vs『千変万化の貴婦人』シエラザード(緋色)

 二日目、深夜。

 中央、王城。


「嘘よお馬鹿さん

 嘘よお馬鹿さん

 全ては幻 全ては幻

 世界は全部幻なの」


 その歌声で緋色は目を覚ました。ぼんやりとした頭で周囲を窺う。明らかに建物の中、キューブ山からここまで連れ去られたのか。

 天井は、高い。青白いシャンデリア、青白い燭台、青白い炎。そして、ぎっしり詰まった本棚に囲まれている。異様な雰囲気、緋色は一度深呼吸をした。


「オペレーター、応答を」


 無言。

 自分の声だけが反響する。山彦のような反響が余計に不気味だ。顔を上げると、本棚が道のように整然としていた。まるで一本道。緋色は迷うことなく足を踏み出した。







 道。未知。

 薄く靄がかって、視界が悪い。自分は今夢でも見ているのではないだろうか。そんな錯覚すら抱く。ならば、ここはどこだ。夢の中か。はたまた、黄泉の国か。


「……そうかもしれない」


 アルゴルとの最後の攻防。そこで何かがあった。もしかしたらその時に自分は命を落としてしまったのかもしれない。そんな可能性が真っ先に浮かぶ。

 口の中が、苦い。後味の悪さか。

 いや、それだけじゃない。


「……うっわ、しょっぱ!」


 口内に残った塩水の味。

 ということは、まだ生きていて、しかもここに運ばれてからさほど時間が経っていない。緋色は自分のベルを確認する。捕らえて、どうしてベルを破壊しなかったのか。

 余裕か。それとも別の目的でもあるのか。


「フフン、おはよう」


 鈴のような声に、緋色は振り向いた。厳ついアンティークの鞄を縦に、そこに足を組んで座る少女が緋色を見上げていた。

 青白い肌、水色の長い髪、長い耳。薄いワンピースの裾をひらひら揺らしながら、少女は妖艶に笑う。


「おはよう。ここは君の?」

「ご明察」


 青白い図書館に、青白いエルフ。緋色は少女を観察した。見える範囲にベルは確認できない。


「あら、不躾に眺め回すなんて失礼な方」


 まるで貴婦人然としたように。しかし、口元を押さえたにたにた笑いは、どこかおしゃまで子供っぽい。緋色は無視して靄がかった道を進む。


「行くのね。相方さんは待たないの?」

「行き先が同じなら、いずれ出くわす。それとも君を叩き潰せば解決か?」

「あら野蛮。でも、この道も野蛮よねえ……?」


 靄の向こう。男が八人。鉄パイプだったり、角材だったり、看板だったり。色々なものを手にしていたが、用途は共通していた。人を叩き潰す。襲いかかる男たちに、緋色が徒手空拳で応対する。







「野蛮野蛮。相手を叩き潰すことに快楽を感じる異常者さん」


 ぐったりと横たわる男たちに、緋色は視線を落とした。暴力を暴力でねじ伏せた。それだけの現実が目の前にある。


「拳を握る。真っ直ぐ進む。それだけしかない愚かな人形」


 黒い炎がゆらり。

 緋色の前に、男の背中があった。緋色が始まった日。あの背中を追い付くために彼は始まった。歯車渦巻く激情が吹き荒れる。緋色は、一歩一歩前に進む。男の背中は動かなかった。ついに横に並ぶ。


「俺は、進むぞ」


 一言、そう言った。

 緋色はちらりと男の表情を盗み見た。憔悴し、恐怖に歪み、絶望に染まった顔。それでも男は前を向き続けた。前を向いて、何も見ていない。真横の緋色にすら気付いていないようだった。


