第1話

 場所は王都前、時は昼下がり。林道を抜けてひらけた場所につくと、王都を一望できる絶景スポットに到着した。魔王城に引けを取らない城を中央にかまえる王都。さらにその都から少し離れた場所にそれを囲むようにして数々の街がある。街と街はやや距離を開けながら繁栄しており、その間には豊かな木々が育っていた。


「ほれ見ぃさっちゃん、あそこが勇者のおる王都じゃぞ」

「へぇーはじめてみた!」

「昔はのぉ、大木のごとき大剣をまるで自身の一部かと思わせるくらい巧みに振り回す剣士を相手取ったこともあったんじゃぞ。……もちろん! じぃじが! いともたやすく大剣をへし折って倒してみせたがの!」

「すっごいね!」

「じゃろ! そうじゃろそうじゃろ!! ほかにはのぉ、荒れ狂う大河川の奔流を感じさせる強烈な水魔法を操る魔導士とも命のやりとりをしたのぉ。……これももちろん! じぃじが! ちょろっと水遊びばかんすしてから倒してみせたがの!」

「……ふーん」

「じぃじはすっごく強かったんじゃぞ。それはそれは、王都軍がわしを見るやいなや怯えては逃げ出し、そもそも戦いにならんかったこともあったぐらいじゃ」


 孫はひとつ欠伸あくびをしてみせた。

 いくら誇らしげに話したところで、孫にとってはすでにつまらない話。最初の方こそは魔王じいちゃんの話が新鮮で耳を傾けていたが、途端に興味がなくなり、もはや英雄譚も単なる雑音に成り下がる。

 もう一度欠伸をする孫。それを見て魔王じいちゃんは何かをひらめいた様子。


「おぉさっちゃん。ここまでたくさん歩いたから疲れたのじゃの」


 どうしても孫の本心をとらえきれない魔王じいちゃん。さっちゃんは疲れているのではない。おじいちゃんの長い話に飽き飽きしているのだ。


「水流が近くにあるのぉ。そこでひと休みとするか」

「うーん」


 さっちゃんは今にも歩きながらでも寝てしまいそうだ。


「ふむ、さっちゃんが休憩しといる間に魚でも釣って昼支度でもしておくかね」

「えっ!! おさかなさん、つれるの!?」

「おぉさっちゃん、やる気満々じゃの。おさかなさん好きなのか?」

「ううん、違うよ? またね、つりしたかったんだぁ! この前パパとやって、すっごく楽しかったから!」


 ここでも微妙に孫の想いを汲み取りきれない。おじいちゃん、孫の気持ちを汲み取ろうとすることは称賛に値するが、どうも空回りすることが多いから――気をつけろ。余計なことをすると、孫に嫌われるかもしれない。


 孫は駆け出し、魔王じいちゃんはゆっくりと歩き出す。駆け出したはいいものの目的地がどこにあるわからず、魔王じいちゃんの元へちょこちょことハニカミながら帰ってきた。そんな孫のかわいらしさに、魔王というにはかけ離れたニヤケ顔をさらす魔王じいちゃん。魔王という言葉からは連想できない面だ。

 しばらく歩くと河畔に辿り着いた。

 上流から中流域へと移り変わろうとしている河畔には、大きな岩がありつつも、足場にはちょうどいい平地もあった。茂った芝や所々に生えた背の低い草花が自然のクッションとなっている。

 もう少し下流へ歩くと一本の大樹が堂々と存在をあらわにした。


「あの木の下で釣りをするとしよう」

「うんするするー! たのしみだなー!」


 大樹の葉が授けてくれる木漏れ日が肌を心地よく照らす。このような魔界にはない清々しさは、きっと今後のさっちゃんの成長にも素晴らしい影響を与えるに違いない。

 ちょうど椅子になりそうな石の上に孫はぺこりと座った。


「ほれさっちゃん、釣竿じゃ。ひとりで持てるかの? 重たくはないか?」

「うん! もてるよ!」


 異空間より取り出した釣竿。本来なら身を隠す結界のような役割をするはずの異空間魔法。しかし魔王じいちゃんはこの上位魔法をただの便利な収納術程度としか考えておらず、実際そう使っている。曰く、一線から退いておるのだからこの魔法が活躍するのは収納か引っ越しの時くらいじゃろ。とのこと。

