第2話 邂逅
学の無い自分でも知っている諺の中に、早起きは三文の徳という言葉があるが、徹夜した人間は徳を得ることができるのだろうか。それとも時間帯の問題ではなく起きるという行動が重要なのだろうか。
ふと頭によぎった諺に怒りをぶつけてみる。
夜通し歩きとおし、また空腹もあり、足取りが重くなる。見も知らない土地で過ごした晩はどれだけ体力を奪っていったか。
さらに何か食べようにも、この世界、この国で使われている通貨を持っている筈も無く、財布に入っているのは野口英世二枚と五百二十円、この世界では価値の無い紙切れとコインだけである。
だからといって三文を持っていても同じではあるが、とにかく早朝も良い事が無いと、この諺の発案者に八つ当たりをしたかっただけある。当然、三文が比喩であることも知っている。
暗がりが陽によって照らされた早朝から昼にかけて、時間が経つにつれ出歩く人が増え始め、味わっていた孤独感が紛れたが、これは夢ではなかったという事実が誠実のはかない希望を打ち砕いた。
この世界に堕ちた時に出会った老婆から聞いたこの街の構造が、一日掛けて唯一手に入った情報である。
今いる場所がヴェイント市民街、ライザッド王宮と呼ばれる高台にある城を中心に王都の西に位置する街であり、交易の盛んな場所である。その対になった東にはヴェイント貴族街と呼ばれる、王宮に出入りするための貴族の別荘のような場所がある。
北にはヴェイント第二級市民街、解放奴隷という地位の人や前科者が住んで、貧困街とも呼ばれているらしい。第二級市民街は危険だから近寄るなと、誠実を無知だと知ったお節介な老婆から何度も忠告された。
南にはヴェイント職人街と呼ばれ、名前のとおり職人たちが住んでいる街だそうだ。街はそのように東西南北と高い塀で四つに区分され、行き来をするためには門を通らなければいけないらしい。
話を聞いて、他の場所にも行こうとした誠実だったが、ヴェイント市民街から貧困街や職人街に行くには通行料というものが必要らしく、見張りをしていた高慢そうな二人の門番に追い返されてしまったのだ。
「兄さん、また来たんかぇ」
ヴェイント市民街をさまよい続け露店街に舞い戻ってきたようだ。声の主を探すと、昨日の老婆が立っていた。
「気をつけなされや、城の兵士達が慌しくしてからに、そんな目立つ服着とったら牢屋にぶちこまれてしまうぞ」
彼女の視線を追うと、腰から剣をぶら下げ、甲冑に身も包んだ男達が金属の擦れる音を出しながら街中を歩いていた。その兵士達は通りがかる街人に手分けをしながら何か話しかけているように見える。
「見つかったら……やっぱりまずいのか」
「悪いことでもしたんかぃ」
「身元がちょっと」
「おやおや、異人さんみたいなことを言う人かね」
異人というのは外国人のことだろうか、自分のことを旅人と呼んでいるのだから間違ってはいないだろう。彼女の籠の中にはパンと果物が顔を出していて、また空腹が襲いかかる。このまま意味も無く徘徊しても、餓死してしまうだけだろう。
とにかく今は、お金が必要である。
「お婆ちゃん……ここら辺で質屋ってないかい?」
「なんじゃ、しちやとは?」
初めて聞いた言葉なのだろう。しかしこの世界に質屋という名前は無くても、物の売り買いがある時点でその概念は存在しているはずである。誠実はどうにか伝えようと身振り手振りをいれて、
「服や、色々買い取ってくれるとこ」
「買取り屋なら突き当たりじゃ」
老婆は露店街の道なりの奥、方角で云うと東を指差した。ありがとうと、会釈で返し、教えられた方向に歩き出した。
「おやおや、やっぱりあの兄さんは異人さんか?おじやと言うんじゃったかな、あの挨拶は。下種な貴族様に捕まらんように気をつけなされや」
残されたお婆さんは、そう小さな声で呟いた。
※ ※ ※
これが買取りを求めに来た者への店の対応なのだろうか、それともこの世界の風習か、あまりの出来事に頭のブレーカーが落ち機能が緊急停止、ふと我に返ったときには布袋にずっしり詰まった金貨の音を鳴らしながら、誠実は街路の真ん中を歩いていた。
まず整理をしよう。
買取り屋に入ると、奥のカウンターにいる店主らしい無骨そうな男が横柄な態度で「何かようか?」と訊いてきた。
そこで何を売るか、道を歩きながら考えていなかった自分は焦り、時計、指輪、服と色々と悩んでいた。店主は苛立ち、貧乏ゆすりを始め、次第には一喝、