「無様ね」


 少女がくすりと笑う。男を置いて、緋色と少女は先に進んだ。絶望の視線がまとわりつく。足が重い。あの男がそこまでなる現実が、その先にはあるのだ。







「お前は人形だよ」


 黒いスーツの優男が緋色と向き合った。ハンモックに揺れる少女を一瞥すると、ひらひらと片手を振った。ここでゆっくりしていく気のようだった。


「頂に縛られたただの人形。お前には信念がない。お前はヒーローに相応しくない」


 男が糾弾する。緋色は表情を歪めた。言葉が全身に突き刺さる。横を見ても、誰もいない。今度こそ一人だ。たった一人で、この恐るべき執念の男と渡り合わなければならない。


「……でも、アンタにはたくさんもらった。だから今の俺がある。人形なんかじゃない、人間で、ヒーローだ」


 足が震える。緋色は立ち止まった。


「君はかわいそうな被害者に過ぎない。君が戦う必要なんてどこにもない」


 和装の女が静かに微笑んだ。優しい鬼は、一振りの刀を手に、緋色を見下ろした。


「お前には、戦うための信念が欠けている」

「君は私が守る。戦う必要なんてない」


 男の顔が、黒い斑点に覆われていく。

 女の全身が、赤い線に刻まれていく。


「……大丈夫、俺は選んだよ。俺は、緋色だ」


 姿が崩れて泥沼に。緋色は迂回せずに、泥の上を渡った。見上げた先、蜥蜴顔の好敵手が待っていた。


「仕合うぞ、緋色」

「一発目からそれかよ」


 緋色は苦笑した。

 人類の敵。あの強大なデビルの軍団相手に、緋色がまず思い浮かべるのは彼の姿だった。魂の髄まで分かり合えた好敵手。それ故に、緋色の手で終わらせた命。


「野蛮な人形。暴力しか知らない、壊すだけ」


 歌声が緋色を震わせる。

 ランスを構えたデビルの青年は、真っ直ぐに向かってきた。緋色は迎撃する。互いに死力を振り絞った全力勝負。だが、他には無かったのか。分かり合い、共に笑って立っていられる未来が。


「緋色。お前はやはり強くなった。私はこの道に至れたことを誇らしく思う」

「そんなに真っ直ぐなお前に、俺は憧れていた。俺が強いって言ってくれたのは、お前で二人目だよ」


 青白い炎が燃え盛った。緋色は目を瞑りながら炎を進んだ。


「暴力、野蛮、壊すだけ」

「味方も敵も。その全てが糧となった。新たに芽吹いたものがある。俺は――空っぽな人形なんかじゃない」


 憔悴しきった表情で、緋色は言った。強がりだが、その言葉は確かに真実だった。全ての戦いが、緋色を緋色足らしめた。たくさん死んだ。けど、乗り越えた。その全てが歯車を回し、緋色を繋いでくれた。

 本当に、そうだろうか。

 少女は嬌声を上げた。甲高い笑い声が緋色を凍らせる。たった今目を背けたものが、眼前に突きつけられる。少女の五体はズタズタに引き裂かれていた。乱雑に解体されたエルフは、獰猛に食い散らかされる。

