カウントダウンの始まり

ヘネピン郡のネオンライト、そして車のヘッドライトを頼りに運転をしていると、ガソリンがなくなりかけているのに気がついた。


セルフサービスのガソリンスタンドに車を停車させる。真っ白な光で照らされていて、影が一つも見当たらないぐらい明るい。


タンクへとガボガボと流れるガソリンを聞きながら、助手席に座っている息子とにらめっこをして遊んだ。トビーが自分の口と目を思いっきり吊り上げると、息子は運転席に倒れそうなぐらい爆笑した。一瞬、怪我をするのではないかとびっくりして、ガソリンのノズルから手を離しそうになる。


シモンと一緒にいる時は出来るだけ笑っていたい。だが、今のトビーにはそれが難しい。笑顔は長くは続かなく、口元をキュッと閉じて地面に視線を落としてしまう。


一時間後に息子に大事な話を伝える。大きく息を吸うとガソリンの匂いが肺を満たした。


まず伝えるのは4千400ドル(約50万円)のヴァイオリンを遂に買ったということ。そしてシモンは、これから幼稚園の子供たちと並んで音楽の授業を受け続けられる。


息子は飛び跳ねて喜ぶのではないか。


・・・だが、伝えるのはいいニュースだけではない。指がノズルをさらにきつく引っ張り、手が小刻みに震えた。


シモンはこれから一年先生の家で暮らすことになる。トビーとは別れて生活をするのだ。その間、シルビスの条件を果たすために、トビーは遠い田舎の畑でトウモロコシを育てる。


つまり、二人が別れるカウントダウンは始まっているのだ。それを息子は知らない。


車の助手席で跳ねている息子が、指で口を思いっきり横にイーッとさせた。息子の小さな歯が見える。息子はアホ顔を繰り出すが、すぐに自分で笑ってしまって自爆する。こもった笑い声を聞きながら、トビーもニカっとして歯を見せつけた。


トビーの隣の車を洗車するスタッフが三人いた。白い泡が絞ったスポンジから地面に垂れ落ちて、それが下水道へと落ちて行く。その流れる道筋は化学物質で汚れている。


車は新車のようにピカピカになったが、そのために道は汚くなった。


シモンをピカピカにするために、自分は汚れてもいい。今日シルビスと話をしてわかったことがある。シモンのためなら、自分はなんでも出来るということだった。いや、そんなことはシモンが生まれた時から自覚していた。


ガソリンは満タンになり、出発する準備ができた。ノズルをスタンドに戻し、車に戻る前にとっさに車の陰に隠れる。息子が手と顔を車の窓ガラスにピタッと寄せたり、後ろ席に移ったりして、隠れているトビーを探すのが聞こえる。姿が見えなくなって、少し不安になっているかな。


トビーがしゃがんだ位置から夜空を覗くことが出来た。建物の上で、月が雲の後ろに隠れようとしていた。スモッグだらけのこの街でも、月が綺麗に見えた。

シモンと一緒にこんな月をゆっくりと拝められるのはまだ先のことだろう。


サッと立ち上がってみた。


「ワッ!」


急に現れたトビーに驚いて、今度こそシモンは後ろに倒れてしまう。そして二人は爆笑する。息子との一瞬一瞬を楽しみたい。


二人はガソリンスタンドを後にして、ネオンの中へと進んだ。俺は息子の才能を将来の可能性を信じている。別れと共に、それを今夜絶対に伝える。


★★


数分後、シモンが一番好きな場所はピザ屋の「フロレンス」に着いた。


車を巨大駐車場の中へ入ると、やったーと歓声をあげてシートベルトを千切る勢いでシモンが跳ねた。大人と違って子供は純粋でいいよな。そう思いながら車を停められる場所を探す。


今日は混んでいるのだろうか。5分後にようやく駐車スポットを見つけて車を停車させると、エンジンが止まるのを待たずにシモンはシートベルトを外して勢いよく外に飛び出す。側を離れないように注意をするが、息子はすでにドアを閉じていた。


