第7話 フェイントの街


 森を抜け、村を一つ越える頃には、誠実はケミールという男がどういう男なのかが分かってきた。咥え煙草で歩き、村の女性に声を掛けながらセクハラ三昧、自分に剣を向けていた時の恐ろしさの微塵も無い、だらしなく緩んだ顔。そして何よりも平気で嘘をつく嫌な奴である。誠実は痛む左頬を抑えながら、憎々しげに前を歩いているケミールを睨んだ。


「それは自業自得です」


 村に入った時にすれ違う若い女性にお尻を撫でて、じゃれ合っていたケミールに苦言を指したのが切欠である。誠実は幾らなんでも男としてそれは如何なものかと咎めると、彼はごく当たり前のように、これがこの世界の挨拶なんだ、お尻を触ることは初めて会った相手に対して魅力的ですね、と伝えるための風習なのだと説明を受けたのだ。


 アルは強く否定をしたのだが、庶民の風習ですので王子がご存知ないのも当然ですわ、と飄々と答えた。そりゃ、お上と下々では風習から文化まで差異があると合点がいく。


 ちょうど前から絹の様に繊細なプラチナブロンドの長髪を揺らしながら歩いてくる女性がいた。チャンスとばかりにケミールに肘で突かれ、誠実は緊張しながら彼女に声を掛けた。するとその女性も当然のように笑みを浮かべ挨拶を返してくれ、そして誠実の手は恐る恐る彼女の臀部へと……。


「男の純情を弄んだ、あの男だけは許せない。キファ、お前もオスならわかるだろう、敵を取ってくれ」


「ふぁ、がう」


「キファは女の子ですよ」


「……ツンデレか」


「何ですか、それは?」


 キファは相変わらずミニサイズになってアルの頭の上で寝ている。睡眠中は主人であるアルの言葉以外を除外する機能でもついているのだろうか、誠実の言葉には耳はピクリとも動かなかったが、アルの言葉を聞くと尻尾で返事をしている。忠犬と言ってもいいのだが、もう少し可愛げが欲しいものだ。


「じゃあ、アルはわかるだろう、行けアルよ!あの男を倒せ!」


「僕がわかるわけありません!」


 顔を真っ赤にさせながら、心外というようにそっぽを向くアル。


 誠実は少しだけ安心をしていた。あの夜以来、何か思いつめた様子で表情がずっと曇っていたのだが、どうやら吹っ切れたのだろう、表情が幾分豊かになっている。


「旦那があの美人のお尻を両手で鷲掴みにするとはな、くくく」


 わざわざそれを言うために歩調を緩め、横に来たケミールが笑いながら誠実の肩を叩いた。


「男の敵め!」


「でも、あんな美人のお尻を触ったんだ、頬一発くらいで済んだのだったら役得だろう」


 確かに、あのきゅっと引き締まった……とお尻の感触を思い出してみた、


 手で触り心地を反芻していた誠実だが、隣を歩くアルからの視線がどんどんと冷たくになっていったのを感じたため、慌てて手を引っ込め話題を変えた。


「おっさんが触った女の子はあんなに怒ってなかったのに、何が悪いんだ」


 ケミールは手を差し出す。


 ムッと思いながらも誠実は麻袋から銀貨を一枚取り出し、彼の手の上に置く。ケミールは受け取った銀貨を胸ポケットに入れると、


「まあ、挨拶については嘘だったとしてもだ、俺の場合、人を見て判断するからな。さっきのお嬢ちゃんは見るからに、村人でも教養と気品が溢れている。どっかの金持ちの娘だろ。ああいう娘はプライドが高いんだ。それに比べて俺が触った女の子は……というわけだ」


 この世界の人を見る目というのはこの世界の常識を知っていてこそ身に付くもの、もっと学ばないとな、とケミールは付け足した。


「……なるほど!次に試し」


「キファに噛ませます」


「ません」


 どうやら、小さい紳士がいない時でなければ、新しく覚えた挨拶を試すのは困難の様だ。


 常識といえば山の中遭遇した動物たちは、元の世界の動物とは一風変わった生物ばかりであり、もし一匹でも持ち帰ったら、元の世界では大騒ぎになるだろう。一番驚いたのは背格好が熊に似た動物である、ラグリベアと呼ぶらしく、ベアと付いているのだから名前も熊なのだ。しかしとてもその体の大きさとは似合わずにとても臆病な生き物で、自分の膝までしかない小動物に追われて逃げていたのだ。生態系のバランスがおかしいのだろうかとも考えたが、生憎そこまで判断するほど学が無く、見た物をそのまま受け入れるしかない。しかしその知識の無さが、誠実をこの世界に早く順応させていっていることはたしかだ。


