ラウスフィールド異世界放浪記

いわしたろはな

第1話 ドアを開ければ

 

 「いや、ドアを開いたまでは、確かなんだけどな……」


 奇想天外すぎたことが起こった時、人は頭の処理が追い付かず茫然自失とする。木下誠実もそうであった。目の前の風景を見ながらぼんやりと過去を思い返していた。

 

 高校生活最後の文化祭。三年であった自分にとって最後のお祭り騒ぎである。しかしインターハイも終わり、三年間の部活動での涙と汗の暑苦しい積み重ねが芳しくない結果で終わってしまってから、どこかに熱意を置き忘れてしまっていた。そんなこんなでの文化祭。とくにやることも無く、来校する女の子を悪友と値踏みしながら、他クラスの出し物を冷やかす程度で楽しむはずだった。


 誰もがそんな時に将来を変える出来事が起こるなど考えもしないだろう。


 そこで未来の選択肢をくれたのはよく知った同級生だった。ふらふらしている自分達を見つけると駆け寄ってきて、「よかったら見に来て」と演劇部の公演のビラを手渡された。


 演劇部の公演など全くもって関心がなかったが、その同級生、女の子に興味があった自分は、下心のみで嫌がる悪友を引き連れ見に行った。




 

 パイプ椅子が並べられた真っ暗な体育館。


 照明が当たるステージ。


 そこには世界が存在していた。


 演目は有名な「リア王」。ウィリアム・シェイクスピアがこの世に送り出した四大悲劇の1つである。シェークスピアの作品は?と聞かれて、『ロミオとジュリエット』のタイトルしか頭に浮かばないその頃の自分にとって、目の前で繰り広げられている物語は頭を鈍器で強打されたような衝撃を与えた。


 今思えば、高校の文化祭で行われるもの、オリジナリティーを加え、所々をかなり削って台本を作ってあった。後に支えている吹奏楽部などのため、上演時間も短縮されている、だがシェークスピアの偉業は決して損なわれること無く、人々を魅了した。


 目を奪われた観客の中の一人であった自分は、ビラ配りをしていた同級生が演じる、想像上の人物であるはずのコーディリアの死に、心が痛んだ。ぼろぼろと涙をこぼし、鼻水をたらしと無様な醜態をさらしていた。隣に座っていた悪友に後から聞くと、いつも以上に見るも無残な顔をしていたらしい。いつも以上という言葉に引っかかったが、あまり突っ込んだら蛇が出てきそうなので止めた。


 そして最後に登場人物の一人、エドガーの決意とも嘆きともとれる台詞が体育館中に大きく響き、暗幕が降りた。盛大な拍手に包まれたカーテンコール、これが彼らのインターハイなのだろう、涙を堪えて、とても軽やかな笑顔をふりまいている。



 

 やりたい。


 舞台にあがって違う人間を演じてみたい。



 一時的な熱に浮かれたと考えようとしたが、やるなら今しかないと思い悩む自分もあった。人生の岐路に立ったその当時の自分、選んだのは、どうせやる気の起きない受験勉強を放り投げることだった。


 それからというもの暇さえあれば小劇場、映画館に足を運んだり、レンタルDVDを借りて一日中見明かしたり、演劇部の練習を盗み見たり、と猪突猛進ぶりを発揮し、高校卒業と同時に上京、その特異な世界に飛び込んだ。


 今も昔も間違えた道、というより苦労する道を歩き始めたことは重々承知しているが、芝居への熱はぐんぐん上昇している。仕事があればの話だが……。

 売れない役者など数え切れないほどいる、東京に出てきて早10年、本名は木下誠実、芸名は橘なるみは、その中で埋もれもがいていた。


 今もそう、28歳にもなって親から仕送りをねだってしまい、陰鬱な気分で携帯電話を切ったのだ。実家が裕福だからこそ今の自分の置かれている状況が許されていることを自覚していた。共に夢を叶えようと切磋琢磨していた仲間たちの大半は、役者だと自称することを辞め定職を持ち、中には家庭を持ち子供すらいる者までいた。実家が裕福という点で、自分の方が夢を叶える状況に恵まれていたのだが、今となってはどうだろう。彼ら彼女らを羨んだり、妬んだりすることはない。それは卑怯だと自覚している。


