第4話 憑依

 翌朝、亀ちゃんが登校すると、学校中に心霊写真の噂が広まっていた。

 みんな遠巻きに亀ちゃんをさげすむような眼で見て、ひそひそと内緒話をしている。

 普段から周囲の目線が気になる人見知りの亀ちゃんにとって、これは拷問以外の何物でもなかった。引っ込み思案はますます強まり、体が縮こまってしまうのだった。

 昼休み。教室の隅っこでおとなしく縮こまっていると、別クラスの女生徒が亀ちゃんを訪ねてきた。お雪こと、荒木雪乃である。すらりと手足の長いモデルのような体型に、整った顔立ち、全てが完璧だった。

「亀澤さん、妙な噂が学校内に流れていますけど。全て本当のことですか?」

 お雪はぴしりと言い放った。声まできれいだ。普段はもっと柔らかい口調なのだが、なぜか亀ちゃんに対してだけは厳しい。

「全てってなんですか」

なぜか後輩に敬語を使ってしまう。

「とぼけても無駄ですわよ。あなたが霊媒師で、心霊を操り、ファンの心を操作して人気を得ようという悪だくみのことですよ」

「えー、何でそんな話に。心霊写真は本当だけど、ファンの心を操作だなんてウソだよ」

「では、あの心霊写真は本物なのですね。いずれにしてもあなたが霊媒師だということは露見しましたわね。ファンを惑わすような行為は許しませんよ」

 お雪は言いたいことだけを言うと、くるりときびすを返して去っていった。

「うーん、私の方が先輩なのになあ」


 放課後亀ちゃんが部室に行くと、強司が待っていた。興奮しており、何から話したらいいかわからず言葉がつっかえつっかえだった。

「亀ちゃん、昨日の心霊写真なんだけど、今大変な噂が流れているんだ。まあ落ち着いて椅子に座れ」

 亀ちゃんはまたか、という顔をしたが、しぶしぶ言われるがままに座る。しかし強司の方が落ち着いていない。平田は相変わらずパソコンの前だし、武山はカメラの手入れをしていた。いつもの光景にも見えるが、どうにも様子が変だ。

「日曜日の撮影会の日に、亀ちゃん衣装を着ていたけどあれはどこで買った」

「えーと、ネットのフリマアプリですよ。安かったからラッキーって。いやそれよりもお雪ちゃんがいじめてくるんですよ」

 亀ちゃんは悩みを訴えた。

「あれは、フューチャー・ワールドのメジャーデビューシングル『ハイウェイ・トゥ・ヘヴン』の衣装と同じデザインだよな?」

 強司は取り合ってくれない。亀ちゃんは仕方なく質問に答えることにした。

「そうです。だから買ったんです。たまたま出品されているのを見て、これだーっと思って即決でした」

 ここで強司は一呼吸置いた。そして言いにくそうに口を開いた。

「二か月前のフューチャー・ワールドに起きた事故はもちろん知っているよな?」

「ええ、まあ。詳しくはないですけど」

 亀ちゃんはあいまいに返事をした。強司から目をそらすと壁に貼ってあるポスターが目に入った。亀ちゃんの部屋に貼ってあるのと同じフューチャー・ワールドのポスターだ。

「二か月前、都内で行われたメジャーデビューイベントの日に、メンバーの大島衣里さんが事故で亡くなった事は忘れたくても忘れられない」

 強司は無念そうに声を絞り出した。S市希望の星である大島衣里の死ももちろん悲しい出来事であるのだが、残されたメンバーの心情やファンの心理を考慮すると、ユニットの存続にかかわる事態にもつながりかねないからだ。

「そこで亀ちゃんの心霊写真の話に戻るんだが、その写真の霊は事故で亡くなった大島衣里さんではないかという噂が全国的に流れているんだ」

「えー、どうしてそうなるんですか」

 亀ちゃんは驚いて背筋がピンと伸びた。

「理由は写真に写っている衣装だ。これがフューチャー・ワールドのメジャーデビューシングルの衣装と同じデザインであることから、大島衣里さんの衣装ではないかということを誰かが指摘して噂話として広まったんだと思う。これは平田が集めた情報だ」

「勝手なこと言わないでくださいよ。証拠もないのに」

 亀ちゃんは不満を漏らすが、事実であろうとなかろうと広まるものは広まるのである。

「亀ちゃんはネットニュースとか見ないのか?」

「見ませんよ」

 しかし『心霊アイドル』というワードがトレンド入りしているのは事実だった。一方で、心霊写真は加工されたもの、話題作りのための自作自演だという噂も流れている。本人の知らないところで勝手に独り歩きしていた。

