1-2 転生までのあれやそれ

 目を覚ますと、空の中を漂っていた。

 四方八方が青い空に覆われていて、渦巻く雲は竜のように辺りを散歩している。俺はまるで鳥になったような気分でその風景を眺めていた。


 俺の目の前には、顔が脂ぎったヒキガエルのようなオッサンが、仁王立ちでこちらを見据えている。視界に入るだけで気持ちがくさくさする。


 「こんにちは。私は株式会社異世界転生、総務主任の蒲田と申します。そしておめでとうございます、あなたの願いが叶うことでしょう」


 「すみません。状況が理解できないのですが」


 つうかその会社名どうなの?

 俺が説明を求めると、蒲田は面倒くさそうにびちゃびちゃと顔を撫でながら、現状を教えてくれた。


 「霧谷深夜さん。あなたは死んでしまいました。ですが、安心してください。この度、当社はあなたを異世界に転生させることに決定いたしました」


 「異世界って、剣と魔法の世界ですか!? チートを駆使して好き放題できるんですか?」

 とんでもな展開で思わず、俺は漫画や小説で見知った浅はかな知識を蒲田に披露してしまう。


 「ええ、その認識で間違いございません」


 「それはすごい!」


 ああ、なんたる幸運だろう! まさか、本当にアニメやゲームの世界に旅立てるなんて、不謹慎だが死んだ甲斐があったというものだろう。

 俺が思いを馳せていると、蒲田はA4サイズの紙を挟んだバインダーを差し出してくる。


 「なんですか。これ」


 「ちょっとしたアンケートです。いくつか質問がございますので、記入して頂ければ、我々の力であなたが希望する世界へ転生させましょう」


 「ええ!? それって何でもありってことですよね!?」


 「そうです。何でもありなんです」


 「ハーレム王国の皇帝って書いたら?」


 「あなたをハーレム王国の王にして見せましょう」


 「レベルカンストの勇者って書いたら?」


 「魔王をワンパン出来る勇者に転生させましょう」


 目から鱗が雨あられ。いい年こいてむせび泣きそうだ。今までの虚無感なんてきれいさっぱりさようなら。この時、この瞬間のために俺は死んだのですね神様!


 「ささ、他にも転生待ちの人がいますので、お早めにお願いします」


 蒲田に促されたので、俺はアンケート用紙に記入をしていく。


 Q.あなたの望む世界はどんな世界ですか?

 A.剣と魔法の世界


 Q.転生後の性別、年齢の希望は?

 A.男性 17歳


 Q.なりたい職業はなんですか?

 A.勇者


 Q.希望するジャンルは?

 A.チーレム


 Q.異世界での目的は?

 A.魔王の討伐とか美少女とイチャコラせっせ


 Q.最後にご意見などがあれば参考までにお願いします。

 A.イケメンにしろ


 そんな感じで、己の欲望に赴くままに記入を終えて、蒲田に提出する。


 「受け取りました。それではしばらくの間、こちらでお待ちください」


 そう言うと、蒲田の指し示す方向、何もない空間から木製の扉が出現する。どこにつながっているか心配だが、ここまで来てしまったら覚悟を決めるしかないだろう。

 扉を開けると、向こう側は現実的な世界で、小さなオフィスのような空間だった。長椅子が二つ向かい合う形で並んでいて、よくある待合室のような感じだ。


 その長椅子に無精ひげが鬱陶しい、40代前半のスーツ姿の男が一人座っていた。恐らく、俺と同じ転生待ちの人だろう。


 「こんにちは、君も死んだのかい?」


 開口一番に嫌なことを聞くものだな。俺はなるべく嫌な感情を表に出さずに頷く。


 「そうか……やっぱり現実なんだね」


 「夢であってほしいですね……正直、転生だなんて信じられない話です」


 おっさんは死んだことが余程ショックなのか、浮かない顔で苦笑している。言葉に反して、俺は清々しい気分である。死んだことに対しても特に感慨は湧かず、むしろ異世界に転生させてもらえるイベントが楽しみで、そのことばかりを考えている。


 ドアを閉めると、光の粒子となって形をなくし、ドアは目の前から消え去る。幻想的な光景と現実的な背景がミスマッチで困惑してしまう。

俺はおっさんの正面にしずしずと座る。


 「家族には悪いことをしたなあ……私はね、自殺をしたんだ。借金がどうしようもなくって、ね……どうにも後味が悪いものだ。死ぬ前は正しいと思っていたのに、いざ死んでみるとわからない。もしかしたら現実のしがらみから、逃げたかっただけなのかもしれないね。あはは……」


 唐突な自分語りに、どう返答すればいいか悩む。適当に肯定してあげればいいだろうか?

