Cloudy On Thursday

 Cloudy On Thursday




「おお、楽夢。こんな早くどうした。」


 朝起きて早々、父は言った。


「私、今日、行くから。」


「おお、そうか。」


 父は嬉しそうに言う。


 しかし、私は分かっている。私が行こうが行くまいが、父にはどうでもいいことなのだと。


「お父さん。私、今日、ウニヴァ行くんだけど。」


「知ってるよ。」


 父は優し気な笑顔を見せて言う。


 しかし、私は分かっている。その笑顔は仮面であることを。


「どう思う?」


「どう思うって?」


「あの日行こうとしてたところに、私が行くことを、どう思う?」


 父はその後、黙った。私から新聞に目を落とす。


 その朝、私と父はしゃべらなかった。




 駅に着くと、驚いたことに、真綾が来ていた。


「どうしたの?真綾。いつも電車が来るギリギリなのに。」


「へへへ。今日は何の日がご存じでげすか、お嬢ちん。今日はウニヴァですぜ。げへへへへ。」


 真綾は下品な笑いをする。どうやら変なスイッチが入ってしまっているようである。


「昨日、よく寝た?」


「寝れるわけねでござんしょ。」


 なるほど。通りでこの変なテンションだ。


「お嬢ちんは眠れましたかね。」


「ええ。とっても。」


 嘘だ。私は二年間、一睡もしていない。


 眠れない、といっても、目がつぶれないわけではない。


 ただ、目をつぶっても眠れない。意識が消えない。触感やら聴覚やらが通常と同じ感覚のままだ。


 そもそも、眠くさえならない。


「あらあら、朝からテンション高いわね。」


 楓が来て言った。


 駅のプラットホームには誰も来ていない。いつもの電車よりも一本早いからだ。そして、これが始発となる。


「楓ぇ。真綾が壊れた。」


「あらあら。」


 真綾は飢えた狂犬のような、暴走状態の初号機のような状態になってしまっていた。


「ほーれ、よしよしよし。」


 楓はムツゴロウさんのように、真綾に接する。


「止めんかゴラァ!」


 そう叫んで、真綾は正気に戻る。


「近所メーワク。」


 そう私がぼやく。


 そうこうしているうちに、電車がやってくる。




 校門の近くには、すでにバスが六台止まっている。二年生は六組あるので、一組に一台という計算になる。ちなみに、一組四十人程度の生徒がいる。


 私は二組のバスを見つけ、真綾と楓に別れを告げる。


 二人は五組のバスに乗り込む。


 真綾と楓の、楽しそうな後姿を見て、私は少し寂しくなる。


 中学まで一緒だったせいだろうか。


 二人が仲良くしているところを見ると、胸が苦しくなることがある。


 いつかは別れの時が来る。


 分かりたくもないのに、私は身をもって知ってしまった。


 三人はほぼ確実に、大学に進むと離れ離れになってしまう。偏差値がそこそこ高いとはいっても、地方の国公立に行かなければならないのは確実で、将来の夢が同じで、同じような進路を考えている生徒も、同じ大学には進まない、というよりも、進めないことが多い。成績があまり良くない場合は、とにかく全国の国公立を受けに行くことが多く、大半の生徒もそうするから、高校卒業後はどこかの県の国公立大学へ散り散りになるのが恒例なのであった。


 私はバスに乗り込む。


 席は具体的には覚えていなかった。そもそも来る気はなかったからである。


 本日は曇天なり。


 そして、バスの中。


 今気付いたのだが、次の神は、クラスメートの中にいる可能性が非常に高い。


「楽夢。こっち、こっち。」


 今日子が私に向かって、手招きをしている。私は今日子が先に来ていてくれてよかった、と思った。そうでないと、席が全く分からないからである。


 私は今日子の隣、廊下側の席に座る。


 周りを見回すと、大抵の席が埋まっているようである。私は遅い方だったようだ。


「うちの班はこれで全員だね。」


 班長になった今日子がそう言った。


 班員の数と顔を私は覚えていなかったが、ふと、違和感を感じる。


 たしか、フロイトも同じ班だったはずだ。しかし、周りを見ても、フロイトは見当たらない。班は固まって座ることになっているが、私の周囲に、フロイトの姿はない。


「今日子、フロイトを忘れてるよ。」


 しっかり者の今日子も、時には失敗をするんだな、と半ば感心しながら、半ば呆れて言った。


「え?フロイトくんいるよ?」


「どこに?」


「そこ。」


 そう言って、今日子は私の反対側の窓側の席を指さす。


 しかし、そこにフロイトの姿はない。


 誰かが座っているようでもない。


 フロイトは男子であるから、もしその席に座っていたとしても、分かる。私の横は同じ班の女子で、かぶっていて見えないということはほとんどあり得ないのだ。女子の向こう側からフロイトの頭が少しなりとも見えるはずなのだ。


