1-20 授乳体験セール!
ララファに勝ってから、どうも彼女に懐かれてしまったようで、
「なあ、シンヤ。今日は何して遊ぶー?」
毎日、朝からこんなことを言いに俺の部屋に乗り込んでくるのである。
「今日はシャンの相手をしないと、レインに怒られちゃうんだ」
「むー、あいつは駄目嫁だなあ。わたしだったらそんな苦労はさせないぞ? そうだ! いっそのこと、シャンを連れてわたしと愛の逃避行をしよう」
ポンと手を叩き意味不明な提案をしだす。
「いやあ、俺はこの豪邸でダラダラと過ごしていたいなあ」
「安心しろ、他の国にも土地を持っているからな。安心してダラダラ出来るぞ?」
「え? まじか。そうとなったら鬼の居ぬ間に……」
「だーれーがー、鬼ですか?」
ぎょっと振り向くと、後ろにレインさんがいらっしゃった。
「ママはおにー!」
ついでにシャンもいた。
「お、おはよう二人とも! ところでいつからいたの?」
「なあ、シンヤ。今日は何して遊ぶ? あたりからいました」
「初動からいらしたの!? 怖いよ! どこにいたの!?」
「秘密です」
唇に指先を当て小悪魔っぽく言っても、ちっとも可愛くない。
「レイン。お前は朝から変態だな。そんなんじゃシャンの教育に悪影響が出るんじゃないか? いい加減、母親権限をわたしに渡すがいい」
「あは、あなたにだけは言われたくありません。明らかにあなたのほうが変態です」
どっちもド変態だろ。と言いたかったが、口を慎むことにした。
この喧嘩も毎日行われるので、いい加減うんざりである。
「ねえねえ、俺のハーレムで喧嘩するのはおやめなさい」
「縊り殺しますよ?」
「シンヤにはわたし一人で十分だ」
さらにはハーレムの形成もNGときたもんだ。まったく何のための異世界なのだか。
結局、俺の冗談では喧嘩を止めることが出来ずに二人の口論はヒートアップしていく。まったく、付き合ってられない。
「シャン、朝ごはん食べに行こか」
「うん!」
二人を置いて俺達はララファ邸を後にした。
☆
ララファの家でごはんを食べることもできるのだけれど、やっぱり庶民としては質素な味が恋しくなってしまうのが、生まれてからの貧乏精神のなせる業なのかもしれない。
そういった理由で、今日の朝食は集会所の安くて硬いパンやら、味のしつこいスープを食べて過ごす。
俺も異世界に順応してきたのか、安い飯でも美味しく食べる方法を見つけることがある種の楽しみになっていて、この硬いパンはスープにつけると程よくほぐれるので、ジャムが無くても美味しく食べることが出来る。
「うまうま!」
「うーん。スープはしつこいままだなあ」
シャンの舌には良いのかもしれないが、どうも年を取ると濃い味が受け付けなくなってしまう。なにより胃によろしくないのである。ああ、若いままでありたいなあ。
「これを入れると丁度いい味になりますよ」
すると、バターのようなものがスープの中に浸透していく。
声の主はギルドの母性受付嬢のサララさんで、彼女も朝食なのか、俺の隣に席をつけてご飯を食べている。
「サララさんもこの硬いパンとしつこいスープ好きなんですか?」
「あんまり好きじゃないけど、なんかクセになっちゃうのよね。色々と自分でアレンジ加えたりして食べるのが楽しいのかな?」
「ああ、わかります。それにしても、このスープすごい食べやすくなりました。この白いのは何なんです?」
「パターだよ」
「ああ、やっぱり。パンにつけても美味しいですよね」
やはりバターで正解なのだろう。この世界のものは名称が違えど、生きていた頃の世界のものと同じことが多くて非常に助かる。
「サララおばちゃん、おはよ!」
「こら! みんなのママだぞ! 失礼じゃないか!」
「シンヤくんのはもはや意味が分からないんだけど」
一部の冒険者の間ではサララさんのことをママと呼ぶのだが、どうやら本人は知らないようだ。どうか知らないまま人生を全うして欲しいものである。
「いいなあ、シンヤくん。子供までいて……私なんか帰ったら一人だもん」
と彼女はため息をつく。
「サララさんならその気になればすぐに結婚出来ると思いますけど」
「なかなか年収1000万の人が現れなくて……」
やべえ、この人。手遅れかもしれない。