 俺が黙っていると、次におっさんは自己紹介を始めた。


 「私は久保田です。よろしくお願いします」


 「はあ、霧谷深夜です」


 一体なんのための自己紹介なのだろう。もしかしたら社会人としての職業病が咄嗟に発動してしまったのかもしれない。名刺でもあったものなら、お互い交換していただろうな。


 「そういえば、転生する先は一緒なんですかね?」


 「一緒だといいね。私は一人だと寂しくて死んでしまう」


 こんなおっさんと夢の異世界ライフは送りたくないなあ。出来れば別々に転生してほしいところである。


 「霧谷くんはいくつなんだい?」


 「25で終わりました」


 「そうか、若いのに残念だね。死ぬのは私のような老いぼれだけでいいのに」


 いちいち場の空気を悪くするのに長けている人だと思う。俺は気持ちを持ち直すために、適当に話題を変えることにした。


 「そういえば、アンケートにどんな世界を希望しましたか? そこが同じようなら、転生先も一緒かもですよ」


 「ああ、よく分からなかったから、借金のない生活って書いたよ」


 そんな乾いた回答だった。


 「欲がないんですね。勿体ないなあ。もっと欲深いこと書けば良かったじゃないですか。俺なんか美少女に囲まれる生活を希望しましたよ」


 具体的に言うと、幼女な妹や幼馴染(いない)、バニーなお姉ちゃんなどである。


 「それなら一つだけ願いを書いたよ。生まれ変わっても娘が欲しいってね」


 「娘さんがいたんですか」


 「うん。私にとっては奇跡のような子でね。本当に賢くて、いい子なんだ。それなのに私が父親なせいで不幸にしてしまった……だからね、今度は、今度こそは幸せにしてあげたいんだ。」


 おっさんは感情が制御できないのか、顔を真っ赤に染めながら熱烈に何もない空間にしゃべりかけている。

 ひどく面倒くさくなった俺は、適当に励ますことにした。


 「それは素敵な話ですね。幸せにしてあげてください」


 俺がそう言うと、次におっさんはしくしく泣きだしてしまう。嗚呼! 本当にめんどくせえなあ!


 「そうだね……前の家族は幸せに出来なかったからね……頑張らなきゃだね」


 「いや、そんなことないですよ。きっと、幸せだったと思います。むしろ久保田さんが亡くなったことを悲しんでますよ」


 「そうだよね……私が安易なことをしたから、みんなを悲しませてしまったよね……」


 あー、はやく異世界いきてえ。つうかこのおっさんと別れたい、切実に。

 そんな風に励まし、落ち込みを繰り返していると、どこからかアナウンスが流れてきた。その声はぽわぽわとした感じの幼い声だった。


 「久保田様、霧谷様。転生の準備が出来たんで、それぞれ指定された扉から出てくださいね。扉から出れば、アンケートに記載した通りの異世界で新たな人生を謳歌できますので、ちゃっちゃとどうぞー」


 不思議なお話とともに、俺達の目の前に二つの赤い扉がまばゆい光の中から現れた。いい加減この非現実的な現象にも慣れてきた。まあ、これから異世界で生活をするのだから、こんなことでいちいち悲鳴をあげるわけにもいかんだろう。


 「いよいよだね。お互い幸せになろうね」


 「そうですね。もし、向こうの世界でお互い会うことがあれば、飲みましょう。あ、久保田さんの奢りでお願いします」


 「ははは、それは楽しそうだねえ。祝杯にはちょうど良さそうだ」


 お互い社交辞令を交わし終え、お互いの前に現れた扉の前に立つ。


 「それでは、また会いましょう」


 「あ、はい」


 俺は向こうで会う気はさらさら無いのだが、久保田さんの中では謎の仲間意識が生まれたらしく、涙を含んだ情熱的な眼差しで言う。実直に言って気持ちが悪い。


 とまれ、二人で一緒に扉を開ける。

 扉の向こうの景色は北極星のような光が渦巻いているだけで、他には何もない。

 この先に飛び出して大丈夫なのだろうか? 久保田さんも同じく躊躇しているのか、足が竦んでしまっている。


 「この際だ! 同時にいこうじゃないか、霧谷君!」


 俺が百万ドルの景色に感嘆していると、急におっさんは声を張り上げてくるものだから、俺は少しびくついてしまう。


 「意外に男らしいんですね。見直しました」


 「これでも、私は昔、こぼれたナイフの異名があったのだよ!」


 それは欠けていて使い物にならないと思うのだけれど。


 ええい! あとは野となれ山となれなり。行ってやろうじゃない! いつまでも腐ったおっさんと狭い部屋で二人きりになるわけにも行かぬのだ。ならば飛び込んで果てたほうが美学的じゃないか。


 「せーの、で行きますよ」


 「うむ……」


 俺らは一呼吸おいてから、


 「「せーの……っ!」」


 新たな人生に向かって飛び出した!

 きっと、この先には見たこともない、めくるめく愛と希望の物語が待っているのだろうなあ!

 俺がほんの少し先の希望に思いを馳せていると、


 「あ、すみません。扉が逆でーす。まだ出ないでくださいね」


 理解不能のセリフが飛び出した。


 「は…………??」


 曰く、希望とはニンジンである。俺ら人間は目の前に吊り下げられたニンジンを、馬のように涎を垂らしながら永遠に追い続ける生き物なのである。

 いつになったらご褒美を貰えるのですか?


 「うっそだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 悲痛の叫びは虚しく、バタンと扉が閉められた。





 【父性スキル】を習得しました。


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