vsディーバ・アルゴル

 二日目、夜。

 『立体岩山』キューブ山。


「谷?」

『山。立方体の岩石が積み重なった特異な山だね』


 異世界の山。そう聞いて緋色は胸を沸かせたものである。山を見るとワクワクする、だって男の子だもの。

 が、目の前にはクレーターが広がっていた。


「谷?」

『山。何気に代理たちが集まってるっぽいよ。考えることは同じかな』


 クレーターの向こうで、確かにブロックのような山が反りたっている。が、緋色はクレーターから目を離さない。


「谷?」

『……ま、どん底には違いないね』


 ディスクの声は、あくまで機械的だ。クレーターの中。無表情でこちらを見上げる難民たち。







 放ってはおけなかった。クレーターに降りては一人一人救助する緋色。その最適行動をディスクが導き出す。


『そのまま登って。右の女、掌波』


 薄汚れたボロを纏う老人を背負いながら、緋色の掌底が女に打ち込まれた。全身を痙攣させた女性の口から這い出てきたのは、ミミズのような環形動物。


「……アルゴル、か」

『その人、もう死んでる。ダメ』


 動きかけた緋色の手が止まった。ソウ村で陽が出ている間を休息に当てたとはいえ、体力は貴重だ。

 最低限、生きている人だけを助ける。ディスクが示した指針が、泥沼に落ちる緋色をつなぎ止める。これは戦争だ。いくつもの戦場を渡ってきた緋色には、その意味がよく分かる。

 昼に寝て、夜に活動する。緋色の回復と休息を兼ねたこの作戦、即ち夜襲作戦は想定外の難民たちを前に霧散しつつあった。


『想定外……本当に?』

「想定は不可能だった。けど、作為的ではあったか」


 ミミズの集合体、アルゴル。緋色が彼らの獲物として見られているのはほぼほぼ間違いないだろう。隙を見て緋色を取り込み、他の陣営と潰し合わせる。一対一のデュエル方式には、的確な戦法だった。