「じょ、冗談だからね? そんな化石を見るような目で私を見ないでね?」
「あはは、そうですよね。ギルドの受付嬢じゃ無理な話ですよね」
「やっぱりそうよね……」
今度はえらく落ち込んでしまった。アラサーはめんどくさい生き物だなあ。シャンなんかサララさんの頭を撫でて慰めてくれている。健気なものだ。
「ああ、そういえば今度昇格戦受けようと思っているんですけど、対戦相手ってどういう風に決まるものなんですか?」
絶望的な人生から目をそらすには仕事の話である。変な話だけどね。
「そういえば昇格戦に必要なポイントは溜まっていましたね。それだったら昇格戦の手続きをしてください。そしたらこちらで対戦相手を選定させて頂きます」
「なるべく弱い人と戦わせてください!」
「たたかわせてくあさい!」
「えーっと、冒険者を登録した時期が近い人と戦わせる決まりですので……そもそも、シンヤくんのパーティだと相手を殺さないか心配なレベルなのですが……」
うん。まあ、サララさんの言うこともわかります。なぜだかララファを倒したことがギルド内に伝わっているらしく、やたらと屈強な男どもに声を掛けられたり、同じランクの冒険者から避けられたりと、腫れ物扱いされている。
「あの噂本当なんですか? Aランクのララファさんを半殺しにして、シンヤくんが奴隷にして毎晩毎晩、泥人形のように好き放題してるって……」
「パパこわい……」
「だれだその噂流した奴は!? 誤解どころか虚偽満載じゃねえか! あとシャンが何故怖がるの? 甲斐甲斐しいパパの姿を忘れたのかい?」
「え、違うんですか?」
「全部違います。ララファには一撃与えただけです」
「それでも十分凄いと思うんですが……」
「それよりも噂ですよ。なんとか誤解を解く方法はないですかね?」
「うーん。噂って時間の問題ですから……」
人間の悪しき習慣だなあ。下世話ならより盛り上がるってのがなんとも。きっと、どいつもこいつも酒の肴に面白おかしく改変して出来上がった話がそれなのだろう。
「よおし。なら、今日は良いことをしまくって、汚名返上といこうじゃないか。ところでサララさんは今日休みですか?」
「そうだけど……」
「なら、付き合ってください。いい考えがあるんです」
サララさんは少し逡巡するも、「暇だからいっか」と返事をくれた。
☆
ギルドの近くには、冒険者が集まる広場がある。俺とシャン、サララさんはその世紀末と見まがえるほどに荒れ果てた土地に来ていた。
「授乳体験してまーす! 無料でーす!」
「してまーす!」
「……………」
最初は奇異の視線で見られていたが、ひとり、ふたりが並ぶともう止まらない。集団の意識ってやつなのか、次から次へと母性を求めてやって来た馬鹿共が並び始める。まるで人気ラーメン屋のような光景だ。
「おいシンヤ! サララママのおっぱいが吸えるって本当か!?」
「おう! 思いっきりかぶりつけ」
「おうじゃない、おうじゃない!」
サララさんがキレのいい突っ込みがはいる。
「どうしたんですかサララさん? あ、そこ列の割り込みしないでね!」
「ごめんなさい。まず、この状況が理解できないんだけど?」
「授乳体験コーナーを設置しました」
「それも意味不明だけど、なんで私が人身御供に?」
「俺の誤解を帳消しに……サララさんの母性の覚醒を促そうと思って」
「本音も建前も賛同できないんですが……」
「何言ってるんですか。サララさん、結婚するにはまず行動が大事なんですよ? 幸福が向こうからやってくるなんて幻想を抱いているならいい加減捨てましょう。絶対的幸福なんてこの世にはないんです。でも、俺達は追い求めることは出来るんですよ? これって素晴らしいことだと思いませんか?」
「別に授乳じゃなくてもいい気が……」
まったく、現実を見れない人だ。サララさんのような素敵な女性が現実の前で腐り果てていく姿なんて俺は見たくないんだ。
「お前ら! サララさんと結婚したいか!?」
「……………………」
無言である。
「お前ら! サララママに受胎したいか!?」
「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」
喝采! 圧倒的喝采!