 私は立って女子の向こう側を見てみる。


 すると、人の頭が見えている。


 フロイトの座高はこんなにも低かったのか。


「誰よ、アンタ。」


 フロイトの席に座っているのはフロイトではなかった。


 赤い髪をツインテールに結った、小学生高学年、それも成長の度合いが芳しくない少女が窓の桟に腕を乗せ、その腕で頭を支えて、窓の外をぼんやりと眺めている。


 さながら、夏目漱石の肖像画?写真?のようである。


 赤毛の少女は、ニヤリと明らかな悪意の宿った笑顔を見せて言った。


「さあて、誰かしらね。」


 周りは何故この少女をフロイトであると認識しているのであろうか。まさか・・・


「正解。私はポベトール。悪夢の神。人間名はアカネ=ピトー。」


「日本人じゃないのかよ。」


 私はつっこんでいた。何故そこをつっこんだのかは、全く分からない。


「一応、日本人よ。日本国籍があるから。」


 神に国籍とかあるのか、と思ったが、今はどうでもいい気がする。


「で、どういうこと?」


「それより、私の横に座りなさい。」


「どうしてよ。」


 私はアカネの命令口調に不機嫌になる。年下になめられて、いい気分になる年上はいない。


「今日一日、私の下僕となりなさい。」


 だから、なんでなんだよ。


「さもないと、ペルセポネは一生あなたのもとに帰ってこないわよ。」


 ペルセポネとは、恐らくママのことである。昨日、百合がそのように言っていた覚えがある。


 どうやら、私には選択する余地さえないようである。


「ええっと・・・席を変わってくれるかな。」


 私はアカネの横の女子にそうお願いをする。


「え?」


 そう声を上げたのは、その女子だけではなかった。今日子も声を上げていた。


「楽夢、どうして?」


 今日子はとても悲しそうな顔をしていた。


 ごめん、今日子。


「ごめんね。」


 私は今日子にそれだけ言った。


 それだけしか言えなかった。


 私は女子と席を変わってもらい、アカネの横に座る。


「あ、言っとくけど、今の私はアンタ以外はタナトスに見えているから。」


「そんくらい、見りゃあ分かるわよ。」


 大変な一日になりそうだな、と私は思った。


「というか、アンタ、普通に大きな声でしゃべってるけど、周りに正体ばれるんじゃないの?」


 私は言った。言ったとはいえ、どうも周りは気が付いていないようではあるが。


「そこらへんは適当にやってるわ。でも、アンタの声は周りに普通に聞こえてるから、注意しなさいよね。」


 ははあ、なるほど。どおりで周りの私を見る目がおかしい。


「出発します。」


 担任がそう言って、バスは動き出す。


 アカネは担任の言った言葉に反応し、担任の方を見て、目を輝かせた。


「ウニヴァに行くの、楽しみとか?」


 私はアカネに言った。


「べ、別に・・・」


 そう言って、アカネは窓の外に目を戻す。


「そう言えば、フロイトはどうしたのよ。」


 おかしな人だと思われないように、私はアカネの耳元でヒソヒソと話す。


「くすぐったいわね。」


 そう言って、アカネは肩で私の顔を離そうとする。


 その時、私を見ていた視線に気が付く。


 前の席の女子が私を見ていた。


 目が合うと、その女子は慌てて目を逸らそうと、前を向く。


「さっきの、聞こえてるから。」


 アカネは言った。その顔は悪魔のような笑みを浮かべている。


 さっきの?


 周りからはアカネがフロイトに見えている。そして、先ほどの行動は、周りからは私とフロイトがイチャイチャしているように見えたのではないか。


 この小悪魔めが!


