第5話 嫌な再会
「で、ここから北に進むか西に進むか、それが問題だ」
シェークスピアが紡いだ脚本の明言を捩った声が、深い森の奥で放たれる。
森の中、二股に別れる道、そこに二人と一匹は立っていた。ニーダの村から西の都ホールズに向かいそこからダニスの街に入る予定だが、最短で向かうのならば当然西を通るべきである。しかし目の前の立札には『西は最短コース、だけど命が赤信号』との注意書きが書いてあるのだ。
それをアルに読んでもらった誠実は、
「宿屋の看板といい、この立札といい、このユニークを超えた嫌がらせは、この世界では日常なのか?」
「宿屋はわかりませんが、これは僕も驚いています」
半日前、すれ違いの行商人に尋ねたところ、危険な西の道を通れば次の村まで徒歩で一日、安全な北の道を行けば三日かかると知らされ、誠実は自分の迂闊さを後悔していた。
ニーダの村でこれからの旅に備え、三日分の食料と多めの飲み水、リュックにランプ、火打石、と小さなナイフ、あと流石に目立つ格好なので、この世界に合わせた絹の服と顔を隠せるマントを買ったのだが、本来ならば、もう二日分ほどの食糧は持てたはずなのに、その代わりに背負っているリュックの面積を占めているのは、
「煙草とお酒を選ぶとは思いませんでした」
と村を出る時にアルからは非難めいた口調で咎められた。
ニーダの村から出てから、もうすでに二日が経つ。単純な計算でいくと、今日には食料が切れるのだ。そしてこの立札である。その場で考え込んで小一時間ほど経っただろう。
「この犬畜生を偵察に行かせるのはどうだ」
「うぅーー、がう!!」
キファと睨みあったが、むき出しの牙で威圧され目を背けた。
脅しにより屈服、否決である。
「運頼み策を取ろうと思う」
「はい、それは?」
「北の道を歩いて、行商人や旅人が通った時に、彼らから食料を買わせてもらうのはどうだ」
「……もし、会わなかったら」
「いざとなればこれだ」
誠実が視線の先にいるのは、アルの足元にいたキファであった。
「この犬畜生を食う」
アルはキファに笑顔を向けた。
「キファ、やっていいよ」
という理由で、キファを食糧として考えることはダメということが補足された。食料がなくなればキファが狩りをしてくれるから大丈夫ですとアルは言っていたが、飼いならされた狼に狩りができるなど半信半疑である。だがアルの信じてオーラとキファの睨み、水だけは余分に持ってきたことから誠実は北へと進むことに賛同した。
誠実はキファに噛まれた痛むお尻を擦りながら先頭を進んでいき、その後ろから子供サイズのキファを頭の上にのせたアルが付いてくる。
話によると、キファは普通の狼とは違い、体格を変化させることができるらしい。それを聞いてゲームに登場するモンスターしか思い浮かばないという、自分の培ってきた感性を悲しく思う。詳しく聞くと、実際そのようなものであった。違いがあるとすれば、この世界のモンスター?と呼ばれる生物は、人が神を祈り唱える呪術に影響を受けて誕生し、何かしら特記すべき力を使える。中には人間の言葉を話せる生物もいるそうだ。
できるだけアルが歩きやすい様に心掛けて歩調を遅くしているつもりだが、大人と子供の歩幅の違いもある。でこぼこ道の多い森の中を歩くのはきついのだろう。アルは必死に隠そうとしているが、見るからに疲労が明らかであった。
お尻の痛みが無いのであれば、彼の頭の上にのってのほほんとしているキファに文句の一つでも言ってやりたいのだが、この痛みは一日一回で限界である。
この世界、全ての通り道が舗装されているわけではなく、つくづく西の険しい道を選ばず良かったと、歩調をできる限りアルに合わせながら誠実は心の底からそう思っていた。
「今度の村で、馬車かなにか買った方がいいよな?」
「馬に乗れるんですか?」
「まさか、乗れるわけないだろ……アルは乗れないのか?」
「……馬術は苦手で」
「はふぅぅ」
使えないコンビの会話に、キファがわざとらしく溜息をついた。
※ ※ ※
陽も暮れはじめた頃、そろそろ野宿の準備をしようと一泊できそうな場所を探していたところだった。自分たちが来た方向からガラガラと継続的に、重い車輪を回す音が近づいてきた。追っ手かもしれないと、木々の後ろへ身を隠す誠実とアル。
重苦しい音と共にやってきたのはどうやら普通の馬車の様だった。御者台で手綱を持つ男は横幅に大きく、体格的には到底厳しい訓練を重ねた兵士には見えない。安心して道なりに戻ると、近づいてくる馬車に手を振る。
二人に気が付くや、馬車は次第に速度を落とていき、彼らの横に止まった。
「どうしたんさ、あんたら?」
ヴェイント王都では聞かなかった訛りだ。またニーダの村とも違う響きを持つ、しかし何故か聞き取れるという誠実の耳を通しては似たり寄ったりではある。
