(株)イジガヤコーポレーション

「腹、減った……」


 青空の下。

 ぽんぽこ大学グラウンド脇にぽつんとあるベンチには、脱力する青年の姿があった。


 中背で痩せ型の男だった。ダボっとしたジーパンに、ゆったりとした灰色のシャツ、そして逆立った茶髪がどこか不真面目さを醸し出している。しかし何よりも特徴的なのが、頬にある、獣の爪痕のような古傷である。古傷は三本爪に引っかかれたような形をしていたが、よく見ればそれは、ただのシールであった。


 彼の名は意地ヶ谷いじがやがい

 兄である意地ヶ谷ごうに憧れて、モンスターエナジーのパッケージを参考にして自作したシールを頬に貼っている、ぽん大の一年生である。


 少し前にはこの古傷シールのせいで、頬に本物の古傷を持つ兄と間違えられ、ぽん大の地下バトルトーナメントに巻き込まれたりしたのだが……それはそれ。現在の凱はベンチに体を沈めて、大きくため息をついていた。時刻は正午過ぎ。昼休みだ。ほとんどの学生が公認学食へ行くなり、学食ストリートの非公認学食へ足を運ぶなり、弁当を食べるなりしている。

 だが、凱は軽い財布を握りしめて溜息をつくばかりであった。


 所持金は、十二円である。


(くっそォ……この前電車に財布を忘れなければこんなことには……)

 凱はベンチに沈み込んで、のけぞるように首を曲げた。

(学食ストリートの奥に行けば、タダ同然の値段で食わしてくれる怪しい学食があるらしいけどよ……何を食わされるかわかったもンじゃねェしなあ……、ん?)


 偶然、凱の視界に入ったものがあった。

 地面に落ちた、ツルハシである。


「なんでこんなとこにツルハシが……」


 硬い地面やアスファルトを砕くための道具、ツルハシ。ピッケルにも似た形のそれは、土に汚れて、錆びていた。

 凱はなんとなく、拾ってみる。


(鉱山にでも行って、金塊でも掘り当てろってかァ……?)


 金塊を手に入れられたら、どんなに両親を楽にさせてあげられるだろう。

 そして……どんなに、豪遊できるだろうか。

 凱はキンキラの服を着た自分がキンキラの美女にキンキラの扇で扇がれるさまを想像し、よだれを垂らした後、それが実現するはずのない妄想でしかないことにやり場のない怒りを感じ始めた。


「くそったれ……!」


 貧乏生活の鬱憤を晴らすように、凱はツルハシを振り上げる。


「くそったれええええッ!!」


 そして勢いよく地面に振り下ろした!

 ザクリッッ!!

 そこから突如噴き上がる黒い液体!!

 ブシャアアアーッッと間欠泉の如く空高く噴き出し続ける!!

 あまりの衝撃的光景に凱は叫ぶッ!!


「ギャアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!! 石油ゥゥウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




     ◇◇◇




  ~学生課窓口~


「あの……この相談ここでいいのかわかんねェんすけど、その、大学で石油を掘り当てた場合ってどうなるんすか?」

「それにつきましては、学則の『大学関係者が石油を掘り当てた場合に関する条文』に則り、あなたに所有権が与えられます」

「ギャアアーーーーーー」




     ◇◇◇




  ~油田〝イジガヤ〟~


「あ、あの……油田の設備つくってくれたのはありがたいんすけど……これでおれはどんくらい儲かるもんなんすか……?」

「一ヶ月でだいたい99999億兆円くらいですかね」

「ギャアアーーーーーー」




     ◇◇◇




  ~国際お金持ち会議~


「HAHAHA!! YOUが最近になって資産家ランキング圏外から一気に一位に躍り出たイジガヤ君か!! FRESHな良い顔つきをしているな!! さあさあ飲め飲め!! 新たな石油王の誕生を、皆で祝おうじゃあないか!!」

「دعونا نشربه ونغني. هذا شيء جيد جدا」

「Onu içək və mahnı oxuyaq. Bu çox yaxşı bir şeydir.」

「Wypijmy to i śpiewajmy. To bardzo dobra rzecz.」

「그것을 마시고 노래합시다. 너무 좋은 일 때문입니다.」

「新石油王総資産九九九九九億兆円……其、滅茶苦茶凄! 呵呵呵呵! 意地ヶ谷君、天才!」

「ギャアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーーーホァン先輩ィイーーーーーーーーーーーー!?!?!?」




     ◇◇◇




  ~玉座~


 意地ヶ谷凱は、黄金の玉座に座っていた。

 ダイヤモンドのネックレス(お値段8971912345ドル)を幾重にも首から下げ、ゆったりとしたキンキラの服(お値段981794564186742ドル)を身に纏い、同じくらいにキンキラな美女たち(秒給7892315ドル)にキンキラの扇(895615466165699ドル)で自らを扇がせている。