「これが現実です」
「私、一生結婚出来ないかも……」
「そこで諦めないで! 少なくとも受胎したい男性は多くいるんだ! 俺だってそうさ、つらいクエストが終わって、報酬が思ったよりも少なくて、でも、それでも次も頑張ろうって思えるのはサララさんが受付嬢なんだからだよ? あなたの笑顔で救われた人はこんなにたくさんいるんだ。あなたの笑顔のもとでおぎゃりたいんだ」
「そうだよ! 諦めないでママ!」「頑張れ!」「俺達がついてるぜ!」
俺達が熱心にエールを送ると、
「みんな……」
サララさんが感嘆している。どうやら俺達の熱いハートが届いたようだ。
「……わかりました。でも、男の人に肌を晒すのはちょっと……」
「それもそうですね。なら、膝枕で疑似授乳体験にしましょう。お前らもそれでいいよな?」
俺が列に問いかけると、二つ返事で了承を貰った。見た目はいかついが、みんな温かい心を持った人間なのだ。泣けるぜ。
そうして授乳体験セールが始まった。
一人目がサララさんの膝に頭をのせると、
「おぎゃっおぎゃっおぎゃっ! ぎゃ、ぎゃ、ぎゃ! おぎゃあああああああああ! ばぶう! ぎゃ、ぎゃ、おぎゃああああああああ!」
魂の雄たけびを上げる。
「………………………」
うーん、キモイ。巨漢のおっさんがバブバブしている絵面が最悪すぎる。
「パパ、あのおじさん、なにしてうの?」
「見ないであげてくれ。大人ってのは、ああしないと生きていけない時もあるんだ」
「よくわかんあい」
「わからなくていい。あ、ひとり一分でーす」
「おぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!」
俺がタイムリミットを宣告したとたん赤ちゃんが暴れ出す。きっと、この時間を失くしたくないのだろう。健気なものである。
「はーい。いい子でちゅねー。いい子だから泣き止みましょうねー」
そしてサララさん、ノリノリである。やはり普段から母性を体のあらゆる穴から滲みだしている人は違う。本能的に彼女をああしているのかもしれない。
「おぎゃっ……ぎゃ……おぎゃあ………………終わりか」
急に赤ちゃんが素のおっさんに戻る。
「サララさん、いつもありがとうございます」
「いえ、こちらこそです。ゴリリラさん」
流石は一流受付嬢、名前まで把握しているとは。俺だけ特別だと思ってました!
