第4話 暗躍
場所は変わって王都ヴェイントから西へ一山越えてニーダの村。あれからどこか適当な宿屋を見つけて一晩越そうとアルを連れて村の中を歩き回った。誠実が歩くたびに腰にぶら下げている麻袋の中身が擦れ合い音を鳴らす。この世界の相場は知らないが、これぐらい金貨があれば、ある程度まともなところで寝られるだろう。
二日間のゴーシュのもてなしは、この世界の一般市民からすればご馳走なのだろう、しかし、口には出さないがアルにとってはとても質素な内容だった。パンにチーズ、そして玉子と小麦、野菜で作ったキョノミュヤキというもの。
ゴーシュの妻が昔、旅人に教えてもらったというキヨノミュヤキというものを、ソースと青のりがかかっていないこと以外は味、形態、作り方、日本の料理「お好み焼き」に他ならない。誠実は改めて、自分以外にもここに飛ばされてきた人がいることを理解した。
その事実とは別に誠実はとても満足していたことがある。それは、食事後にテーブルの上に置かれた多種にわたるお酒の数々、リンゴ酒、ブドウ酒から始まりベリー酒や発泡酒まで、一口ずつ飲んだが、どれも絶品のお酒。
ヴェイント国はお酒に渡る技術の発達がとても有名なんです、とアルがこっそりと耳打ちをしてくれた。
たった一日でテーブルに所狭しと、置かれたお酒を空にした誠実。彼のウワバミ加減に目を真ん丸にしていたゴーシュは、翌日にはその倍のお酒を仕入れてきたのだ。
さすがにいくらウワバミとはいえ限界だったのだろう、誠実は当然のように二日酔いになり、出発当日、予定時間を数刻遅らせ、どうにか起きて馬車に乗ったが吐き気との戦い、アルとキファから白い眼を向けられ、ようやくたどり着いたのだ。
精神的にも肉体的にも苦しみを味わった自分を労うため、せめてベッドとシーツとお風呂は欲しいものだ。
そして気が付いた、ここは異世界……体を洗うという概念はあったとしても湯船につかる行動はあるのだろうか。ゴーシュの家では飲んだくれをしていたので気にも留めなかったのだが。
誠実は立ち止まり、
「なぁ、アル」
「……何ですか?」
後ろを振り向くと、機嫌が悪そうなアル。ゴーシュを騙していたこと、もしくはアルを馬鹿にしたことを未だに根に持っているのだろうか。
眉間のしわの深さからいって、両方である。
「……あ~っと、まだ怒ってんのか」
「怒ってません!」
「怒ってる奴って皆そう言うんだぞ」
「じゃあ、怒ってます!!」
「ほら、怒ってるんだ、ギャッ!!」
「ムッ、じゃあなんて言えばいいんですか!!」
「……とりあえず、この犬っころを何とかしてくれ」
悲鳴を上げた時点で対処をして欲しかった、自分のふくらはぎに噛みついているキファを指差した。アルは一声「ダメ」というとすぐに口を離し、怒られたと項垂れアルの足元に戻っていく。
はぁ~、とわざとらしくため息をついた。
赤く燃えていた空は、色を失い、上空は幾つもの数えきれないほどの輝く星たちに支配されていた。そして一際大きな月が1つ、2……3……??
