Sunny On Tuesday

 Sunny On Tuesday




 春の朝は肌寒い。昼は真夏かと思わせるほど暑いというのに、この寒さはどういうことだ。この世のすべてが目障りになってくる。


 二階にある自分の部屋から、一階の居間に降りる。


 居間ではメガネをかけ、湯気をもくもくと出したコーヒーを左手に、今朝の朝刊を右手にもった男がテーブルの椅子に座っている。


「おはよう。お父さん。」


 私は男に声をかける。


「おはよう。楽夢。ほら、早く食べないと遅刻するぞ。」


 私の父はそう言ってコーヒーをすすり、私に向けていた視線を新聞に戻す。


 私はテーブルに置かれた朝食を食べる。


 父はママの時が止まってから、朝食を作ってくれている。二年前から、ずっと。


「今日もママのところに行くのか?」


 うん、と私は父の問いに答える。


「そうか。」


 先ほどの会話の際、父は新聞から目を離さずに言った。


 このやり取りをかれこれ二年、もうすぐで三年も毎日繰り返している。


「お父さん、今日、帰りは?」


 私は父に言いながら、いつから私は父のことをお父さんと言うようになったのだろうか、と考えた。昔はパパだったはずだ。


「PTAの役員会があるから遅くなる。」


 父の答えを聞きながら、私はいつからお父さんと呼ぶようになったのかという問いの答えを見つけていた。


 そんなこと、分かりきっているではないか。


 ママが長く深い眠りに就いた時からである。


 ママが眠ったままになるまで、私と父はあまり関わったことはなかった。父は私が起きるころには家を出ていたし、帰るのも、私とママが夕食を終えた後、しばらくしてからだった。休みの日は、父は元気がなかった。だから、ママと二人で買い物に行ったりしていた。


 二年前から、父は変わった。


 ママが眠ってしまってから、私に関わらなくてはいけなくなったからである。


 今まで他人みたいな関係だった私と父は、ご近所さん程度の友好関係にはなっていた。うわべだけの会話はするようになった。


 父はよく頑張っている。


 ママの入院費もばかにならないだろうに。


 私の世話までして。


 でも、それは私のためではないことは、よく分かっている。


 全てはママのためだ。


 死ぬほど美しいママのため。


 そのために、ママが死ぬほど可愛がっていた娘の世話をしているに過ぎない。


 食事を終えた私は顔を洗いに、洗面台に行く。


 洗面台には鏡がある。


 私は鏡を見るのが大嫌いだ。


 自分の顔が大嫌いだ。


 きれい、汚いの問題ではない。


 ママに似てるか似てないかの問題なのだ。


 私はママに似ていない。むしろ、ママとは真逆な顔をしている。


 角度のついた眉に、一重の目。その眼はキツネのようにつりあがり、細い。鼻は丸く低い。唇は分厚く、表面は荒野のようにカサカサ。サボテンを植えても、ちゃんと花を咲かすだろう。


「行ってきます。」


 玄関から父の声が聞こえる。


「いってらっしゃい。」


 私は父にそう答える。


 私の顔は父にそっくりだ。親子ではない、と言われることは決してない。年の離れた兄妹と言われたらきっと信じるだろうし、双子だと言ったら納得されるだろう。


 父の声を聞くと、ボッと怒りが湧いてくる。


 父に対してではなく、鏡に映った、ママに似ていない、自分の顔にだ。


 鏡で自分の姿を見るたびに、鏡を壊してやりたい、という衝動に駆られる。


 この世の、ありとあらゆる鏡を。


 これほどママと私が似ていないのだから、私はママの子ではないのではないか、なんてバカなことを考えたこともあるが、それは実に浅はかな考えである。


 ママが父ではない男の人の子を産む可能性はあっても、父が別の女性に子を産ませる可能性は、絶対にない。どれほど緻密に検証して、天文学的の確率まで極めても、ゼロである。


