vs『千変万化の貴婦人』シエラザード

『やあ、お帰り』

「悪い、待たせた」


 緋色は、本棚に囲まれて立っていた。シャンデリアから青白い光が降りる。壁に掛かる燭台には青い炎、そして等間隔に黒い炎が置かれている。緋色は、敵の姿を見上げた。


「お前が」

『シエラザード、幻術使いだよ』


 青白い肌、水色の長い髪、黒目に、金色の瞳。パーティドレスの下半身は大きな篭になっており、その中には青い炎とともにベルが揺れていた。


「あれが本体か……」

「小娘……よくも浅知恵を引っ掻けてくれたわね」


 宙に浮かぶシエラザードが、ベルの通信先に視線をぶつける。やはりディスクが一矢報いていたか。緋色は頼もしさに笑みを浮かべた。


『立て直しに随分時間を使ったね。お前の弱点はもう掴んでいる』

「なにぃ?」


 幻術使いが表情を歪めた。


『カルテル教の聖印、銀製の武器、正午の空白、実は貧乳、未だに寝小便が治らない、ピーマン、引きこもり、足の小指の深爪、右の尻タブの蒙古斑、お前の母ちゃんでーべーそー、で、長話は大体嘘、箸が持てない、実はバツイチ、週一でしかお風呂入らない、腋臭、炭酸、アルコール、実はヘビースモーカー、慢性便秘、ボトラー、生姜、下着は三日に一度しか変えない、洋式便器に座れない、水道水を飲むのに抵抗がある、扁平足、部屋暗いのに鳥目――――取り分け決定的なのは』

「ほ、ほとんどダミーデータだからな……っ」

『黒猫――不吉の象徴でありポピュラーな魔女の使い魔。幻術の力を失わさせる唯一の鍵!』


 にゃあ、と不釣り合いな猫の鳴き声。緋色が見つけた猫の色は、黒だ。


「――は……はは、ハハハハ!! 流石によく調べてある! 情報のプロだ! だが、させると思うか!!」

(ばぁかばぁかお馬鹿さぁん――!!!!)


 大理石の床を蹴る緋色。シエラザードの攻撃は速い。青白い業火が降り注ぐ。展開する歯車がそれを防ぐが、即座に融解する。


「降り注げ、ネクロフレイム」


 瞬歩。しかも歯車に補強された強化版。辛うじて業火から逃れた緋色は、背後を振り向いて息を飲んだ。

 業火が、大理石の床を焼き続けていた。燃え盛る、では表現が不適。執拗に纏わりつくように燃え這う。


『止まらない!』

「ネクロフレイム」


 次撃。歯車の盾が折り重なる。が、もって数秒。大理石を焼き払うが、そこに緋色の姿はない。


「ふふ……足掻きなさぁい」


 最高位の幻術使いシエラザード。不敵な笑みを浮かべる彼女は、を消した。

 ほんの、片手間だった。







「……あいつはなんなんだ?」

『幻術使い。モニター越しでも効くレベルで、正直私にもどうにもならない』


 

 それはディスクから緋色に向けた合図だった。本棚に隠れた緋色は、黒猫を探すフリをする。この異空間は全てあの幻術使いの支配下。居場所は知られていると思っていいだろう。


(本人の思惑内に、勝ちの目はない。どうにかして裏をかかなければ)