「そうといってもあのお嬢ちゃん……また会うことになりそうかもな」


 ケミールは呟いた。かかりものの呪い、線を感じとったのだ。


「何か言ったか?」


「おっさんの独り言だよ」

 

 ホールズの手前にあるフェイントの街、ヴェイント王国では5番目に大きな街であり、商売の盛んな場所である。昼は行商人たちが街中で露店を構えて活気だっており、通りを歩いていると四方八方から声がかかるのだ。


 売っているものは見た事も無い果物や肉、衣類など何でもござれで、無いものを探す方が難しいかもしれない。無いものとすれば……


「武器とか売っていないんだな」


「旦那、武器の売り買いで一番怖いことってわかるか?」


 ケミールに問われて誠実は腕を組み考えた。ゲームなどでは基本、銅の剣や鋼の剣などといった武器を買い、装備を揃えてから次の目的地に出発をするのだ。そしてモンスターを倒して、またお金を得てさらに強い装備品を整える。


「そういえば、モンスターがお金を落とすことって現実的にありえないよな」


「そのモンスターの意味がわからんが、お金を得たけりゃ働くしかないわな」


 ふむ、と再び考え込む誠実。そこでふと閃いたのが、日本では銃刀法違反という法律があるということ。


「たぶん、治安が悪くなる」


「50点だな、その先はどうなる?」


「降参」


「武具の売り買いは基本的に国が行っているのです。製鉄所や鍛冶屋など、ヴェイント王国では国が管理している為、許可なしに武具を作った場合は極刑です。売り買いも同じで、もし認可されていない土地で武器の売り買いなどが行われた場合、それは謀反を企てたことになります」


「なるほど、国の威光と反乱防止ってことか」


「満点だ」


 しかし武器に関する事だけではなく、ケミールは少しばかり安堵していた。もし先にダニスの街に行くことになっていたのなら、お供をしているアルベルト王子、そして異人である誠実のショックを計り知れないだろう。このフェイントの街では懸念した類いの商品は規制がかかっているために売り買いがされていない。まだ、一般的な常識というものがおぼろげな二人に見せるには酷なものが。


 実は二人には話していなかったが、このフェイントの街はケミールの生まれ故郷でもある。生まれ故郷といっても本当の出自は当人も知らないのだが、本人はここを生まれ故郷だということにしていた。


 ヴェイントの守護者によってヴェイント王国は国土を広げ豊かになった。三十年前に比べると、貨幣価値も安定して、経済の流れもよくなり、餓死者は減ったであろう。以前より幸福と感じている人々は多いはずだ。とはいえ、戦争が起こる度に人が死に、孤児が生れる。

 戦争孤児であったケミールは親というものを知らない。頭の片隅にかすかに憶えているのは、自分が生れたであろう村全体を覆った火の海と、そして瓦礫の下に埋まった母であろう女の冷たい手。だが自分がそれを見て泣きじゃくっていたかすら記憶にない。しかしそのかわりに町はずれの養護施設でとある神父に育てられ、十人ほどの血の繋がらない兄弟姉妹とともに暮らしていたのだ。


「一人でずるいぞ!」


「年功序列だよ、旦那」


 陽も暮れると行商人は店じまいをして、繁華街に繰り出していく。ヴェイントの西から東までを旅している行商人である、ある程度の情報を持っている事だろう。ケミールは彼らと離れ、繁華街にある一軒のパブに入った。


 店内は煙に溢れている、煙草の煙だけでは無いカラッとした匂い、鼻の奥がツンとくる。どうやらご禁制になっているものの煙も交じっているだろう。しかしそこまで目くじら立てるほど取締りがあるものでもない、多少の幻覚作用があるくらいのものであった。