そして二人、三人、四人と次から次へとオッサンが幼児退行していく。
「おぎゃあ! ママ! ママ! バブバブバブ!」
最初は気持ち悪いと思っていたが、不思議と俺もバブバブしたくなってきたのである。それに、待機列が未だに衰えるどころか、その数が増える一方なのだ。ここで並ばなければ損した気分になる。
「シャン、俺達も並ぼうか!」
「シャン、かえりたい」
今までの凄惨な光景がトラウマになってしまったのだろうか。乗り気ではない様子だ。
「よし、それなら今度ケーキ食べに行こうか!」
「ほんと?」
「ほんとほんと! なんでもいいぞ。ホールで頼んでも構えわないぞ」
「わーい! はやくならぼ!」
ふふ、やはり子供よのう。
シャンを説得も終えて、彼女と手を繋いで最後尾に並ぶ。
そうすると、
「あれ? シンヤじゃん」
「ああ、カイト。お前も授乳体験?」
「ああ! サララさんの母性はたまらんよな!」
俺の列の前にカイトがいた。
カイトとは、俺が転生してからのはじめての友達で、困窮時代なんかはよく奢ってくれたり、アドバイスしてくれたりといろいろと世話になった、いわば恩人である。
しかもイケメンときたもんだ。真のイケメンとは心もイケメンで、昔はイケメン地獄に落ちやがれと思っていたのだけれど、実際に交流して見ると、イケメン抱いて! ってなるほどにイケメンなのである。
だが、彼の欠点と言えばやはり変態なところだ。過去に多くの女性と交際したらしいが、本性があらわになったらすぐにフラれてしまうらしい。
「シャンちゃんもこんにちは」
「こんにちは!」
「おい、近寄るな。変態がうつる」
「お前がそれを言うのか。いいなあ、俺もこんな天使な子が欲しいぜ」
「なら、その性癖を直せ」
「えー、お前だって同じ性癖じゃん。なんで子持ちなんだよ」
「いや、俺の場合は特殊つうか……」
成り行きでパパをやっているだけなのだが、すべてを語る必要もないだろう。
「そういえば知ってるか? 最近この近隣でドラゴンが暴れてるって話」
「ドラゴン? 初耳だな。低ランク冒険者には伝わってないのかも」
ちなみに、カイトのランクはCで、かなり腕の立つ弓使いと聞いている。
「ああ、そうか。だったら早く町から出られるランクに上がって来いよ。その内、ドラゴン討伐の緊急クエストが出されるかもしれないぞ?」
「低ランクでもそんな重大なクエスト任せられたりするの?」
「冒険者は人手不足だからなあ。仕方ないのかもな。もし機会があれば一緒に行こうぜ」
どこまでもイケメンなやつである。俺が女だったら股開くね。
今度飲み行く約束をしたり、彼の失恋の話やら聞いていると、そろそろカイトの順番らしく、お開きとなった。
シャンの方を伺うと眠たそうにしているので抱っこしてあげる。
「おんぎゃああああああああああ。ママ! ママ! ママあああああああああああ! 母乳が恋しいよ! もう一度生まれたいよお! ママのもとで人生やり直したいよお!」
やはりイケメンでもきもいものはきもい。つうか、今ままでのセリフの中で一番キモイ。こいつは真正なのかもしれない。今度いい病院を勧めてあげよう。
しかし参ったな。シャンが寝てしまっては抱っこした状態で幼児退行しなくてはいけない。そうすると、今までの中で一番変態的なプレイをするのは必然的に俺になってしまうだろう。
けれど、シャンは寝ているのだ。父のあられもない姿を目の当たりにすることがないのは僥倖と言えよう。
そうこう考えているうちにカイトが正気に戻って帰ってくる。
「どうだった?」
「定期的に企画してくれ。お前の立案なんだろ?」
「うん。あ、そうだ。ギルド内に俺が発案だったこと広めておいてよ。そしたら俺の株も上がるかもじゃん?」
「わかった。任せとけ!」
カイトは顔が広いから、すぐに広まる事だろう。
気付けば待機列はなくなっていて、どうやら俺が最後の赤ちゃんらしい。
「サララさん、大丈夫ですか? 疲れてないですか?」
「結構疲れたけど、まあ、楽しかったかな」
なるほど、この人も大概だな。美人なのに結婚できないのも頷ける。
「じゃあ、そろそろ私は帰りますね」
「待ってください! 俺もおぎゃりたいです」
「え……でも、まずいと思いますよ」
「問題ないです。シャン寝てますし」
「いや、そうじゃなくて後ろ……」
サララさんの指さす方向に目を向けると、
「あは、昼間から何をしてるんですか?」
「くふふ、シンヤ。そんな性癖があるなら、わたしに言ってくれれば良かったのに」
レインとララファが後ろで恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。
「いやね、これはギルド内での俺達の悪評を改善するためのね……」
「問答無用です」
「たっぷりお仕置きせんとな」
この後、俺のみに起きたことは語るまでもないだろう。
「おぎゃああああああああああああああああああ!!!」
これが本当の幼児虐待ってね。
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