塔に集まる七賢者

「ホァン、今日飲み行かねー?」


 慣れ親しんだ声にホァン健介ケンスケが振り向けば、友人の緑川みどりかわ隼人はやとが手をひらひらと振っていた。ここはぽん大の七号館。お互い、五限のどんぶらこ学概論の講義を受け終わった時のことである。自慢の七三分けを櫛で整えながら、ホァンは楽しそうに答えた。


「酒飲? 良哉良哉! 我、宴大好人間也。是非同行。他同行者、誰?」

「いや、他のメンバーはまだ決めてないんだ。とりあえず赤崎先輩と釘桐くぎぎりを誘ってみようと思ってる」

「赤崎先輩、現在、自発的奉仕活動従事中。多分、無理」

「マジ? 赤崎先輩ボランティアやりすぎだろ……。〝ヒーローズ〟の創設者としては正しい姿勢なのかもしれんけど講義とかちゃんと出てんのか……?」

「釘桐君勧誘推奨。但、釘桐君、飲会等毎回敬遠」

「確かに釘桐はこういう飲みにはいつも来ないよな。サシ飲みなら割と応じてくれるんだが」

「〝英雄達〟女性陣、勧誘?」

「それだと男同士のトークができないだろ。うーん……スカルは酒を物理的に飲めないし、テクノ先輩は工業用オイルしか飲まないし、銀島は未成年だし……しゃーない。釘桐を誘うだけ誘ってみて、ダメならダメでホァン、ふたりで飲まねえ?」


 スンドゥブスン! スンドゥブスン! スンスンドゥブドゥブ! ドゥブスンスンドゥブ!


 突然謎の音がしたので隼人が何事かと驚いていると、ホァンは自分のスマホを取り出して耳に当てた。


「申申?」

「着信音かよ」

「……了承。了承。…………承知」電話を切り、ホァンは隼人に目を向ける。「申訳無。用事発生。今日、大学居残。故、飲、同行不可能」


「なんだよー、ホァンも行けないのか」

 がっくりと肩を落とす隼人。

「じゃあ、俺も今日は大人しく帰るわ。じゃな、ホァン」


「応! 又明日!」


 去っていく隼人の後ろ姿を見送ってから、ホァンは踵を返して教室の窓枠に手をかけ五階から飛び降りる。



     ◇◇◇



 ホァンが飛び降りてすぐ着地した場所は、上下左右に前も後ろも、360度どこを見てもが広がる、不思議空間であった。

 白い千切れ雲が八方に流れる神秘的な世界。そこをホァンは床も何もないように見えるところへ足をつけ、ゆっくりと歩みを進めていく。ホァンの足が空間に下りるとき、雫が落ちた水たまりのように、無音の波紋が広がる。


「こんにちは、ホァン君」


 大机の方から爽やかな声がした。透明の樹脂のような質感をした丸テーブルは、大人数での会議に使うような大きさをしている。しかし等間隔に置かれている椅子は七つだけであった。


 声の主に目を向ける。

 そこには水槽に入った脳があった。

 脳からはコードが伸びており、水槽の外にある機械と繋がっている。声はその機械に備え付けられたスピーカーから発せられていた。


「ささ、座って座って。ちょうどみんなも来てくれたところなんだ」

「失礼致。皆、夜露死苦」


 ホァンは笑顔でそう言ってから近くの透明な回転椅子に座り、今日この場へ来ている面子を見渡す。

 水槽の中の脳――――脳マン。

 新聞記者サークル〝ぽんぽこタイムズ〟の千里眼幼女――――毎沢しろ。

 両目の周りに曼荼羅の刺青を刻んで頭にターバンを巻いたインド人――――クシャトリヤ・G・ラマチャンドラン。

 真っ白なコートを着て漆黒のグラスで目を覆い隠した青髪のスーパーハッカー――――墓基はかもとアキラ@END OF THE END。


 そして最後に、仙人のような白髭をした禿頭とくとうの老人――――ぽんぽこ大学七億七千七百七十七万七千七百七十七不思議の代表格でもある存在――――〝百回留年している長老〟。


「しゃて」


 その長老が、白髭を動かした(髭に覆われて見えないが口を開いたのだろう)。


「しょろしょろ、ひゃじめようかのお」


 此処こそが、七賢者の集まる〝神の塔〟。

 ぽん大の偏差値をたった七人で2憶6千万に引き上げている、すっごい頭がいい学生たちの、集会のための空間である。



     ◇◇◇



「待」

 会議を始めようとする長老に、ホァンが口を挟んだ。

「七人目、不参加?」


「うん。〝K〟君はまだ来ていないんだ。でもどうせ来ないさ」脳マンが爽やかボイスで答えると、

「<i>来ないだろう。〝K〟はそういう奴だ</i>」墓基アキラ@END OF THE ENDがそっと置くような落ち着いた声で応じ、

「आइए, बैठक की शुरुआत ऐसी चीज़ से करें」クシャトリヤ・グーグルホンヤク・ラマチャンドランが蓮華座(あぐらにも似たヨガの姿勢)で宙に浮きながら陽気に言い、

「…………………………」しろは無言のまま、机の上の画用紙にクレヨンで画家にも引けを取らない芸術的な絵を描いている。


 えっふん、と長老が咳払いをした。視線が集まる。


「今日の議題を示ひょう。アヒラ、よろひく」

「<font size="3">承知した</font>」


 墓基が指をクイッと振ると、フオン、という音とともに透明の机に映像が浮かび上がった。映像はこの場の六人それぞれの手元に表示されている。それと同時に、丸机の上の空中にミニチュアの地球の立体映像が投影された。