 フューチャー・ワールドは三人組のアイドルユニットである。メンバー三人ともに緑ヶ山高校のアイドル研究部に所属していた。ここから彼女たちのアイドル活動は始まったのである。

 しっかり者のリーダー高橋真奈。天然ボケの福田萌絵。ドジっ子の大島衣里は小学校の頃からの幼なじみで同学年。県内では高校在学中からじわりじわりと人気が出始め、卒業後から右肩上がりで人気が出ていき、今年になってようやくメジャーデビューとなったのである。

 緑ヶ山高校アイドル研究部にかつてフューチャー・ワールドが所属していた、ということでアイドル研究部も一時は話題となっていたが、今はさびれる一方である。現在はお雪が在籍しているのが救いだが、肝心のお雪本人が部に顔を出さないものだから、アイドル研究部に人気も出ない。とはいえ実のところ強司は亀ちゃんに期待を寄せている。

「そういえば、ウチのお母さんが、まだ私に霊がついてるって昨日言ってました。何か嬉しそうな様子とかなんとか」

 亀ちゃんは思い出したように言った。

「嬉しそうな様子? なんだそりゃ? ちょっと気になるな」

 強司は思い当たる節があるのかないのか、書庫に向かうと掃除中の武山からカメラを取り上げると、亀ちゃんにレンズを向けた。

「ちょっと何枚か撮らせてくれ。ポーズは適当でいいよ」

 相変わらず真顔で写される亀ちゃん。

 撮影した写真をカメラの画面で確認すると、やはり白い影が写り込む。しかし強司は思わず目を見開いた。

「ちょっと待ってくれ。平田、接続ケーブル出してくれ」

 そう言うと、カメラをパソコンに接続して大きなモニターに写真を写しだした。解像度の高いモニターには、くっきりと霊の表情が読み取れるほどにまで鮮明になっていた。昨日ネットに投稿されていたものとは比べ物にならないほどに。

 撮影した写真を順番に見ていくと、全てに同じ霊が写っていた。見事なまでに。うらめしいどころか、確かににこやかな顔だった。

「亀ちゃん、これ誰に見える?」

「誰って、大島衣里さんにしか見えないけど……衣装も私が着ていたものと同じ、メジャーデビューシングルの衣装だよ」

「俺にもそう見える。何で急に鮮明に見えるようになったんだろう。おや?」

 写した写真を連続で見ているうちに強司はあることに気が付いた。一枚一枚表情が微妙に異なっている。口が開いたり閉じたり。十数枚の写真を連続でループしているとまるでアニメーションのように表情が動く。

「これって」

 亀ちゃんと強司は異口同音に言うと顔を見合わせた。

「何か言おうとしている?」

 強司は再び書庫に向かうと、今度はビデオカメラを取り出した。三脚に固定し、レンズを亀ちゃんに向けて、映像出力をパソコンのモニターにつなげる。

 すると、亀ちゃんと大島衣里のツーショットがモニターに映し出された。今度は動画だ。モニターの中の大島衣里は、白いワンピースにレーシングストライプの入った衣装を着ている。

「わ、わ、すごい。大島衣里さんが見える」

 思わず亀ちゃんはカメラに向かって手を振った。すると応えるようにモニターの中の大島衣里も手を振った。

「もしかして私が見えて、声も聞こえるんですか?」

 不意にモニターのスピーカーから声が聞こえて、部室内にいた全員飛び上がってしまった。辺りを見回して誰もいないのを確認してから、ゆっくりとモニターを見ると、画面の中の大島衣里が笑顔を見せていた。

「あ、あの、大島さんですか?」

 強司は恐々話しかけた。亀ちゃんの横なのか、モニターなのか、どっちを見たらいいのかわからずに。

「そうだよ衣里だよ。というかあなた強司君でしょ。久しぶりじゃない。上京してからはなかなか地元のファンに会う機会が無くってね。ここのアイドル研究部も久しぶり。懐かしいなー」