「で、フロイトはどうしたのよ。」


 私は声を抑えてアカネに言う。


「フロイトって誰よ。」


 きっとこの発言は周りに聞こえてないんだろうな、と思うと理不尽である。周りに認識されているのかいないのかが分からないというのは、とても辛い。


「ええっと・・・アンタの叔父さんよ。」


「アンタって偉そうに言わないでくれる?」


 この声は認識されていないようだ。


「じゃあ、なんて言えばいいの?」


「アカネ・・・」


 なぜか、語尾が弱弱しくなっている。恥ずかしがっているのだろうか。この小悪魔のことだから、アカネ様とか、女王様と呼べと言うかと身を構えていたが、少しホッとした。


「で?アカネの叔父さんはどうしたの?」


「叔父さんが、タナトスが代わりに行ってもいいって言ったから・・・」


 そう言うとアカネは少し頬を赤らめて、再び窓の方を向く。


 行きたかったから嬉しかったんだろうな、と私は思った。


「ええ、クイズ大会を始めたいと思います。」


 マイクから男子の声が響く。


 クイズ係の男子が言ったのだろう。


 私は興味がないので、わざわざそちらの方を向かない。


 というか、バスのレクリエーションで、クイズ以外にすることはないのか。小学校の頃からバスで遠足に行くたびに、クイズ大会ばかりしている。高校生にもなった私は何回も体験しているクイズ大会に飽き飽きしていた。