「売る物を決めてから一昨日きやがれ」
罵声を浴びせられた。
彼のあまりの迫力に怯えてしまい、一番売ってもよさそうなニット帽を脱ぐと、これ買い取ってもらえませんか、震える声でカウンターの上に置いた。
沈黙が続き、これじゃ無理かと他の売れる物を探していたところ、目を見開き無言のまま自分の顔を凝視していた店主の顔は徐々に青くなっていき、突然、カウンターに肘をついて両手を合わせたのだ。
「全てを見定める聖女アステア様、我々はあなたの前にひれ伏します、我々は敬虔な信者となります。我々はあなたの教えを護ります、我々はあなたの……」
店主は意味のわからない呪文を一通り唱え終えると、奥に消える。
いきなりの彼の変貌に怖くなったので、買ってもらえなかったニット帽を目深に被り、颯爽と店を出て行こうとしたとき、戻ってきた彼から「お待ちください!」と呼び止められた。
片手に金貨が一杯に詰まった布袋に持ってきて、どうぞと手渡され、膝を折ると履いているスニーカーに軽いキスをされた。
ツンデレ買取り屋という店、開店から1万人目のお客様などというサービスなど、あまりピンとこない答えが再起動した頭を埋め尽くす。
だが、何となくわかったのが、どうやらこの国は聖女アステアなる者を信仰しているということと、そしてさっき店主が喋っていた呪文のようなものは祈りではないかということ。そこから弾き出すと、もしかしたら知らない誰かに間違われたという考えに至った。
それが、一番可能性のある答えである。
最近も未だにある振り込め詐欺、俗にいうオレオレ詐欺をしたみたいで、店が遠のくにつれ店主に対しての罪悪感が膨らんでいく。何度か戻ろうとしたが、自分の行く末を案じて、持っておいたほうがいいと自分自身を納得させた。
頭の中で理想と現実の小さなバトルは「誠実」という祖父から与えられたはずが、名前負けする結果に終わった。昔から腹が減っては戦が出来ぬというのだ、それはしょうがない、と自分自身に言い聞かせる。
露店街の一番賑わい、人が多い時間帯。雑踏を掻き分けながら疲れて棒になった足を引き摺ってまた進んでいく。
何処かで食事をとらなければ、と辺りをきょろきょろ見回していると、腰あたりに何か柔らかいものがぶつかった。
「いたぃ」
幼い声に、下を向くと、黒い布で頭まで覆っている12.3歳位の少年がいた。どうやら無防備に手に持っていた金貨入った布袋と当たってしまったのだろう、涙目になりながら鼻頭を抑えている。
誠実は膝を折り、少年と目線をあわせ、
「ごめん、大丈夫?」
「僕のほうこそ前を見ず、不注意で申し訳ありません。」
少年も、育ちがよいのだろうか、とても丁寧な言葉遣いで非を詫びた。
彼の足には黒い犬がいて、その犬はこちらを睨み、鋭そうな牙をむいていた。
「余所見してたのは俺だよ……、その犬もそう言ってるような気がする。」
「申し訳ありません。キファ、お座り。」
「バウ!」
キファと呼ばれた犬はとても利口である。主人の命令どおりお座りをした。本当に利口である。わざわざ反転して、「俺、お前、嫌い」と自分のお尻を主人にぶつかった敵に向け、尻尾を砂を巻き込み誠実のスニーカーを汚していく。
「キ、キファ!」
少年は連れの目に余る行動に、あわあわとうろたえ、キファと呼んだ犬を起こそうとしたが、その当人は意地でも起き上がらないと地面に爪を立てしがみ付いている。その間も、尻尾を上下左右に振り、敵と認識した男に足に地味な攻撃を仕掛けていた。
「き、気にしなくていいよ」
癇に障る犬っころを足で軽く蹴飛ばしてやろうかと思ったが、そこでふと閃いた。
「ところで、ここいらで美味しい食べ物屋って知らないかな」
「僕も今日、ヴェイント市民街に来たばっかりで探してたんです。」
チャンスである。
「へぇー、奇遇だな、……どうかな、お詫びもかねて、お兄さんと一緒にどこか入って食べようか?」
バリバリの怪しい奴だと自分でも思う。ナンパなど慣れていないためか、元いた世界なら国家権力に通報されてもおかしくない言い回しである。
誠実は他者が自分の行動をどう見るのかを想像した。自分自身が哀れすぎて涙が出てきそうだ。だがこんな少年からでもこの世界の情報はしっかりと仕入れなくてはいけない。
じっと顔を見つめてくる少年の無垢な瞳に心が折れそうになるが、
「どうした、お兄さんの顔に何かついている?」
