3(後)


 署に戻る車の後部座席で、亮介と菜帆はまた眠っていた。

 無理もなかった。ここ数日間、毎日のようにあちこち行ったり来たりで落ち着くことがなかった。しかもそれらはまるで自分たちの意志とは反しており、どこの誰だか良く知りもしない大人たちにいいように振り回されていたのだから。

「──鍋島、この前おまえが言ってたことな。今になって何となく分かるような気がしてきたよ」

 国道一七六号線を阪急電車を右に見て南下しながら、芹沢は助手席の窓を開けて遠慮がちに煙草を吹かしている鍋島に言った。

「俺が言うてたこと?」

 鍋島は横目でちらりと芹沢を見た。「何のことや」

「この二人のことさ。おまえ言ってたろ。こいつらにとっちゃ、アパートで二人きりで暮らしてることの方が良かったんじゃねえかって。周りがどう思おうと」

「ああ……その話か」

「やっぱり、俺たちは余計なことをしちまったのかも知れねえな」

「今さらしゃあない」

 鍋島は淋しそうに笑って芹沢を見た。「俺もあのときはそう思たけど、考えてみたらもう遅いってやつや」

「まったくだな」と芹沢は頷いた。「ゆうべも亮介が言ってたろ。『何で僕らに構うんや』って。あれは結局、最初から俺たちには何の期待もしてねえってことだよ。実際どうだ、俺たち大人はこうやっててめえらの都合でこいつらをまるで荷物か何かみてえにあちこち移して、まるで持てあましてる。偉そうな口叩いてるくせにどうせ何もできねえのなら、最初っから放っといてくれるのが一番だってことを、亮介はとうの昔から知ってるんだぜ」

「そんな風に言われたら、もう何も言えへんな」

「……ったく、何が正しくて何が間違ってるのか、分からなくなっちまったよ」

 そう言うと芹沢は溜め息をついてギア・チェンジをした。

 渋滞ははるか先まで続いていた。



 署に帰った二人は子供たちを一旦少年課の婦警に預け、刑事課へ戻って植田課長に園長との話し合いの一部始終を話した。最初のうちは課長も園長の意見に否定的だったが、万が一のことがあっては大変だと思ったのだろう。署長の意見を聞いてからという条件はつけたものの、施設側の要望を受け容れることにした。

「──まあ、仕方がないな」

 デスクに両肘を突いて手を組み合わせながら、課長は真面目くさって呟いた。

「他にも大勢の子供たちがいてるからやそうです」

 鍋島は面白くなさそうに吐き捨てた。

「その作業着の男だけと違て、場合によっては上島も母親を捜してるってことも考えられるしな」

 デスクの脇に立った島崎が言った。

「ヤァ公のやることは無茶苦茶やからな。目的達成のためには大人も子供も関係ないんや」

 島崎の隣の高野係長も同調した。

「いずれにせよ、用心するに越したことはないというわけやな」

「でも、そしたらあの子らをどうするんですか?」

「それや、問題は。このままずっとここに寝泊まりさせるわけにも行かんやろ」

「環境が悪すぎますよ、ここは。警察サツまわりの新聞記者ブンヤに、児童虐待って書かれかねませんよ」

「誰か、よその子供でも預かってくれる人物知らんか? 良からぬ連中に嗅ぎつけられるおそれのない、安全なところで」

 課長は四人の刑事を見回した。

「──さあねえ」

「そんな奇特な人間、今どきいますかね」

 鍋島が溜め息混じりで言った。

「それに、民間人を巻き込むのはあまり賛成できませんね。昨夜みたいに、子供らがまた勝手な行動を起こすかも知れんし」と高野。

「となると、うちの誰かが預かるしかないってことですか」

 俯いて腕組みしていた芹沢がぽつりと言った。

 そのひとことで全員が彼を見た。

「──えっ?」

 自分の発言でそれまでの議論が止まってしまったのに気づき、芹沢はゆっくりと顔を上げた。そして全員の視線が自分に集まっているのを見た瞬間、彼は自分がひどくまずいことを言ってしまったのを悟った。

