俗世から離れすぎるのも考え物じゃの」


 顎に蓄えた白髭で手癖悪く遊びながら物思いにふける。

 魔王じいちゃんが視線を据える先には、五人の人間が這いつくばっていた。身動きが取れないが意識を失わない程度に痛みつけてある。

 その中には勇者を名乗る人物もいた。その五人組を相手に、魔王じいちゃんは重力魔法ひとつで十秒も経たないうちに全員を戦闘不能へと追い込んだ。大樹をぺしゃんこにした魔法だ。

 魔王じいちゃんはかつての勇者を思い出す。倒されはしないものの、決闘らしい決闘をいくたびも繰り返した。しかし、その事実がまるで嘘のように今回の勇者は手応えがなかった。


「……バケモノめ」

「貴様らが弱すぎるんじゃ馬鹿もん。まずはそこの勇者風情の剣士、おぬしは杖か枝切れでも振っておったのか? 杖を使って歩くにはまだ若すぎるぞ。はたまた幼子のごっこ遊びをするなら余所でやらんかい」

「……くそッ」

「となりで伸びとる女魔導士は水鉄砲しか使えんのか。まったく、カラスの行水にもならんわい。どこぞの水遊びじゃ」

「…………」

「大盾を持つおぬし、これはなんじゃ、落雁らくがんか何かか? ボロボロすぐ壊しおって。戦場に落雁なぞ持ってくるでないわ、幼子にでも食べさせておけ」

「……ちく……しょう」


 大木のような巨剣を振り回す剣士も、大河川の奔流を想起させる水魔法も、かつて相まみえた好敵手たちの見る影もなかった。


「じぃじ、らくがん、ってなぁに?」

「落雁とはの、国中木々が生い茂る遠い国のお菓子じゃよ」

「え! じゃああれたべられるの?」

「これこれ。それは食べ物でもなければ、落ちたものは食べてはならんとパパとママに教えてもらわんかったのか」

「えーパパね、ゆかにおっこちたおかし、よくたべてるよ?」

「あやつめ、帰ったら説教じゃな。教育がなっとら――じゃからごっこ遊びは余所でせいと言ったじゃろう。それに孫との会話に割って入るでないわ!!」


 勇者を名乗る剣士の起死回生の一振りをも赤子の手をひねるかのごとく。たった二本の指で剣の腹を叩き、真っ二つに割ってしまう。

 底知れぬ実力差をこうも見せつけられ、勇者たちは言葉を失い、逃げ場を失い、戦意を失い、命を失うことも覚悟した。


「じぃじおなかすいたー」

「さっきわしの釣った魚でも焼くとするか。……ちょうどいいものがあるのぉ」


 ぺしゃんこにした大樹跡地から瞬く間に火があがる。今となっては大樹とは言えない木くず煎餅を火種にした。


「そうじゃおぬしら、ごっこ遊びが得意なら、魚が焼けるまでワシの孫の相手をしてやってはくれんか?」


 ニッコリと笑っているが、目の奥に潜む悪魔が『余計な真似をすればどうなるかわかっておろうな』と語っていることを勇者たちは瞬で理解した。

 魔王じいちゃんは女魔導士に回復魔法をかける。

 強者の気まぐれに勇者たちの緊張がわずかに解けた。


「あとはおぬしが皆を回復させてやれ」

「わ、わたし一人では到底全員なんて――」

「なんじゃ!? おぬし、そんなこともできずに一部隊の魔導士をやっておるのか」


 何も言い返せない女魔導士を尻目に、ちょちょいと全員の傷を治療した魔王じいちゃんは、ゆっくり焚火のもとへと歩き出し、魚を焼きにいった。

 勇者どもは五人集まり小さな円を作ってコショコショと内緒話をし始めた。


「どうするよ。今なら逃げることも可能じゃねぇか?」

「ダメよ、何言ってるのよ、無理に決まってるわよ! ここは大人しくあの老いぼれ魔族に従っておいた方がいいわ」


 剣を折られた勇者の言葉を女魔導士が即否定してへし折った。


「ねえねえ、どんなごっこあそびしてくれるの?」


 勇者たちの心臓が一度止まった。緊張感高まる中、ゆっくりと声のした方に顔を向けると、そこにはごっこ遊びを待ちわびているさっちゃんがいた。

 キラキラ瞳を輝かせるさっちゃんは、紅い瞳を除けば、どこからどう見ても人間にしか見えない。


「なぁ、こいつ人質にすれば逃げられるんじゃねぇか?」

「馬鹿かお前は。それこそ俺たちは一網打尽にされるぞ。あの魔族はこの子にひどく愛着心を抱いているようだからな。ちゃんと見聞きしていなかったのか、この愚か者め」

「確かに溺愛もいいところよ。私のおじいちゃんよりひどいわ」

「……そ、そうか」

「とにかく今は命が第一なの。ここはあの魔族に従っておきましょう。それからのことは後からでいいから。もう一度言うわよ、命が第一よ」


 盾使いで屈強な体つきをしたイカツイ男に愚か者呼ばわれし、女魔導士には指揮を奪われる。しかも女魔導士の的確な指示に勇者以外の三人が大きく頷くときた。勇者はあまり面白くなさそうだ。


「お、おっけー」


 勇者は遅れてしぶしぶ返事をした。

 それから数十分。さっちゃんと木の枝でチャンバラをする勇者。二人のタイミングを見計らって当たっても痛くないように水量を調節して水鉄砲を放つ女魔導士。盾のなくなった男は巨大な葉で即席盾を作り、さっちゃんの一撃であっけなく破られて瀕死(演技)状態。無口な女は敵に攫われた人質のお姫様役で、弓使いの男はお姫様が逃げ出さないように見張り役に徹している。