『奴らは緋色を知った。だから一般市民の中に紛れ込んで緋色の体力を奪っている』

「参った。その攻撃は俺に効く」


 最後の一人をクレーターから背負いあげて緋色は呻いた。アルゴルに寄生されていた人間は、たったの二人。警戒に気を張るのも余計に体力を使わせるためか。

 疲れ切った顔で何も言わない難民たち。消耗が激しい。ソウ村に早々に連絡を取ったそうなディスクが、小さく口を開いた。


『……引き返す? 多分、同じような攻撃が続くよ』


 ソウ村のやたら逞しい男たちがでっかい荷車を引っ張ってきた。彼らもどこかの代理に助けてもらったらしく、それで協力的ならしかった。


「てことは、苦しんでいる人たちがいるわけだろ?」

『緋色が大丈夫なら行こう。ネチネチ狙われるより、先立って潰した方が安心だ』

「言うようになったな」


 二人で笑い合う。

 笑っていられる状況ではない。だが、だからこそ笑う。人類最前線、あの女傑はどんな逆境をも笑い飛ばした。ボーダーを乗り越えることこそが、最前線の使命だ。



「――何がオカシイ」



 くたびれた茶色のコートに、山高帽。底知れない闇。人間に見えるはずなのに、そうではないと確信させる不気味さ。

 緋色は拳を握った。


「笑い飛ばさなければ、人は前に進めない。支えと支えで組み上がる。最前線を踏み越える男、緋色だ」


 男は答えになっていない答えに眉をひそめた。オカシイ話ではない。これから拳でしっかり答えるのだから。


『J陣営の『謎の覆面ヒーローH』と♥陣営の『ディーバ・アルゴル』とのデュエルが成立しました』


 異論はない。

 だが、アルゴルはその身を崩して闇に溶けた。


分析完了アナライズ。光学的マッピングで人間に見せかけているだけで、その実ミミズの集合体』

「長い戦いになりそうだな……」


 誘われているのは『立体岩山』キューブ山。緋色は足を進める。







 聳え立つ岩壁。立方体が積み上がってできた絶壁。

 中腹を過ぎた辺り。ナップザックを背負った緋色が黙々とロッククライミングを敢行する。


『近くに代理の反応なし。集中して』


 緋色は小さく頷く。黙々と手を動かし、足を掛けて、登る。アルゴルの妨害を警戒したのは最初だけだ。警戒だけさせて体力を消耗させる狙いは読めている。

 とはいえ、他の代理に襲われる可能性もある。警戒は頼れるオペレーターに任せていた。


「…………結構堪えた」

『お疲れ様。水分補給して少し休んで』

「神経疑うぞ……」

『だからこそ、だよ』


 一際大きい立方体を登り切った先、開けた山道が広がっていた。

 そして、散乱する死体の数々。臭いこそ落ち着いているが、焼死体や擽死体が多い。


『腐臭を抑えたのは、予感を与えないため。動揺させて冷静な思考力を奪う作戦』


 機械的に感情をシャットアウトして、ストレスを軽減する。そんな離れ業をこなす天才少女の判断に、緋色は従う。


『いい? 緋色は今動揺している。正気じゃない。呼吸を整えて、気持ちを落ち着けるんだ』

「了解」


 落ち着けられるものなのか。

 散乱する死体を風景に。

 緋色は、じっと目を離さずに呼吸を整える。出来るものだ。やってやれないことはない。

 ペットボトルの水を一口。むせた。


『……落ち着いてって言ったじゃん。そっちじゃないよ』

「悪い悪い」


 水筒の水を口に含むように飲む。口の中で転がすようにすると、ほんのり苦かった。

 散乱する死体。ぞくりと湧き上がる圧迫感を噛み殺す。そういう時は取りあえず身体を動かすのが常だったが、この先を考えると体力は一切無駄に出来ない。

 体力を削るという目的は明確。そして、理解していても手段が的確だ。


『緋色、立って』


 兆候を捉えたか。緋色の皮膚も空気の振動を感じた。何か飛んでくる。咄嗟に拳を構える。


『右足、蹴り』


 跳ね上がる剛脚が蹴り飛ばしたのは……人間の手首だった。肘近くからねじ切られたような跡。まるで何かに轢き潰されたような。

 確かに、殴り飛ばすよりも蹴り飛ばした方がストレスは小さいだろう。あの勢いとタイミングでは回避も危うかった。


『今のは……念動力? ひとりでに動いた。もしかしたら光学迷彩かも』

「いや、それはない。今の勢いで投げたら流石に気付く」


 気付くのが流石なのだが、そこは一々突っ込まない。信頼もある。


『じゃあ念動力で決め打つ』


 次々と飛んでくる死体の一部を、今度は入り身で回避する。来ると分かれば対処は容易。そして、対処されると分かれば後続は来なかった。


『あんまり大きな質量は飛ばせないようだね』

「でっかい岩のサイコロ転がされる心配はなくなったか……」

『そんな心配してたの……?』


 緋色は気まずそうに目を逸らした。


「でも……急がなくてもいいのか? 逃げられたり罠張られたりとか」

『むしろ、急がせるのが狙いじゃないかな。

 デュエルの宣言をされた以上、向こうも逃げられないはず。今の攻撃のタイミングなら、近くで見張っていたと想定。……あ、千里眼の可能性があったか。どちらにしろを使った罠なんて早々には張れない。そもそも根城に踏み込まれて焦っているのは向こう。着実に攻め落としていこう。だから冷静に、最小の労力だけを考えて。細かい方針はこっちで請け負う』