 一方、アカネは目を輝かせて、前方に注目している。


「さて問題です。F市の人口は何人でしょうか。」


 もう一人のクイズ係である女子が言った。


 知るか、そんなもん。誰が興味あるか。


「ねえ、答えは?答えは?」


 アカネはそう言って、私の体を揺さぶってくる。


 揺さぶったって、小判も答えも出て来やしないのに。


 頭のいい男子がサッと手を上げて答える。


「正解です。」


 どうやら正解したようだ。


「アンタ、本当に役立たずね。今度はちゃんと答えを教えなさい。」


 アカネはなんだかやる気である。


 疲れる。


 結局、問題はほとんどその男子が答えていた。


 周りがやる気がなかったのも一つの原因ではあるだろうが、クイズの難易度はかなり高いものだった。


 私などが答えられる問題は何一つない。


「では最後の問題です。この問題に正解した方が優勝です。」


 ええ~。


 そういったのはクイズに今まで正解していた男子のみである。


 周りのクラスメートは、おしゃべりをしている子もいるが、大半は寝てしまっていた。悪夢の神がバスの中にいるので、うなされていなければいいが。


「よし!正解するわよ、楽夢。」


 アカネは私のことをいつの間にか楽夢と呼んでいた。まあ、別にいいが。


 このバスの中でやる気になっているのはクイズくんとアカネぐらいである。


「問題。アマゾ」


 私は答えが分かった。


「アカネ、手を上げて。」


 私はアカネに手を上げるよう催促する。


「え?」


 戸惑っているアカネだったが、反射的に手を上げる。


「はい。フロイトくん。」


 アカネは呼ばれる。私はアカネに答えを教える。


「ポロロッカ!」


 アカネは元気よく言う。


「正解です。」


 周りから、おお、という歓声が起きる。


「問題はこうでした。アマゾン川で潮流を逆流する現象をなんというでしょうか。正解は、ポロロッカです。フロイトくん、お見事。」


「ふん。このくらい当然よ。」


 いや、答えを教えたのは私なのですが。


 前の方の席でガックリと肩を落としているクイズくんの姿が想像できて、クイズくんが可哀想になる。


「優勝賞品はお菓子の詰め合わせです。」


 どうせそんなものだろうとは思っていた。


 賞品は前の席から手渡しでアカネの席へ送られてくる。


「やった、やった。」


 アカネは大騒ぎである。


 知らず知らずのうちに、私とアカネはハイタッチを何度もしていた。


「ありがとう。」


 落ち着いたアカネはそう言いながら、窓の方を向いている。


 耳が真っ赤になっていた。


「どうして答えが分かったの?まだ問題が全部読み終わってなかったのに。」


 アカネは本当に不思議そうな顔をして言った。なんだか、尊敬された気持ちになる。年下に尊敬されて気分を害する年上はいない。


「トミガシは仕事をしないからね。」




 ウニヴァの中では、班行動をすることになっている。班で行動していれば、教師からの干渉はほとんどない。


「ほら、行くわよ。」


 アカネは私の手を引いて、どこかへ行こうとする。


「ちょっと。班のみんなで行動しないと。」


「ペルセポネがどうなってもいいの?」


 脅しである。これは、脅しである。ガキのくせに。


 仕方ないので、私たちは他の生徒にまぎれて、進んでいく。


 今日子は先生に怒られるだろうな、と申し訳なく思いつつも、アカネについていく。


 本当に、ごめん。




「じゃあ、これに乗りましょ。」


 恐竜パーク。


 これは・・・


「絶叫マシンだけど?」


「だから何?」


 私はあまり絶叫マシンが得意ではないのですが。


「身長とかダメでしょ。」


「今、周りから私はどんな風に見えてると思ってるの。」


 バカにしたような言い草である。だが、アカネは今、周りからはフロイトに見えているのだ。


「あああああああああ。長いいいいいいいい。」


 私からは駄々をこねるクソガキにしか見えていないのだが、周りからは、いい歳こいてグダグダ言ってる男子高校生に見られているのだろう。近くにいるこっちも恥ずかしいが、明日、フロイトがみんなからどういう目で見られるか、と想像すると、同情を隠しえない。


「ほれ、駄々をこねないの。」


 私はまるで保護者である。


「噂には聞いてたけど、こんなに並んでるなんて知らなかったんだもん。」


 頬を膨らませてアカネは抗議する。私に抗議されても困るのだが。


「遊園地とか来たことなかったの?」


 遊園地のアトラクション待ちは定番である。


「別に、中二になって、いまだに遊園地に行ったことがなくったって、珍しくもなんともないでしょ。」


 いや、十分に珍しい気がする。


 というか、このチビ、中二だと?年齢的に十三か十四?


「なによ。人を巨人を見るような目で見て。」


 いや、小人をみるような、の間違いだろう。


「どうして来たことがなかったの?」


 ふん、とアカネは私に背中を向ける。


「最近まで外国にいたし、親も忙しくて私にかまう暇もなさそうだったし。それに、身長が・・・」


 ああ、なるほど、と私は感心した。


 絶叫マシンのアトラクションには身長制限がある。


 この百四十にも満たない身長の中学生では、絶叫マシンには乗れないだろう。


 だから、あんな恐ろしい絶叫マシンを乗ろうと言ったのだ。


 乗ったことがないから、その恐ろしさを知らないのだ。


「なにニヤけてるのよ。」


 絶叫マシンを体験した後のアカネの様子を想像して、私は知らず知らずのうちに、ニヤけてしまっていたようである。


「別に、なんでもないよ。」


 マシンに乗り込むまで、私はそのニヤけ顔を戻すことはできなかった。




 横に座っているアカネの姿を私は見る。


 生ける屍。


 今のアカネを表現するのに、これほど最適な表現は見当たらないだろう。


 そして、多くの入場者からは私もそのように見えていることだろう。


 屍二人がぐったりとしながら、ベンチに座って俯いている。


「ほら・・・次は未来へ後ろ歩きに乗るわよ。」


「やめときなさいって。」


 今にも死にそうな声で言うアカネに、私は今にも死にそうな声で返す。


 未来に後ろ歩きとは、絶叫マシンの一つである。


「もう、絶叫マシンなんて乗りたくはないでしょ。恐竜パークを思い出しなさいよ。それに、並ばなくちゃいけないだろうし。」


 自分が言った言葉に触発されて、私は先ほど体験した悪夢を頭に逡巡させてしまっていた。




 マシンが動き出して、私はすぐさま絶叫させるのではないかと身構えた。


 しかし、そんなことは一切なく、私は拍子抜けしてしまった。


 恐竜の模型が設置されているところをグルグル回っていき、人気声優さんのナレーションのもと、恐竜の説明がされるだけだった。


 さぞかし神様はご不満だろう、と思ったのだが、アカネはとてつもなく楽しそうな目をして恐竜たちに見入っている。さすが山ちゃん。子ども心をしっかりと掴んで離さないわね。