トランクにあるダンボールで隠したヴァイオリンのケースを取り出した時、息子が聞いてきた。


「何それ?」


首を伸ばして、手に取ったダンボールに視線が釘付け。笑いならトランクを閉め、口の前に人差し指を立てる。


「プレゼント?」


息子はまるでレントゲンを撮るかのようにダンボールを凝視している。後で教えるよ、ともったいぶらすと、息子はトビーの手を引っ張りながら駐車された車の間を通ってピザレストランに向かって行った。その間、ダンボールを落とさないように気をつける。


最後にここに来た時はまだ妻が一緒だったな。ふと思い出す。


ピザレストランの自動ドアが開くと、チーズとオーブンで焼いた肉の匂いに包まれた。中に入った途端、ここに来たのを後悔した。


好きな食べ物で息子を喜ばせながら真面目な話をしたかったのだが、ロック系のジャカジャカした音楽が耳膜をうるさく叩いていたし、座りたい奥の席もすでに家族連れの客で埋まっていて、真ん中の席ぐらいしか空いていなさそうだった。ここで大声で大事な話が出来るだろうか。引き返したいと思ったが、息子の目は輝いていて、トビーを握る手は喜びで震えていた。それを裏切りって引き返すなんて親のトビーには出来なかった。


店の真ん中の席に座り、配られたコップの水を飲みながらも、息子はトビーの隣に置いたダンボールが気になっていて、何が入っているのかを聞いて来る。さあね、とまたまたとぼけながらもったいぶらす。子供は分かりやすくていいな。


「さあ、好きなものを食べると良い」



「なんでも?」



「ああ、遠慮なく選ぶんだ」


メニューに視線を走らせる息子。以前は母親が息子の代わりにピザを選んでいたのに、今では自分で選べれるようになっている。


将来のことを考えて前を進む大事さを理解してくれるに違いない。5歳の息子に期待しずぎだと誰かに言われるかもしれない。しかし、俺たちの冷たい人生、ピザですら

高級品と思うような生活では甘ったれた事を言う資格と余裕がないのだ。伝えることは伝える。子供への伝え方を出来るだけ気をつけることしか出来ない。


まだまだ子供だが、前よりも成長している。だからきっと、こちらの話もうまく受け止めてくれるに違いない。


伝えるタイミングはお腹が膨れたデザートの時かな。


そうこう考えているうちにウェイターがやって来た。若い男がチューインガムをクチャクチャ噛んでこちらを見下ろしている。


「いらっしゃいませー。今日ウェイターを務めるジェームズですー。あっ」

開いた口からチューインガムがテーブルに落ちて、トビーのフォークの側にくっついた。一言軽く謝り、ジェームズはチューインガムをテーブルから剥がして口にまた放り込んだ。


オススメはチキンだと言う。チキンピザではなく、ただのチキン。ピザ屋だからピザがオススメじゃないのかと聞いてみたが、自分は言われた事を伝えているだけだと答えて来る


シモンはメニューを指差して、ロックの音楽に負けない声で叫んだ。


「チーズペパロニ・ピザのエキストララージ!」


ジェームズは息子に笑顔を浮かべて注文を復唱した。


「チーズパイナップル・ピザ、エキストララージ」


魚の記憶は3秒しか持たないと言う。このウェイターも一緒だった。すぐに訂正する。


「ああ、はいはい」


ジェームズは頭を掻きながら注文を取り、他のテーブルの注文も取った後、キッチンの中に消えて行くのを目で追った。


「父ちゃん」


息子がポツリと言う。


「うん?」


息子を見ると先ほどまであった笑顔が消えていた。どうしたのだろう。


「なんか、父ちゃん怖いよ」


トビーはドキッとする。


「楽しくない」


しまった。せっかくの雰囲気を自分のイライラで壊してしまいそうだ。息子はこちらの顔を観察している。だけど、何を話したらいいのかが分からない。


トビーはダンボールに手を置いて言った。


「この中に入っているものを教えるよ」


デザートを待っていられなかった。焦りに身を任せて今後の事を話し始めた。10分後に後悔した時はもう遅すぎた。

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