 幻術。現実ではなく、幻。

 だが、緋色は知っていた。相手に錯覚させて、実際にその影響を及ぼす技術があることを。

 実感に問う。あの業火。あれに焼かれて、無かったことに出来るか。否、確実に苦痛に沈む。


「カルマブレイク!」


 その声はよく聞こえた。わざと聞かせているのだろう。攻撃される、というイメージ。膨らんでいく危機感。


「ギア・ネブラ……!」


 繋がり、廻る。

 十の円盤が鏡を映す。落雷。真っ黒なそれは幾度となく降り注ぎ、円盤が全滅し、やがて緋色の左手に掠った。


「嘘だろ……っ!?」


 異様な、しかしただの雷に見えた。少なくとも、緋色のイメージならそうだった。

 だが、彼の左手は石化していた。想像を絶する現象があった。


『……落ち着いて。全部幻、大丈夫。ベルの破壊を狙おう』

「……了解」


 納得がいかない。

 理解が追い付かない。

 しかし行くしかないのだ。


「――タイダルアシッド」


 緋色が本棚から飛び出した瞬間を狙って、赤い津波が襲い掛かる。迎撃は無駄だ。緋色の判断は速かった。歯車に乗って飛び跳ねた緋色は、高い天井を蹴っていた。


「ギア・インパクト!!」


 幻覚といえど、当たらなければ効果はない。津波を飛び越えた緋色は、そのままベル一直線に突撃する。


「うぐ――――っ!」


 幻術使いは苦悶の表情を浮かべ。


「……なぁんて、ね」


 笑いを噛み殺しながら両腕を振り下ろした。緋色の攻撃がベルをすり抜ける。


『え、それもダミーっ!?』

「無間地獄」


 ベルは絶対的な弱点になりうる。それはアルゴル戦を引き摺った判断ミス。

 床が消えた。


「お……おお、おおおおおおおお――!!?」


 もちろん、落下する。歯車が緋色を包むように展開する。フロア三回分。その衝撃は辛うじて防げた。


「あらん、頑丈なのね……?」


 シエラザードは余裕な笑みだ。当たり前だ。この空間の支配権は彼女が握っている。負けることは、まずないのだ。


「ネクロフレイム」


 広がる業火。盾は意味をなさない。咄嗟に石化した左手を前に。降り注ぐ業火。だが、緋色の身に苦痛はなく。


『ネブラ・クリア!』

「小賢しい……っ!」


 設定変更。緋色を調度品に設定。

 これまでの攻撃で本棚は無傷だ。すぐに幻術に塗りつぶされるが、稼いだ数秒は命を繋ぐ。


「手は!」

『この幻術空間を破壊する。それしかない!』


 ネブラの情報操作は有効だ。脳がオーバーヒートを起こし、血走った目から赤い液体が零れても、その手を動かすのだけは止めない。


(どんな世界も情報の羅列で構成される。ネブラの情報分析は有効。干渉も可能。何度競り負けても相手は抜本的な対策はとれない)


 脳味噌が締め付けられる。

 超高密度情報集積媒体『円盤ザクセン・ネブラ』の過剰酷使。食いしばった唇からは肉が剥き出し、視界は淡く赤く、頭の中で火花が飛び散る。


(一秒はもぎ取れる。だったら何度だってやってやる)


 だって。


(緋色が待ってるんだ――!)

「どうやって!」

『核が八つ! まとめて壊して!』

「どうやって!」

「なんとか、するっ!」


 了解、という力強い返事。それがディスクの背を押した。


『演算。分析。干渉。分解。構成。並列。修正――分析完了アナライズ


 黒い炎が、ゆらり。ゆらり、ゆらり、ゆらりゆらりゆらり、ゆらり……ゆらり。

 緋色の真ん前に、八つの炎。


「は――――――なんで? ダミーデータの幻術に嵌まっていたはずじゃ……」

『並列演算はお手のもの。嵌まって、同時に探知もしていた』


 宙に浮かぶシエラザードに焦りの色が浮かぶ。


「だ、そうだ」


 散々幻術に翻弄され、それでも全てを捌ききった緋色が不敵な笑みを浮かべる。

 黒い炎が小さく揺らぐ。煙が炎を覆い隠す。幻術が。


『繋いだよ』

「合点――任せろ」


 煙が。

 靄が。

 歯車にかき消された。

 黒い炎の向こう側、幻術使いは赤々と輝く意志の炎を見た。



「消えろ――!!


 ギア・パージ!!!!」







『緋色、起きて』


 聞き慣れた声に、緋色は跳ね起きた。寝ている場合では、全くない。


「ベルを壊さなかった理由はこれか……」


 『立体岩山』キューブ山。

 崩れた岩盤の上で、緋色はかぶりを振った。恐らく、アルゴルと決着をつけた直後。時間的にほとんど経過していないはずだった。


『私は、正気に、返った』

「状況」

『アルゴル戦から覚醒まで、五秒。物理的な距離から直接ベルを破壊出来なかったんだ』


 幻術で予め心を壊す。もしかしたら、操り人形にでもするつもりなのかもしれない。

 だって。


『まだデュエルは成立すらしていない』

「盤外戦術で、勝ちを絶対的にするつもりだったか……」


 始める前から勝負を決する。そのための幻術使い。


『だったら、このまま逃げられるのはマズい。アルゴルみたいに決着に拘る必要がない。負け逃げされる』

「どうする?」

『めっちゃ走って!』

「了解っ!」


 笑顔で緋色は大地を蹴った。幻術世界でのダメージは皆無。現実世界での戦いならば負ける気はしない。

 居場所は察知済み。その分析に、緋色は全幅の信頼を置いていた。

 ならば、もう怖いものなどありはしまい。

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