巨人の男 次の獲物

 星と月がジェームズの焼け野原を美しく優しく照らしていた。どこからか来た優しいそよ風が灰を夜空に舞い上がらせ、雪のように静かに終わりなくシルビスとジェームズがいる大地へと降り注いでいる。

 

 シルビスは空を見上げた。眼鏡が火の熱で少し変形していたが、アイオワシティにはない田舎の美しい星が夜空に散らばっているのを楽しんだ。都会にはない光景。目を閉じて耳をすましてみると、コウロギが元気に歌っていた。


 燃えた家の前には、老いぼれ土地主のジェームズが膝まづいている姿がある。幼稚園児のクソガキが砂場でしゃがんでいるような姿。


「ジェームズさん」


 セミの抜け殻のような背中にそっと声をかけた。


「本当に残念ですね」


 ジェームズは振り返らずに


「土地はわしの息子のようなものだった」


 そして老いぼれの咳が始まり、鶏のような喉の皮がゴロゴロと気持ち悪く唸り動いた。


「こういう話をこのタイミングでするのも不謹慎ですが、この焼けてしまった土地じゃあ、買い手が怖がって誰も買ってくれる人はいないでしょう。私ですら、この土地を買うべきか分かりません」


 ジェームズの答えが返ってこない。早くしろよ。聞こえていないのか?シルビスは苛立っていた。


「いくらなら買ってくれるんじゃ?」


 いやはや、こんなにもスムーズに話が進むなんて。勝ったな。


 ーーー


 シルビスは真っ赤なマクラーレンMP4-12Cをバックさせ、ジェームズの焼き散った巨大なトウモロコシ畑、いや自分の物になった土地を後にした。助手席には、ジェームズのサインが入った全ての土地の買収契約書が収められている。


 価格は元々提案した値段よりも安く値切っておいた。アッサリと受け入れたのが潔かったな。ビジネスでは何でも口にしてみるものだ。


 シルビスが運転するマクラーレンはアイオワ州のコーンベルトを爆走する。2時間走っても、トウモロコシ畑。運転席から見えるのは、暗闇の中でヘッドライトで照らされて、次々に迫ってくるトウモロコシだけだった。


 バッハのメドレーをスピーカーで爆音にして流し、体の中でまだ暴れ喜んでいるアドレナリンを落ち着かせようとした。ハンドルを握る指が音楽に合わせて踊る。窓を全開。大仕事を成功させたシルビスの顔を田舎の自然の風がひんやりと冷ましてくれる。


スピードは120kmを切っている。それにも関わらず前方から車の下へと流れる白色破線がゆっくりに見えた。トロトロ走る普通自動車や貨物トラックを爆音をきかせて次々に追い越していった。


 罪悪感はなく、晴れやかな気持ち。体の中の鉛が取れたかのようだった。ガキの時代にはクソな目にあい、周りからも不当に扱われ、それこそジェームズが燃えた家の前で膝まづいて感じたような、全てを失う気持ちを俺だって何度も何度も味わって来た。だから人のものを奪っても何も感じない。昔の自分にお詫びをして、ベットリと黒い油が綺麗に落ちたようだった。・・・俺が良い奴なら罪悪感を感じているだろうが。まともな育ちをしていれば、ジェームズの畑と家を燃やすのを思い踏みとどまったかもしれない。


 アイオワシティに辿り着き、マンションの野外駐車場に着いた頃にはもう真夜中の3時だった。街灯も、光を灯した家も少なく植木の輪郭も暗すぎて薄っすらとしか見えない。まるでまだ田舎にいるような暗さと静かさだった。


 車から鍵を抜こうとしたが、アドレナリンで手が震えていて鍵をちゃんと握レナい。心臓が血をベース音楽のように重く体中にまだ一生懸命押し流している。助手席に鎮座している契約書のカバンを持つのにも一苦労した。


 ようやくエンジンを切る。


 車の中から外を見渡すと、数十メートル先のエクスプレス・カフェが暖かいオレンジ色の光を店内から放っていた。中から出てきた中年男性の口の周りにはココアのような茶色の跡があった。そういえば、トウモロコシ農家を出発してからシルビスは何も口にしていなかった。


 カフェの中はココアと加熱消毒されたコップや皿の匂いがした。今にもレジの横で立ったまま寝てしまいそうな細身の若い女性店員に声をかける。赤い髪の毛が頰の辺りでクリッと跳ね返った童顔の学生だった。ここアイオワシティは大学都市だから、こういう夜中に働く若者タイプはよく見かける。


 女はこちらを見て驚いている。それもそうだ。シルビスが着ている服は焼け後が多く、焦げ臭い。何よりも顔はおそらく灰で厚く化粧したように見えるだろうし。


「ご、ご注文は?」


 注文をする。それと彼女の胸ポケットに差してあった赤ペンを借りる。


 カウンターから離れた机に座る。お客は少なく、ホームレスのような男が机に頭を委ねて鼾をかいて寝ていた。改めてスーツを脱ぎ、ネクタイを緩めてシャツの上ボタンを3つ外す。少し歪んだ眼鏡も外す。眼鏡をテーブルに置く時、車の中にいた時の手の震えと比べて大分収まっていて、少しずつアドレナリンから解放されていたのが分かった。


最後にスーツの胸ポケットの中から手帳を取り出してテーブルの上で開いた。


 手帳には箇条書きでビッシリと名前が上から下へと並べてある。指で一人一人の名前をなぞり、先程燃やしてきた畑の元主のジェームズ・クラウチの名前で止まる。ニヤッとする。


手帳から顔を上げると、あのウェイターの女が入り口の近くのカウンターからこちらを見ていた。その表情は不安げにシルビスの黒焦げ姿を怪しむようだった。が、そんなのは気にならない。今日は大勝利したのだ。小さな事を気にする時ではないのだ。


 赤いペンで横線を何重にも引いて老いぼれジェームズ・クラウチをリストから消す。その下の名前に視線を移す。次はもっと華麗に土地を手に入れたい。俺なら何だって出来る筈だ。ワクワクルンルン。まだ次の土地を手に入れていないのに横線を引いて次の奴をリストから消してしまいそうだった。


「トビー・ブラックウェル」


どこかで聞いた名前だった。どこかで会ったはず。ブラックウェルの名前を赤丸でグルグルに何度も囲んで考え込む。


 そうしている間にテーブルに注文したドリンクが運ばれてくる。今夜の一杯を大事に味わいたい。今日はいい仕事をした。


「ブラックウェル家の将来に乾杯」


「え?」


 女性店員が固まる。短い赤髪に緑の目。かわいいじゃないか。 ウェイトレスは小さな胸の前でトレイを盾のように握り、視線を合わさないでいた。そんな女をジェームズは横目で眺めながら一気に濃い牛乳を飲み干した。


「いや、何でもない。独り言だよ。ところで君、何でこんなに遅く働いているんだ?」


 今夜は誰かと話していたい。窓に映る自分の姿を見ると、目に命が宿って輝いているのがわかる。今の俺になら何でも出来る。どんな事でもこなせる。


 ブラックウェル。ブラックウェル。ブラックウェル。お前とはどこかで会ったはずだ。


 ーーブラックウェル。

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