金曜日の雨

 金曜日の雨




 昨日は夕焼けさえ見えていたのに、今日は雨だ。


 自転車は傘さし運転を禁止されているのでカッパを着ているのだが、濡れる。


 濡れた制服というものは、非常にむさくるしい。うっとうしい。


 無人駅のプラットホームには、すでに楓が来ている。


「あ、楽夢。私も頑張るから。」


 どういうことだ?楓はいきなり何を言い出している?


「どうしたの?楓。」


 こういうことしかできなかった。何が何やら、状況が把握できないからである。


「あんた、フロイトとのこと、噂になってるわよ。昨日ウニヴァで逢引きしてたんだって?」


 逢引きという表現は少し古くないか、と思ったが、問題はそこではない。


 私がフロイトとデートだと?


 昨日、私はアカネのわがままに振り回されていた。


 アカネはフロイトに見えていた。


 私たちは二人だけで園内を回っていた。


 つまり、周りからは私はフロイトとデートをしていたように映っていたということか。


 なるほどなー。


 冗談じゃない。


 アカネは悪夢の神とか言ってたが、今がまさに悪夢である。


 時間差攻撃とは。なかなかやるな。


「で?なにを頑張るのかしら?」


 誤解はそのうち解けるだろう、と思って、私は逢引きについては黙り込むことに決めた。


「そう!それで相談があるのよ!」


 楓は興奮しながら私の腕を握る。


「樹と最近仲がいいみたいじゃない。だから、樹が何時の電車で帰ってくるのか聞いてくれない。」


「ちょっと待って。」


 私は少し頭を整理してみる。


「つまり、楓は樹のことが好きなの?」


「そうよ。」


 強い眼差しで楓は私の目を見つめてくる。


 はあ、楓が樹をねえ。


「あんなののどこがいいの?」


「なんというか、どんなことにも冷静というか、自分が危機的な状況であっても、落ち着いてるというか。」


 いや、あいつはいつもボーっとしてるだけだぞ。


「あ、そう。」


 私は気のない返事を返す。恋する乙女に批判の言葉は焼け石に水なのだ。使い方、間違ってないよね?


「楽夢はフロイトのどこが気に入ったのよ。」


 いや、そもそも気に入ってないから、答えようもない。


「乾物の如く、陽に当たって、干からびているところかな。」


 適当に言った自分の言葉で、縁側に干されて干からびたフロイトを想像してしまい、私は思わず吹き出してしまう。


「ちっ。のろけちゃって。」


 どうやら楓は私の笑いをのろけからくるものと勘違いをしたらしい。


 それはともかく、舌打ちは怖い。私はそれが楓の無意識の癖だとは知っているが、それでも怖い。そう言えば、楓は昔から教師に目をつけられやすかったな、ということを思い出した。成績は高い方なので教師は露骨には表さなかったが、敵意を持っていたのは明らかだった。


