居眠り厳禁ジャンジャカジャン学

 ぽんぽこ大学一年生女子、毎沢まいさわしろ。

 千里眼の異能を持っていることを買われ、新聞系サークル〝ぽんぽこタイムズ〟の記者としても活躍する彼女は、非常に小柄で幼い風貌をしており、小学生と間違われることも多い。ランドセルを背負わせれば最早小学生そのものである。そのまま小学校に行って教室で授業を受けていても違和感がないだろう。


 というよりも彼女は実年齢として九歳である。


 彼女、しろは、先天的に高度な知的能力を持つ、いわゆる〝ギフテッド〟として生まれた。三歳の頃に親に連れられ渡米し、特殊な教育を受けたのちに日本国における義務教育が免除されると、六歳でアメリカの高名な大学に入学。そして八歳で卒業。博士号を携えて日本に帰国したのが今年の二月で、三月に特別試験を受けることでぽんぽこ大学に入学した。

 なぜぽん大を選んだのか?

 そう訊かれることも多い。しかし、しろにはその問いにきちんと答える術を持たない。なぜなら入学を決めた理由は、パパとママに勧められたからという、ただそれだけだから。しろは親の真意をよくは理解しないまま、それでも自分をこれまで愛してくれている両親のために、ぽん大に通っている。


 しろの存在はぽん大生の間でも有名である。将来を期待されるほどの美少女であることもあってか、歩いているだけで女子からも男子からも「しろちゃんおはよー」「毎沢さん、ご機嫌麗しゅう」と挨拶される。無口なしろはそれにコクリと頷くだけなのだが、それがまた小動物のような愛らしさがあるということで、ちやほやされている。教授陣からも「授業態度が真面目」という理由で密かに人気であり、どんな科目でも最前列に座って授業を受けるその姿は、「九歳なのに大学生の鑑」と評されるほどであった。


 そんなしろに、事件が起きた。


 午後、ジャンジャカジャン学の講義中。


 最前席のど真ん中で、

 講義する教授のど真ん前で、

 しろは突っ伏して爆睡していた。




     ◇◇◇




「えー、ジャンジャカジャン学においてなんたらかんたらは非常に重要である」


 ぽん大教授、鬼怒川きぬがわが黒板をチョークで叩くように板書している。


「なんたらかんたらが重要なのは、うんぬんかんぬんであるからに他ならない。それは何故か?」


 カツカツカツ、と鬼怒川がチョークを鳴らす音。


「しっかり授業を受けていればわかることだ。だから学生諸君に訊いてみたいと思う」


 カツ。

 チョークの音が途切れる。


「まずは」


 鬼怒川の、意志の強い目が鋭く学生たちを睨める。


「毎沢。答えてみせなさい」


 緊張が走った。

 学生たちはゴクリと息をのみ、冷や汗を垂らしながら、最前列の真ん中で眠るしろを見る。

 しろは可愛らしい寝息を立てたまま、起きない。


 鬼怒川が、コホンと咳払いをする。


「諸君らは知っていると思うが。私の講義は居眠り厳禁である。大学は、学びの場だ。講義に臨む際には万全の状態を保たねばならない。中には『大学は学生側からの金で成り立っているのだから、学生は我々にとってお客様なのだ』などと甘っちょろいことを主張し、たるむ学生を野放しにする先生たちもいる。だが。私はあえて君たちを厳しく律しようと考えている。仲間づくりや、サークル活動に勤しみ、そういった面での人間性を磨くのもいいだろう。だが同時に、君たちが学問を学ぶこと、そして何より『意欲的に学ぶ姿勢を獲得すること』は、間違いなく君たちの人生において、かけがえのない財産となる。それを、覚えておいて欲しい。さて毎沢」


 鬼怒川が今一度、目の前の幼い学生を視線で射抜く。


「なんたらかんたらがうんぬんかんぬんなのは何故か、答えられるかね?」


 毎沢しろは。

 すやすや寝ている。


 学生たち全員が息苦しさを感じていた。なぜしろがこんなにも爆睡しているのかはわからなかったが、きっとのっぴきならない事情で睡魔に勝てなくなったのだろう。彼らは想像する。いつも可愛く聡明なしろが、授業が終わった後にハッと目を覚まし、鬼怒川に必死で謝る。目に涙さえ浮かべながらごめんなさいを繰り返すその姿の、なんと痛ましいことか。