 父がママ以外の女性からモテることはない。


 なぜなら、私と似て醜いから。


 冷水を顔に浴びて、冷たい外気に触れた私の顔を鏡で見ると、赤くなっていた。


 さらに醜くなった。


 ふと、ここである可能性を見出す。


 私をママが愛してくれていたのは、私が父に似ていたからではないのか。


 ママが愛した野獣に私が生き写しのように似ていたからではないのか。


 ママが父に似ていない子を愛さないなどとは思っていない。きっと、ママなら、どんな子であってもあの美しい笑顔を見せてくれたはずだ。


 しかし、父に似ている子と似ていない子の二人がいたら、ママはどちらに多く愛情を注いだだろうか。


 この世界もまだ救いがあるな、と思いながら私は水でぬれた、ママの愛する私の顔をタオルで拭った。




「おはよう。」


 私は駅のプラットホームに来た女子にあいさつをする。


「おはよう。」


 低血圧気味な顔をし、怠いような態度で、その女子は私に挨拶をする。


 別に彼女は私を嫌っているわけではない。むしろ、私と慣れ親しんでいるから、そういう態度になってしまうのだ。


「真綾、今日も怠そうね。」


 私は怠そうな、夜になって起き上がってきたゾンビのような様子の女子に言った。


「だってさ、今日も数学の小テストがあるのよ。そりゃ学校なんて行きたくなくなるわよ。」


 真綾はグダグダと言う。


「まあ、頑張りなさいな。」


 そう言って、私は真綾の背中をパンパンと叩く。


「ほんと、楽夢はいいわよね。文系の数学って簡単でしょ。」


 はああ、と魂が抜けんばかりの溜息を真綾は吐く。


 なんとなくバカにされた気がするので、毎日イラっとするのだが、毎日のことなので、幾分か慣れた。人生とは、慣れである。


「また、ダラダラしてる。」


 無人駅にまた一人、私の友だちが来る。


「おはよう。」


 私はその女子にも声をかける。


「おーっす。楓。」


 真綾は老婆のように腰を曲げながら、女子にあいさつをする。


「そんなにダラダラだと、男も寄ってこないわよ。」


「うるせえ。」


 楓の言葉に真綾が反発する。


「テメェだって、男なんかいないくせに。」


「アンタみたいなのとつるんでると、余計に遠ざかっていくのよ。」


「どちらにせよ、うちの高校じゃ、恋愛は無理っしょ。」


 私は熱くなる二人に、現実というなの冷水を浴びせる。


 ・・・・


 二人は現実を受け入れられず、沈黙する。


 学力偏差値が上がるにつれて、顔面偏差値が下がっていく。


 これがうちの高校の不変の原理だった。


 それは男女関係なく当てはまる。


「文系クラスはどうなのよ。いい男、いる?」


 真綾が私に聞いた。


 真綾と楓は理系クラスだったのだ。


「うーん・・・」


 私は唸って考える。


 男やら恋愛に興味のない私は、クラスの男子をよく見てはいなかった。


「芳しくないようね。」


 楓は唸りながら考え込んでいる私の様子を見て言った。


「まあ、男子も女子も、恋愛にかまっていられないってのが現状だしね。」


 私は言った。


 それが現状だった。F高の大抵の生徒は国公立大学の進学を目指している。そのため、日々勉強をしている。


 が、F高で恋愛がはこびらないのには、もっと大きな理由があった。


 リア充は死ね。


 そういう風潮が広まっていた。


 モテない人間の僻みだろうが、私だってモテないのだから、イチャイチャしている高校生うを見ると、爆発して宇宙の塵となれ、と思う。


 かれこれ、漫才のようなことをしていると、いつの間にか電車が来る。


 乗車率、八割ってとこか。


 なかなかの人混みの中を、私たちは入っていかなければならない。


 乗客は九割以上が高校生で占められている。


 それはF高の生徒だけではない。


 F市には四つの公立高校と三つの私立高校がある。なぜこんな小さな市に七つもの高校があるのかというと、やはりF駅の影響だろう。F線やS線は大阪や京都と直結している。(まあ、終点までいかなければならないが)ちなみにF市ではないが、A市の公立高校、A高の生徒も多い。