「い、いえ、珍しい瞳の色だなと……兄上と同じ瞳の色なので」
「そうなんだ」
どこかのお坊ちゃんなのだろう、彼の話すやはり言葉の節々に気品がある。実際喋っている言語は分からないのだが、そう感じ取れるのだ。まるでどこぞの絵本に出てくる可愛らしい王子様を思い起こさせる。将来は白馬に乗った王子様にでもなるのだろうか。
少年は失礼だと思ったのか、すみませんと即座に謝り、続けて、
「お兄さんって、もしかしていじ」
と少年は言いかけた。
「いじ?」
「いいえ、何でもないです」
少年は首を振り、口を閉じた。
何か気が付いたことでもあるのか、それも兼ねていろいろ情報を仕入れないといけない、誠実は恥を捨てて再び誘いの言葉を少年に言う。
「ほら、みんなで食べたほうが美味しいしな」
「そうだな、ついでだ、俺も一緒に誘われてもいいかい?」
ずしっと肩の上に重い物が乗っかる。
「動くなとはいわない。動いてもかまわないぞ……首と体が分かれてもいいならな」
背後から左肩に突き出された、初めて見る大きな光り物。
肩に感じるのは生まれて初めて重量。鏡のように磨かれた刀身に映る自分の顔は一目でわかるほど血の気が引いている。
婆さんの言うことを聞いて大人しく、どこかで隠れていれば。なんでこんな目に合うんだ、と誠実はもはや涙目である。
「で、動かないのかい。残念だな」
後方にいる男が発する声は鋭く討ちぬかれる自分をイメージを彷彿させ、どっちにしたって手足は動かない。周りにいた人は、剣を見るや逃げるように一定の距離まで散っていき、三人と一匹を中心にちょうど円のようになった。
せめてこの目の前にいる少年だけでも、と目配せをして逃がそうと試みたが、後ろから聞こえた男の声は、その少年に対しての放ったものだった。
「探しましたよ」
「昨日の門番だな、私を追ってきたのか」
少年の表情は、さっきまでの可愛らしい王子様が嘘のように打って変わり、固く、陰りがあり、そして、口調は険しいものだった。
「まぁ、危うく気づかないところでしたが」
「何故、兵装していない?」
こちらからでは男の顔を確認できない。だが話の内容から、どうやらこの男は少年を追いかけてきた人物のようだ。ほんの少し、立ち位置を少しだけ右に移動される。
警告か、男の剣は誠実を追い、剣をより近く首筋にあてられた。
生温かいものが一筋伝う。
「巷では愚鈍と噂ですけど、昨日の手腕を見ていたら、どうもそう思えないんでしてね。警戒されないように普通の服を着てお出迎えしました」
「愚かと噂か。無礼だと思わないか」
「どうでしょうかね?ご自身の命を護るために日夜命を賭けて働いている兵、その職務を蔑ろにされた彼らの声と思ってください。」
「名は?」
「ケミール・ズッカと申します」
ケミールは右手に持っている剣を下ろさずに、左手を胸に当てアルに挨拶をした。
「ケミール、お前が忠義を私に持つのであればまずその剣を引いてくれ。その者は私となんの関係ない」
「申し訳ありませんが、ちょっと事情があってそうはいかないんですよ」
「服装を見てこの旦那は異人じゃないですか。それならなおのこと、この旦那がどこの貴族に飼われてる者か、訊かなちゃいけないんでね」
凛々しく振舞う少年とケミールの問答は続いていく。
「ではその尋問、私も立ち合わせてもらう」
「いえ、そんな見苦しいものお見せするわけには……伏せろ!?」
突然、人混みの中から、少年に向かって矢が飛んできた。
男は誠実を突き飛ばすと、持っていた剣で矢を正確に打ち落とした。
「チッ、仲間がいやがったか!」
ケミールは矢の飛んできた方向に気を張りつつ、他に敵はいないかと辺りを見渡している。
誠実は突き飛ばされた反動で偶然、少年の前に立った。
少年と目が合った。少年の顔はケミールと会話をしていた時と同じく、厳しい顔であったが目の奥は恐怖に怯えていた。
助けなくては……助けなくきゃ、この子を。誠実は何を思ったのか、彼の小さな手を取り、人だかりに向かって走り出した。
追いかけるようにキファも駆け出した。
「おい、こ、まちやがれ!!」
疲労しきった両足にもう一度気合を吹き込んで、人をぶつかりながら、無心に。
思えばこれが全ての始まり。
この浅慮な行動が、この大陸を全土を覆う大きな戦争を巻き起こそうなど思ってもみなかった。
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