 しかし、私たちは、これが嵐の前の静けさだということに全く気付いていなかった。


 急に暗い洞窟内に入る。


 どうやらマシンは少しづつ登っているようである。


 しかし、私もアカネも、そのことに全く恐怖を感じていなかった。


 落ちることはなんとなく予感はしていたが、それほど怖くはないだろうな、と高を括たんだ。


 高を括たんだ。


 悪夢は突然訪れた。


 不意打ち。


 光がまぶしいな、と思った瞬間には、もうすでに手遅れだった。


 体が宙に浮くような感覚。


 あ、やべえ。


 そう思ったときには私とアカネは悲鳴を上げていた。




 悲鳴と共に魂が抜けてしまった私たちは、こうして恐竜パークの近くのベンチで脱力しているのだった。


「そうね。並ぶのは面倒よね。」


 ハハハハ、と乾いた笑い声をアカネは出す。


 もう乗りたくないのは明らかである。


「平日なのに、やけに人が多いわね。」


 確かに多い。


 二、三、別の学校の制服を見かけるが、それ以上に一般人、特に外国人の人が多い。


「これじゃあ、向こうと変わんないわね。」


 アカネは呟くように言った。


 なんとなく、独り言のような感じだったので、私は聞こえないふりをしておいた。


「おこちゃまには絶叫マシンは早いってことよ。」


 少し沈み気味のアカネを励まそうと、私は言った。


「誰がおこちゃまよ。楽夢だって、白目むいて、気絶寸前だったじゃない。」


「白目なんてむいてないわよ。口をあんぐり開けて固まってたのはどこのおこちゃまだっけ?」


 私たちは互いに睨みあった後、不意に笑ってしまう。


 なぜ笑ってしまうのか。


 理由は特に分からない。でも、分からなくていいんじゃないかな。いや、分からない方がいいのかもしれない。


 やっぱ、そんなことはどうでもいいや。


 私は初めてアカネの笑った顔を見た。


 どう見たって、中学生には見えない、小学生のような笑顔。


 ママの笑顔には少し劣るけど、少しだ。


 いい笑顔だ。


「アカネ。アンタ、そんな可愛らしい顔だってできるんじゃない。小学生にしか見えないけどね。」


 そう言って、私はアカネの頭を乱暴に撫でる。


「ふん。余計なお世話よ。」


 そう言って、アカネは私の手を振りほどこうとはせず、撫でられたままでいる。


 ツンデレだなあ。


 なんだかんだで嬉しそうである。


 そう言えば、私はあまり誰かの頭を撫でたことはなかったな。


 いつもママに撫でられる方だった。


 誰かの頭を撫でるのも、なかなか、いい。


「絶叫マシンじゃなくても、遊園地には楽しめる場所はたくさんあるのよ。そう、遊園地は絶叫マシンだけじゃないの。」


 私は半ば自分に話しかけるように言った。


「へえ~。」


 アカネは半信半疑の目を私に向けている。


 ふん、見てなさいよ。


 そう。遊園地は絶叫マシンだけではない。




「うおおお。」


 アカネは思わず声をあげる。


 ここはワンダーゾーン。


 園内を回っているキグルミが多くいるところだ。


 メリーゴーランドなど、主におこちゃま向けのアトラクションがある。


 子どもに人気なのは最もだが、女性にも人気が高い。


 多くのアトラクションが園内のキャラクターの可愛いデザインを使っているからだ。


 私も思わず頬をほころばせるような、そんな和やかで、キラキラとした雰囲気が辺り一面に漂っている。


「ねえ、ねえ。あれ。あれ乗りましょ。」


 そう言って、アカネは私の制服の袖を引っ張ってくる。


 やっぱり、小学生にしか見えないな。


 アカネがウニヴァのキャラクターのように思えてくる。


 ああ、思わずよだれが出てしまいそうだ。


「先にお昼ご飯を食べましょうね。」


 まるで母親だな。


「ま、しょうがないわね。」


 相変わらず偉そうな態度だが、どこか毒が抜けたような感じがある。ほほう。これがデトックスというものか。そんな上から目線の態度さえ愛らしく思えてくるのは何故だろうか。