 仕送りをねだったといっても普段からではない。いつもは当然、自分で稼いだお金でやり繰りをしている。人伝で入ってくるエキストラの仕事と、居酒屋とコンビニのかけもちバイトで何とかぎりぎりの生活を送っていた。だが久しぶりに誘われた高校の同窓会で羽目を外して楽しんだ結果、今月は首が回らなくなってしまったのだ。


 当面の生活費確保の代償に、親の怒鳴り声によって一時的に失われた右耳の聴力は次第に回復して、点いているテレビから軽快な音楽が聞こえる。


 コタツから這い出て、灰皿に積もった吸い終わった煙草を一本取ると親指と人差し指で伸ばし、吸いだした。


 煙が室内に充満しないように窓を開け換気をする。


 寒い風が室内に入り込んできた。外の寒さに身震いをする。


 部屋には不釣合いなサボテンが置いてある。一週間前、海外出張に行った彼女からの贈り物だ。毎日水をあげなくても大丈夫、だらしないからどうせ忘れそうだけどと付け加え貰った。案の定、先月の誕生日にもらって以来、まだ一度も水をあげていない。そのせいか、心なし元気がないように見える。


 ざっと見渡すと、読み終えた新聞、雑誌が四方に散らばり、着終えた服が山積みになっている。流し台にはカップラーメンの空容器が積み重なっている。彼女が一週間家に来ないというだけで、よくもここまで散らかせたものだと自分自身、呆れを通り越し感心してしまった。


 重い腰を上げ、今日の夜にも帰ってくる彼女の怒りを回避するために動き出す。そしてようやく、怒りの直撃は免れるくらい片付いた頃には、居酒屋バイトの時間である。


 手早く着替えをすませ、ニッと帽を目深に被り、アパートを出た。





「いや、ドアを開いたまでは、確かなんだけどな……」


 目を見開き、口は半開き。


 あまりの奇想天外、ただただ立ち尽くした。


 周りの景色はいつもとは違い、まるで辺りは中世の欧州を意識した街並みが目の前にあるのだ。掴んでいたはずのドアノブは消え、後ろを向くと部屋は無い。その代わりに、夕暮れ時、喧騒といっていいほどの賑やかな露店が道の左右を埋めている。果物を売っている店、肉を売っている店、手芸品のような物を売っている店、奥には占いだろうか、丸い大きなガラス玉を置いている店もある。しかし、どれを見ても読めない文字が書いてあった。アルファベッドでもなければアラビア文字でもない、まして当然、日本語でもない。


 これは何の冗談だろう、貧乏役者にドッキリを仕掛けるテレビ局の仕業だろうか、それとも実はまだコタツの中でぬくぬくと眠りながら夢を見ているのだろうか。


 だがドッキリにしては金と手がかかりすぎている。夢にしてもやけにリアルである。

 そして気にかかることは、行きかう人々の話し声、耳に入ってくる言葉は日本語ではないのだが、


「ちょっと、あんたどいてよ!」


 両手に荷物を持った女に体を押しのけられ、よろよろとその場に尻餅をついた。


 何故、日本語ではないのに理解ができるのだろうか。自分が見も知らぬ言語を即座に理解できる少年漫画の読者も呆れかえる設定、特殊能力を持っているなど、この生を受けてから、一度たりとも体験したことがない。もしそんな特技を持っているのなら労働環境ブラックなバイトなどしなくても、その特技を活かしてテレビ出演、一躍有名になり、舞台や映画の仕事がバンバン入ってきてもいいだろう。貧乏生活ともおさらばだ。パチンコで負けたためお金が無く、彼女の誕生日にコンビニのケーキを買って、蝋燭にみたて爪楊枝を立て祝い、彼女と大喧嘩なんてしなくてもすんだはずだ。


 そしてなにより、英語の成績は学年で下から数えたほうが早かったはずだ。


 しかし現実には、聞き取れているのだ。


「ほぅれ、兄さん、こんなとこで座ってても、金にはならんぇ。きちんとしたぼろぼろの格好で道の隅で俯いてないと、貴族さまの気まぐれの施しはうけれんよ」


 老婆が座りこんでいた誠実に手を差し出した。誠実は立ち上がり、服についた砂を払い落とした。


「ここどこですか?」


「兄さん、旅人かい?」


 老婆は怪訝そうに首を傾げた。


「けったいな格好をして何を言ってるのかねぇ。ここはヴェイント市民街だよ」


 理由は分からないがどうやら自分が喋る日本語も相手に通じるらしい、しかしこの状況は一向に変わらない。高校の世界地理で習ったことの無い、聞き覚えの無い地名に頭を抱えた。


「ヴェイント……」


 ほんとにまったく、将来を変える出来事なんてどこに転がっているのかわからないものだ。




※ ※ ※



 陽も暮れ、アステアの加護が無くなったのを肌で実感する。息を殺して潜んでいるアルはバッグの中から黒い布を出すと、それを震える体に巻いた。


 彼は門の前にある大きな木の上にいた。


 ヴェイント王都、その中央に位置する難攻不落のライザッド王宮。


 しかし西門は未だかつて外敵からの進入経路になったことが無いため、東西南北のうち一番警備が薄く、門兵が夜な夜な女を連れ酒盛りするため夜になっても閉門をしないことがある。


 世話係のレランがそう洩らしたのを聞き逃さなかった。


 その日からアルは着々と外に出るための用意を続け、そして月の無い夜を待ち続けた。そして今晩、とうとう決行の日となった。

 

 門はレランの言ったとおり無用心にも開いていた。抜け出す準備はすでに整っている。物音立てぬよう慎重に屋根伝いに渡り、木の上に隠れてからしばらく経つ、門番の交代時間はそろそろだ。横には相棒である子狼、キファが眠たそうな顔で欠伸をしている。


 「もう少しだから」


 頭を撫で言い聞かせると、はいはいと尻尾で面倒くさそうに返事をした。



 門の前、二人の門番が見張っている。


 左右翳してある灯火の灯りは小さく、周囲を全て照らすことはできなく、警戒に当たるためには目を凝らしていないといけない。しかし、特に気を張っているようにも見えない左に立つ門番は、詰所の窓から見える控えの門兵達の楽しそうな影を羨ましそうに眺めていた。


「~様には感謝、こうして毎晩飲んで遊ぶ金出してくれるなんて」


「名前を出すな」


「誰もいねぇーから大丈夫だ。でもよ、なんで突然こんな大盤振る舞いをするんだろうな」


「さぁな、素敵な貴族さまの考えることが庶民に理解できるはず無いだろう」


 門の右に姿勢を崩すことなく立つ男は吐き捨てるように言った。わざとらしく怖い怖いと肩を竦め、左に立つ男は葉巻に火をつける。腰には葡萄酒のビンが括りつけられている。


「宰相に逆らっちゃ生きてはいけない。俺達には選択することすらできないんだ……虫唾が走るがな」


「トータ、だからお前は宴会に付きあわねぇのか?」


「心まで売るつもりはない」


「葉巻も酒も女遊びもやらないか。アステアの神父だって裏では遊んでるのに、大層立派な志だな」


「ふんっ」


 トータは隣の酔っ払いの言葉を無視し、暗闇に目を向けた。


 ここ一月、上からの密命により閉門を禁じられた。その礼だろうか御馳走に酒、そして女、慰安のためにと毎夜絶えずに送り込まれた。


 きな臭い話なのだが、断るわけにもいかず、だが褒美を他の門兵のようにすんなりと得るほど、トータの頭では割り切れていないものだった。だからといって、他の仲間を諭すほど陳腐な正義感を振りかざす人間にもなれない。


 そして何よりなにより、


 「なにかの姦計を手伝わされてたりしてなぁーんてな、ははは」


 そう笑いながら葡萄酒を飲む男。トータは彼の顔を見ずとも知っていた、この男の目は一切笑っていないことを。詰所で騒いでいる門兵らも、自分らの身に不幸な出来事が降りかかるかも知れないことを承知していた。


「今日は付き合えよ」


「いや、遠慮しとく……ケミール、先にあがるぞ」


 西門を守っているのはトータを含め、元々正規兵であり、四年前のヴァレンティアとの戦いで、死闘の末、敵の呪術にかかってしまった、アステアの加護を亡くした『かかりもの』の生き残りである。国にとっても厄介払いしたい者達の集まりなのだ。