「四大星というんです」
誠実が空を見上げていたのが分かったのだろう、アルは上空に光る月らしき星について語りだした。彼の声にはさっきまでの険が無かった。どうやらキファの一噛みで痛み分けという感じなのだろう、事実痛むふくらはぎは、うまい具合に血が出ない程度に力加減が調節されているとしか思えない匠の業である。
アルは楽しそうに上空の星々を解説していく。
「……というわけでアステア様がこの悪しき歪みからこの世界を守り確立するために産み出したと言われる星です。何時でも何処から空を見ても東西南北に一つずつ、合わせて四つの星が見える絶対的存在なんです。そして四つのうち一つでも見えないときは厄日とされ敬遠されます」
アルの説明を聞きながら、四方に散らばっている大きな星を見る。
「おっ、ほんとに4つあるな……でも雨のときとか曇りのときは見えないだろ」
「とある異人が書いた書物ではナルミさんのいる世界と今この世界は、物理常識の全てが違うと記るされています。私たちにはそのあ、……あめというものは、天から生命の滝が山々に降り注いでいるのです」
彼によると、一つ欠けると不吉な事象が起こる前触れとされ、また四つの真ん中にもう一つ星が現れるとき、アステアと呼ばれる神が降臨するらしい。また、日本の干支のように、人によって守護する星というものがあり、アルの場合は四大星の東にある星で、それはアルの生年月日と合わせ読むと『悠久』を意味するらしい。
生命の滝とは上空から降り注いでくる滝、この世界各地に存在しているらしい。その規模によっては旅行客の観光名所や神官の修行の旅にも使われている。ヴェイントの初代国王が神へと近づこうと滝を上り、天上の世界に行き、そこで人知を超えた力を得たという伝説が語り継がれているらしい。
「へぇー、まぁ暮して実体験しないと理解できなさそうだな」
「はは、そうですね。ですがさすがに滝登りは」
「本当に理解できないな」
誠実は本題を思い出し、
「この世界には風呂はあるのか?」
「はい、ありますよ」
「あ~、やっと風呂に入れる……あれれ」
人里から離れてしまったのだろう。各家の前につけているランプの灯りを頼りに歩いてきたが、今は周囲には灯りが一つも見えない。どうやら行き過ぎたようだ。四大星が照らす光り、それはとても弱弱しく、隣を歩いているアルの輪郭しか解らないくらいである。
引き返し、村道をしばらく歩くと、さっき通り過ぎたが見逃してしまった一軒の木造の大きな建物があった。横の看板には何やら大きく文字が書かれている。
誠実はまだこの世界に来て三日、文字は読めるはずも無く、いや会話が通じること自体おかしいのだが、
「旅人の憩いの場。ご休憩(三時間)銅貨一枚、ご宿泊銅貨二枚」
「ぶっ」
「あと銅貨二枚足せばお部屋にお風呂が付いてますよ」
「……」
固まっている誠実にアルは首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「なんだろうな、物理常識は違うっていうのに、これかよっていう……すまん、うまく言葉にできないけど、不条理なものへの怒りがふつふつと」
あと口にはしなかったが、こんな子供になんて文字を読ませるんだという、という怒りもあった誠実。アルは何があったのか要領を得ないようで「ここでいいですね」と返事を待たずに、宿に入っていった。
アルに続いて、誠実はニット帽を目深に被り、できるだけ顔を見せぬように、かったるそうな店主が座るカウンターの前に立った。
どうやらバーとしての営業もしているのだろう、中年の男たちが、こんな夜に見知らぬ二人が入ってきたと訝しげな眼を向ける。
店主は二人に気が付く。視線は二人のつま先から頭までを往復し、値踏みした。
「二人で銅貨六枚だよ」
「金貨でいいか」
と麻袋から一枚取り出し、カウンターの上に置く。
店主はそれを手に取ると、指で強度を確かめた。そして、目を一度下に向ける、一瞬何かを考えるような素振りを見せたのを誠実は見逃さなかった。そして後ろから数枚のコインを取り出すと、
「本物だね。ほれ、釣りだ」
カウンターに置かれたコインには目もくれず、
「……アル、宿を変えようか」
「ど、どうしたんですか」
