1-25 二人はひとつになりました!

 その日はどんよりとした雲が空を覆っていて、朝か昼かもわからない日和だった。

 蝶が舞う園庭に再び舞い戻る。ここは決戦の地、ララファ邸の中庭である。

 俺とレインはララファに挑むように向かい合う。まるで、これから最終決戦にでも挑む意気込みである俺達に対し、ララファは優雅にティータイム。


 「随分お早いお帰りだな。まさか、一日で離婚か? いや、めでたい」

 「なに一人で盛り上がってやがるんですか。私たちは蝶を捕まえに来たんです」

 「そうだ。今日でこの手錠を外させてもらう」


 俺達の意気込みに多少なりとも興味を引いたのか、ララファはカップを置きこちらに向き直る。


 「どうやら仲直りはしたようだが、捕まえられるのか?」

 「バッチリです。見ててください」


 レインは自信満々に言う。

 俺は未だに作戦らしきものを聞いていないのだが大丈夫なのだろうか?


 「なあ、作戦あるんだろ? いい加減教えてくれ」


 耳打ちでレインに聞いてみるのだが、


 「作戦なんてないですよ」


 あっさりとした答えが返ってきた。


 「お前、昨日自信満々に私を信じてくださいとか言ってたじゃん!? なにか作戦があると思ってたんだけど」

 「ないです。でも、クモの糸程度の賭けならできます」

 「賭け?」

 「はい。シンヤさんのスキル「索敵」を使ってください」


 確かに「索敵」を使えばある程度蝶の位置は把握できるだろう。だけど、それでも確実に捕まえられるとは思えない。

 昨日から不思議に思っていたが、レインは計画的に動く性格だと思う。なのに、どうして今回に限ってそんなに刹那的なのだろうか?


 「それだったら、練習してからでも遅くないんじゃない?」

 「シンヤさん。私達には時間がないんです。いえ、少なくとも、私には時間がありません。今すぐにでもこの手錠を外さなきゃいけないんです」


 レインの顔が青ざめ、冷や汗をかいている。おまけに足もガクガクと震えているのだ。

 俺はそんな弱った彼女の姿を見て察した。


 「お前……まさか……」

 「……何も言わないでください」


 こいつアレを我慢しているのだ。

 俺達はあくまで人間、いや動物だ。動物は生命を食べ、そしてそれを不浄のものに変換し大地にばら撒く異形の存在。無意識のうちに環境を汚染しうる禁忌の存在だ。

 レインは今、環境を守ろうとしているのだ。


 「レイン……お前うん……ヒデビュっ!」


 思いっきり拳をボディに叩き込まれた。


 「シンヤさん! あなたも他人事じゃないんですよ! いつか絶対に来るんですよ!? ゴロゴロと嵐のように!」

 「いや、俺は別に見られても興奮するし」

 「死ね! この変態!!!」


 なんだか俺たちの間にまた亀裂がはいった気がする。


 「とにかく! すぐにやります。いいですね!?」

 「わかったからテンション抑えよう! 今日のお前おかしいぞ!」

 「レイン。失敗したら、お前をウンコマンと呼んでやるぞ。ああ、ウンコウーマンか?」


 事の重大さに気が付いたのか、ララファは小学生のトラウマを掘り起こすようなあだ名を命名しようとする始末である。

 俺はすぐさま目隠しをつけてスキル「索敵」を発動する。

 目の前は真っ暗だが、マップだけ鮮明に表示される。たくさんの蝶が舞っているせいか、あたり一面が夥しい点で支配されてしまう。正直、気持ち悪い。


 「シンヤさん! 準備はいいですか!」

 「よっしゃ、いつでもこい!」


 とにかくやり遂げなければ一大事だ。綺麗な庭園が肥溜めになってしまう。


 「3時の方向! 来ます!」


 俺は一度マップを確認し、言われた方角へ構えを取る。


 「いまです!」


 俺は言われた通り虫取り網を振りかざす。

 けれど、


 「あああああああああああああああ!!!」


 レインの絶叫が聞こえる。どうやら外したらしい。


 「まだまだ、次! 12時の方向!」

 「了解!」


 言われた通り構え、振る。


 「がああああああああああああああああ!」


 また外してしまったのか、女の子の声とは思えない地獄の絶叫が聞こえてくる。冷静さを失って自分のキャラを見失っているようだ。


 「漏らす前にトイレに行っても構わんぞ? シンヤは目隠しをしているんだ。問題なかろう」

 「絶対に嫌です!」

 「俺は気にしないよ! ほら、音とかも俺が奇声発してかき消すから!」


 今のレインは平常心を無くしてしまっている。このまま続けてもうまくいくとは思えない。


 「いよいよの時は飛び降り自殺します」

 「それ俺も死ぬ!」


 そうして何度か同じようにレインの指示に従って振れど、蝶は捕まらない。

 レインも体力が限界に近いのか、俺の動きについていけなくなっている。

 ついにはお互いの足が絡まって倒れてしまう。


 「うう……もう駄目です。死にましょうシンヤさん」

 「諦めるな! 漏らしても俺が貰ってやる!」

 「いやです! シンヤさんなんかいりません!」

 「俺脱糞以下!?」

 「もう……いやです……」


 隣から涙声がする。

 彼女の弱音を聞いたのは初めての事だった。

 俺は手探りで彼女を探す。

 ようやく見つけた手は汗ばんでいて、震えていた。


 「立て」

 「……もう無理ですよ」


 そんな彼女の言葉を無視して、俺は立ち上がる。


 「俺はお前を信じた。頼りにした。でも、お前は俺の事を信じたか?」

 「……」


 レインは答えない。

 けれど、俺は無視して彼女に手を引っ張る。


 「これが、俺の伸ばせる範囲。手の届く範囲なんだ。お前が握り返してくれなきゃ、助けられない。でも、握り返してくれたらさ、届くんだ。どんなに飛んでも届かなかった、欲しかったものを掴めるかもしれないよ?」