 彼らはそんな光景を、見たくはなかった。


「う、うわーーーーーーーっ!!!!!!!」


 突如、叫び声が響く。

 最後列で座っていた不真面目学生、意地ヶ谷いじがやがいである。


「どうした、意地ヶ谷」

「あ、え、っと、今……、そう、今! 足下をゴキブリが通っていったんです!!」

「この教室にゴキブリが? 衛生管理はしっかりしているはずだが」

「いやマジでゴキブリでしたよあれは!! 前の方に行ったかもしれない!! 誰か潰してくれ!!」


 怪訝な顔をする鬼怒川。しかし学生たちは、察した。目配せし、心で頷き合う。そして。


「ぼ、ボクが潰してやるーーーーー!!!!」

 少年めいた体格の学生、ラヴ・オーオオが立ち上がり、大げさに声を上げると、


「ぷるぷる!! ぼくはわるいスライムじゃないけど、ゴキブリたおす!!」

 スライムのぷるすけがぴょんぴょんと飛び跳ね、


「みんなあああ落ち着けええええ!!! まずは落ち着くんだあああ!!!」

 モヒカンマツゲ吹奏楽団チューバ担当の縁下えんのした重明しげあきが大声を出し、


「そうだ落ち着けー!!」「慌てるなあー!!」「こんな時は深呼吸だ!!」「スウ!! ハア!! スウ!! ハア!!」

 それ以外の学生も騒ぎ出す。


 憤怒の前に困惑が来た、という表情の鬼怒川に構わず学生たちは口々に喚き、やがて「そっちへ行ったぞ!」という声で教室の前の方へ集まっていく。そしてこんなにも騒がしいのに起きる様子のないしろの元で、ラヴが「あっ!」と素っ頓狂な声を出した。


「どうしたラヴくん!」

「しろちゃんの背中にゴキブリが!」

「なんだと! 本当だ、確かに、正直者にしか見ることのできないゴキブリが! 払ってやらねば!」


 そしてラヴが「えい!」としろの背中を勢いよく叩いた。


 学生たちは、祈る。


 起きて、しろちゃん。目を覚ましてくれ、毎沢さん。


 頼む…………!




     ◇◇◇




 教室内に、空調の駆動音が響いている。

 学生たちの息遣いと、不機嫌そうな鬼怒川の貧乏ゆすりの音と、それから。

 しろが、もぞもぞと動く衣擦れの音――――


「むにゃぁ……リーマン予想、解くには……こうすればいい……んだよぉ……?」


 寝言であった。




     ◇◇◇




 ダメだった――――

 学生たちの顔がみるみる絶望の色に染まっていく。

 しろは居眠りから起きず、他の学生たちは授業中に過剰に騒いだ。

 これでは確実に、鬼怒川に鬼のように怒られる。怒られてしまう。


 終わった。


 誰もがそう思い、俯くか、天井を仰いだ。せめて単位だけは守るため、中には土下座も辞さない覚悟を決めた者すらいた。ほぼ全員が、絶たれた希望に背を向けて、妥協案を模索する。

 そこへ。

 小さな黒い物体がひとつ転がっていき、しろの突っ伏した頭にこつんと当たった。


 誰かが声を漏らす。


「ば」


 黒い球体が、光る――――


「爆弾っ……!?」


 小型爆弾は、しろの耳元で炸裂した。轟音と共に煙が巻き上がる。「ひゃあっ!?」甲高い悲鳴はしろの声。ようやく起きてくれたのだ。しかし何故ここに爆弾が? 疑問を感じながら学生たちは周囲を見回す。そして見つけた。ひとりだけ、席を立っていない受講生。不敵な笑みを浮かべながらしろたちを眺めている、背の高い男子。


「まさか……銀島! おまえなのか!?」

「おれは――助っ人を呼んだだけだ。ヒーローズの一員として――とある爆弾魔と繋がりがあってな」

「爆弾魔……!」「オタサーの爆弾姫のことか!?」「そうだ、この前、ヒーローズの緑川先輩とホァン先輩がオタサーの爆弾姫を追い詰めたって聞いた!」「俺は緑川先輩が爆弾姫を口説いてたって聞いたぞ」「改心して、ヒーローズの仲間になっていたってこと?」「と、いうことは……!」


 学生たちの頭上から、一枚の紙が落ちてくる。

 すすで汚れたその紙には、こう書かれていた。


〝正義の爆弾魔、参上よ〟


 教室内に、感謝の歓声がこだました。




     ◇◇◇




 こうしてしろの頭はチリチリに焦げたアフロヘアになったのであった。あまりに痛ましいこの事件は、しろに配慮して誰もが口外しなかったのであった。ちなみに、なぜしろが居眠りしていたのかは多くの学生にとって謎のままであった。


 アフロになった髪をいつものストレートに戻してから、しろはぽんぽこタイムズの部室を勢いよく開ける。

 そこには、編集長・読坂よみさかかたりと、四コマ漫画担当・日下くさかよんこがいて駄弁っていた。

 よんこがしろに反応し、「おー」と手を振る。


「どうだったにゃ? ちんの催眠術の威力」


 しろは授業前、よんこに「授業が始まったら朕を千里眼で見てみてほしいにゃ」と言われていた。その通りにしたら、よんこは五円玉をぶら下げて「あなたはだんだん眠くなるー」とやっていたのだった。そのせいで寝てしまった、というのが今回の真相である。


「よんちゃん、そんなことやってたのかい……? しろちゃんが可哀想じゃないか」

「にゃはは! 朕としろちゃんの仲にゃもん、この程度スキンシップみたいなもんにゃ。でしょ、しろちゃん? ん、どうしたにゃ、朕の腕を掴んで……イタタタタタタタ痛いにゃ関節技しないで痛いにゃ痛いにゃにゃにゃにゃにゃにゃ!! 肩が外れる!! ごめんにゃしゃいごめんにゃしゃいイタタタタ無理無理ギブギブギブギブ」

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