 樹に怖がられていなければいいけどね、と私は胸で十字を切りたい気持ちになった。


「おっはよー。」


 真綾が来た。


「じゃ、よろしくね。」


 楓がそう言って、ウインクをする。


「なんのこと?」


 真綾がいつもの脱力口調で言う。


「なんでもないわ。」


 楓はご機嫌な様子で言った。


 真綾も特に興味はなかったのか、それ以上は追求してこなかった。




「おっす。」


「おっす。」


 私は電車の中で樹と男子のようなあいさつを交わす。


 最近、樹は私の横に、無理矢理に来ようとしている節がある。全くもってうっとうしい。


「全くもってうっとうしい。」


「え?」


 私の言った突然の言葉に、樹は驚いたような声をあげる。


「気狂いピエロのことだよ。」


 私は弁解する。


「は、はあ。」


 樹は要領の得ない言葉を返す。


 まあ、そりゃそんな返事になるだろうな。


「樹、アンタ、何時の電車で帰るの?」


「どうしてそんなこと聞くんだ?一緒に帰りたいのか?告白でもしたいのか?」


 一言多いのがコイツの悪い癖である。この畜生を調子に乗せてはいけない。


 とりあえず、私は樹にアッパーをしておく。


 背が低いということにも利点があるんだな。アッパーが打ちやすい。


 樹の身体は吹っ飛び、床に大の字に倒れ、動かなくなる。


「まあ、ある意味そうかもな。」


 楓が告白するのだから、樹の言葉は間違ってはいない。


「マジで⁉」


 私が言葉発した瞬間、樹はさっと上半身を起こす。


 私は上半身を起こした樹の顎を思い切り蹴飛ばす。


 樹は私が確認する限り、意識を取り戻すことはなかった。




「あれで良かったかしら?」


 私は自転車で学校へ行く途中、楓に言った。


「そ、そうね。」


 楓は弱弱しく言った。


 正直今の状況ではあまり声を聞き取ることができない。


 カッパのフードに打ち付ける雨の音で、声が聴きとりづらいのだ。相手の顔もフードをかぶっているせいで確認できない。


「樹って、楽夢のことが・・・」


「え?なんて?」


 楓の言葉が聞き取れなかったので、私は楓に訊き返す。


「なんでもない。」


 この声はなんとか聞き取ることができた。


 一週間の授業の最後の日に雨が降るなんて。


 全くもってうっとうしい。




「楽夢。私、頑張るから。」


 朝も同じ様な言葉を聞いた覚えがあるな。


「で?今日子は誰に告白するの?」


 私は冗談で言った。


 しかし、今日子は顔を真っ赤にした。


「清水くんに決まってるじゃない。」


 決まってるかどうかは知らねえよ。


「はあ。で?私になにか力になれと?」


「そう!そうなのよ。どうして清水くんに告白すればいいのか、と思ってね。」


 いや、知らねえよ、そんなこと。


「どこかに呼び出せばいいんじゃない?」


「なるほど!さすが楽夢ね。変人フロイトを彼氏にしただけのことはあるわ。」


 彼氏じゃねえよ。


 しかし、否定すると、あたかも付き合っているように思われそうである。


 噂も四十九日って言うからね。


 言うよね?


「はいはい。そりゃ良かったわね。」


 凍り付いていた空間が動き出した。


 私はなんとなく今の状況をそう感じていた。


 私は窓の外を見てみる。


 この雨のせいだろうか。そう感じるのは。


『雨の日、駅のホーム。』


 私は手帳を見ていた。


 フロイトの手帳。


 この手帳から私の時間は動き出したのかもしれない。未だ眠れやしないけど。


 止まっていた私の時間が動き出した影響が周りに反映されているのか。


 馬鹿々々しい。


 私は手帳の他のページをめくった。


『ペルセポネと君が一緒に笑っている可能性はない。でも、君ならできそうな気がするよ。』


 これは『雪の日、公園。』と書かれていたその下に書き足されていた。百合の仕業だろうか。


『八つ目の大罪を自ら背負うなんて、バカよアンタは。』


 『曇りの日、バス。』の下に書かれてあった。これは明らかにアカネである。


「駅ねえ。」


 どこの駅だよ。


 今まで一切具体的な場所が書かれていたことがなかったので、今さら怒っても仕方がないのだが。


「決めた。今日、男子も部活がないから、体育館に呼び出すわ。だから」


「だから?」


 分かり切っていたが、一応聞いてみる。


「清水くんを呼び出してちょうだい。」


 どうせそうなるとは思ってたよ。




「おい。清水はいるか?」


 私は不良の呼び出しのように、六組の教室に来て言った。


 どうやら清水はいないようだ。


「おい、テメェら。清水が来たら、放課後体育館に来いっつっとけ。」


 そうして私の任務は終わった。




「で?なんでお前がここにいるんだ?」


「君が呼んだからだよ。」


 F駅のプラットホームで電車をぼんやりと眺めていた私の前に現れたのは清水だった。


「今日子はどうしたんだよ。」


「ああ。彼女ならふった。」


 平然と残酷な言葉を口にする野郎だ。


「俺はヒュプノス。モルペウスとかの父であり、タナトスの双子の弟だ。」


「通りでうっとうしいわけだ。で?アンタは私に協力するの?」


「そうだね。それには条件がある。」


「なによ。」


「俺と付き合ってくれないか。」


「うっとうしいんじゃ、ゴラァ。」


 私は清水を思い切り殴り飛ばしていた。


 清水は地面に倒れ、痛そうに鼻をさすっている。


「鼻血が出たじゃないか。」


 それがどうした。


「君は気が付かなかったかもしれないが、今日、みんな、どこかがおかしいように思わなかったか?それは俺がそうさせていたんだ。俺は眠りの神、ヒュプノス。今日、このF市の人間は夢と現実も境界が曖昧になっている。だから、普段はしないようなことをしてしまうはずだったんだけど。」


 そう言って、清水は私に向かってニカッと笑ってくる。


「君には効かなかったようだ。君はいつでも君で、それゆえに美しい。」


 キモッ。


「それを捻じ曲げてしまったら、君の美しさが消えてしまうことにも気が付かなかった俺は愚かな神だ。君ほど愚かではないけどね。」


 私は今朝の樹のように、清水を蹴り飛ばしていた。


「君のもとからペルセポネを奪ったのは、ハーデスだ・・・明日、君を冥府に連れてこう。ハーデスのもとへ。」


 清水はうめきながら、そう言っていた。


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