 彼女の手から、かすかに握力が戻る。握り返してくれる。


 「言ってること、よくわかんないです」


 それでも、彼女は立ち上がってくれた。


 「でも、信じます。今度こそあなたを」

 「任せろ」


 俺達は手をつないだまま、構えを取る。


 「狙いは一匹に集中します。ついて来てください!」

 「おう! 今度は協力プレイだ!」


 互いの手をギュッと深く握る。



 父性スキル【経験は記憶の父知恵の母】を習得しました。



 スキルが発動した瞬間、自分にはない力が、流れ込んでくる。

 レインと感覚を共有しているのがわかる。彼女の知識が直接頭の中に刻み込まれていく。俺たちの心と体はひとつになっているのだ。

 だから、彼女の考えていることがわかる。次に何をするべきか理解できる。

 そして、何より、


 「うおおおおおおおお! うんこがあああああああああ!!!」


 体の感覚まで共有されてしまったせいか、便意がものすごい勢いで俺の尻を揺るがしてくる。まるで天災だ。俺の尻の穴はいま酷く震えている。


 「ダメです……力を制御できません!」


 彼女は必死にスキルの力を抑え込もうとしている。だけど、それでは意味がない。


 「遠慮すんな! レインお前は全力でいけ!」

 「シンヤさん……!」

 「俺がついていくから!」


 レインが俺の言葉に答えてくれるのが尻を通してわかる。土石流の量が増してゆく!

 そのかわりに、俺のすべてを彼女にゆだねる。


 「え……あっ――――。ダメ」


 どうやら感じ取ってくれたらしい。俺の思いを。


 「……シンヤさんも我慢してたんですね」

 「ああ、膀胱が爆発しそうだぜ」


 つまるところ便意のダブルパンチ。背水の陣だ。いや便水の陣である。


 「……行きますよ。シンヤさん!」

 「わかってる。言葉なんかいらねえ!」


 すると、レインの指示が頭の中に飛んでくる。


 (9時の方向!)


 俺とレインはそれぞれの軸足を揃えターンをする。


 (外した――――!)


 「ぐあっ……」


 肛門が警鐘を鳴らす。


「これぐらいの便意……、なんてことねえ……っ!」


(前に5歩――――)


 社交ダンスでも踊るように、流麗なステップで前に出る。


 「お前が俺を夫と思ってくれてるうちは、俺は漏らさねえぞ!」


 ケツを閉めながら、締まらない言葉を叫ぶ。

 そして、彼女はそれに応えてくれる。


 (いまだ――――!!)


 「「そこだあああああああああああああ!!!」」


 手ごたえは――――あった!

 目隠しを外すと、網の中で蝶が暴れ狂っている。


 「やった! やったぞ!」

 「やりました! すごいですシンヤさん!」

 「まさか……本当に捕まえるとは」


 ララファが感嘆の声を上げている。

 すると、


 (まったく、強引な人です。私はもっと白馬の王子様のような人がいいのに……)


 随分とロマンチックな感情が俺の中にあふれ出す。

 不思議に思っていると、レインが手を振りほどく。


 「勝手に人の感情を覗かないでください」


 ようやくいつもの顔に戻る。その表情は相変わらずで、何を考えているんだかわからないけれど、ただ、悪い気分ではないだろう。


 「ごめんな、白馬の王子様じゃなくて」

 「うるさいです。黙っててください」


 今日のレインは弄りやすくて面白い。もしかしたら、これが本来の彼女の姿なのかもしれない。


 「なにニヤニヤしてるんですか? きもいです」

 「んー? いや、なんでも?」


 無言で軽く脛を蹴られる。痛い。


 「お前らなにイチャついてんだ。鍵は良いのか?」


 ララファに言われて思い出す。


 「そうだ! はやく鍵を開けてくれ!」

 「もう限界です……」


 めでたく、俺達は拘束から解放された。

 今回の件で、俺とレインの絆は深まっただろう。だから、この先どんな困難があろうと俺達家族は乗り越えていける。そう信じている。


 そう思っていたのだが、


 「私が先です!」

 「無理だから! 俺も限界なんだって、頼むから譲ってくれ!」


 さっきの協力は嘘のように、トイレの前で俺達は口論をしていた。


 「パパとママなにしてるの?」

 「見てやるな。あれでもお前の親なんだ……」


 最後まで締まらないのは最悪のオチだ。



 きたる決戦の日。

 俺達はこのEランクへの昇格戦のために、ララファのもとで多くの事を学び、そして家族の絆を深めてきた。その証拠に集会場までの道中、三人で手をつないで来たのである。

 どんな相手が来ようと負ける気はしない。全力で叩き潰す意気込みである。

 そのはずだった。


 「すみません。シンヤくん達の対戦相手だった「漆黒の黒い爪」の件ですが、急遽、棄権をなさるとのことで、えっと、不戦勝でEランクに昇格となります。おめでとうございます!」


 「おー、いーらんくだって! すごい!」

 「なんだったんでしょう、今までの努力は」

 「知らん……」


 そうして、めでたく俺達はEランクに昇格したのであった。

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