vs『イケメン』イケメェン
二日目、朝。
『円なる湖』クリスタルレイク。
積もった落ち葉がもそりと動いた。起き上がってくる男が一人。
『おはよう、緋色。一晩中、異常なかったよ』
「サンキュな、
土汚れを払いながら緋色が呻いた。傷は完全には回復していない。土色の襤褸を纏う緋色は、湖に足を進める。
『……ごめんね、緋色』
「何かドジったか?」
緋色は笑った。慣れっこだ。
『ううん、ただのミス。そもそも暗号じゃなかった』
「?」
『文章みたいなんだ。私の知っているどんな言語とも一致しないけれど』
「そんなことって、あるか?」
ない。そのはずだ。だからこそ、ディスクはその可能性を予め外していた。
『前提として、ここは異世界としておく』
「……ナニソレ?」
『前提だから気にしないで。要するに、全く違う文化、言語、生態系が存在する世界。私たちの常識内の理解だと不十分』
家とか。妖精とか。色々いた。他にも。
「……言葉通じてなかったか?」
『それは気にしてはいけない。とにかく、事前情報と照らし合わせてこの資料の束で現状確認できそう』
「え、読めないんだろ?」
『言語と分かっていれば話は別。思考を体系化したものが言語だから、どんな文化圏のものであれ言語学上何らかの体系に引っ掛かってくるはず。現に一晩でそれらしいものは見つけた。あとは文法を解き明かして解読するだけ』
緋色はよく分からないが、彼女が大丈夫と言うならばそうなのだろう。緋色は迷彩用の土色の襤褸を脱ぐと、湖に飛び込んだ。朝の水浴びである。
「昨日、この辺りで色々ドンパチやってたみたいだけど」
その気配は感じ取っていた。ディスクが触れなかったため、緋色も深入りを避けていたが。
『うん。私たちだけじゃないんだよ、この代理戦争は。うん、ふふ』
緋色は湖に浮かびながら身体を大きく伸ばした。『円なる湖』の浄化作用。鎮痛作用及び回復力の向上。染み渡る水の冷たさが肉体を優しく包む。
『ふぅんー、へー、ふふ……』
「……恥ずかしいから黙っててくれない?」
『やだ』
もちろん、この光景もばっちりモニターされている。裸くらいで今さらどうとでもないが、ねっとりした視線を感じるようで気持ち悪かった。汗と血を洗い流して岸に上がる。
(……んん、これって?)
『えぇ……もう上がっちゃうの?』
拗ねた声に何か物申したくなる。だが、彼女はこれでも夜を徹して動いてくれていた身だ。緋色は口をつぐんだ。
『やーい、拗ねてるーかわいーんだー』
「ほんとに大丈夫か?」
徹夜明けのちょっとヤバいテンションになっている。水洗いした土襤褸を干しながら、自然乾燥で身体を乾かす。喜んでいる
昔の先輩に、筋肉フェチのお姉さんがいたのだが、可愛がられた彼女もその影響を受けているのかもしれない。
『ごちそうさま』
「お粗末様」
茶番を終わらせて、彼女は言った。通信先からの電子音。緋色の耳にもはっきり届く。どこかの誰かが決めた、デュエル成立の合図だ
『何があっても緋色を万全サポートする。だから、背中は任せてね』
「おう、俺から目を離すんじゃねえぞ」
朝の木漏れ日から、輝きが落ちた。
光が満ちる。
草木が祝福に揺れ、湖が可憐に歌った。
風がささやかに男を包む。
圧倒的雰囲気。絶対的存在感。
光に包まれて、『イケメン』が降り立った。
「すっご~いっ、あの人すごいイケメン! やだやだかっこいいなんなのこのトキメキ! え、ちょっと待って、ドキドキが止まらないどうしよぅ……っ」
そして、頼れる
◇
イケメェンはイケメンである。それもただのイケメンではなく、『イケメン』である。二重括弧に包まれた、強調すべきイケメンだった。
降り掛かる黄色い声を片手で払い除ける。ブサイク男が爆発した。フツメンどもが歯を食い縛って、血を吐きながらながらこちらを睨む。
「僕は――――イケメンさ」
黄色い歓声が上がった。喉を掻きむしってフツメンが倒れていく。ブサイク男が爆発した。普通のイケメンどもが僕に罵声を浴びせてくる。そのどれもが聞くに耐えない、汚い言葉だ。
「人間は、美しくなければ罪なのだ」
片手を上げ、カッコイイポーズ。
婦女子たちが轟音を上げながらドミノ倒し。並みのイケメンどもは女の子たちに押し潰され、ついでにブサイク男が爆発した。
「やれやれ、好きでこんなことをしているわけじゃないんだけどな」
首を振って、キラリと笑う。
黄色い声援が、「そぉしぃて輝く、ウルトラソウッ」と奏で、ブサイク男どもが「ハァイ!」と連鎖爆撃を披露する。これは美しい。
「僕は好きで『イケメン』になったわけじゃない。生まれながらにして『イケメン』なんだからしょうがないだろ?」
『イケメン』であることを理由にカンパニーにイケメンされ、今回の社長戦争にイケメンされることイケメン。イケメン言いたいだけ。
対戦相手はそこそこの面構え、ソコメンだ。『イケメン』の敵ではない。
「強いて言うならば――君たちが『イケメン』でないことが罪なのさ」
◇
『ああ何このイケメン! ううん違う、これはもう『イケメン』と呼んでも過言じゃない! ああ、どうしよう緋色、なんか……ヤバいっ!!』
「なんつうイケメン力、コイツ只者じゃねえ!!」
木陰のブサイク男が爆発した。