 衣里はニコニコとフレンドリーに話している。この人懐っこさが衣里の強みだった。顔なじみと言うこともあるかもしれない。

「はいそうですね。久しぶりです。と言うか衣里さんは今どういう状況なんですか?」

「うーんどうやら私死んじゃったみたい」

「はあ、それは存じ上げてます」

「あのう、どうして私に憑りついてるんですか?」

 旧知のアイドルとファンのやり取りのふたりに割って入るように、亀ちゃんがたずねた。

「そうそう、そうなのよ。あなた確か亀ちゃんでしょ。時々ライブやイベントに来てくれてたよね覚えてるよ。若い女の子のファンだったからよけい印象に残っているの。それでね、あなたが私の衣装を着てくれているから、こうして亀ちゃんに無事憑りつくことができたの。でもなかなか私のこと気づいてもらえなくて、あれこれ試したの。話しかけたり、つっついたり、大声出したりもしたよ。でもやっとこうやって会話ができるようになってホッとしたわ」

 亀ちゃんと強司は、霊がしゃべるのを初めて見たが、饒舌じょうぜつな霊も初めて見るのだった。

「憑りつくってことは成仏できないんですよね。何か事情があるんですか? まだ若くしてお亡くなりになったのですからさぞかし未練もあるかと思います。俺たちだって衣里さんが活躍していく姿をもっと見ていたかったです」

「そうなの。未練たっぷりなの。念願だったメジャーデビューは果たしたのよ。ずっと夢だったメジャーデビューは。でもそのあと地元で凱旋ライブを行う予定だったの。本当はこの凱旋ライブを一番楽しみにしていたの。強司君や亀ちゃんたち地元のみんなにお礼を言いたくて。いっぱい練習していたのになあ」

 モニターの衣里は悔しそうに訴えている。

「はい確かに先月凱旋ライブを行う予定になってましたね。中止になりましたけど」

 強司は壁に貼ってあるフューチャー・ワールドのポスターを見た。そこには、デビューイベントの日程が掲載されていて、その最終日にS市のショッピングモールがある。

「やっぱり、私が死んじゃったからよね。申し訳ないことしちゃったなあ」

「事務所の発表では、しばらく活動を控えめにするそうです」

「そうなんだ。ううごめんよ」

 急に衣里は泣き崩れた。笑ったり泣いたり、感情の激しい幽霊である。

 強司はあごに手をやり、少し考えてから大きな声で言った。

「やりましょうライブ。地元で凱旋ライブができれば、心残りが晴れるかもしれないんですよね。それならやりましょう。俺もできることを色々と試してみます」

 強司のどこからその自信が出てくるのか、目はまっすぐだった。

「ほんとに? うう申し訳ないねえ。でも何だか前向きになれる気がするよ」

 すると亀ちゃんの右肩の辺りに湯気のようなものがうっすらと現れた。

「うわ、なんか見えるよ。これって大島さんですか!?」

 強司は亀ちゃんの右肩の辺りを指さした。驚いた亀ちゃんは思わず身を避けたが、亀ちゃんの視界には何も見えなかった。

「あ、私が少し見えるんですか。よくわかんないんだけど明るい気持ちになったり、前向きな気持ちになったりすると、私気づいてもらえるみたいなの。亀ちゃんて私たちのファンじゃない。それがうれしくてね。そうしたら気分がよくてね、良い人に憑りついたなーって思ったの」

 そう言われても亀ちゃんは複雑な気持ちだった。憧れのアイドルに憑りつかれてうれしいような迷惑なような。

「つかぬことをおうかがいしますが、大島さんはなぜお亡くなりになったのでしょうか。事務所の発表では、不慮の事故としか知らされていません。ファンとしては詳しいことが知りたいです。もしつらいことでしたら無理にとは言いませんが」

 強司は探るようにたずねた。もしかしたらデリケートな質問になるかもしれないからだ。

 するとモニターの衣里は頬に手をやり思い出すような仕草をした。

「えーとあの日はね、都内でメジャーデビューシングルのリリース記念イベントを行っていたの。一日でCDショップを四箇所回ってミニライブと握手会をしていて、タイトなスケジュールだったから、ご飯もまともに食べる時間もなくって。四個所目が終わるころには夜も遅い時間で、クタクタのお腹ペコペコで、とにかく食べ物がほしかったの。そしたらCDショップの道路はさんだ向こう側にラーメン屋さんが見えたの。で、ついふらふらーっと道路に出たら車にひかれちゃった。本当に申し訳ないなーって。これじゃあ『ハイウェイ・トゥ・ヘヴン』歌ったのに天国に行けないよ」

「はあ、そうなんですか」

 亀ちゃんと強司はそれ以上追求する気になれなかった。今聞いたことは胸の内にそっとしまっておこうと誓うのであった。

 そして当の本人衣里にあまり反省の色が見えないのは、気のせいではなかった。

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