2(後)

 突然、ドアが蹴破られたかと思うと、滝川を連れた鍋島と芹沢が現れた。

 二人の手には拳銃が握られており、鍋島はその先を滝川の喉元に突きつけている。芹沢の方は左手にアタッシュケースを下げていた。

 開け放たれたドアの後ろに延びた外の廊下では、二、三人の男たちが腕や肩を押さえ、呻きながら倒れている。空手三段の芹沢が打ちのめしたことは明白だった。

「何や、おまえら──!」

 正面の大きなデスクの両側に立った二人の男は、一斉に中央の革の回転椅子に座った中年男をかばい、同時に左の懐に手を入れた。

「ヘタな真似をすると、こいつを殺すぜ」

 芹沢が滝川を顎で示しながら言った。

「何もんや、おまえら」

 左側の顔の大きな男が凄んだ。「ここをどこやと思てる?」

「こんなもん下げてここへ乗り込んでくると言うたら、おまえらと同業者でもない限り、あとは決まってるやろ」

「警察か?」

 今度は右の男が言った。見るからに用心棒という感じの男で、おそらくこの人物が上島の後がまに座ったのだろう。

 男はさら言った。

「くそったれ──!」

「おい、控えんかい」

 回転椅子の男が凄みのあるかすれ声で言った。グレイの髪に金縁の眼鏡を掛けたその男が、東条組ナンバー2の山瀬謙次郎けんじろうだった。山瀬は眼鏡のフレームにそっと手を触れ、親子ほど歳の離れた芹沢と鍋島をじっと見据えた。

「警察が、何の用? ちょっと強引なやり方やね」

「そいつはお互い様だろ」芹沢が言った。

「なにぃ?」用心棒が一歩前へ出た。

 芹沢は舌打ちした。「山瀬さん、そいつ黙らせなよ」

「……ええから、黙っとけ」

 山瀬の代わりに大きな顔の男が言った。用心棒は小さく頷き、ふんと鼻を鳴らして引き下がった。

「失礼しましたね、話の邪魔をして」

 山瀬が困ったように笑った。「ところで、その男が何かご迷惑を?」

 芹沢は滝川に振り返るとアタッシュケースで彼の脇腹を押した。

「ほら、説明してやれよ」

「……こ、この連中が、兄貴に買うて欲しいもんがあるそうです」

「何でしょう」

「またとないチャンスだと思うぜ」

 芹沢は言い、デスクの正面に進むとアタッシュケースを山瀬の前にどんと置いた。

「これは?」

 山瀬は顔色一つ変えずに言った。

「おまえらが五人の命と引き替えに奪い返そうとしてたもんや」

 鍋島が言った。

「これ以上犠牲者が出るとこっちの身がもたねえから、持ってきてやったんだよ」芹沢はここでにやりと笑った。「できれば、その手数料をいただきたいと思ってね」

「へえ……何やろうねえ」

 山瀬はまだ余裕を見せていた。「うちには一向に見覚えがありませんが」

「スタームルガーGP100が六挺」

 芹沢は答え、前に出るとひょいとデスクに腰掛けた。「これを矢野の工場に持ち込んで、同じ物を作らせようとしてたんだろ?」

「何のことだかさっぱり」

「またまた、ご冗談を」

 と、今度は鍋島が言った。「この滝川さんが半年前に香港から戻ったのも、その準備のためなんでしょうが」

「いや、本当の話ですよ。そこまで言うのには、何か根拠でも?」

「余裕があるよな、さすがに。証拠を次々と、しかも確実に消して行ってるんだから」

「けど今、俺らがここへ入って来たとき、あんたらみんな一斉に胸元に手を伸ばしたよな。それはどういうことや? このケースのことはとぼけられても、そっちは無理やろ。まさか全員狭心症なんてことないよなあ?」

「なあ、山瀬さん」芹沢は言った。「俺もこいつも、自分たちがどれだけ危ねえ橋を渡ってるか、まるで分からずにこんな手段に出てると思ってもらっちゃ大きな間違いだぜ。刑事が職務上入手した禁制品を、極道相手に高く売りつけようとしてるんだ。あらゆる方面から、きっちり証拠固めした上で取り引きに出てるに決まってるだろ?」

「と言うと?」

「上島と杏子殺しについても、ちゃんと割れてるんだってことさ」

「また、何を言い出すのかと思ったら──」

 山瀬はやれやれという感じで首を振った。「殺人やて?」

「とぼけるなよ。この滝川さんが上島殺しについては白状してるし、あんたが杏子に差し向けたのが矢野だったってことが何よりの証拠さ」

「……話にならんな」

 山瀬は椅子に背を預けて笑い出した。「とにかく、うちは拳銃なんかとは無縁ですよ。あんたらの申し出については、誤解やったということで今回に限って忘れさせてもらうから、どうぞそのケースを持ってお帰りください」

