Mist On Saturday

 Mist On Saturday




 霧など、小さいころから何度も見てきた。


 よって、なんら珍しいことはない。


「まさか、再びこの道を通ることがあるとはね。」


 霧というものは基本的に朝しか出ないものである。


 陽が出てしまうと、あっという間に消えてしまう。


 そのことを考慮すると、『霧の日、神社』という言葉が指定する場所は恐らくここしかない。


 家から一番近い神社。


 そこは坂を上らねばならないのだが、それがとても苦しい。


 小学校の時はこんな坂ばかりの道を一時間くらいかけて登下校していたというのに。


「老いには勝てんのう。」


 とまあ、爺くさいことを言ってみたりする。


 なんだかんだで、神社に着く。


 だが、神社に誰かがいる気配はない。


「お前がイザナギか!」


 私は神社の建物に向かって言った。


 神社の参拝するところって、なんて言うんだろうね。社?


「テレビの中に敵はいないわよ。」


 後ろから聞き覚えのある声が聞こえる。


 振り向けばヤツがいる。


「アカネ!」


 私の後ろに立っていたのは、アカネだけではなかった。


 樹、百合、清水もいた。


「さあ。そろそろ出てきたらどうだい?冥王ハーデス。」


 百合が言った。


 すると、後ろから物音がする。


 私は後ろを振り向く。


 社の戸が開きかけていた。


 社の中から、人影が出てくる。


 その中から出てきた人物は、思った通りの人物だった。


「お前が黒幕だったのか。クソ親父。」


 父が何かを言おうと口を開きかけた瞬間、私は父のもとへ走り、父をぶん殴っていた。


「おい、クソ親父!二本松楽よ!ママを返せ。」


 殴られて面食らっている父のワイシャツの襟を握って、父をブランブランと揺さぶる。


「や、やめろ、楽夢。」


「その名で呼ぶなあ!」


 私は叫んでいた。


 楽夢。


 読み方はラム。


 二本松楽と二本松夢の名前からとって合わせただけの、適当な名前。


 漢字の方はどうでもいい。


 問題なのは読み方だ。


 どこの羊肉だ。


 しかし、当事者たちは別のものを想定していたらしい。


 虎柄ビキニの角の二本生えた宇宙人だとか。


 角が二本と二本松でぴったりだ?


 殺すぞオラア。


 私はこの読み方が嫌いなんだよ。


「ふざけんな!変な名前つけやがって!二年前まで私のことなんかほったらかしだったくせに、急に親らしくしやがって。早くママを返しやがれ!」


「分かった。分かりましたから、オルフェウス様。どうか、どうかお静まりください。」


 妙に縮こまりながら、父は言った。


「分かった。早く返しやがれ。」


 父は私の顔の前に手を大きく広げて、私に手のひらを見せた。


「ただし、お前はある条件を満たさなければならない。」


 偉そうに口をききやがる。


「なんだ?」


 まあ、私も常識位はあるから、ただではいかないだろうな、とは思ってはいたが。


「ペルセポネを連れ戻したいのなら、お前は冥府へ行って、ペルセポネを冥府から出さなければならない。」


 そのくらい、お安い御用だ。


「ただし、その際、一度も後ろを振り返ってはいけない。例え、何があろうとも。」




 暗い空間の中、私の手には温もりがある。


「ママ?」


「何?」


 ママの声が聞こえてくる。


 心に泉が湧き上がるような、そんな感覚が起る。


 ママだ。


 ママが今、私のすぐそばにいる。


「ダメよ。振り向いちゃ。絶対に、ダメ。」


 分かってるよ、ママ。


 ママの運命は今、私の手のに委ねられているのだ。


 絶対に、絶対に、ママを救って見せる。


 だから、絶対に振り向いてはいけない。


「ママ?」


「何?」


「ううん。何でもない。」


 ママに向かってママと呼ぶ。


 そして、ママから返事が帰ってくる。


 こんなにうれしいことはないよ。


「ねえ。ママ。この道はどのくらいあるの?」


「ごめんね、楽夢。それは私にも分からないの。」


 随分と歩いた気がする。


 でも、さっき歩き始めたような気もする。


 周りが暗いので、どのくらい歩いたかの目印がないので、どのくらい歩いたのか分からないのだ。


 いや、これは暗いというより、暗黒だ。きっと、ここにはもともと何もないんだろう。


 時間の経過も分からない。


 きっと、暗黒の中では、時間も距離も関係ないのだろう。


 きっと、ここは冥府でさえもない。


 ただの暗黒空間。


「あのクソ親父が。」


 父はきっと、私とママを現実に返すつもりは微塵もないに違いない。


 だが、希望はある。


 希望なんてものは、諦めていても、心のどこかに存在しているものだ。


 夢を諦められる人間なんて、どこにもいない。


 鍵は、『覚悟』だ。


 私が覚悟した途端、光が目の前に現れる。


 私はママの手を引き、ママを光の中へ押しやる。


「ダメ!楽夢!ダメよ!そんなのは!」


 ママは泣き叫ぶように言っていた。


 私はママが戻ってこないうちに、後ろを振り向いた。


 ここで、私の奇妙な冒険は終わりを告げる。


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