驚くアルをよそに、誠実は店主を睨みつけていた。すると店主は悪びれずに答える。
「おっと、すまない、すまない。勘違いだをした。間違いだ」
「返しな、親父さん」
「すまなかった、悪かったって」
「銅貨二枚だ」
「なっ、そりゃ無理だ」
「じゃあな、ここへ来る旅人にもこの宿のことを伝えとくな」
二人のやり取りにただ圧倒され、立ち尽くしていたアル、誠実は捨て台詞を残し、彼の手を引くと、宿屋から出ようとした。ニーダの村は、王都ヴェイントと西の都ホールズの間に挟まれた場所にあり、行商人がお金を落していくことで生計を立てる村であった。もし今回のことが知れ渡り、噂が立てられようものなら、村全体が危うい、それどころか村から追い出されるかもしれない、店主は、奇怪な帽子を被った男と連れの少年を大慌てで呼び止めた。
「よ、四枚だ」
掴んだ!誠実は心の中でガッツポーズをきめた。しかし、その心の内をおくびにも出さず、指を三本だした。
「わ、わかった三枚だ……」
店主は胸をなでおろし、続けた、
「はぁ~、馬鹿な欲をかくんじゃなかったな、兄さんは商人か?」
「まぁ、そんなとこだな」
誠実は店主から改めて渡された釣りから二枚の銅貨を取り出すと、カウンターの上に置いた。
「へ、なんで?」
「美味しい朝飯の出してくれ」
誠実は昔に観た西部劇の映画の主人公を思い出しながら、自分の行動に少しだけ酔いしれた。店主は二の句が継げなかった。カウンターの椅子に座りずっと黙って成り行きを見ていた中年達から感嘆の声が漏れる。
その中の一人の男が酒臭さを撒き散らしながら店主の元に歩み寄り、肩に手を置いた。
「強欲親父よ、あんたの貫録負けだよ。ちょうどいいさ、お前たち。明日の朝食は家に食べにきな。昨日ここいらじゃ珍しい獲物が取れたんだ、それをつけてやろうじゃないか」
※ ※ ※
「か、かっこいいです!!」
部屋に入ると、アルは目を輝かせて言った。
「さっきのやり取り、ナルミさん尊敬しました」
「金がないときスーパーの食料品売り場でよく使ってたんだよ」
「すーぱー?」
「食品を売る店だ。そこで傷がついている野菜を選んで、ここに傷がある、とか店員にいちゃもん付けて値切ってたからな」
自慢していいことなのか、自分でも微妙ではあるが、誠実はわざとらしく胸を張った。近所のスーパーにブラックリストとして誠実の風貌が回り、彼が買い物に来ただけで店員の目の温度が二度下がるのを感じる。中でも一番嫌だったのは、野菜コーナーにいくと、黒い影がそそそっと近づいてくる気配があることだ。
別に傷物の野菜を探したりはするが、わざわざ野菜に傷をつけたりしないのだから、放っておいてくれ、と思ったが、店側にしてみたら嫌なお客ではあったと自覚はしている。
「前言撤回です」
アルはあからさまに肩を降ろし、落胆を表現する。
「なにお~、金が無いからしょうがないんだよ」
「働いてなかったんですか?」
「売れない役者を少々」
「や、役者ですか!」
マズいと思った時にはもう遅く、好奇心の旺盛な目で見つめるアル。空に浮かぶ四大星、二人と一匹の夜は長かった。
※ ※ ※
ヴェイント王都の中心に位置するライザッド王宮、難攻不落と誉れ高い王宮は過去に二度ヴァレンティア軍による猛攻撃にあったのだが、いずれも凌いだことがある。一度目は初代ヴェイント王が神より得たとされる不可思議な力を使うという今となれば眉唾物の話だが、二度目は十一代ヴェイント王ベレが、かつてまだ王子だった頃、当時、軍に在籍していたとある男が神がかりの采配を見せ、ヴァレンティアを撤退させたのである。
その男は平民上がりであったが、異例の抜擢でついには国に三人しかいない宰相の地位まで上り詰めたのである。そして彼は、今もなお現役で国の行く末を見守る「ヴェイントの守護者」と異名を呼ばれている英雄であり、国王のベレより市民からの支持者が多いのだ。
その男の息子が今、もう一人の宰相のシモンズの屋敷を訪ねていた。
「これはこれは、守護者のご子息がこのような所に、一体何の御用ですかな?」
シモンズは執務室、書類を埋め尽くしている机に向かい走らせていたペンを置き、扉の前に膝を折ってこちらに向けて礼をとっている青年に話しかけた。
青年、ルベルニはすっと立ち上がる。