 ぽん大の脇に建てさせた超高層建築の自宅。その最上階にあるこの玉座の周囲には、青と白のマーブルになった大理石の噴水(エベレストの雪解け水を使用)がある。その脇に佇むのは、偉大なる意地ヶ谷家を讃える巨人の彫像(ネクロマンサーにより甦らされたミケランジェロ作)だ。部屋の隅では七名のヴァイオリニスト(七つの異世界から連れてきた最高の演奏家)が高貴な音楽を奏でている。

 そして玉座の正面からは、青空と、東京スカイツリーの展望台より上が見えた。


 凱はしばらく青空に浮かぶ雲をぼんやりと眺めていたが、やがて、ぼそりと呟く。


「やりすぎた」


 今や世界でイジガヤコーポレーションの名を知らぬ者はいない。ありとあらゆる業界に影響力を持つようになった凱の会社は、一秒あたり999999億千万兆円を稼いでいる。隠された商才やカリスマ性が凱にはあった……などということはなく、なんかいろいろな幸運が重なった結果、これほどまでの超・億万長者となっていた。


 俯いて、溜息をつく。


「いやマジでやりすぎた……」


 顔を上げ、す、と立ち上がり、全面ガラスの巨大な窓の方へと歩く。そして、窓から下界を見下ろした。

 ぽん大の敷地が見える。

 今日はグラウンドでサッカー部が試合をしているらしい。豆粒のような人影がちょこまかと動き、時折、炎を纏うシュートを撃っていた。かと思えば他方では七号館で爆発が起き、黒煙が立ち昇っている。高速移動する人影があったり、氷が発生したりしているので、どうやら〝ヒーローズ〟が何者かと戦っているようだ。


 凱は、そこでの奇天烈な光景を思い、くすっと笑う。

 しかしその後で、すぐ表情を消した。


 もう自分はあそこに入っていくことはできない。


 石油王になってまだ一ヶ月ほどしか経っていないが、最近は友人や両親や兄妹とはあまり連絡をとらなくなってしまった。原因は、多忙。いろいろなことが起こりすぎる怒涛の日々のせいである。

 つまらなかった。

 またこの前のように、友達と遊び、両親を労わり、兄や妹たちと笑い合いたい。

 だというのに……、

 石油王となり、超大富豪になった結果、そんなことすらもできなくなってしまった。


「どうすれば……」


 その時だった。慌ただしい足音とともに、部下が現れた。


「意地ヶ谷石油王! 大変です!」

「その呼び方やめて。どうした?」

「いまから四時間後、小惑星がぽん大に衝突し、地球は滅亡します!」


 凱がタブレット端末を操作してネットニュースを見るとすべてその小惑星の件で埋め尽くされていた。


「突然何故!?!?」

「逃げましょう! イジガヤコーポレーションの財力をもってすれば宇宙に逃げることなど造作もありません!」

「バカ言うな! こんな時、人々を助けるためのお金だろ!」

「し、しかし……」


 部下が言いよどむ。凱もわかっていた。小惑星から人々を守るとして、いったいどうすればいいのだろう。見当もつかない。

 昔、どこかで見た映画を思い出す。あの映画では衝突しようという小惑星に核爆弾を設置して爆破し、地球滅亡を回避していた。しかし、残り四時間で何ができるというのか。


「とりあえず、ムズいとは思うが、うちの会社の技術開発部とかのなんか詳しそうな人たちにどうにかして地球滅亡を回避する作戦を考えてもらうよう、電話連絡しろ!」

「連絡しました! やってみますだそうです!」

「やってみれるの!?」

「不可能を可能して人類は進んできた。我々に超えられぬ壁はない。だそうです!」

「か、かっけえ!」

「やっぱ無理だわ。だそうです!」

「そりゃそうだ!」

「と思ったけど今、閃きが降りてきたそうです!」

「おおっ!」

「突然ですが社長の自宅が丸ごと巨大ロケットミサイルに変形可能だということはご存知ですか? だそうです!」

「おいなんだそれは」


 凱が顔を青くしたその時、地響きが起き、凱は「ギャア」と玉座から転げ落ちた。かなり激しい揺れである。


「なになになになに!?」

「あ、巨大ロケットミサイルに変形させて小惑星にぶつけて爆破して地球を救う作戦が始まったようですね」

「ここおれの自宅!!」

「じゃあ私たちはお先にパラシュートで脱出します!」

「あっちょっ!」


 部下とキンキラの美女たちとヴァイオリニストたちはさっさとパラシュートを開いて窓から去っていってしまう。凱もパラシュートを背中に装着しようとするが、どうやって使えばいいのかよくわからない。

