vs『千変万化の貴婦人』シエラザード(ディスク)

 二日目、深夜。

 某VIPルーム。


「嘘よお馬鹿さん

 嘘よお馬鹿さん

 全ては幻 全ては幻

 世界は全部幻なの」


 その歌声でディスクは目を覚ました。目の前にモニターはない。その代わりに、大きなキャリーバックが鎮座していた。その上で日傘を片手に妖艶な美女が微笑んでいる。

 青白い肌、水色の長い髪、長い耳。抜群のスタイルに胸元の空いたドレスでディスクを見下ろしている。


「ここは?」

「お馬鹿さん。答えるとでも思ったの?」


 心底小馬鹿にしたような声に、若干のイラつきを感じる。思考のノイズに応えるように、部屋に靄がかかっていく。ディスクは周囲を見回した。まるでどろりとした沼地のよう。不快な湿気が充満していた。


「不快感増大、思考にノイズ」

「数字とお話とかつまらない女ね。そんなんで彼を満足させられるのぉ?」


 細めた目で女を見返す。豊かな肢体を揺らしながら、日傘の女はキャリーバックから飛び降りた。


「名前は?」

「素直に教えるわけないでしょぉー?」


 やたらメカメカしいリュックサックを背負ってディスクは立ち上がった。


「緋色は?」

「今、ボッコボコにしてる」

「『円盤ザクセン・ネブラ』!!」


 幾何学的な紋様が浮かぶ円盤、二枚。両脇から女を挟むが、幻のようにすり抜ける。女がくすくす笑った。


「野蛮で、無様」

「…………?」


 ネブラが四枚。ディスクを守るように周囲に浮かぶ。周囲を警戒するディスクを、女は嘲笑った。見当違い甚だしい対応、情報のプロが聞いて呆れる。


「いつもそぉだよな、お前」


 もう聞くはずのない声に、ディスクの肩が跳ねた。彼女は、死体が動き出すことがあるのを経験的に知っている。しかし、緑のブルゾンを着たこの男は。


「結果ありきで考えて、想定から外れればすぐこれだ」


 ブルゾンの男に向かってネブラを向ける。その一挙一足を見逃さぬよう、目を見開いて。笑いを堪える日傘の女が見えた。何もかもがおかしいといったように、必死で笑いを噛み殺している。

 一々癪に障る。


「お前じゃ、不足だ」

「お馬鹿さんに道は分からないわぁ」


 声が靄に溶けて消える。ここは沼地。どろどろに溶けた泥濘に、ディスクは足を踏み入れる。


「あれぇ、行くの?」

「行き先は同じだから。緋色が待ってる」


 青白い光がぷつりぷつりと。誘うように点滅する。ディスクは、女をキッと睨み付けた。女は日傘を差してふわふわ浮かぶ。自分だけは汚れない。その態度にも、ディスクは苛つきを感じた。







 泥は泥濘で、要するに水だ。

 周囲に円盤はない。身一つで先に進むディスクに絡み付くのは、粘りつく悪意。


「ザコ丸ぅ、たった独りで進めんのか?」


 青いワンピースがふわりと踊る。にちゃあ、と粘っこい笑みを浮かべるのはあまり思い出したくない相手。その両手の指がうねうねと動き、呼応して泥水が蠢き暴れる。


「緋色が待ってる」

「お前はどうなんだ?」


 ディスクは立ち止まった。


「あの赤い彼じゃない。お前はどうなんだ? 先に進めるのかよ? たった独りでさあ!?」


 けらけら笑う死体に、ディスクは眉をひそめた。やはり、まともに相手をするような対象ではない。だが、泥に埋まったその足は上がらない。重く、想い重く。


「無理なんだよ。お前は弱い」


 指を突き付けて、無表情な死体は嘲笑う。弱い、弱い、弱い。ただひたすら罵倒を投げつける。足はやっぱり上がらない。でも、かつての少女は顔を上げた。


「私はお前が恐ろしかった」

「あたしはお前がムカつくんだよ」


 少女二人が向き合う。


「でも、言ったよね。

「お前はあたしにぶっ殺されるべきなんだ、今ここで」


 ようやく上がった足は、一歩進んだだけだった。死体少女から溢れるプレッシャーが、ディスクを縫い止める。


「置いていけ」


 ディスクは。


「あたしから奪っていったものを全部置いていけっ!!」


 口を開き。


「返せ! 『王』を返せ! レグ兄を返せ! 男爵を返せ! オグンを返せ! エリーを返せ! ザカを返せ! ロコを返せ! 家族を返せ!! 命を返せ!! お前らが奪ったものを全部返せ!!!!」