父親譲りの赤毛の髪、ここヴェイントでは不吉と言われる黒い瞳。しかし触れるもの燃やし灰と化すような威圧感は遺伝しなかったのか、眼には下流貴族特有の飼いならされた甘さが残っているようにも捉えられ、どちらかと言えば柔弱な体つきをしていた。
「お目にかかれて光栄です、シモンズ・クレバ閣下」
幾度か顔を合わせたことがあるが、ルベルニの父であり宰相のグロスとシモンズの関係上、面と向かって話すのは初めてである。
何といっても、ベレ王からの信頼と市民からの支持が厚いグロスは、シモンズにとって理想を叶える前では目の上のたんこぶ、邪魔者以外他ならないのだ。それが何故、今この時期に、長男ルベルニが取り次ぎを求めたのか、シモンズは書類の内容から頭を切り替え、幾通りかの憶測をたてはじめる。横に立っていた私兵に意味ありげな目配せをすると、一礼して下がった。
「本来なら応接室に通させるのだが、月末までに第二級市民街への予算の案件を作成しなくてはいけないのでね。こんなところで悪く思わないでいただきたい、第二師団副隊長殿」
「いえ、まだ補佐でございます」
「以前、名が挙がっていたようだが」
「名が挙がろうともまだまだ実は熟しておりません。僭越ながら辞退させていただきました」
普通、このぐらいの歳ならば、自分を高く見せようと思うもの、しかし、笑み一つ浮かべることなく、また謙遜した様子もなく言い放つ青年の言葉は、シモンズは警戒心を強めた。そして、
「息子に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ」
と素直な思いが口から出てしまった。
シモンズは手前にあった煙管を手に取り、赤々と揺らめく暖炉の炎に乾草を差しいれ、煙管に火を移した。吐いた煙は、一筋の糸となり天井に上がっていく。メイドを一人呼び寄せ、深いルビー色の液体の入ったグラスを持って越される。
「これは私の領地でできた葡萄酒なのだが、味を見てくれんかな」
ルベルニは「後程」と、メイドからグラスを受け取り、用件を切り出した。
「昨晩、アルベルト王子の小間使いが街中で暴漢に襲われたのをご存知でしょうか」
嗅ぎ付いてきたか、彼の口から出た言葉はシモンズにとって想定内のものであった。だがわざわざ動揺をみせることも無く、平静に彼の話を聞いている。ルベルニは自分がシモンズの屋敷を訪れたことで、優勢の位置いると信じ込んでいる遊戯はすでにチェックメイト、彼がメイドから葡萄酒を受け取った時点ですでに詰んでいるのだ。
しかしシモンズは最後まで気を許すことは無い、目の前の男が息絶えるのをこの目で見るまでは。息子を殺されたことでターレスはこちらに牙をむくであろうが、もうかまわない、アルベルト王子の失踪からもう全ては始まっているのだ。
「彼女の親は第二級市民街出身、どうやらお金に苦労をしていたようで、アルベルト王子の失踪後に、彼女は両親に彼女の給金では考えられない大金を渡していたそうなのですが」
「なるほど……私を疑っていると」
答えは無かった。
沈黙が続き、暖炉で木々が燃える音のみが向かい合っている二人の耳に入る。壁に掛けられていた古時計がいつもよりゆっくりと時を刻む。
緊迫した空気の中、のどを潤すためか、ルベルニはグラスの葡萄酒を口元に持っていった。
シモンズは黙って彼の行動を見ていた。
しかしグラスの中の葡萄酒は飲まれることなく、グラスを覗き込みルベルニはこの部屋に入ってから、初めての笑みをみせた。
「この葡萄酒はどうやら私には合わないようですね」
とルベルニは横にいたメイドに葡萄酒を返し、
「君が飲みなさい」
手渡されたグラスにメイドは理解できず焦り、どうするべきかと、主人であるシモンズに指示を求める。それにシモンズは深く頷いた。すると彼女は、葡萄酒、ルビー色の液体を恐る恐る口に含み、鼻へと通る匂いを楽しみ、そして咽喉へと通す。
「美味しいです、ありがとうございま……あぐっ……」
地獄から這い上がるような声をあげると、その場で血を吐いて倒れこんだ。そして白目をむき、自分の首元に手を当て床で悶え苦しんでいる。
地面で痙攣している彼女にルベルニは、
「美味しすぎるのも毒になるということでしょうか」