 この時間はA高の生徒を含む公立高校三校が大半で、私立二校も混じっている。


 残りの公立は私鉄で行く。私たちのいる無人駅は私鉄の駅と一緒にはなっていない。


 残りの私立はこの後の電車で行く。


「なんで四両編成にしないんだろうな。」


 真綾がぼやく。


 この後の電車は四両編成なのである。今の時間帯のほうが乗客が多いにも関わらず。


「お偉いさんにはそれがよく分からんのです。」


 楓が言った。


 私たち三人が電車に入った後、男子が入ってくる。男子とはいえ、同じ穴のムジナである。なんの意識もしない。


 あいさつもしない。


 私たち三人は小学校も中学校も同じだった。


 この男子も、小学校から同じだった輩やら、中学校からの輩やらである。


 一人の男子が私の近くでつり革を持つ。


 私立高校の男子である。


 小学校からの知り合いであるからといって、あいさつはしない。


 向こうも話しかけようとはしない。


 女子は女子で、男子は男子で話している。


 まあ、隣の男子は文庫本を読んでいるが。


 私たちF高の生徒は、他の高校の生徒はバカだ、と思っている輩が多い。F高だけが学力が高すぎるのだ。普通、私立高校は頭がいい、という印象があるが、私立高校は中間レベルの公立に入れなかった生徒が入る所だ、とされている。私立は受け入れる幅が広く、本当のバカから、F高のトップクラスまでの学力を持っている生徒もいることにはいるのだが、そこはブランドというものだろう。F高=黄金聖闘士という感じになっている。


 黄金聖闘士か。カッコいいよなあ。


 などとよだれを垂らしながらも、私たちがどうでもいい話(主に真綾の愚痴)をしていると、F駅に着く。かれこれ十分というところか。一駅間が十分である。それが一時間に一本ペースである。真綾がぼやきたい気持ちがよく分かる。




 雲一つない空。


 そんな空を私は気味悪く眺めていた。


 今は三時間目の中間休み。次の時間の体育の準備を私たちはしている。


「外で体育の人は気の毒よね。」


 今日子は私に話しかける。


「ホント、体育館でよかったわ。」


 私は今日子にそう答える。


 私たちは卓球の用具を運びながら、体育館に向かっていた。


「体育は一、二、六組と合同だったっけ?」


 今日子は私に聞いた。


「多分、そう。」


 二年生になり、クラス替えが行われた。文系クラスは一組と二組に分かれ、六組は普通科とは違うので、三年間同じメンツ。三、四、五組は理系となった。


「ちょっと、不安ね。」


 私はそう言った。


 一組とは隣同士のクラスとなり、顔くらいは見覚えがあったが、六組は少し苦手意識があった。彼らは別に威張っているとかそういうのはないだろうが、いわゆる天才の集まりなので、近くにいるだけで結構気まずかった。


 私は学力が下の他校の生徒を、下に見るということはない。ただ、自分は偶然頭がよく、奇跡的にF高に入れただけだと思っているからである。むしろ、彼らのような人間の方が自分よりも才能にあふれている気がして嫉妬することもあった。


 一方、自分より能力が高かったり、年上だったりする人間に対しては、どうも私は気後れする性格であった。もしかしたら怖いのかもしれない。


 体育の授業は選択で、卓球をとるような人間は大抵運動オンチだと私は信じて疑わないから、大丈夫だろうが。ちなみに、私はとてつもない運動オンチである。ノビタなんて目じゃないぜ。