 お昼ご飯は各自でとることになっている。節約をしたい者は弁当を持ってくる。食事をウニヴァでとりたいと思うものは、自由にとってもいい。


 私は遊園地やらテーマパークやらでの食事は法外な値段だとは聞いていた。私は弁当でもよかったのだが、父は昼食の分の代金を余分なくらい私にくれた。


 だが、二人分の食事代はもちろんもっていない。


 一応、アカネに金を持っているかどうかを聞いたが、案の定持っていなかった。


 園内のレストランの前で立ち止まり、今更ながら、迷っていた。


「あー。抜け駆けみっけ!」


 聞き覚えのある声がして、私はそちらを振り返る。


 今日子だった。同じ班の女子二人も今日子の後ろについてきている。


 非常にまずい。


 私たちは勝手な行動をしている。非難されても仕方がない。


 今日子はふざけているように言ったが、私には今日子が怒っているように思えた。


 後ろの二人の女子は明らかに不機嫌な目で私たちを見ている。まるで不良を見るような目つきだ。


「お?二本松さんと、二宮か?偶然だな。」


 二宮とは今日子の苗字である。


「ああ。あんたか。」


 そこにいたのは清水。今日子の意中の人であり、六組のエリートだ。


「き、奇遇だね。」


 今日子はおどおどして、言う。


 そして、私の腕を強引に引っ張って、私の体を今日子の体に密着させる。そうなると、今日子の口が私の耳に引っ付きそうな位置になる。


 その位置から今日子はヒソヒソ声で言った。


(フロイトとの駆け落ちは見逃してあげるからさ、清水くんと食事とかさ、できない?)


 そうか。アカネは周りからフロイトに見えていたんだった。


 駆け落ちねえ。私とフロイトが?それは少々妄想癖が強過ぎないか?