 緋色は、首を捻った。あまり頭の回転が速い方ではない緋色には、時々彼女の言っていることについていけない。

 そういう時の、魔法の言葉。


「端的に」

『マイペースに行こう』







 さらに進むと、温泉があった。


『いや、おかしいでしょ』

「そうなのか?」

『こんなところまでどうやって重機を持ってくるの。この地質なら確かに温泉は湧くかもしれないけど、掘れないでしょ』


 湯気の湧く大きな水溜まり。しかも二つあって仕切られている。男湯と女湯らしかった。明らかに人の手で作られたものだ。


「…………あれ」


 何か感じたらしい緋色は、片方の湯に手を突っ込む。それは女湯として使われた方だったが、彼らには知る由もない。


「これ――――そうか、筋肉かっ!」

『緋色……?』

「これ、筋肉で掘ったんだ! 筋肉を感じる! 筋肉なんだよ!」


 上裸になって叫び出す緋色。戦いの中で鍛え抜かれた筋肉が悦びを上げていた。筋肉の波動が、祝福を上げていた。


『正気?』

「誰もが持ってる……けど、みんな軽んじる。そして最後にすがりつく」

『なんか別なの混ざってる。飲んで』


 緋色はペットボトルの中身を半分ほど飲み干した。物凄く苦そうな表情を浮かべる。が、一滴残らず飲み込んだ。


「ほら、正気だ。筋肉は実存なんだ」

『お前誰だよ』


 冷徹なツッコミに、緋色は小首を傾げた。そういうちょっとかわいい仕草は昔のままだ。


『緋色、警戒』


 温泉に、不自然な波紋が一つ上がった。見逃すディスクではない。


「ヒィィロォォギアァァアアア!!」

『え…………?』


 浮かぶ歯車。鼓動する筋肉。

 温泉の端に立つ五人の男たち。温泉に両腕を突っ込んだ緋色は、胸の内の鼓動を振動として伝播させる。


「ギア・筋肉!!」


 新技炸裂。肉体を崩すアルゴルたちは、逃げられない。伝播する筋肉の波動が覆い尽くした。

 ミミズの筋肉は、超小型のポンプだ。

 電気を使わずに動くそれは、アルゴルたちに異常を生じさせた。まさに筋肉の叛乱。筋肉革命がアルゴル軍団を破裂させた。


『――ベルを持っていない?』


 ディスクの疑問に、切り替えが速かったのは緋色だった。ウォーパーツを起動させた今、体力の消費は必死。


『緋色、行ける?』

「行く、場所は分かるか」

『任せて』


 宙に浮かぶ歯車を足場に、緋色は跳んだ。立方体の岩石の向こう側。

 油断しきった奴がいた。







 不覚ながら、ディスクは敵が複数の可能性を考えていなかった。デュエルは一対一。お膳立てされたルールの中で行われる。

 そんな固定観念が染み付いていた。


(戦争、か……)


 紛れもなく、そうだ。何でもあり。勝ちさえすればこちらのルールを押し付けられる。

 暴力で相手を従わせる。それが戦争。

 世界は、勝者が作る。


「目視!」

『ベル反応!』


 律儀にロッククライミングしていたのは、ウォーパーツによる不意をつくため。岩壁の向こうでは、アルゴルの統率者が慌てた様子で退避していた。


「ギア・インパクト!!」


 緋色の拳が立体岩山を打ち砕いた。伝播する衝撃から逃れるため、ディーバ・アルゴルはミミズへと霧散する。


「逃がすかっ!」

「ぐ…………っ」


 ミミズの三分の一が歯車に潰される。が、石礫が嵐のように殺到する。

 アルゴル族の念動力。あの巨大な岩山を動かすまではいかないが、このくらいの質量ならば自在に操れる。


「潰れろ!」

「ギア・ネブラ!」


 もはや策など消し飛んだ。頂上から転がり落ちる空中戦。

 十の円盤と歯車を操り、緋色が岩石を蹴り跳ぶ。

 岩の嵐吹き荒らせ、アルゴルがミミズを這わせる。


『含んで!!』

「な――――に……っ!?」


 ペットボトルの液体を緋色は飲み干した。うんと濃い塩水。体内に侵入しかけていたミミズたちには効果覿面だった。

 浸透圧の高い、塩水。

 ミミズの身体から水分が失われていく。

 円盤が歯車に霧散する。大量の歯車が、制御を離れた岩嵐を蹴散らした。キューブ山の麓。肉体を組み直すディーバ・アルゴルの前に、緋色が着地する。


『この戦争のルールは、アルゴルにとって不利な点がある』


 肉体の一部をミミズのまま、アルゴルは歯車に直接念動力で干渉する。その首には、ペンダント型のベルがふわりと揺れる。


。大量のミミズへの離散は、そのまま負けにくさに直結する』


 勝つための力ではなく、負けないための力。逃げ隠れ、相手を支配下に置いて、同士討ちさせる力。

 洗脳の力は本物だ。

 やり合えば、優勝候補にすら挙がる。ギア・パージ。ウォーパーツの解除と同時に、念動力を上回る爆発力が殺到する。


『ベルを確保するために、全部をミミズに離散出来ない。そうじゃなかったら、多分負けていた』


 過去形。

 それは勝利を確保した表現。


「龍王掌波――!!」


 勢いづいた緋色の掌底がベルに叩き込まれた。ベルは破壊され、衝撃が伝播する。

 男の全身が脈動し、ミミズの細胞が次々と破裂する。単純な打撃ならばアルゴルを滅するまで至らなかった。だが、発勁。そして、遠当て。振動波を奥義とする緋色は、それを打ち破った。


「いや――終わらん」


 直後、崩れ落ちるアルゴルが膨れ上がる。


『警戒』

「ぁ……っ」


 ぽかりと空いた口。呆けた表情のまま、緋色はそれを見ていた。崩れ落ちるディーバ・アルゴルの中心、その空洞を。

 黒い炎が、

      ゆらり。

 

「終わらせん、終わらせる」

『オーケー、任された』


 波紋 のように

   響く

  声。



『ひ


      ぃ ろ』



「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぁ」




      い

 炎   が


      ゆらり 。







『Dレポート』

・黒い炎が、ゆらり。

・黒い炎が、ゆらり。

・黒い炎が、ゆらり。

・黒い炎が、ゆらり。

・黒い炎が、ゆらり。

・黒い炎が、ゆらり。

・黒い炎が、ゆらり。

・黒い炎が、ゆらり。

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