息抜きがてらの三題噺

えりぃ

「女騎士」「病院」「傘」

 車輪と地面が擦れ合う無機質な音が、一定の間隔で耳朶を叩く。歩む足を止めてふと空を見上げると、一面の灰色。魔王討伐という御触れの下で、剣を片手に長きに渡って外を行軍してきた経験のある自分の直感は、残り数刻もしないうちに雨が降り出すことを告げていた。


「悪いね、こんな天気なのに手伝って貰って」


 下方から、声が聞こえる。声の主――車椅子に座っているのにも関わらず、不健康とは程遠く見える壮健な顔付きをした青年が申し訳無さそうな声を上げる。


「いいよ別に。......お前の無茶振りに付き合わされるのは、もう慣れたさ」


「酷いな、全く。これでも結構本気で思ってるんだぜ?女の子にこんな事させるなんて、さ」


「勝手に言ってろ馬鹿。そんな調子で、どうせ何人も町娘を口説いてきたんだろう?お前」


「まぁまぁ、昔からよく言うじゃないか。『英雄、色を好む』ってさ?」


「英雄......か」


 彼の口から自然と出てきた二文字の言葉を、小声で復唱する。......彼が「英雄」と呼ばれる存在なのは、事実だ。人間世界の侵略を企む魔族の王、魔王。そして、天啓を授かり、女神の加護を受けた聖剣の持ち主――魔王を打ち破る事のできる唯一の存在にして人類の希望の象徴、勇者。数年前、何の変哲も無い普通の少年が唐突に天啓を受け、勇者として祭り上げられ......当時は王宮の近衛騎士団の団長であった私を始めとする、この国選りすぐりの実力者揃いの仲間を充てがわれ、そのまま魔王を打ち破った。その英雄譚を知らない者は、この国......いや、この大陸を見回しても誰一人としていないだろう。救国の大英雄。魔王を倒して祖国に戻った勇者を、誰もがそう呼び褒め称えた。そしてそう呼ばれた男は今、私の目の前で座っている。


「薄っぺらい言葉だよな、本当。仲間二人も死なせておいて、自分もこんな体たらくで。こんな野郎でも、結果だけ切り取れば死闘を乗り越えて世界を救った英雄扱いだ。当事者じゃない奴らってのは気楽なもんだね」


 自嘲気味に、勇者が笑う。顔こそ柔和な表情だったが、その瞳は......後悔と諦念で揺れていた。


「......すまない」


「お前は悪くないよ。何回も言ったけど......本当、最後までよく付き合ってくれた。ありがとな」


「私が騎士になったのも、剣の道を極めたのも、魔王討伐の旅に最後まで付き合ったのも......根底にある理由は両親を魔物に殺された時に生まれた、魔族に対する復讐心だよ。私がお前と旅路を共にしたのは、私欲のためだ」


「それでも、だよ」


「......そうか」


 車椅子を握る手の力が、強まる。魔王は、強かった。仲間であった魔法使いと僧侶は、魔王との闘いの途中でその命を散らし......回復役の消えた私達は満身創痍になりながらも、辛うじて魔王にトドメを刺す事に成功した。そのトドメの一撃......己が持てる限りのありったけの魔力を聖剣に叩き込んだ全身全霊の勇者の一撃は、その代償として彼の身体を二度と使い物のならない物にした。


「あーあ、病院の敷地ももう見飽きたなぁ。ここを散歩するのも何回目になるんだか」


 私の助けを借りて何とか帰還した勇者は、即座に国の病院へ搬送された。医師の診断曰く、ここまで身体を滅茶苦茶に壊されてはどんな物理的治療も回復魔術も効かないとの事。それ以来勇者は......ずっと、この病院の中にいる。こうして時たま車椅子で外に出られる時以外、彼は太陽の光を浴びる事もできなければ、外気の流れを感じる事もできない。また、彼は両親に捨てられて孤児院で育った子供だったため......時たまこうして私が来る以外、見舞いに来る人もいなかった。


「あ......」


 頬にかかる、冷たい感触。その感触がとうとう降り出した雨であると気付くのに、時間はいらなかった。私は手に持っていた傘を開き、勇者の上に翳す。


「濡れるぞ」


「いいさ」


「女の子が雨に濡れているのに自分一人だけ傘の下にいる、ってのは男としては情けないんだけどな」


「いいから。私なら大丈夫だから」


「......そうかい」


 お互い、無言になる。その間にもどんどん雨脚は強まっていく。


「......なぁ」


「なんだ?中に戻るか?......というか、戻った方がいいか。このまんまじゃお前、風邪引――」


「勇者はさ、これで良かったのか?」


 勇者が、少し驚いた顔をする。そのまましばらく黙り込み......先程まで見せていた穏やかな表情を浮かべ、静かに口を開いた。


「......どうだろうな。もしかしたら、僧侶も魔法使いも死ななくて俺もこんな風にならないくて、みんなで平和になった世の中を謳歌する......。そんな未来もあったのかもしれない」


「......」


「でも、今更言ったって仕方ないんだよな。この結果は、俺が......俺達が選んだ旅路の果てにあった物だ。死んでいった二人には申し訳ないけど、俺はあの時の事を後悔なんてしてねぇよ。......お前だけでも、無事に生き残ってくれて良かった」


「私は......。私はっ......」


 堪え切れず、目から熱いものが溢れる。幸いにも降り注ぐ雨は、私の目から零れ落ちる涙を洗い流してくれた。


 あぁ、せめて。


 今の私が手に持っているのは業物の剣なんかじゃない、ただの安物の傘だけど。


 それでもせめて、降り注ぐ雨粒くらいからは。彼の事を、一人ぼっちの勇者の事を守れたら――そう思わずには、いられなかった。








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