 緋色は止められなかった。時間は悠にあった。けど、一歩も動かなかった。


「――これは、復讐だ」

「…………お前、どうして」


 あの男を思い出すと、今でも震えが止まらない。

 純然たる戦士であり、真性たる獣だった。骨を被った大男がずしんとただずむ。彼よりも強かった敵は、いた。しかし、彼と相対した以上に絶望を感じた戦いはない。

 勝てない。そして、勝っても何一つ意味を為さない。そんな理不尽な戦い。戦争とは、理不尽だ。それを知らしめたのは、この武骨な男だった。


「俺は世界に痛みを与える。抵抗せよ。今度はお前らが虐げられる番だ」


 虐げられた魂たちは、信仰の牙を生やした。信じるもののために暴力を振るう。それは、人間が人間を絶滅させるための戦い。その火種を蒔いたのは、他ならない人間そのもの。


「お前と分かり合える部分は、一ミリたりともなかった」

「そうか、だが」


 男は、被った骨を脱ぎ捨てた。火傷跡が目立つ顔は、無表情のまま。


「俺は、戦士として、お前との戦いに見出だしたものがあるぞ、緋色」


 名前を呼ばれた。それだけで震えが頂点に達する。

 戦士は強すぎた。獣は獰猛すぎた。死を何より畏れる不死身の屍神。緋色は、彼を切って捨てた。復讐に取りつかれた戦神いくさがみを、理不尽な災厄として叩き潰した。


「その勝利は称賛に値する」


 勝者が世界を造る。戦争の果てに得た平和は、いつだって誰かの骸の上に。


「緋色、よく聞け。俺は、人間だ」


 不死身の戦士はそう言った。


「俺は、確かに生きていた。人間だった。かけがえのない家族だっていた。命を感じていたんだ!」


 過去の亡霊が、怨恨の声を上げた。人間が、恨みの声を上げた。緋色は泣きそうな顔で口を開く。


「お前らだって、たくさん殺した」

「お前らが殺したんだ」

「その時代に俺はいない」

「そいつらがお前を作ったんだ」

「お前はもう死んでいただろ」

「死体でも、生きていた!」

「もう、やめろ」

「生きていたんだ! 俺たちは人間だった!」

「やめよう」

「命があった! 怒りもあった! 悲しみもあった! 使命もあった! 俺たちは人間だ!」

「もう、やめよう」

「還ってこない! 死んだら全部おしまいなんだ……」

「解ってるだろ……」


 死んでも、終わらない。想いは繋がり、生き続ける。だから魂は死体に宿ったのだ。願いが神の名を冠したのだ。

 緋色は、泣いていた。人形は、涙を流さない。人間が泣いていたのだ。

 だが、死体は泣かなかった。泣けなかった。


「もう、やめよう。人は前に進める。俺が証明する」


 苦しいし、痛い。

 だから全部抱えていく。緋色が、骨を拾い上げた。ずっしりと重い。抱えていくには大変だろう。しかし、緋色が選んだ道だった。信念があった。胸の歯車に赤い炎が灯る。


「俺さ、今戦地で人助けしてるんだ」


 かつての少年は、泣きながら笑った。


「復讐の連鎖は、断ち切るよ」

「お前に出来るか」

「やるよ。最前線を踏み越えていく、それが緋色だ」

「信じない。俺たちはお前らを呪い続ける」


 黒い嵐が緋色に殺到した。男の身体が崩れ、死の風が緋色を覆う。男の骨が、緋色に食らいつく。


「運命の交叉路に潰れろ」

「踏み越える――『英雄の運命ヒーローギア』」


 緋色は両手を広げた。殺到する。蠢き、還る。死の呪いを受け止め、その上で先に進む。

 赤髪の男が走り出した。彼は、ヒーローだった。







「ちょっとちょっとなんなのよぉ!」


 セグウェイに乗って並走する少女に、緋色はにやりと笑い返した。急に立ち止まる。セグウェイは急には止まらない。少女は不格好に投げ出された。


「おっと、大丈夫か?」


 しっかりと抱き止める女傑は、人類最前線。


「やっぱり最後はアンタか」

「よく来たな、緋色」


 にっかりと笑う女傑は、静かに少女を下ろした。両肩をぐるぐる回して、準備体操のつもりだったか。


(……あれ、泣き叫んで破裂してって流れのはずだったけど)

「幻覚だろうが俺様は俺様だ。好き勝手はさせないぜ」


 少女にウインクを飛ばす。

 振り向き様、跳んだ。示し合わせるように緋色も構えを取った。本気の殺し合い。そう断言できるほどの気迫だった。


(私の幻術がぁ……さては、あっちの私がしくじった?)


 ボコボコされた緋色が地を這いずる。幻覚のくせになんで勝ってんだ。


「ハッハッハ、俺様がやっぱりナンバーワンだな!」

「……今でもアンタは、俺の中じゃ最強なんだよ」


 それでも、緋色は立ち上がった。先に進むためには、立たなければならない。目の前の女傑に教わったことだ。

 緋色の周囲に、歯車が浮かんでいく。いくつも、たくさん。受け取った想いたちが、かちりかちりと噛み合っていく。歯車は回る。巡る。想いは伝わり、繋がっていく。


「緋色、道は見つかったか」

「ああ」


 なんかいい感じにまとまりそうな空気だ。少女が焦り出す。


(隷属の幻、無間地獄。このまま幻術の中で飼い殺す――!!)


 緋色が送り出された。無数の青白い腕がその背を追う。引きずり下ろす。この世界から逃がしはしまい。キヒ、と歪な笑みが漏れた。この世界では、彼女は無敵だ。少女が足を上げて。



「おおっと」



 その足を掬い上げられた。腕一本で吊し上げられて、捲り上がるワンピースを両手で押さえた。揺らされるが、そこは抵抗する。


「な、なにをっ!?」

「悪いが、アイツの隣はもう決まってんだ」


 猛禽類のような獰猛な笑み。人類最前線の女傑の口が、耳までぱっくりと避けた。



「だからアタシが遊んでやるよ


 ――――お嬢ちゃん♪」



 無数の黒い腕が。

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