ルベルニは毒が入っていた葡萄酒について特にシモンズを言及することをしなかった。シモンズは倒れているメイドの傍まで歩み寄り、ようやく苦しみから解かれた彼女の目を優しく閉じさせてやる。
「ふむ、我が家の使用人の中に、どうやらクレバ家の方に恨みを持つ者がいるのかもしれんな」
シモンズは、扉の前で待機していた兵に合図を送ると、私兵は一旦下がり、数分後、その場に戻ってきた時は、一人の白衣を着た四十過ぎの男を引きずってきた。男はいつものように、主人であるシモンズの夜の食事を作っていたところ、突然やってきた私兵に殴られ蹴られ、この場に連れてこられた。何の言葉も無くである。
「どうやらこの者がルベルニ様の葡萄酒を選び注いだようです」
私兵は男の膝を蹴り床に伏せさせる。男は何のことか全くわからず、求められるがまま答えた。
「は、はいご要望通りのシモンズ様の領内で作られた葡萄酒を」
「他には何をした?」
「いえ、そのままメイドに手渡し、ひぃー」
今頃気が付いたのだろう、自分が葡萄酒を預けたメイドが床で血を吐いて息だえているのを。そして腰を抜かしながら、後ずさりをした。彼の背中に私兵の膝があたり、後ろを見た次の瞬間、光を反射させながら弧を描いた何かが自分の首元に食い込んできた。男の意識はそこまでであった。
ルベルニは足元に転がってきた哀れな男の頭を見下ろした、しかしその眼は何の温度も無く、ただまるで石ころのような無機質のものを見る目である。男の表情は無念というより、状況さえ理解していないだろう。
「見苦しいものを申し訳ありません」
私兵は腰に掛けた剣を戻し、用意した麻袋に死体を二つ、冷え切っているメイドと男の未だ血の流れている首と体を押しこめ、一礼して出て行った。
シモンズ自身驚いていた。
私兵に前もって出した指示は、葡萄酒の毒にルベルニが気が付いた場合、容疑者を作り上げ、死体を持ってこいということ。ここまでの過剰な演出は求めていなかった。
しかし彼の行動でルベルニが、今回の毒入り葡萄酒の疑惑を周囲に触れ回ることは無くなった。何故ならルベルニはその目で容疑者が始末されるところを見たのだから。
自分が裏から手を回し、王子アルベルトを失踪させた事件で、今も逃げ回るケミールという男、彼の片棒を担いだとされ縛り首になる予定だったもう一人の男。男の経歴を調べると、四年前のヴァレンティアとの大戦の生き残りだということを知り、何かしらの役に立つかと、バルザック王子に頼み込み、拾ってやったのである。ここまで機転が利き使える者とは思ってもみなかった。
「ところで、先の話、私を疑っているという件だが」
シモンズは話を元に戻す。
「閣下が私の敵ならば、何故私が一人単身でここまで来たと?」
ルベルニの答えは、私兵の突然の行動に怯んでのことだろうか。それとも来訪の前からそう言うつもりだったのか。どちらも正解であり、また間違いもある。今回の件で、宰相であるシモンズを見極めに来たのであろう。
「敵ならばと疑問で返し、相手の出方を伺う。その強かさ親譲りかね」
シモンズは言いながら、小癪な真似をと口元を歪ませた。
「ヴェイント王国への忠誠を示すため、王子捜索にこちらからも私兵を出したく思い、今度の議会でその旨を発言するつもりでございます」
こちらからも、か……ここまで知られているとは、シモンズがルベルニの姿を改めて見た。やはり目に留まるのは、彼の不吉なものを運ぶとされる黒い瞳である。シモンズが隠密に出していたのは捜索隊という名を借りた暗殺者である。第二市民街の酒屋に入り浸る何も知らないごろつき達に金を掴ませ、アルベルト王子を殺すことを依頼したのだ。
ルベルニにとってアルベルト王子は生かすべきものか、始末するべきものなのか判断はつかないが、今回の件を自分の手で操るための根回しに来たのだ。
自分がだした捜索隊をも知ってしまっているこの青年は危険分子として、眼の届く場所に置いた方がいいだろう。敵ではないと言いながらここまで自分を煽ることに、普通ならば青々しさを感じるのだが、彼の場合、『ヴェイントの守護者』の嫡子という名前と、そう感じさせない雰囲気があった。
「わかった、覚えておこう……だがお父上殿はいいのかね」