 揺れがひどくなってきた。緊張で凱の手も震える。焦りが募り、頭が真っ白になる。


 どうして。

 どうしてこんなことに。


 これだけお金があれば両親に楽をさせられたはずだ。憧れの兄に少しでも近づけたはずだし、可愛い妹たちに何か望むものをいくらでも与えられたはずだ。


 だが、蓋を開けてみれば、家族や友人と話す暇がなくなっていくだけの日々だった。

 そのことに気づいたのは、余った金で適当につくらせた玉座に座った時。

 つまり、ついさっきのことだった。


「夢中だったな……」

 呟きが漏れる。

「もっと……周りを見ればよかった」


 揺れが極限に達し、もはや立ってはいられない。発射は間近だ。そんな中で凱は目を瞑り、パラシュートを慌ただしくいじっていた手を、止めた。

 腕をだらりと下げ、中空に顔を向ける。

 力が抜けた。

 諦めたことを、自覚した。


「最期くらい……」


 一筋流れる、涙。


「みんなに……」


 頬を伝い、床に落ちる。


「会いたかったな……」

「ガイにーちゃん、いた!!!!」

「オレが先に見つけたぜ!」

「はあー!?!? あたしが先だったもん!!!!」

「ガイあにきを先に指さしたのはオレだっただろーが!」

「ふぇ…けんか…しないでぇ…」

「霞の言う通りだぞ、おまえたち。喧嘩やめなさい。こら茜。楓への目潰しを試みるな危ないだろ」

「ごめんゴウにーちゃん!!!! でも楓が!!!!」

「でもじゃない」

「だって! ゴウあにきは優しすぎて茜のウザさがわからないんだ!」

「だってじゃない」

「けんか…やだぁ…うぅ…うぇぇぇん…」

「ほら霞泣いちゃっただろ。大丈夫だぞ霞。お姉ちゃんたちはすぐ仲直りするからな。ほら茜、楓」

「茜パンチ!!!!」

「楓キック!!」

「おまえたち。おーい」


 玉座の間に突然現れた、兄と、妹たち。

 喧嘩をする長女次女と、めそめそする三女と、彼女らをまとめようとするもそちら方面においてはヘタレな長兄が、こんな状況でもいつものように振る舞っているのを見て……

 呆然としていた凱は、「ふ、くくっ」と噴き出した。


 その笑い声で、兄と妹たちはハッとして顔を引き締める。ここに来た目的を思い出したらしい。


「ガイにーちゃん!!!! ここから出るよ!!!! あたしに掴まって!!!! 〝ぶっとびふぁいあ〟で飛ぶからっ!!!!」

 長女・茜は、足の裏から炎を噴射して空中に浮遊している。


「ガイあにき! オレが助けてやる! 茜より、オレの〝巻風輪舞ロンド〟の方が安定して飛べるからな!」

 次女・楓は、風を纏って飛びながら、どこからか発生した木の葉を舞い散らせている。


「ぉ…おにぃ…ちゃ…。わ…わたしの…〝ふわふわ〟…つかって…いい…よ?」

 三女・霞も、自らの異能でつくった白い雲の上に立って、浮かんでいる。


 三人の妹は、凱に手を差し伸べた。

 そんな様子を、兄・轟は、少し離れたところで口角を上げながら眺めている。


 凱は涙を散らして顔を上げ、ニッと笑った。


「ありがとう! 頼っていいか?」

「「「もちろん!!!!!…」」」


 妹たちに手を引かれながら、凱は窓から飛び出した。




     ◇◇◇




 ゆっくりと落下しながら、隣の兄を見る。

 モンスターハンター業をこなしてきた帰りなのか、轟はナルガクルガ装備に身を包んでいた。

 視線に気づいたのか、轟は凱に目を向けてくる。


「凱」

「兄ちゃん」

「おまえにこんな商才があったとはな。お兄ちゃんは鼻が高いぞ」

「いや、運だよ……おれはほとんど何もしてないし」

「それにしたって、ここまで来るのはすごいじゃないか。よく頑張ったな、凱」

「……兄ちゃん。……うう」

「あ!!!! ガイにーちゃん泣いてる!!!! きしょ!!!!」

「きしょ!?」

「おいおいガイあにき、男なら泣くなよなー」

「う、うるせェな! 楓が出してる木の葉が目に入ったんだよ!」

「…おにいちゃ…なかないで…?」

「うぐ……霞に頭をよしよしされるとなんかクッソ悔しい」

「はっはっは。それにしてもここは高度が高いな。遠くまでよく見渡せる。ほら、見えるか? ドラゴンが飛んでいるぞ。あっちの方だ」

「茜パンチ!!!!」

「楓キック!!」

「うぇぇん、うびゃぁぁあああ」

「あわわわ目を離した隙にまた喧嘩が始まっている」

「ははっ、相変わらずだな、みんな」


 凱は親指で涙を拭い、晴れやかに声を立てた。

 自宅はロケットミサイルになったけれど、拠り所がまだ自分にはある。


「帰ろう、ぽん大へ!」


 胸のつっかえがとれたような凱の笑顔に、妹たちも無邪気に笑い、兄もまた、慈しむような眼差しを送るのであった。




     ◇◇◇




 こうして、凱の自宅と引き換えに隕石は破壊され、地球は守られた。凱はイジガヤコーポレーションを引退し、家族と寄り添って暮らしていくことを決めた。凱の全財産は自宅に保管してあったため隕石とともに爆散し、もとの裕福でない生活に戻ったが、凱は未だに高価なものを簡単に買ってしまう癖が抜けきれていないのであった。今日も彼はベンチに座って、財布の中を恨めしげに睨む。


「腹、減った……」


 所持金は、十二円なのであった。

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