「横浜湊組の方も調べがついてるんだぜ」芹沢は構わずに続けた。

「湊組?」山瀬は顔を上げた。

「あれ、聞かされてねえのか? あっちの鉄砲玉が喋ったってこと」

 芹沢は呆れたように笑った。「あんたの親分さん、兄弟分にコケにされてるんじゃねえの?」

 山瀬は腕を組み、苦虫を噛み潰したような顔で二人を交互に見た。

「さあ、どうする? それでも帰れって言えるか?」

「…………」

「お互い、損な取り引きやないと思うけどね」

 鍋島が言った。「はした金でしみったれた刑事を助けるだけで、あんたらはせっせとその何倍もの金儲けに精を出せるんやで。おいしいやないか」

 山瀬はすっかり考え込んでいた。この二人が本当に金欲しさでこんな大それた強請りを働いているのか、それとも何らかの理由で正当な捜査の手順を踏むことができないがためにこうして無謀なパフォーマンスを演じているのか、どちらにも判断を下せないでいた。罠にはまってはいけないという考えと、ここ数日、躍起になって行方を追っていた目の前のルガーを逃すわけにもいかないという思いが交錯して、どうすべきか迷っていた。

「どうしたよ、まだとぼけるつもりか?」

 芹沢は露骨に苛立ちを見せて言った。「こっちはありがてえ退職金と年金を棒に振る覚悟で乗り込んできてるんだぜ。おまえさんもいい加減にハラを括ったらどうなんだよ」

「困ったもんや。なまじナンバー2の地位なんかに就くと、そこに甘んじてしもて判断力まで鈍るんか」

 顔のでかい男が黙って鍋島に詰め寄り、山瀬がそれを制した。

 そして山瀬は賭けに出た。

「……いくら欲しい?」

 芹沢はにやりと笑った。「このケースの中身を使って稼げる儲けの半分ってとこかな」

「バカな。どれだけ元手がかかってると思ってる」

「知ったこっちゃねえ。もしこれが見つからなかったら、それこそ大損だったんだ。半分でもありがたいと思ってもらいてえな」

「無理だ。だいいち、矢野の代わりを探す必要がある」

「へえ。矢野が死んだことも知ってるんだな」

 芹沢は一つだけ頷くと、満足げな笑みを浮かべて背中の鍋島に言った。

「聞いたか、鍋島」

「ああ、しっかり。やっとこさや」

「白状しやがったぜ」

「何やと……?」山瀬の顔にたちまち焦りの色が現れた。

「金は欲しいよ、いくらでも」芹沢は真顔で言った。「けど、てめえみてえにどんなに汚ねえ金でもほしがるほど貪欲じゃねえんだ、俺たちの世代になるとよ」

「何を……?」

「山瀬さん、銃刀法違反と殺人教唆で逮捕しますね」鍋島が言った。

「貴様ら……」

 山瀬は唇を真一文字に結んだ。

「おまえら、兄貴を陥れてただで済むと思ってんのか?」滝川が毒づいた。

「……うるせえな」

 芹沢は面倒臭そうに振り返って滝川を見た。「ヤァ公が怖くて、警察マッポがやってられるかよ」

「逮捕状は?」

「あったらこんなに回りくどいことするか?」

 鍋島は独り言のように呟くと、山瀬に鋭い視線を投げかけた。

「さあ、早よ立て。ブチ込んでやるから」

「くそっ──!」山瀬はデスクの引き出しに手を掛けた。

 同時に両側の二人が懐から拳銃を抜いた。それを見届けるが早いか、鍋島は押さえつけていた滝川の頭に銃身を振り下ろして倒れさせ、素早く左の男の腕を撃った。男はひっくり返り、銃は床を滑ってデスクの下に消えた。

 芹沢も右の男の肩に発砲し、すぐにデスクの中央に乗り出すと、引き出しから銃を出そうとしていた山瀬の胸倉を掴んで引き寄せた。

 そしてその眉間に銃口を引き寄せ、ゆっくりと撃鉄を起こしながら呟いた。

「……あばよ。短い付き合いだったぜ」

 その言葉で滝川に足を捕まれていた鍋島が振り返った。

「芹沢、殺すな!」

 引鉄に掛けていた芹沢の指が止まった。しかし、底知れない憤りを追いやることのできない彼は、きつく目を閉じたままで祈るように言った。

「……かまうもんか。どうせ刑事デカも辞めるんだ」

「あかん、やめるんや」

「菜帆が死んだのは、こいつのせいなんだぜ」

「せやから殺すのか?」鍋島はもがきながら言った。「その結果何が残るのか、おまえに分からへんはすがないやろ?」

「仇を討つんだって、おまえも言ったじゃねえか」

「そうは言うた。けど、殺したらあかんのや」

 鍋島は言うと表情を歪めた。「……そいつを撃ったって、菜帆は帰ってけぇへんのやから」

「…………」

 きっぱりと言った鍋島の言葉に、芹沢は唇を噛んだ。

「……頼むから。芹沢」

 芹沢はゆっくりと項垂れた。そして銃口を上に逸らしたかと思うと、山瀬を思い切り殴り倒した。山瀬は回転椅子から転げ落ち、デスクの足下に伸びた。

 滝川の顎を蹴り上げて彼から逃れた鍋島は、ほっとしたように息を漏らし、芹沢を見つめながら銃をおさめた。

「……よう思いとどまってくれたよ」

「そうじゃねえよ」

 と芹沢はデスクを降りながら言った。「こいつには、刑務所での暮らしの方が骨身にしみると思ったんだ。なんせオッサンだからな」

「……そうか」

 鍋島は疲れ切ったように言って俯いた。




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