「急務に追われ、出席は難しく、私が代理で顔を出させていただきます」
「口も出してかまわんよ、そのためにここに来たのであろう。今度は私が副長に推薦するので、また辞退するなどして、恥をかかせないでほしいな」
「光栄です」
まずはこの青年の地位をあげることで、彼の回りからの注目度を高め、あまり自由に動き回れないようにしないといけない。
それからは他愛もない話であった。国の情勢、ヴァレンティアや他国との関係、行商への税の削減など、話していて分かることは、このルベルニという青年は思想の趣向を除けば、父親であるグロス・ターレスに負けず劣らずの才覚を持っているという事実。順調に任務をこなしていたら、後三年もたたずに若くして一軍を率いる地位にでもなっている事だろう。しかし何より恐ろしいのはこの青年は地位を自ら遠ざけ、目立たないようにしていたということだ。
部屋を出て行ったルベルニを見送り、窓の外に目を向ける。
辺りは暗いが、貴族の屋敷が立ち並ぶ周囲は目を凝らせば木々の色合いが見えるほどの明るさ、しかし関所を超えたその奥には第二市民街、貧困街と呼ばれる場所があり、そこは光が無く未来もない暗闇の街。
同じ視界にあるものなのに、どうしてここまで違いが生まれるものだろう。出生の違いで命の価値というものが変わってしまうのだろうか。いつの間にか、手は汚れ、その純な思想は風化していた。昔であったらコックの首を落そうとする私兵を、それ以前にメイドが葡萄酒を飲もうとした時に止めていた。自分の犠牲になり命を落とした二人にかける言葉は無く、祈る手さえもすでに持ち合わせていない。
拾い物、私兵であるあの男を入れて、改革への手駒は着々と揃いつつあり、もしルベルニが駒になったのならこの国の全てが変わるであろう。
「それが唯一、私のできる贖罪だよ」
シモンズは椅子に腰を下ろし、書類に再び取り掛かった。
※ ※ ※
ルベルニがシモンズの部屋を出ると、コックの首を刎ねた男が扉の前に立っていた。ルベルニは知っている。人の首をたった一振りで落とすというのは、人並外れた腕力と技量が必要なのである。幾多の戦争に生き残った屈強の兵士でも10人いれば、2~3人位しかできない芸当なのだ。それを自分と同じくらいの年の人間がやるというのは驚きである。だが、一つの要素を入れることで、ある程度の訓練を積めばその行為を可能にするであろう。
男の前で立ち止まり、
「君の名前は?」
「先日からこちらで働かせていただいております、トータと申します」
「以前はどこかで?」
「王宮で警備を」
着こなしや口調からいって貴族ではないであろう。ということは警備とは門番兵を意味することになる。王宮内の警備は貴族の七光り息子どもで溢れかえっているため、平民は危険な区域へと送られるのだ。
「なるほど、どちらの門か?」
「東でございます」
「そうか、トータ、その名を憶えておこう」
門を出て、見送るトータと別れ、しばらく歩く。角を右に曲がると、黒い影がルベルニを待っていた。
「黒幕は宰相シモンズだ、上手くいけばこちら側の陣営に引き入れることが可能だ。他に、アルベルト様の処遇をどうするかルキア様の判断はどうだ?」
「危害を加えることは決して許さないと」
「やはりな。あと、トータという男について調べておいてくれ。以前は王宮の門番をしていたそうだ」
「どちらのでしょう?」
「西だ」
彼の一振りを見て感じた。技量は人並みである。首を刎ねる時、若干、右側に重心が傾いていたのを見落とさなかった。ではその技量をカバーするほどの人並み外れた腕力を持つ、となると答えは簡単なものだ。
「かかりもののリストも探っておけ」
念のために東の門も調べるように言おうと躊躇したが、無駄足だろう。黒い影は、まるで今まで存在していなかったかのように、足音も無く気配も無く、姿を消した。
シモンズの捜索隊がアルベルト王子を見つける前に彼を保護、それを父であるグロスにも知られること無いように進める。そして、シモンズを籠絡させ、できればこちらの陣営の要の一角とすること。
ますます忙しくなる、ルベルニは心を引き締め、足を速めた。
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