 ところが合点。私は間違いをしていたようだ。卓球部というヒト型最終兵器を忘れていたぜ。それも、卓球部がよりにもよって、全員六組だった。


 何回も卓球部に負け、私は卓球と、六組が苦手になった。


 休憩中、バドミントンの授業が目に入った。


 体育館を二つに分け、卓球とバドミントンに分かれていたのである。


「あれ、フロイトじゃない?」


 今日子が私の横に座って言った。


 どこにいるのか、と探してみても見つからない。


「ほら、あそこ。」


 今日子が指を指した方向は、生徒にバドミントンを教えている教師の横である。私は生徒が多くいる場所を探していたので、見つからなかったのだ。


「どうしてフロイトが教えてるの?」


 私は今日子に聞いた。


 私が見た所、フロイトは他の生徒の前でラケットを握って、何やらやっている。どうみても、教えているようにしか見えない。


「中学の時、バドやってたらしいよ。」


 今日子のいる反対側から男子の声が聞こえて、私は驚いてそちらの方を向く。


 そこにいたのは、六組の男子だった。


「そう。」


 私は苦手意識のため、微妙な返事しかできない。


「フロイトの知り合い?」


 男子は少し苦笑いのような表情を作り、私に話しかける。


 苦手意識を持たれるのに慣れてるんだろうな、と私は感じた。


「いや、クラスはおんなじ。」


「フロイトって一体何者なんだろうな。無茶苦茶頭がいいし。」


 そんなことを聞かれても困る。私はフロイトについて何一つ知らない。


「さあ。」


 私は男子の顔を見ずに言った。


「そうか。」


 そう言って、男子は男子の群れに帰っていった。


「清水くんと知り合い?」


 今日子は私に言った。


「いや、全然知らないよ。」


 その男子が清水という名前であることさえ知らなかった。


「じゃあ、なんで楽夢に話しかけたんだろ。」


 それは私が知りたい。よっぽどフロイトに興味があるのか。


「もしかして、ナンパ?」


 今日子が冗談で言ったように聞こえず、思わずハァ?と少し怒った口調で答えてしまう。


「ちょっと、怖いって。」


 このつり目のせいか、人に怖がられることが度々あった。


「んなわけないでしょうが。この面でモテるわけないし。」


 私は不機嫌な感情をあらわにして言った。


「別に楽夢はそんなに悪い顔じゃないわよ。とびっきり綺麗ってわけではないでしょうけど、中の上くらいのレベルではあるわよ。」


 私の不機嫌に少し押され気味になりながら、今日子は言った。


「お世辞をどうも。」


 私はまだ不機嫌なまま言った。


「お世辞じゃないわよ。どうして楽夢は顔のことを褒められると不機嫌になるの?」


「大嫌いだから。」


 自分でも怖い顔をしているのが分かった。今日子でなければ恐らく、泣かしていただろう。


「アンタが私はたまに分かんないわ。私なんて、どんなに頑張って清水くんに振り向いてもらおうとしているのか・・・」


「あの子のこと、好きなの?」


 私はビックリして、今日子に話しかける。


 少し沈み気味になって、今日子は言った。


「偏差値が高い上に、スポーツもできて、顔の偏差値もAクラス。学年トップクラスの人気よ。」


 はあ、そうなのか。人間のオスについてはあまりよく分からない。


「だから、私、中学の時もバスケ部に入ってたのよ。」


「どういうこと?」


「私は清水くんと同じ中学だったの。それでずっと好きだったのよ。清水くんが高校もバスケやるって言ってたから、私は練習についていけるか心配だったけど、バスケ部に入ったの。」


 今日子も運動オンチである。バスケをやっているだけ、バスケはそこそこ上手いが、他はてんでダメだった。バスケがそこそこできるのも、清水とやらに振り向いてもらうために頑張っていたのではないか、と私は思った。


 一人のオス相手に自分の身を顧みない。


 私はうらやましく思った。


 これは嫉妬というものだろうか。


「そんな人気者が私にかまうわけないでしょう?」


 私は今日子を励ますためにも、また、自分も本当にそう思っていたので言った。


「いいえ。多分、楽夢が好きなんだわ。じゃないと、卓球なんて取らないし。」


 マイナス思考に陥ったメスほどめんどくさいものはない。


 しかし、少しでも気になっている女に、なんの遠慮もなく話しかけるものなのか。オスよ。


「好きな女の子に簡単に声を掛けるかしらね。」


 私は今日子に言った。


「分かんないわよ、そんなの。」


「じゃあ、今日子は清水とかいうオs・・・じゃなくって、男の子に簡単に話しかけられる?意識してたら無理じゃない?」


「だって、男の子だし・・・」


「私は気に入ったメスに気軽に話しかけるオスにまともなヤツはいないと思うわ。そんなオス、いっぱいメスを泣かせてるに決まってるわ。」


「清水くんをオスだとか、悪いヤツだとか言わないで!」


 なんでやねん。


 なんで逆ギレされんとならんねん。


 まあ、今日子はネガティブモードから抜け出せたみたいだから、いいけれども。


 女の子は分からない。




「じゃあ、またね。」


 今日子は私にそう言って、教室を出る。


 体育の時間に、少々ケンカのようなものをしたが、まあ、私たちにとってはお約束のようなものであって、それで仲が悪くなるようなものではなく、至って普通の別れであった。


 今日も今日子は部活を頑張るのだろう。清水とかいう、意中の男性を射止めるため。運動が苦手な今日子が部活をやっているのに前々から疑問を感じていた私は、体育の時間、そのことを聞いて、腑に落ちたのだった。