 だが、何も言えない。


「お前らが奪ったんだ! 我らから命と尊厳を奪ったんだ! だから屍神は生まれた! お前らの自業自得だ! 痛みはお前だけが味わえ! これは復讐なんだ!」


 開いて、閉じて。開ききった瞳孔が、信じられないものを見ている。


「だから返して! 返してよぉ……みんな返せよぉ――!!」


 すがり付いて、まるで子どものように泣きじゃくる彼女の姿を。あれほど恐ろしく、あれほど憎んだ存在が、まるで、守られるべき赤子のように。

 雷が落ちた。

 黒羽の女が、ディスクの前に降り立った。虚空を見つめるかつての少女。その顔面をぐわしと掴んでこちらを向かせる。


「……無様ね」


 デビルの女は吐き捨てるように言った。


「お前は私の愛を踏みにじった。一体何の権限があってそうしたんだ」


 粘っこい泥水が、ディスクに絡み付く。


「家族を返せ! 命を返せ!」

「愛を返せ! 彼を返せ!」

「「全部ここに置いていけ」」


 囁かれる絶望。奪ったものの大きさに、ディスクの膝が折れた。泥沼の中に、徐々に沈み込んでいく。


「……勝手だよ」


 虚ろな目で、それでも口を開く。


「どっちも、自分で始めた戦いだ。私は緋色のところに行く。だからお前らは勝手にして」


 汚泥に纏われ、身体がうまく動かない。それでも、二本の手を確かに伸ばす。

 死体とデビルが、かつての少女の心臓に向かって透明な腕を伸ばす。握り潰して取り戻す。その寸前、二本の腕が彼女たちに届いた。頼りない細腕が、しっかりと抱き締める。


「……でも、重くて潰れそうなら、私も持ってあげる。手伝ってあげる。責任なんてない。義理もない。それでも、困ってるなら助けるよ」


 どれだけ重くても、二人だ。二本の腕で足りて本当に良かった。


「私は――――ヒーローだから」


 赤い波紋が沼地を消し飛ばした。虚をつかれてきょとんとした日傘女を、ディスクは笑った。


「私は弱くて……非力だ。だから、緋色がお前を倒す」

「彼も同じ。この無間地獄の幻に飼い殺されるだけ」

「ううん、させない」


 ディスクは前に進む。


「緋色の隣に立つのは私だから。追い付いて、引っ張りあげるよ」







 黒い炎が、ゆらり。


「…………だれだ」

「…………お姉ちゃん、調だよ」


 赤黒い湖の中で、女が倒れていた。うつ伏せのまま、ぐぐもった声を発する。


「教えてくれ、ここはどこなんだ。アタシはどこまで来た」


 人類最前線、人類戦士。

 血だまりに沈む女傑は、落涙していた。想いが零れてディスクに襲いかかる。


「ここは、どこだ。どうして、アタシはこうなった」


 全身から、ボタボタと何かを落としながら、人類戦士は立ち上がった。ぽっかりと空いた空洞。くり貫かれた眼窩がディスクを覗き込む。


「良かったな、お前は元気で。アタシはどうしてこんなに……」

「後悔、してるの?」

「お前はしてないのか?」

「してない。反省はあっても、後悔はしないと決めた。私の選んだ道だから」

「本当か? 苦しいだろ? 痛いだろ? 大変だろ? お前は、そんなことする必要ないだろ?」


 暗い声がディスクを縛る。あの女傑に守られてきたから今の自分がある。それでも、あの女は、誰に守ってもらえたのか。

 いつかの少女が目の前にいた。小さな背中だった。きっと、歯を食い縛って、涙を堪えて、戦っている。見えない何かが少女を蝕んでいく。


「違う」


 ディスクは一言否定した。拒絶ではなく、否定。現実ではない幻を、彼女は否定する。


「そんなこと、言わないよ。自ら選んだ道だから、信念がある。だから、そんなことは言わないんだ」


 十の指をぴしりと開いた。泣き虫の少女が姿を変える。青白い肌と、長い髪。長く尖った耳が、人間ではない何かを感じさせる。


「な――に?」

「十全、分析完了アナライズ。解析、分解、再構築、書き換え、


 円盤が空間に浮き出る。その数は、十。そして、メカメカしいリュックから伸びる白い手。十一番目のネブラが閃光を放つ。


「悠長に時間を与えすぎた。それがお前の敗因だ」


 マルチタスク。幻術に追い詰められる一方、他の領域でその解析を行っていた。


「数字とお話? 議論だよ、数字は嘘をつかない。その幻術を数値化して、数式を挿入して、書き換えた」

「は……? え?」

「奥の手――ネブラ・エンド」


 世界が組み変わる。

 黒い炎が薄れ、青白い光が収束していく。晴れた後、そこは元のVIPルームだった。エルフの女はただ状況についていけずに狼狽えている。


「……これで、緋色は大丈夫でしょ」

「なら、もう一度っ!!」

「ネブラ・ミラー」


 光が逆転する。抵抗するエルフは、女傑の心臓を幻視した。抗えない。顕現する『英雄の魂ヒーローハート』。人類戦士の幻が、エルフに向かっていく。

 勝負は、あまりにも一方的だった。







「……はっ、ちっと弟分を向かいに行ってやるよ」

「……うん。私は先に行く」


 二人は、背中合わせに。ディスクはモニターから目を離せない。離してはいけない。


(モニター越しにも幻術が効いている……ハッタリはもうバレたかな)


 幻術を書き換えたといっても、相手はその道のプロ。また仕掛けられたら手も足もでない。 

 けど。


「『千変万化の貴婦人』シエラザード、これか。バックアップは万全にしておくよ。だから早く戻ってきて」


 希望は繋がった。

 一人では無理でも、二人でなら。

 


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