「此、何? 一体何開始?」わくわくしている様子のホァン。

「<h1>結論から言おう。地球は球体ではないことが判明した</h1>」


 地球の立体映像が墓基の操作で変化する。球体だった地球が、つぼみが花開くようにパラリと割れて広がり、平らになった。


「<b>これが本来の地球の姿だ</b>」

「呵呵呵呵呵呵! 滅茶面白! 其、真実? 凄!」

「ああ、本当さホァン君。今回は私と墓基君との共同研究で明らかになったのだけど、地球は元々こんな形だったようなんだ。私たちはこの説を〝平らな花冠説〟と呼ぼうと思う」

「लेकिन विभिन्न तथ्य पृथ्वी के सिद्धांत को नकारते हैं, है ना?」


 両目をぱちぱち瞬くラマチャンドランの指摘に、脳マンは「まあね」と応える。


「確かにラマチャンドラン君の言う通り、地球平面説を今更唱えるのはナンセンスだね。でも平らな花冠説なら、この前ここで発表した逆立ち世界説が俄然がぜん信憑性を帯びてくるんだ。そもそも万有引力の法則が間違っていたことは以前話した通りだけど、平面地球の特性を式に代入してみると現在引力とされている力を思いのままに操る方法がわかった。やはり地動説は正しくなかったわけだね。そこで時間の最小単位が重要になってくる。現代の科学において、物理的に何らかの意味のあるものとして計測することのできる最小の時間だといわれるプランク時間。これを更に小さく分割してみた」


 墓基があごをしゃくった。すると立体映像にいくつかの情報が追加される。様々な数値データが空中で躍る。


「計算は主に墓基君がやってくれたよ。そっち方面は私より墓基君に任せた方が確実だからね。いや~検討の途中は凄かったね。私と墓基君の間だけで密かに進めてた研究なのに、どこから漏れたのか知らないけど黒服のエージェントたちが来てさ。研究を即刻中止せよって言うものだから、これは〝機関〟に妨害されるほどの偉大な研究なんだって察して嬉しかったよね。そんで私が、やだよ~って宣言して、切った張ったの大立ち回りを演じたんだよね主に墓基君が」

「<small>あの時は久しぶりに常人なら殺せるレベルのクラッキングをしてしまった……</small>」

「あと夢の中を怪物が侵蝕してきたりもしたよね。これはまた別の〝組織〟による工作で」

「脳男氏~、続~。我続望~」


 ホァンの催促に、脳マンは「おっとごめんごめん、脱線してしまったね」と相変わらず涼やかに応えた。


「まあ手元の資料とその立体映像を見てもらえばわかる通り、地球はプランク時間さえも分割した極小の時間、一時的に平面化しているということなんだ。平らな花びらのようにね。ついでに研究過程で得られたダークマターの実態についての知見も参照してほしい。でも私と墓基君の研究発表はさ、ラマチャンドラン君は既に知ってる内容だったでしょ?」


 ラマチャンドランはヨガをやっているとうっかり悟りの境地に達してしまい、宇宙の真理と接続してしまうことがあるという。しかしラマチャンドランは首を横に振った。


「आप ब्रह्मांड के सत्य को एक दृश्य के रूप में देख सकते हैं, लेकिन इसे शब्दों में रखना मुश्किल है」

「そうなんだね。じゃあラマチャンドラン君が理解はしても言葉にできないものを、きちんと言葉や式として記述した本研究には、ちゃんと意味があるわけだ」

「但、此研究結果公表時……我予想、世間、大混乱」


「うんむ」

 長老が久々に白髭を上下に動かす。

「じゃ、ひょの事実は、ひょひょだひぇの秘密というひょとで」


「承知致!」

「<em>わかった</em>」

「そうですね。了解です!」

「मैं समझता हूँ」

「………………」


 お絵描きに夢中のしろ以外は了承の意を示した。長老はぐるりと賢者たちを見回し、満足げに頷く。


「じゃ、ひゃいさん!」



     ◇◇◇



 翌日。

 隼人がぽんぽこ大学七号館でシュバババ学の講義に参加し終えて席を立った時、誰かに肩を叩かれた。


「ん?」

「隼人~、今日居酒屋行~?」

「ホァンか。今日は飲み行けるのか? オッケ、じゃあメンバー集めよ……う……」


 ホァンは「色々人々集合望」とウキウキした表情で言っている。隼人も「そう、だなー」と口をぱくぱくさせながらホァンの隣にいる見慣れない男をチラチラと見ていたがその男がヨガのポーズで浮遊し始めたところで我慢できなくなった。


「ホァン、この方は?」

「嗚呼! 申訳無、紹介遅。印度人先輩。四年生。今日酒飲参加者!」

「नमस्ते」


 ラマチャンドランは驚異の関節の柔らかさで足を後頭部に引っかけるヨガポーズをしながら、両手を合わせた。

 隼人は思う。

 ホァンって、謎言語話したり頭が良かったりするけど……こうしてやばそうな先輩と友達になってるし、実は本当に凄い奴なのか?


 まあ、だとしても、俺はいつもと変わらず、ホァンの友達でいるけどな。

 隼人はとりあえず、異文化交流だと思って自分も両の手のひらを合わせた。


「ナ……ナマステー」

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