 それがいわゆる、普通の女の子なのだろうか。


 男に何の興味のない私は、かなり変わった存在なのだろう。


 雲一つない、気味の悪いほど透き通った青色をしている空をぼんやりと眺めながら、思った。


 ぼんやりと、何も考えずに空を眺めていると、声がしなくなっているのに気が付いた。教室を眺めると、もう誰もいなかった。


 今日はフロイトもいないんだな、などと考えていた。


 電車までは腹立たしいことに、まだまだ時間が有り余っていた。


 ガラガラ。


 教室の扉を開けるような音がする。


 先生か、それとも、忘れ物をしたクラスメイトか。


 どうでもいいことなので、目を合わせないように、私は窓の外の青空を眺めた。


「ほほう。あなたがタナトスの言っていた愚か者ですか。」


 誰もいない教室に、男子の声が響く。


 正確には、私と、先ほど教室に入ってきた人物X以外はいない教室だが。


「ああん?」


 他に人はいないので、私に男が話しかけたのだろう。何かをするのが面倒臭くなっていたので、私は不機嫌になりながら、男の方を見た。


 驚いた。


 私が知っている人物であったこともあるが、ここにはいるはずもない人物だからである。


「なんでアンタがここにいるのよ。」


 その人物は、今日、私が電車に乗っている時に隣にいた男子であった。


「僕だって驚いてるよ。二本松さん。」


 二本松とは私の苗字である。


「いや、驚くのはこっちだから。なんで別の高校の、それも私立の高校のアンタが制服のまま、この高校に入ってきてるの?」


「別に入れないことはないと思いますが。」


 物理的に入ることは可能だろう。大してセキュリティもないし。正式に手続きをすれば、のうのうと入ることはできる。


 しかし、この状況はおかしい。他校の生徒がこの高校になにかの要件があるとして、なぜ、この教室に入ってくることができるのか。


「とりあえず、ゲームでもしましょうか。」


「はあ?」


 訳の分からない状況で、訳の分からないことを言った男子に私は自分でも訳の分からない声を上げる。


 男子はお構いなく、背中のリュックを私の前の座席に降ろし、その座席を百八十度回転させて、私の机と向かい合うように、引っ付ける。


 リュックの中からチェス盤を取り出して、机に置く。


「チェスのやり方、知ってますか。」


「あのね、竹中くん。」


 私は目の前の男子、竹中樹に言った。


「とりあえず、色々と説明してくれないかしら?」


「私とあなたの仲じゃないですか。なにも説明することはありませんよ。」


 まるで、自分たちはつきあってる、とでも言いたいみたいな言い方である。


「ルールは教えますから、やりましょう。」


 気持ちが悪い。樹に丁寧語で話されると、とてつもなく気持ち悪い。


「竹中くん、いや、樹。丁寧語はやめてくんない?」


「なぜですか?」


 樹は目を丸くして言った。


「私とあんたの仲でしょう。」


「そうか。」


 急に荒い口調になるのには驚いた。


「ええっと・・・黒と白、どっちが先攻だったっけ・・・まあ、いいや。」


 ルールを知らねえのかよ、と私は心の中で呟く。


「ま、とりあえず、初めよっか。」


 そして、私たちは、何故かチェスを始める。


「なんでアンタはここに来たのよ。」


 ゲームの中盤、私が優勢になったところで、私は切り出した。


 樹は必死に次の手を考えている。


「叔父に言われたんですよ。愚か者を手伝ってやって欲しいって。」


 その話からすると、私が愚か者ということになる。


 樹は駒を動かす。


「その叔父って、誰よ。」


 そう言って、私はさっき樹が動かした駒をとり、その場所に自分の駒を置く。


 うわ、と樹は声を上げる。


「タナトスですよ。宿主の名は知りませんが。」


 樹は盤を隅々まで眺めまわしている。


「で?私がどうして愚か者なの?」


「そんなこと、知りませんよ。」


 そう言って、樹は駒を進める。


「晴れの日に、教室で。」


 樹に言われた言葉に、思い当たるものがあったので、私は駒を動かそうとしていた手を止める。


「つまり、あんたのおじさんがフロイトで、タナトスってわけね。」