 行商人らしき小太りの中年の隣、空いている席に座る。忙しそうに走り回る胸元を大きく開いた衣装を着た女に声を掛け、葡萄酒を注文をした。


「なぁ、兄さん。景気はどうだい」


「がはは、こっちは散々だ。西から来たんだが旅の途中で山賊に襲われちまって、輸送途中の売り物が奪われちまったのさ」


「なんだい、命を強奪されないだけ運がいいんじゃないのかい」


 もうすでに出来上がっているのだろう、さらに中年は豪快に笑いながら酒を浴びるように飲んでいる。店員がジョッキをケミールに手渡すと、再び忙しそうに、注文を取ったり、オーダーを通したりと、かなり混雑したお店にケミールはビンゴとうすく笑みを浮かべた。


「まぁ、だからこうして美味しい酒が飲めるってもんだがな。お前さんは何の商品をここで捌くつもりなんだ」


 隣の男が目を輝かせながら聞いてきた。


 さすがは各地を渡り歩く行商人ともいえる。職業病だろう。酔っているとしても情報を仕入れることを忘れない。またケミールはこの男が西から来たことを感謝した。まだ手配書が行き届いていないのだろう。


「人かな」


 男はたじろいぎ、腰かけていた椅子から転びそうになる。ケミールの呟くような声に、男がここまで反応するのは当然である。このフェイントの街では人の売り買いは禁止されているのだ。もし売買を行おうものなら断頭台にかけられ首が飛ぶ。


「おいおい、まさか」


「いやいや、勘違いすんじゃねぇよ。人の護衛をしているのさ。ほれ、腰の剣」


 男は安堵した様な、しかし少し残念そうな顔をした。


「ところで兄さん、西の情勢についてちょっとばっかり教えてくんないか」


 ケミールは先ほど誠実から巻き上げた銀貨を胸ポケットから出すと男の手の中に握らせた。




※  ※  ※




 誠実はアルと一緒に宿探しをしていた。


 ケミールが渡してくれた地図に書かれている『荒くれの安らぎ亭』という宿。なんでも冒険者や傭兵たちがいる宿だそうで、あまり治安は良くないのだが、しかし挨拶をしてお金さえ握らせておけば、信用できる者達らしい。下手に夜盗などがやってきた時でも、逆に夜盗の身包みを剥いで店から放り出してしまうほどとのことだ。


 しかし相変わらずのダメダメコンビだとキファは歩きながら溜息をついた。


 ケミールがいなくなった途端、地図があるのにもかかわらずに迷い始めたのだ。もし地図通りに進んでいたのならば、日が沈む前には店に着いていたはずである、


「やっぱりさっきの道は右だろ」


「でも、こっちって書いていますよ」


「いや、俺の勘がそう囁いている」


 もはや地図を見てもしょうがない、現在いる場所がどこなのかも定かではないのだ。それでも地図を見ようとしているアルと、ここまで迷ってしまった原因を作り上げた誠実の勘、どちらも捨ててしまえ、とキファが人の言葉を喋れたのならばきっとそういうだろうが、それを伝える術もない。


「あ~、もうナルミさんのせいですよ!」


「なにぉ!お前の国なんだからお前が知っとくべきだろ」


「な、国は王族のものではなく民のためにあるものです。誰のものでもありません。そこのところをしっかりと」


「王子ちゃま、どっちに行ったらいいんでちゅか?」


「ぶ、ぶ、無礼者!!キファ!!」


 誠実は来るであろう噛みつきに目を閉じたが、しかし何時になっても痛みが来ない。おそるおそる目を開けると、そこには毛を逆立てて、闇に向かって唸っているキファの姿があった。ふとキファが警戒している方へ顔を向けた瞬間、後ろから頭に鈍い衝撃を受けそのまま、世界は暗転した。


「ナルミさ……いやっ、離せ!!」


 アルのまるで少女の様な悲鳴が聞こえたのが最後、地面に倒れ込んだ。


 次に彼が目を覚ましたのは、厳しい顔をしたケミールに飲みかけの葡萄酒を頭から被せられた朝方のことであった。


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ラウスフィールド異世界放浪記 いわしたろはな @katosayo

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