「あぁ、これどこまで行くんだ」
「ホールズまでさ」
「好都合だ、乗せてくれない」
「こりゃ相乗り馬車だ、金を払えば乗せてやるさ」
相乗り馬車という言葉にはてなと、首を傾げた誠実にアルが説明を加えた。この世界では公共の交通手段というものがないため、このように私的に馬車を走らせ、人を乗っけていく生業というものが存在しているらしい。国が関与していないため安全性に乏しいと付け加えて。しかし、彼らの今の状況を考えたのなら、国が関わっていないというのは好都合でもあった。
「幾らですか?」
「次の村までなら銅貨一枚、ホールズまでなら四枚ってとこださ」
誠実は顔をしかめ考える。宿屋での一軒もそうであったように、この旅、この世界、自分にとっては何の保証も無い。何が起こるか分からない未知のものなのだ、できる限りお金は節約したい。
「ホールズまで二人合わせて五枚でどうだ」
「何を言ってるんだ。相場は十枚のところを安くしてるのさ」
呆れたよう男は顔の前で片手を振る。
誠実は大袈裟に肩を落し、アルの頭に手を乗っけた、そしてまるで言い聞かせるように語りかける。
「そうか……アル、頑張って歩こう、大丈夫だ、本当に無理になったら兄ちゃんが背負ってやるよ。そういえば父さんと母さんが貴族の馬車に引かれて死んだのは、お前が赤ん坊の時だったから……物心ついてから初めての墓参りだもんな」
アルは誠実の演技に、またかと深く息を吐きフードで顔を隠し、関知しないことを決め込んだようだ。どうもそれが功を為したのか、何も知らない荷馬車の前に座る男にとって、疲れ果てた旅、偶然通りかかった馬車に乗れると嬉しがったが、お金の都合で乗れずに、残念そうに頭を垂れた弟と捉えることのできる行動であったのだ。
「兄さんたち、兄弟なのか?」
男の声には同情の色があった。しめた、と誠実は一気にたたみかけた。
「ああ、すまない。お涙頂戴をしているわけじゃないんだ。さっさと行っておくれ。そうすりゃ弟も諦めがついて歩き出す」
「墓参りか……おいらも長い間してないさ」
遠い目をした男は、二人に目を向け、続けた。
「よし、銅貨六枚さ。乗っていきな」
「いいのか?」
「これもアステア様の導きさ」
「おっちゃん、さすが太っ腹!かっこいいよ。女にモテモテだろ!!」
「お~し、五枚にしてやるさ」
誠実の調子のよいおべっかに気をよくしたのか、男はいがらっぽい声で笑うと、指で後ろを差し、乗っていきなと二人に言ったのだ。情けないやら、申し訳ないやら、複雑な心境のアルは、男と視線を合わせずに礼を述べると木の後ろに隠れているキファを呼びに行った。
誠実は麻袋から銅貨を取り出し、男に手渡そうとした時だ、何故だろう、やけに耳に残る男の声が馬車の中から聞こえてきた。
「おいおい、真面目に払った俺が馬鹿みてぇじゃないか」
無精ひげを生やし、腰のベルトに剣を吊るしている男が、荷馬車から降りてくると、誠実の隣で、御者台の男に笑いながら会話に入り込んできた。
「ああ、でもお客さんも聞いただろ、この旅人さんの事情を」
「まあ、そりゃ、聞いたがな」
無精ひげの男は誠実の顔を見るや、まるで子供が玩具を買い与えられたような時の目をした。しかし、その奥には警戒心がこもっている。それを誠実は気が付くはずもなく、愛想笑いで返した。左の首筋がヒリッと傷む。
後ろから、草がすれる音が聞こえた。
どうやらアルがキファを連れて戻ってきたようだ、誠実は、随分長くかかったもんだとアルを見ると、相変わらず自分で歩く気が無いキファを頭に乗せ、
「遅くなって……」
しかし、アルは誠実の隣にいる無精ひげの男を見て、その場で固まった。誠実はアルの変化を感じ取り、
「アル、知り合いか?」
「憶えてないんですか!?」
珍しく声を荒げるアルに、隣の男は相変わらずの笑みで腰の剣に手を掛けた。
「ケミールです、あの時ナルミさんに剣を向けた」
「えっ!」
誠実にとってその名前は忘れることのできないものであった。誠実は今まで人生で二回目、死を感じたことがある。一度目は年子の姉と行ったキャンプ、川の増水で流されそうになった時、あの時は姉によって助けられた……。
そしてもう一つがとても最近の出来事、顔を見ていないのでわからなかったが、そう、隣の無精ひげの男に、ヴェイント王都で後ろから剣を突きつけられた時であった。傷跡は覚えていた、傷みを感じた理由はそこにある。
「おやおや、アルベルト様、旦那、どうもこんにちは」
男は剣を引き抜いて、無防備であった誠実の首元に刃を持っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます