第5話 ライブ

「いやあ無理だよぉ」

 亀ちゃんは思わず大きなため息をついた。この日何度目なのかわからないくらいため息をついている。

 大人が三人も入れば満員になろうかという、せまい控室の中で亀ちゃんは朝からずっと待機状態だった。ここはS市内で一番大きなショッピングモールのバックヤードの一角だった。

 今日はこのショッピングモールでフューチャー・ワールド凱旋ライブが行われる。一度は中止となっていたが、延期という形を取り、ミニライブと握手会が予定されている。

 そして亀ちゃんは今日特別会場で、フューチャー・ワールドの前座を務めるのだ。大役抜擢に何日も前から落ち着かない亀ちゃんだった。

 亀ちゃんの目の前には机をはさんで強司の姿がある。今日彼は付き人として亀ちゃんの世話をする。そしてもう一人、亀ちゃんの横には大島衣里がいた。もうすでに肉眼ではっきり見えるほど鮮明になっていて、街中を歩いていても幽霊だとは誰も気づかない。何も知らない人が見れば、仲のいい二人が一緒にいる、という図にしか見えない。

「無理じゃないさ。亀ちゃんならできる。俺は信じている。たくさん練習してきただろ」

「だって、お客さんがいるじゃない。お客さんがいないならできるけど」

「お客さんに見せなかったらライブじゃないだろ。大丈夫大丈夫、って衣里さんも言ってるぞ」

 と亀ちゃんの横を手で示す強司。亀ちゃんは横を振り向くが、大島衣里の姿は見えないし、声も聞こえない。みんなには見えたり聞こえたりする幽霊が、亀ちゃんだけが見えないのだった。

 最初はうすぼんやりと湯気のようなものが見える程度だった大島衣里も、日を追うごとに姿や色がクッキリとし始め、ショッピングモールのライブの日程が出るころには普通の人間と何ら変わらない姿にまでなっていた。日常会話もできる。ただしさわったら透けてしまう、という点を除けば。

 大島衣里の存在がハッキリするまでの過程を、日増しに見せつけられていた周囲の人たちにとっては恐怖でしかなかったが、憑りつかれた当の本人の亀ちゃんは、まったく霊の存在を認識できないものだから、霊に対して恐怖することは無かった。

 それよりも周囲の人たちから注目の的になることの方がむしろ恐怖であった。街中や学校でみんなから指をさされたりするのは苦痛ですらあった。特に学校が厄介で、授業中に幽霊を連れてこないように、と散々注意を受けたのだ。校長先生直々に。しかしそれは不可能だった。

「そういえば亀ちゃん。まだあいさつしてないだろ」

「えー、しましたよ。今回のイベントを主催してくれた谷社長さんには何度もお礼したじゃないですか」

「そうじゃなくて。ほら主役の」

「主役?」

「わからないかなぁ。フューチャー・ワールドだよ。まだあいさつしてないだろ」

「わ、わ、そうだった。前座をさせていただくわけだから、あいさつしないと……でも、ちょっと緊張するなぁ」

「いや亀ちゃん、フューチャー・ワールドのファンをやって何年になるんだよ。会うのは一度や二度じゃあるまいに。それに、ここ二週間くらい衣里さんとずっと一緒だろう。今さら緊張も何もないだろ」

 強司はまた亀ちゃんの横を手で示した。亀ちゃんはもはや条件反射で振り向くが、何も見えない。

「そうなんだけどさぁ。まあ、うん、あいさつしてきます。あれ、フューチャー・ワールドさんの楽屋ってどこだっけ?」

「大会議室だよ。この部屋を出て右に行って、突き当りを右に行ったすぐの部屋だよ。もう少ししたら出番だからあまり長くならないようにな」

 出番と聞いて、亀ちゃんは固まってしまった。さらに緊張が高まってしまったようだ。ギクシャクした動きで控室を出ていく。


「うーん、緊張でノックできない」

 大会議室の前に来た亀ちゃんはお腹を押さえその場でもじもじしている。扉には「フューチャー・ワールド様控室」と書いた紙が貼ってある。中の様子は分からない。扉の前を行ったり来たり、またしても人見知りを発揮した亀ちゃんはどうしていいのかわからないでいた。

「誰かそこにいるの?」

 不意に扉が開いた。姿を現したのはフューチャー・ワールドのリーダー高橋真奈だった。その後ろには福田萌絵もいる。

「わ、わ」

 予想外の出来事に亀ちゃんはパニックになってしまった。

「あら、その衣装。私たちと一緒ということは、オープニングアクトで歌ってくれるのはあなたね。今日はよろしくね」

「は、は、はい」

 亀ちゃんは調子はずれな返事をした。

「うん? もしかしてあなた亀ちゃんじゃない?」

 真奈の問いかけにうなずく亀ちゃん。笑顔を見せようとするがこわばる。

「久しぶりだったからわからなかったけど、あなたアイドルになったのね。夢だって言ってたもんね。かなえられてよかったじゃない。私たちも応援するわ」

 真奈と萌絵は興奮気味に亀ちゃんの手を取ると、三人で握手して跳びはねた。

 そこへ、いたずらっぽい表情を見せながら、亀ちゃんの背後から大島衣里がひょいと姿を現した。一瞬、真奈と萌絵は血の気が引いた。この世にいるはずのない人がすぐ目の前にいたからだ。

「ちょっと衣里? 衣里なの? ウソでしょ?」

 今度はフューチャー・ワールドがパニックになる番だった。

 その時、廊下の向こうから強司が走ってきた。息を切らしている。

「亀ちゃんそろそろ出番だから、戻ってきて。あ、真奈さんに萌絵さん今日はよろしくお願いします。亀ちゃんが精一杯会場あたためますから見守ってやってください」

 強司に連れていかれる亀ちゃん。そして真奈と萌絵に手を振りながら去っていく衣里。真奈と萌絵はあっけにとられた顔をいつまでもしていた。

 

 従業員の通用口の前に立つ亀ちゃん。この扉から特設ステージのある吹き抜け広場まで、直線距離で二十メートルほど。早朝のリハーサル通りにやればうまくいくはず。亀ちゃんは自分に言い聞かす。

 係の人と打ち合わせをしている強司をよそに、亀ちゃんは横を振り向いた。きっと今も衣里がいるのだろうと思うと、心強いような恥ずかしいような、複雑な思いだった。

 扉の向こうから、今から始まるイベントの進行や注意事項を説明するアナウンスが聞こえてくる。そして説明が終わり、続いて前座の亀ちゃんの紹介が始まる。と同時に亀ちゃんの鼓動も高まる。

「よし時間だ。亀ちゃん行くぞ」

 強司は亀ちゃんの背中をグイと押した。扉が開かれると、ステージまでロープが張ってあり専用通路ができていた。警備も兼ねて、強司がステージ袖まではついていく。

 現れた亀ちゃんを見たお客さんたちはざわつき始めた。緑ヶ山高校アイドル部の研究生によるステージと紹介されていたのだが、衣装はフューチャー・ワールドのものだったし、一人のはずが二人いるように見える。そのもう一人はとても見覚えのある顔だった。

 マイクを渡されステージに上がると、会場はピーンと張りつめた空気になった。ショッピングモール内のBGMや喧騒がやたら大きく聞こえる。

「えーと、あの、亀澤ゆか里です。亀ちゃんと呼んでください。まだ駆け出しですが精一杯やります。それでは歌います。フューチャー・ワールドさんのカバーで『ハイウェイ・トゥ・ヘヴン』」

 声は震えていたが、亀ちゃんは自分でも驚くくらいスラスラと自己紹介できたことにむしろ呆れてしまった。あの緊張は何だったのか。何日も練習した成果が出た、と思うやいなや、曲のイントロが流れ出した。

 『ハイウェイ・トゥ・ヘヴン』は弾けるポップチューンだ。アップテンポな曲調がハイウェイをドライブしているスピード感を出し、明るいメロディが多幸感をかもし出している。リリースと同時にミュージックビデオが配信されており、亀ちゃんは即日ダンスをコピーした。そして部室で毎日毎日踊り続けた。だからイントロが流れると自然に体が動き出す。ダンスには自信はあったミスさえしなければ。

 ただ問題は歌だった。歌いだしから声が震えてしまってうまく歌えない。

 しかし、客席は亀ちゃんではなく、その横で一緒にダンスをしている大島衣里にくぎ付けだった。なぜ故人である大島衣里がこの場でダンスをしているのか? そっくりさんなのか? どっきり企画なのか? 会場は再びざわつき始めた。

 その様子を通用口のすき間から見つめていたのはフューチャー・ワールドの面々だった。真奈と萌絵はお互い見つめ合ったり、ステージを見たりを繰り返している。

「ねえ、萌絵。どう見てもあれは衣里だよね」

「間違いないよ真奈。ターンする時にむだにアドリブ入れるところは、間違いなく衣里のクセだよ」

 もう一度、真奈と萌絵は見つめ合った。

「行こう、衣里と一緒に踊ろうよ」

 真奈と萌絵はうなずき合うと駆け足でステージに上がると、亀ちゃんとその横にいる衣里と一緒になって踊り始めた。

 本当に本物が登場して、会場からワッと歓声が上がった。それをきっかけに、会場からは歓声と悲鳴が飛び交い騒然となった。

 前座も本編も関係なく、ハプニングでイベントは進行していき、結局最後まで亀ちゃんはステージ上にいることになった。すなわち大島衣里もステージ上にいたのである。オリジナルのフューチャー・ワールドに加え、幽霊一人、そして亀ちゃん。

 その頃になると、客席の人たちから亀ちゃんがネット上で最近「心霊アイドル」と呼ばれていることを知り、あっという間に会場全体に広がる。

 ライブ後の握手会にはさすがに亀ちゃんと衣里は引っ込んでしまったが、真奈と萌絵はファンたちから衣里について質問攻めにあうのであった。

 この日のイベントは「降霊ライブ」として、いつまでも語り草になることとなった。

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