「なかなかの腕前だぜ、さっちゃん。俺の華麗な剣劇をかわすとは!」

「ぜったいおひめさまをたすけるんだもん!」

「ぐはぁ、やーらーれーたー」


 ごっこ遊びの範疇の一撃が誰よりもノリノリな勇者の腹に横凪に入った。それでは無論斬れることはなく、さっちゃんの持っていた木の枝が折れた。

 もちろん勇者はやられた演技を堂々とこなす。倒すことより倒されることの方が慣れているのではないかと疑ってしまうほどの名演技。

 さっちゃんは背後から水鉄砲を盛大に受けながら、お姫様の待つお城(五メートル前方にあるただの石)に向かって走り出す。

 そしてお姫様に向かって決めゼリフ。


「……ねえねえ、それなぁに?」


 ごっこ遊びの設定がたやすく消えてしまうほどに、さっちゃんの興味はお姫様役の女が持つ物に一瞬にして引かれた。


「こ、これはね、ゲーム機、だよ。知ら、ない?」

「げーむき?」

「や、やって、みる?」


 途切れ途切れでたどたどしく話すお姫様役の女は、さっちゃんにそれを手渡す。

 それは、魔都にはまだ普及していない携帯型ゲーム機。

 初めて手に取ったゲーム機に目をキラキラ輝かせるさっちゃん。ちゃっかりお姫様の膝の上に乗って、ゲームのレクチャーを受ける準備は万端だ。それにしても、お姫様の上に遠慮なく乗るとは、無自覚にもはやくも魔王に不可欠な人間を虐げる風格が出てきたか。


「この、左側の、十字ボタン、で、人を移動、させて、右の、丸いボタンで、いろいろ、攻撃するんだ、よ?」

「あ、てき、たおせたよ!」

「上手だね、さ、さ、さっちゃん!」


 この通り、ごっこ遊びが始まってからというもの、勇者一行はさっちゃんが魔族であることをすっかり忘れてしまっている。ただの小さい人間の子どもと戯れるかのように接している。


「さかなやけたぞー」


 大きな声が孫の耳に届くも、おかまいなし。初めて見るおもちゃに夢中でお腹が減っていたことは忘却の彼方へ。


「さっちゃーん、さかな、おいしく焼けたぞー。塩もいっぱいかけてあげたぞー。わしは減塩じゃが」


 ピコピコピコ。ピコピコピコピコ。ピコピコピコ。

 さっちゃんは夢中も夢中だ。勇者たちもさっちゃんがゲーム内の敵を倒すと大いに盛り上がり、熱戦を繰り広げると頑張れと熱く応援する。魔王じいちゃんはすっかり蚊帳の外だ。


「貴様ら」

「「うおおおぉぉぉおおおお!?!?」」


 突如気配なく輪の中に入ってきた魔王じいちゃんに、一同驚きと戸惑いを隠せない。勇者は尻餅をつき、女魔導士は隣にいた弓使いの男に抱きついている。


「孫を返せ」

「わ、わかりました、今すぐお返ししますから、お怒りをお鎮めください」


 女魔導士が迅速丁寧に対応した。

 それにあわせてお姫様役の女は、さっちゃんにゲーム機を返してほしいと催促し始めた。が、さっちゃんはかたくなに放そうとしない。


「さっちゃんのぉ、はよせんと魚が焦げてしまうわい。ほれ、あっちにいくぞ」

「やだ」

「わがまま言わんといてくれ。ほれ、さっちゃん。ごはんの時間じゃ」

「やだ」

「さっちゃん、さすがにじぃじも怒るぞぃ? いいのか?」

「じぃじきらい、あっちいけ」

 


 ぽとりとたった一粒の涙が頬を伝って地に落ちた。



 地に落ちた涙はあっという間に乾き、また濡れ乾き。次の瞬間、膝から崩れ折れた魔王じいちゃんが天を仰いだ。

 魔王じいちゃんの頭の中では孫の言葉がリフレインしているのだろう。じぃじきらい、あっちいけ、じぃじきらい、あっちいけ、じぃじきらい、あっちいけ――。何よりも効果てき面で強力な魔法詠唱が最強魔王を戦闘不能に追いやった。


「さっちゃん、ゲーム機、持ってていいから、ご飯食べにいこ? ね?」

「うん、いく」


 お姫様役の女に催促され、ひょっこり立ち上がったさっちゃん。ゲームに集中するあまり、足取りがおぼつかない。瀕死の重傷を負った魔王じいちゃんには目もくれず、孫は勇者たちに行き先を補助されながら黙々と歩いていく。


「魔族といえ、なんか気の毒よね、あのおじいさん」

「ご機嫌取りした方がいいのか。もしかして八つ当たりとかで俺たち殺されやしないだろうな」

「あのね、あんた、勇者ならもう少し勇者らしくしゃんとしなさいよ! さっきから全然勇者らしくない発言ばっかりなんだけど!」

「し、仕方ねぇだろ!? あ、あんなバケモンと対峙するなんて思ってもなかったんだから。つーかお前だって爆発魔法全然効いてなかったじゃねぇかよ」

「ふ、ふん! あんたね、そんなことばっかり言ってたら将来魔王になんていつまでたっても勝てないからね!? ねー、さっちゃん」

「んー」


 さっちゃんはゲームに夢中で味気ない返事だけ。話の内容はまったくこれっぽっちも聞いていない。


「……この子、将来、廃人にならなきゃいいけど」

「ガキなら誰でも一度は通る道さ」


 女魔導士にいいように言い包められた勇者。将来嫁の尻に敷かれるタイプだ。

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