 芹沢は恐る恐る皆の顔を見渡した。

「──まさか……みんな、何考えてるんです?」

「それはやっぱり、おまえしかいてないやろうと考えてるんや」

「ち、ちょっと待ってくださいよ、何で俺が──」

「言い出しっぺやからや、おまえが」鍋島が答えた。

「何言ってんだよ、俺は別にそうしようって言ったわけじゃねえよ。そう、ただ、一つの提案をしたまでで──」

「それやったらうちは無理やぞ。三十坪足らずの家に夫婦と育ち盛りの子供が二人、年寄りまでいてるんやから」

 課長は大袈裟に顔の前で手を振った。

「うちもあかん。狭い団地に家族三人で、おまけに今ホームステイの外人までいてるんや。これ以上誰一人ステイでけへんぞ」

 高野が両手でバツを作った。

「おっと、うちもノーやで」

 芹沢に視線を向けられ、島崎がすかさず言った。「俺んとこは嫁さんが先々週盲腸の手術をして、おととい退院してきたばっかりなんや。鹿児島の実家に帰るのがきつくてうちにいるくらいやから、子供なんか滅相もない」

「あ、じゃあ板東さんは?」

「あいつは先月、子供が産まれたばっかりやろ。一週間ほど前に嫁さんが実家から戻ってきたって言うてたから、まず無理やろな」

「浜崎は実家が商売やってるし、忙しいて子供の世話なんかでけへん。小野も湊も嫁さんが働いてるしな」

 高野が続けて言った。「北村は寮やし」

 芹沢は最後の頼みの綱の鍋島に振り返った。鍋島はじっと彼を見つめながら言った。

「おまえ、自分があかんと思てるのに、俺がええわけないやろ」

「……薄情者」

「芹沢、おまえ確か広~いマンションに引っ越したんやったな」課長が言った。「しかも天六やて? ここからは目と鼻の先や」

「課長、お願いですからそんなこと言わないでくださいよ……」

 芹沢は顔の前で手を合わせたが、直後に何か思いついたような笑顔になった。

「あ、それに俺が預かったって仕事中はどうするんです? マンションに二人で留守番させとくわけにもいかねえし、かと言って俺に長期休暇くれるつもりもないんでしょ?」

「勤務中はここへ連れてこればええ」課長はにべもなく言った。

「何やったらおまえと鍋島は張り込みから外したってもええぞ」高野が付け加える。

「あ、それええな」と鍋島は嬉しそうに言った。

「余計なこと言うんじゃねえよ」

「しゃあないやろ。自分で提案したんやから、自分で責任とれよ。俺もはじめはそう思たけど、それを言うたら俺かおまえのどっちかにまわってくると思ってやめたんや。ここまで出かかってたんやけどな」

 鍋島は言うと顎の下に手を当ててにやりと笑った。

「ま、そういうことやから芹沢、よう頼んだぞ。鍋島、おまえも協力してやれ」

 課長が決定を下し、それで話は終わった。



「……冗談キツイぜ」

 自分のデスクに突っ伏し、芹沢は今にも泣き出しそうな声で言った。

「観念せえよ、もう。おまえかて、自分にまわってくると薄々は感じてたんやろ?」

「うるせえ」芹沢は顔を埋めたままだった。「おまえには失望したよ。肝心なときに何の助けにもなってくれねえんだからな」

 鍋島は平然とした表情でコーヒーを飲むと悪戯っぽく笑った。

「──あ、そうや。これでおまえもいらんことでけんようになるな。一石二鳥や」

「何だよ、それ」

「夜遊びはもちろん、女をマンションに連れ込むのも無理や」

「……これ以上俺を怒らせるなよ」と芹沢は顔を上げた。「おまえもしっかり道連れにしてやるぜ」

「ああ、どうぞ」

 鍋島は不適な笑みを浮かべ、電話を取った。

「どこに掛けるんだよ?」

「俺の実家。純子に言うて、あの子らの当面の生活に必要なものを用意させる」

「おまえ、何だか手際が良すぎやしねえか?」

 芹沢は面白くなさそうだった。

「おまえが嫌がってると思うと、何か急にやる気が出てくるんや」

 素早くボタンを押し、受話器を耳に当てて振り返った鍋島は逆に嬉しそうだった。

「──あ、もしもし、純子か? 俺や──」

「……覚えてやがれ」

 芹沢は苦々しく言って舌打ちした。

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