条件

雨の中を婆ちゃんの家へとシルビスを先頭に走る。シルビスの黒いコートの下から見える長靴が泥を踏んで後ろに跳ね飛ばすと、それがトビーの顔に当たったりした。その泥の塊の一つ一つが大きい。


シルビスが水たまりを踏みつけるたびに、泥水が爆発したかのように外へと飛び散る。こいつの体重は何キロだ?


シモンを抱えて走るトビーと比べて、シルビスのスピードは早く、あっという間に家へと近づいて行く。


三人は婆ちゃんの家に入る。先にシルビスが背をかがめてドアを通り玄関に入る。その数歩後ろをトビーがゆっくりとついていく。シモンがトビーのズボンを後ろから両手で握り、濡れたジャケットの雨水がズボンに染み渡るぐらい体を足にくっつけている。


キッチンは薄暗い。シルビスが電球を指差すが、電気なんて通っていないことを伝える。シルビスがなぜか笑い、口の間の白い歯が見えた。シルビスが濡れたカバンを床に置き、黒いコートを脱ぐと彼の胸の筋肉が白いシャツの下からうっすらと透けているのが見えた。巨大な体が座ると、椅子の木が割れるような音がする。


トビーとシモンはキッチンの入り口に立ったままでジャケットを脱がない。ただ、椅子に座った巨人を冷たく見る。


シルビスは周りをキョロキョロ見渡す。


「不思議ですな。またキッチンで話し合うとは」


確かに以前、自宅のキッチンで話した。あの時は、この土地と家や山を売れるという無知な希望で胸がいっぱいで、笑顔でシルビスをアパートに迎えた。そして失落。その夜にご飯を中々食べなかった息子にきつくあたり、将来のことを考えると中々眠れなかった。


雨の勢いからしてしばらく止むことはなさそうだ。一瞬窓の外が明るくなり、数秒後に雷が窓をガタガタ揺らす。そのたびに息子が濡れたトビーのズボンを更に握りしめるのが伝わる。


前回と違って、今は息子がトビーのすぐ後ろに立っている。子供を守るという親心が働いているのだろうか、今ならシルビスを真っ直ぐ見ることが出来る。ピカッと外が白くなるたびにシルビスの顔の青色の枝分かれした血管が見えたが、怖くはない。


シルビスが机の下にかがんで、カバンを開けた。その中に手を入れてガサゴソと何かを探し始めた。水筒と紙コップが出てくる。そしてそのまま白色の液体を水筒からコップに勢い良く注ぐ音がして、甘い匂いが空気を満たしていく。シルビスが二つのコップをトビーの前に押し出す。


「こういう寒い雨の日にはこれが一番ですよ」


「結構です」


「飲んでいただけたら、少しは驚かせた罪悪感が減るのですが」


息子をちらりと見る。肩が小刻みに震えている。


「ホット牛乳、飲んで頂けませんか?」


シルビスは一気に水筒のコップの白い液体を飲んだ。喉仏が上下に動き、最後にプハーっと白い息を、冷たくて暗いキッチンの中に吐き出した。


「ねえ、僕飲みたい」


シモンがズボンを引っ張った。


「駄目だ」


シルビスから目を離さない。


「長くここにいるつもりはないからな」


自分に言い聞かせる。


「そうですね。暗くなってきていますよね?」


「値段は?」


「この間提案した値段です。あれが最大限です」


テーブルの上に添えた自分の両手を見る。先ほどまで雨で濡れていたのに、今は汗で熱く濡れている。シルビスを見ると、二杯目の白い液体を水筒から注いでいる。湯気の向こうにそれを楽しむような表情があった。


「父ちゃん、飲んで良い?」


息子は牛乳に手を伸ばそうとする。急いで息子の腕を止めると、手のつけていないコップの牛乳が揺れてテーブルの上に溢れそうになる。


「ま、待て。ちょっと待った」


トビーは椅子から立ち上がって、シルビスを見下ろす。首筋から汗が流れる。暖房が動かない山中の家なのに、暑すぎる。ジャケットを脱ぎながら、思考を整えようとする。


「父ちゃん、牛乳を飲んでも良い?ぼく寒いよ」


息子はすでにコップに飛びつき、音を立てながら液体を飲んでいた。喉から白い小さな息が吐き出される。


「おいしいですよね?おじちゃんもね、子供の時からずっと毎日飲んでたんですよ」


「だから体が大きいんだねえ?」


シルビスはテーブルを軽く叩いて笑う。その時、雷が近くに落ちてパッとキッチンの中にいる全員を明るく照らした。


「この値段でよろしいですね?」


トビーは頷いた。


「そして婆ちゃんの署名の事だが・・・」


「シモンさんに少し席を外して頂けますかな?」


シモンはホットミルクを手に持ってキッチンを後にした。

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