 戦時中、トータは名も通らぬ一兵だったが、ケミールはこうみえてもトータの所属の一部隊を指揮する小隊長であった人物だ。そして何を隠そうトータの憧れだった。


 腕が立ち、人望が厚く、頭も切れ、一時期は近衛兵団長からの推挙で、市民としては珍しく騎兵中隊を任せられるとの噂もたったほどの人物だ。


 『かかりもの』、アテシアの加護を受けられない忌むべき体となった多くの者は名誉ある死を望み、ヴァレンティア陣へ特攻をかけ命を散らしていった。


 ケミールもまた部下と共に、敵師団の夜営に急襲をかけた。兵力の差は歴然であり、仲間がどんどんと打ち果てていった。我先に死んでいく部下を横目に、剣を振り続けるケミール。敵に四方を囲まれ、ようやく終わりが見えた頃、敵の後方からヴェイント国軍第三師団の強襲があった。


 小部隊全滅になるところを、ヴェイント国軍第三師団の援護もあり、敵師団は敗走。ケミールとトータを含め小隊の十数名が無様にも生き残ってしまったのだ。


 王都へ帰還後、アテシアに見捨てられたのにも拘らず、生にしがみついている不信仰者と蔑められ、小隊長から降格、西門の守衛を任されることとなった。今はもう、四年前の勇猛果敢なケミールは見る影も無く、いつしかトータは敬意を払った言葉遣いを使わなくなっていた。


「馬鹿でいるほうが生き易いぞ」


 後ろから掛けられた言葉を振り切り、トータは宿舎に戻った。


 ずっと機会をうかがっていたアルは、門番が一人いなくなったのを確認すると、持っていたコブシ大の石を灯火の上部に向かって投げた。飛んできた石の衝撃を受け、灯火は倒れ、その拍子に大きく火の粉を上げ、パチパチと音を立てる。


 交代人員を待っているケミールの意識が一瞬、門からそれた。


「キファ!」


 その声に反応して横にいたキファは子供の狼のサイズから、みるみる大きくなり成人狼の倍の大きさに変化を遂げた。


 アルがキファの首に抱きつくと、キファは5メートル下の地へと飛び降り、四足で着地。振動でアルが落ちそうになるが、彼の服を口で咥え、止まらずに土をけり、砂塵を巻き上げケミールの後方から門へと走る。


 その速さは風を切り疾風を呼ぶ。


 詰所を超え、門の手前。スピードを落とすことなく直角に曲がり、門の外へと出て行った。


 ケミールが気配に気づき振り返った時には、誰の姿も無かった。


 砂塵が巻き起こっており、とっさに手で目を防いだ。強い風により腰にくくりつけていた葡萄酒のビンが落ち、音を立てて割れた。


 砂塵に紛れて浮いている物に気がついたケミールは、パッと腕を前に突き出し、手を浮いている物を手に取った。砂に混じり黒い毛が手の中にある。


「これは、……狙いはまさか」


 ケミールは呟き、門の外を見る。しかし誰の姿も見えない。だが、彼は何が起こったのかさっしたように、チッと舌打ちをする。


「予想よりでかいなこりゃ」


 ケミールは灯火のあった場所に転がっていた石を掴み、詰所へ投げ、仲間に異変を知らせた。何事かとあわてて出てくる門兵達に、二言三言、事の急務を告げると、門の外へと駈けていった。




 西門を無事抜けた。道を避け、身を隠すに優れた林を縫うように歩き、街灯りを目指している。キファに跨りながらゆっくりとライザッド王宮の高地から、街を目指して下へ下へと降りていく。


「やったよ、キファ!」


 アルは念願が叶い、興奮覚めやらぬ様子でキファの頭に抱き着いた。


「ガウ!」


「ようやく外に出れた」


「バウ!」


 主人の喜びが伝わっているのか、小さな声で吼える。西門がざわつきが耳に入り、キファは歩みを速めた。


「兄上様達には心配かけるけど、見ておかなきゃいけないんだ」


「……」


「そう、ドレが僕に伝えたかった外の世界を」


 アルは、昔に牢屋で出会った囚人の男を思い返していた。そして目を閉じアステアに感謝と祈りをささげた、囚人の死後の恩赦を願った。近づく街の明かりは王宮の窓から見ていたものとは違い、現実味に溢れていた。

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