先着

翌日、トビーはフロントガラスを打つ雨と雨の間を覗きながら運転した。アパートを離れて高速A250を3時間走る。その間、息子は助手席でシートベルトに体を守られながら寝息を立ている。もうそろそろ婆ちゃんの土地に着く。


トビーの覚悟は決まっていた。なんとか誰かに売りつけて、どんな手を使ってでも婆ちゃんに書類のサインをさせる。安い値段であっても契約をする。もうトビーに残された時間は長くなく、できることといえば、ある程度のお金をシモンのために集めることぐらいしか考えられない。全ては今と未来を生きなきゃいけない者達の為に。


高速A250は永遠と前に伸びていて、トウモロコシ畑が続く一辺倒な景色であった。欠伸をした途端、喉が痛くなる。ハンドルから手を離して鼻と口を覆いたくなった。普段、タバコや異国の料理の匂いをアパートで嗅いでいるが、今のこの匂いはキツイ。


高速道路の先に横に伸びる真っ黒な土地が現れた。以前は確かトウモロコシ畑であった。だが、今では緑と黄色のトウモロコシは生えていなく、横一線に黒色、そして、細い黒線が雨雲に向かって伸びていた。


焼け野原が目の前で広がって来る。そこに続く小道がいくつかあるが、入り口にテレビドラマでよく見るような規制線が張られて、雨を浴びていた。


何かの拍子に火が付き、一気に土地が焼き払われたのか?意図的に燃やした訳でないのか。どれぐらいの被害なのだろうか。唾を飲み込む。背骨がくすぐられる感覚。ゾッとする。自分の土地にこういう事は起きて欲しくない。


高速道路から降りて田舎の道、そして山の道路を登る。広大な道路から狭い道路。山には濃い霧が漂っていて、数メートル先の道路が見えにくい。ヘッドライトを点けて、アクセルを踏む足を緩め、スピードを落とすしかなかった。


高校生の通学路で見覚えのある村が山と山の間にポツポツと見える。どれも小さく、苔が生えたレンガで出来ている。家と家の間隔は広く、住んでいるアパートと違って夜な夜な女性の泣き声やパーティのクラブ音楽は聞こえなさそうだ。


先程から人も車も見かけないーー。その時、道路の上に黒い物体が突如現れた。


「うわっ」


パッとブレーキを蹴り、タイヤが悲鳴をあげる。隣の車線に滑り込み、崖の岩にぶつかる直前で止まる。


「だいじょうぶか?!」


助手席のシモンに叫ぶ。


「な、何?お父さん、どうしたの?」


シモンは目が覚めていて、あたりをキョロキョロ見たり、フロントを見ようと一生懸命背を伸ばしていた。


窓を振り向くと、数メートル先に大きな犬のような獣が一匹、その斜め後ろに一回り小さい動物が道路に倒れていて、一生懸命立ち上がる為に短い足を宙にバタバタさせていた。


「い、イノシシだ」


大きな方のイノシシはこちらを睨んでいて目を離さない。口からは白い煙。雨で毛が真っ黒に濡れている。


「イノシシって?豚さん?」


「シッ、動くな」


太い雨が車を打ち、ワイパーはフロントガラスをこすり続けている。やっとイノシシの子が地面から立ち上がり、大きな方の後ろに隠れて、茂みの中へと消えて行く。


その様子を催眠術の振り子を見るように固まって動けない。シートを通してエンジンの振動が伝わる。体は震え、心臓は暴れ続ける。危なかった。危うく轢いてしまうところであった。


対向車線にいる事を思い出し、恐る恐る車をもう一度発進させる。


「ねえ、いつ着くの?」


シモンが退屈そうに足を宙でバタバタ泳がせている。


「もう着くから、ちょっと待ってろ」


婆ちゃんの土地の入り口は狭い坂になっていて、横には苔がはびこった岩が奥へと続いている。地面はコンクリートではなく、土と雑草。その上を茶色と黄色の泥水が滑り落ちている。無事にたどり着くと、ホッとしてハンドルを握る手が緩む。


目の前には見慣れないタイヤの跡が奥まで伸びていた。


「ねえ、早く行こうよ。つまんないよ」


息子が言い張る。


アクセルを緩やかに踏み、泥水と小石を砕きながら坂を登る。婆ちゃんの家に辿り着くまで、他の民家の前を通った。どれも天井に穴が開いていたり、窓ガラスが割れていたりして誰も住んでいないのがわかる。


タイヤの跡を追いかけるように霧の中を進む。車は婆ちゃんの家の前を通り過ぎて奥まで進んでいた。トビーは婆ちゃんの家の前で車を止めた。急に窓ガラスや天井を叩く雨の重さが伝わる。トビーの腕に鳥肌が立つ。後ろの席に放り込んでいたジャケットと傘に手を伸ばし


「寒くないか?」


「うん、大丈夫」


息子と一緒に車を降りる。

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