 この余裕ともとれる発言は、魔王を脅かす勇者がこの世のどこにも存在していないことを示唆している。いちいち隠れずとも倒せばいいのだから。


「じぃじの、こーんなに大きな魚を釣ったことがあるんじゃぞ」

「すっごーい! ぼくもつれるかな?」

「そりゃもちろん釣れるとも! さあ、れっつとらい、じゃ!」


 まだ慣れないカタカナ言葉。異空間魔法という人間には到底扱うことのできない大魔法を使えようとも、カタカナを手懐けるためには今しばらく時間が必要らしい。それが一カ月なのか、一年なのか、はたまた百年なのか。誰も知るよしもない。

 流水や風の奏でる音に耳を傾けながら自然を満喫する。しかも孫と一緒に。隠居してからの老後生活としてはまたとない至福の時。

 ――だったのだが。

 かれこれ釣りを始めて一時間が経過した。


「じぃじの嘘つき」

「も、もう少しすれば釣れるやもしれ――」

「じぃじ嫌い」

「…………」

「もういーやーだー。つーまーんーなーいー」

「もうちぃとだけ、もうちぃっとだけ頑張ればお魚さん釣れるから、の? の?」


 めげない魔王じいちゃん。がんばれ魔王じいちゃん……!!

 するとなんと、孫の釣竿がピクリと動き、刹那、ミシミシと音を立てながらしなり始めた。必死懸命な魔王じいちゃんの想いが通じたのか、魚がようやく孫にもヒットしたのだ。


「じぃじ!?」

「落ち着くんじゃさっ


 取り乱しているのは孫だけではなさそうだ。

 釣り糸が右往左往すると竿を握る孫は振り回され、魔王じいちゃんはあたふたと右へ左へおぼつかない足取りでその場をバタバタ行き惑う。

 そして、とともに、魔王じいちゃんの上半身が爆発した。


「貴様ッ!? その紅い瞳……魔族かッ!!」


 立ち込める煙の中から紅色の瞳が怪しく輝く。


「じぃじ、じぃじ……じぃじぃぃぃいいいいぅううわああぁぁぁぁあああんんん」

「やれやれ、竿を離してしまったか」

「ああ、じぃじ、生きてる」

「おん? さっちゃんは何を言っておるのじゃ? そんなことよりせっかく大物が釣れそうじゃったのに、惜しいことをしてしまったのぉ」


 突如爆発魔法を喰らった魔王じいちゃんが死んでしまったのかと孫は取り乱し、血相を変えて泣きじゃくっていた。そんな孫をよそに、当の本人は悠長にも魚の心配をしている。すっとぼけているわけではないのでたちが悪い。

 孫の泣く理由がわからず困り顔の魔王じいちゃん。もしかすると孫が万が一にでも怪我をした可能性を探ったが、擦り傷一つなかった。

 それもそのはず。当然だ。

 爆発魔法が被弾した瞬間、孫が無傷であることはいち早く確認した。ならば次に確認すべきことは、魚との決闘の行方ゆくえ。今まさに魔王じいちゃんにとって重要であるのは、孫の無傷と孫が魚を釣ること。何を隠そう魚を釣ることで孫が喜ぶ。

 しかし実際はどうだ。孫の喜ぶ顔を見られなくなったどころか、まさか泣き顔を拝むことになろうとは思いもしなかっただろう。


「上位爆発魔法の直撃でも無傷だと!?」

「いったんさがって! 体勢を立て直すわよ!」


 魔法を放った女魔導士の他に男が二人で合計五人。対岸遠方に二人潜んでいることをすでに魔王じいちゃんは把握している。

 魔王じいちゃんは魔法を放った人間どもににじり寄っていく。


「よくも孫の魚釣りの邪魔をしてくれたな」

「……つ、釣? な、なに言ってんだよ」


 男は眼前にいる魔族の圧倒的存在感に気圧されながらも、かろうじて言葉を投げ返した。


「魚を釣ることができんくて、貴様らが孫を泣かせおった」

「だから何言ってんだって聞いてんだよッ」


 魔王じいちゃんの逆鱗に触れたが最後。孫の泣き顔悲しむ顔、というおじいちゃんの逆鱗に触れた者の末路をまだ誰も知らない。おじいちゃんの前で孫が泣かされたのは、今日が初めてだった。


「持っていかれたのが竿だけならまだよかったものを。……どうやら、小さい子どもと年寄りのご機嫌取りは難しいということを、貴様らにはよーく教えてやらんといけんようじゃな」


 魔王じいちゃんは振り向くことなく背後にある大樹に手をかざした。

 数秒後、とともに大樹とその周辺にあった岩々はぺしゃんこに潰れ、平地と化した。


「さて、灸を据えてやろう。ちぃっとばかし痛いやもしれんが、貴様らにはちょうどよかろう」

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