「ええっと、清水くん?だっけ?私らと食事をとらない?店に知らない人しかいないからさ、いいでしょ?」


 普通店に知り合いがいるわけがない。


 まあ、それはそれってことで。


「あ、ああ。実はそうしようと思って、声かけたんだよね。」


 あははは、と清水はぎこちなく笑う。


 おかしなやつ。


「清水くん。そういえばツレはいないの?六組だって、班行動でしょ?」


 私は周りにF高生の姿がないので、清水に聞いた。


「それが・・・はぐれちゃって・・・ね?」


 賛同か、はたまた同情か。


 とにかく清水は何かを訴えるような目で見てくる。


 あの言葉を言え、と促しているのだろう。


「清水くん。私たちと班員が見つかるまで一緒に行動しない?」


 今日子は言った。


「ほれ。さっさと中に入らない?」


 アカネが私の袖を強く引っ張り、アピールをしている。


 腹減った。


 アカネは私に目で訴えかけてくるので、仕方なく促したのだった。


「お、おう。」


「そ、そうね。」


 二人はやけにぎこちない。


 清水はふと、私の隣の少女に目を向ける。


 そう言えば、周りからはアカネはフロイトに見えてるんだったな。


 にしては、清水の視線は少し低い。


 みんなはフロイトを見る時、私より高い位置を見ている。


 おそらく、みんなはその位置にフロイトの顔があると認識しているのだろう。


 しかし、清水はフロイトでいうと、腹の位置、アカネでいうと、顔のあたりを見ている。


「清水くん、楽夢、フロイト!行くよ!」


 店の外でぼんやりしていた私たちを、今日子は店の中から呼ぶ。


「フロイトねえ。」


 清水は意味ありげに言いながら、店の中に入っていく。


 まあ、何の意味もないだろうけど。




 思わぬ出費だ。


 ウニヴァの食事がこんなに高いとは聞いてない。


 そして、アカネは体型に似合わず大食いであった。


 見た目は小学生なのに、清水と同じくらいの量をこの小悪魔は食いやがった。


 金は足りないわけではない。


 父よ。お土産は大したものが買えそうにない。


 涙ながらにアカネの分の食事代を出そうとした時、


「俺が払うよ。」


 と言った、男がいた。


 清水である。


「まあ、フロイトは俺の兄貴みたいなもの、いや、実際は息子だからな。」


 とまあ、訳の分からないことをほざいて、アカネの分の代金を財布から出した。


 アカネの方をふと、見てみると、何故か不機嫌である。そういえば、食事中も少し不機嫌だったような・・・


「ねえ。どういうこと?」


 今日子が聞いてくる。


「私が知ってるわけないじゃない。」


「というか,なんで楽夢がフロイトの代金を払おうとしたわけ?」


「それは・・・」


 私は言葉につまる。


 嘘というものがとっさにつけるほど、私は頭の回転が早くない。


「フロイトは財布を忘れちまったんだとさ。小学生みたいだよな。」


 清水が言った。


 そう、と今日子は納得のいかない顔で言った。


「じゃ、行きますか。」


 いつの間にか、班の主導権を清水が握っていた。


 私たちは、仕方がなく清水に従う。


 清水さま御一行が進み始めたとき、私は強い力で身体を引っ張られる。


 そして、私の体は御一行とは正反対の方角へ引っ張られていってしまう。


「アンタは私だけの下僕でしょ。」


 プンスカ怒りながら、アカネは私を引っ張って進んでいく。


 まあ、こうなるだろうとは思っていたが。




 時間が過ぎるのは早い。


 特に、誰かに振り回されている時は、知らない間に何時間も経っているものである。


 駄々をこね、ウニヴァから出ようとしないアカネをなんとか引っ張って、私は指定の時間に、バスに着いた。


「清水くんとは上手くやれた?」


 私はバスの中ではぐったりと脱力している今日子に言った。


「清水くんはアンタやフロイトとは違って、責任感が強いから、園内中、アンタたちを探し回ってたのよ。」


 ぽつり、ぽつりと呟くように言ったので、バスのエンジン音に妨害され、今日子の言葉はほとんど聞こえなかった。


 声を出すのも大変そうだったので、私は今日子をそっとしておくことにした。


 バスの中は、眠気が漂っていた。


 本来なら、なにか一言言わなければならないはずの担任も、点呼をとった後、何も言わずに席についている。どうせ今ごろ口からよだれを出しているだろう。三十路を超えた独身女の、可哀想な姿が目にありありと浮かぶ。


 ふと、横を見てみると、アカネが寝ていた。


 私は思わず、柔らかそうな頬をつつく。


 柔らかかった。


 アカネは自分の頬がつつかれたことに気付かず、眠っている。


 天使のような笑顔だった。


 実際には天使なんて見たことはないけど、天使が実在するのなら、きっとこんな顔をしているのだろう。


 寝ている時は、悪魔も天使か。


 この世界には知らないことがたっくさんあるんだよ。




「どうしても、私を愛してはくれないの?」


 夕日の中、アカネは言った。


 F市に戻ってきてから、私とアカネは二人で河川敷まで来ていた。まだ私は下僕だったらしい。無理矢理に連れてこられた。


「そうね。あなたを私はママ以上には愛していないわ。」


 そう言って、私はアカネを抱きしめる。


 本当に小さくてもろい。


 そんな印象を与える身体だった。


「私じゃダメ?愛されるより、愛する方が人間、幸せなのに。」


「それは誤解。私がママに愛されてるんじゃないの。私がママを愛しているから。」


「私は楽夢がいなくなるのは嫌。できればずっと、そばにいて欲しかった。」


「それは私も一緒。あなたと一緒にいたいわ。」


「じゃあ。」


 アカネは涙でぬれた目で私の顔を見る。ほんの少しの希望の灯った目であった。


「でも、ママは私にとって特別なの。そのためなら、自分の幸せだって、手放すわ。例え、友情であっても。」


「なーんだ。気付いてたんだ。」


 アカネは悪魔のような笑みを浮かべようとしていたが、泣いているせいか、胸を射抜くような、可愛らしい笑顔になってしまっている。


「楽夢は八つ目の大罪を犯しているようね。ふん。もういいわ。あんたなんか、用済みなのよ。」


 そう言って、アカネは私の腕から抜け出し、私に背を向けて、去ろうとしていた。


「ありがと。」


 最後にアカネは振り向いてそう言った。


 彼女が何に対して私に感謝したのか、私にはよく分からなかった。


 その言葉は私が言うべきだったのかもしれない、と私は漠然と思った。


 アカネは私を愛してくれていた。


 だから。


「ありがと。」


 私の言った言葉は、赤い陽の光に吸い込まれていくように、宙に消えた。


 曇っていた空がいつの間にか晴れていることに、この時になって、やっと私は気が付いた。




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