 くだらねえ、と思いながら、私は樹の、さっき置いた駒とは違う駒をとる。


 うげ。


 樹がカエルがつぶれたような声を上げる。


「で、チェスをするのが、私の手助けになる、と。」


 ええ、と言いながら、樹は駒を動かす。


「チェックメイト。」


 私は言った。


 樹は動かしてはならない駒を自分で動かしたのである。


「楽夢ちゃんは、すごいなあ。」


 昔に戻ったように、樹は言った。


「ふふん。どんなもんだい。」


 樹は小学校からの友達だった。樹の場合は少し特殊で、小学校四年生のとき、どこからか転校してきた。


 とにかく不思議な男の子だった。


 誰とも仲良くせず、ずっと一人で遊んでいるような、そんな子であった。


 昔よりも今この時の方がよく話しているのではないか、と私は思った。


「次はこれ。」


 樹はリュックの中から、カードの束を出す。


「それって、もう一個デッキがないと、ダメでしょ。」


 樹が手にしているカードは、少年漫画で連載されているものをカードゲーム化したものだった。


「あるよ。」


 そう言って、樹はもう一個デッキを取り出す。


「じゃあ、弱い方をもらうわ。」


 私はそう言った。


 デッキの中身は違うもので、様々な種類のカードを組み合わせてデッキを作るのだった。よって、デッキにどのカードを入れるかによって、強さが変わる。




「なんで負けるんだ。」


 樹は悔しそうに言った。


「レアカードばかりのデッキで、どうやって勝とうっていうのよ。」


 私は呆れてものも言えなかった。さっき、言ったけど。


 私は気付いて、時計を見る。


「ああ!こんな時間じゃない。」


 病院へ行く電車はとっくに出てしまっている時間だった。


 私は急いで帰ろうとする。


「ちょっと待った。」


 樹は私を呼び止める。


「何よ!私は急いでるの!」


 そう言って、私は教室の戸を開けて、教室を出る。


 あれ?


 夢でも見ているのだろうか。


 扉を出たところは、また、教室である。


 樹は先ほどのまま、座っている。


「無駄だよ。」


 樹は、さも当然であるかのように、物わかりの悪い生徒に教師が物理法則を教えるように、私に言った。


「君は夢の中にいるんだ。君が二年間見ることの無かった夢の中にね。」


「どう・・・いう・・・」


 驚愕して、何も言えなくなった私に樹は言った。


「僕はモルペウス。夢作りの神だよ。」


 自称神はそう言った。


「はあ?」


「楽夢。君は母親のところに行ってはいけない。」


「どういうことよ!」


 私は怒鳴った。しかし、声は思ったほど響かない。


「僕は君に夢を見せることができる。君が二年間、見ることの無かった夢を。もし母親のことを諦めるのなら、君は再び眠ることができる。どうする?」


 そんなこと分かっている。


「君の願いはなんだい?」


 私の願いは・・・・


「ママを助けたい。例え、命に代えても、私はママを眠りから覚ます。」




 気がつくと、私は病室にいた。


 ママの病室だ。


 本当に夢を見ていたのだろうか。


 信じられない。


 二年間も眠れずに、夢も見なかったというのに。


 それに、いつの間に、私は病室に来ていたのだろう。


 今は月曜日なのではないか。


 私は火曜日の夢を見ていたのではないか。


 ふと、私は手帳を持っていることに気付く。


 ああ、きっとそうだ。私は明日の夢を見ていたのだ。


 そう考えて、私は手帳を開ける。


 夢の中で樹が言っていたページ、『晴れの日、教室』と書かれたページを開ける。


 そこには昨日と同じく、『晴れの日、教室。』と書かれていた。


 その下に、こう書き足されていた。


『オルフェウスよ。君は我が兄弟と出会わなければならない。我が兄弟と出会うと、きっと、君の願いは叶うだろう。冥府から愛するものを連れ戻すことができるはずだ。』


 私はスカートのポケットからスマホを出す。


 火曜日だった。

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