イケメェンと相対して、緋色は足をすくませていた。完成された人間、『イケメン』。その神々しいオーラに、生物としての敗北感がのし掛かってくる。声を発しようとして、枯れた息が通った。うまく呼吸できていないのに気付く。
『うわぁ……もう、カッコイイ…………っ!』
呼吸困難に陥る緋色の奥、無人島で釣りをしていたブサイク男が爆発した。こう見えて年頃のディスクがヤバい。あまりのイケメンぶりに正気を失いかけている。
「オペレー、ター、無事か!?」
『ふ……っ……ふ、服脱いだら、ちょっと大丈夫。ああでもカッコイイなぁ』
「それは大丈夫じゃねえ!」
緋色がイケメェンに駆け寄る。即行で潰さなければディスクごとヤられる。だが、踏み込んだ一歩はくたりと脱力し、緋色は地面に転がった。湖の向こうでキノコを焼いていたブサイク男が爆発した。
「ははっ、ソコメンが無駄なことを」
イケメェンがゆっくりと歩む。その姿はまさに優雅。イケメェンが『イケメン』であることを証明する所作だった。イケメンではなく、『イケメン』。それが意味するところに緋色が戦慄する。
『あ、あの……わた、私、調って言います! 是非ともお名前をっ!』
「僕の名前はイケメェンさ!」
『きゃぅん!』
緋色が初めて聞く声だった。湖を泳いでいたブサイク男が爆発する。痙攣するような音声を聞いて緋色が本気で焦る。もしかしたらこれまでの人生で指折りの危機に瀕しているのかもしれない。ウインクを飛ばすイケメェンの遥か向こう。美術城イクリプスのブサイク男が爆発した。
「イケメンキィック!」
キラリ、と黄金の汗が舞って草木が祝福の歌を奏でた。時間差で王都跡のブサイク男たちが次々と爆発していく。緋色はそのまま湖に蹴り入れられた。
イケメェンは『イケメン』なので抜かりなくベルを回収している。緋色が外せなかったものを、圧倒的イケメン力が外したのだ。
これが、『イケメン』。
(や、べぇ――――…………)
イケメン過ぎて身体が動かない。このままでは溺死は必死。ベル越しに甘い言葉を囁かれ続けるディスクも、イケメン死してしまうだろう。しかし、ソコメンの緋色には抗う術はない。
(本当に、本当にそうか…………?)
諦めない。
かつての人形は、あの歯車の勇者の背中に憧れた。練り上げられた技と力。十年の研鑽を経て、かつての少年は人間になった。少年は、数々の出会いと別れを経て、想いを胸に青年となった。男は、拳を握って前を進めば人類の最前線。
(本当に、そうか?)
クリスタルレイクが、静かに共振を起こす。さっき感じた何かが呼び起こされる。込められた気が、歯車の共振に、呼応する。渦巻く鼓動が男を包んだ。
(そうじゃない、よな!)
圧倒的な『イケメン』に対抗するための力、それは。
◇
「さあ、子猫ちゃん。僕の声をたくさんお聞き?」
『待っへ、もうやめぇ……! なんかカッコよすぎて、だめ……っ、ぁ、ぅぅ!!』
ベル越しに囁き続けるイケメェン。その度に王都のブサイク男が爆発していく。
「だーめ、かわいいこちゃん♪」
『だめ、ゅるしてぇ』
泣き叫びながら命乞いをするディスクに、イケメェンは愉快そうに笑った。ソウ村のブサイク男が爆発する。やはり、女はそうでなければならない。『イケメン』にひふれすべき存在なのだ。
『ぃゃ、ゃめ……っ』
「はっはっは、幸福に泣きわめけよお嬢ちゃぁん!!」
――――――ずん
『たす、ぇ……ひい、ろぉ――――緋色?』
「……なんだ?」
イケメンではない気配がする。暑苦しい気配がする。イケメェンは湖に目をやった。大渦を割って仁王立ちするのは、赤毛のマッチョ。
そして、ソウ村のブサイク男は爆発を抑え込んでいた。彼の持つ、その力こそを、緋色は叫ぶ。
「人間誰しも持っている。
才能等しく持っている。
だがそれを蔑ろにしたお前は、ひ弱だ」
「それは……なんだ」
「その名は――筋肉っ!!
盛り上がる、筋肉っ!!
飛翔せさる、筋肉っ!!
伝播してく、筋肉っ!!
さあ味わえイケメン、ギア・筋肉――――!!」
筋肉を纏い、緋色が大空を駆けた。暑苦しい新技がイケメェンの顔面に突き刺さった。『イケメン』という概念が破砕する。
「それは、美しく……ない…………っ」
そんなことない、とディスクは声を絞り出した。
『……緋色の、研鑽の、果て……だから筋肉は、美しいんだよ……っ』
「なん、と……ぉ」
歯車の筋肉が『イケメン』という概念に括り付けられたベルを破壊した。自分のベルを取り返し、緋色はにかっと笑った。
「お互い、ボロボロだな」
『うぅ、うわぁぁーーん、緋色ぉぉおお!!!!』
余程大変だったのか、ディスクが珍しくぼろ泣きし出した。途中までノリノリだったじゃん、という突っ込みは心に仕舞っておく。
「この湖には、凄まじい筋肉の『気』が眠っていた。凄まじい、それも真っ直ぐな筋肉の主が……いや、それだけじゃない。きっと清く正しく力強い筋肉は、伝播して、伝わっていくんだ。俺の歯車のように、筋肉の想いは継がれていくんだ」
泣き叫ぶ
「自分でも何言ってんのか――――全然分かんねえや」
イケメンVS筋肉。
理屈を超えた概念上の戦いは、後者が制した。
◇
『Dレポート』
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