オレサマと契約し、モヒカン男になるがいい
「はいストップ。うーむ……ここの八小節目から、チューバだけ吹いてみてくれる?」
合奏中、顧問の男性から受けた指示に、ぽん大吹奏楽部のチューバ担当・
ぽんぽこ大学三号館、音楽室。
防音設備が完備されているそこでは、今日も吹奏楽部の練習がおこなわれていた。
ぽん大の吹奏楽部は男女比がおよそ1:1で、女子が十八人、男子が十六人となっている。入部した時、重明は驚いた。高校では女子が圧倒的に多く、大学でもその傾向があるだろうと思っていたからだ。しかし、おかげでサークル内の友達は作りやすいだろう――――
そう思っていた。
「うーむ、やっぱり縁下くんが音を外してるよね。指も回っていないし。ここ低音の大事なとこだから、しっかり個人練しとくように」
「はい」
重明はひそかに溜息をつく。
ああ、また
沈鬱な気持ちになる重明に構わず、合奏練習は十八時まで続いた。
◇◇◇
ぽんぽこ大学吹奏楽部は、雰囲気としては険悪である。
部員たちで派閥を作り、いがみ合っている、というのが現状だ。特に
重明は高校まで打楽器担当だったのだが、今年ぽん大に入学してからはチューバをやることになった。チューバとは、金管楽器の中でもかなりの大型をした低音楽器である。チューバに関しては初心者である重明は、同じくチューバ吹きの先輩に指導される日々を送っているが、なかなか上達できていなかった。そのせいもあって、愛歌のいびりの標的になってしまい、友達もできにくくされてしまっているのだった。
「はあ……」
自主練してから楽器を片づけ、帰宅する頃には二十時を回っていた。大学の課題をやっていると、すぐに二十三時になってしまう。
「寝るか……」
もっと上手くなって、明日の合奏練習ではミスがないようにしないと……。
そんなことを考えながら、重明は眠りに就いた。
そして。
重明の夢の中に、悪魔が現れた。
◇◇◇
「おい、シゲアキ」
悪魔の呼びかけに、重明は目を覚ましかけるくらいにびっくりした。
「なんか全身黒タイツで悪魔の耳と翼と尻尾が生えたやべーのいる!?」
「黒タイツじゃねえ、肌だ。オレサマは悪魔。オマエの大切な物と引き換えに、オマエの願いを叶えてやろう」
「えっ……嫌です……」
夢の中に沈黙が下りる。
「じゃ……そういうことでおやすみ……」
「いやいやいやいや終わっちゃうだろそれ。いいのか? なんだって叶えられるぞ? 差し出す物によっちゃ世界をも掌握できるんだぞ?」
「どうせ寿命を差し出せとか愛する者を差し出せとかそういう話になってくるんでしょ。嫌だよそんなの」
「オマエはサークルでチューバを演奏しているらしいな。最強のチューバ吹きになれるぞ? いいのかオレサマと契約しなくて?」
「ぐっ……いや、やめとく。悪魔なんかと関わるとろくなことがなさそうだ」
悪魔はぐぬぬと唸り、腕を組んで考え込んだ。
たっぷり十秒考えた後。
土下座した。
「お願いします! 今日中に契約を取ってこないとノルマがヤバイんです!」
「営業マン!?」
「最近は悪魔と契約する若者が減ってきておりまして、若者の悪魔離れの深刻さが叫ばれております。ですがこれは逆に考えれば、あなたがたにとってチャンスなのです! 悪魔契約を周囲の人々がしていないということは、自分だけが悪魔の力を手に入れて猛威を振るえるということ。気に食わないアイツや追い越したいアイツに差をつけることができるのです! 例えばこんなことはありませんか? ガミガミと説教してくるアイツを黙らせるほどに成果を出したい。自分だけが圧倒的トップに立ちたい。理想の自分になりたい……そんな願いを、㈱デビルズウィングは叶えます! まずはお試しプランから試されてみてはいかがでしょうか?」
セールストークに圧され、たじたじとなる重明。正直に言って軽くしらけるような気持ちにもなっていたが、しかし、心が動かないわけでもなかった。
もう、愛歌にいびられたくない。
文句を言う奴らを問答無用で引き離し、最高のチューバ吹きになりたい。
なによりも。
楽しく、楽器を演奏していたい――――
「隙あり」
悪魔の声が聞こえ、はっとした。
いつの間にか指先を浅く切られ、契約書のような紙に血判を押させられていた。
「え!? 何した!?」
「契約成立。ふぅ、下手に出てみるもんだな。とりあえず、オマエの心にできた隙に付け込んでオマエの願望を叶えておいた」
「な……なんだよそれ! 僕には悪魔に差し出せるような対価なんかないぞ!」
「あるじゃねえか」
そう言って悪魔はニヤリと笑った。
「人間としての尊厳。オレサマと契約すると、男は世紀末みたいなモヒカン刈りに、女は
「ハア!?!?」
次の瞬間、重明は「モヒカンの方に失礼じゃないのかその言い方は!?」と叫んでいた。
小鳥のチュンチュンと鳴く声が聞こえる。
朝だった。
重明はツッコむ勢いで布団から飛び起きていたのだった。
しばらく黙っていたが、やがて恐る恐る頭を触る。
よろよろと立ち上がり、洗面台の鏡に向かう。
髪の逆立った部分以外は見事にツルッツルになったモヒカン頭を見て、思った。
(……こうなったら)
口に出して、叫ぶ。
「こうなったらチューバでテッペンとってやる!!」
◇◇◇
剃り上げてスキンヘッドにしようともしたが、悪魔の呪縛か何かで毛根が強すぎて剃るそばから生えてくる。帽子をかぶろうにも髪が逆立っているのでかぶれない。諦めて重明はモヒカンを衆目に晒しながら音楽室へ向かっていた。
バカにはされるだろうが、それも最初のうちだ。
体には力が漲っている。すぐにでもチューバを吹きたい。
そして、誰にも文句は言わせない!
「おはようございます!」
重明は音楽室の扉を開けた。
モヒカン男と極長睫毛女の集団がいた。
重明は扉を閉めた。
大きく息を吸い、吐いて、呼吸を整え、扉を開けた。モヒカン男と極長睫毛女の集団がいた。
「全員悪魔と契約してる!!!」
「ほら、縁下くん。早く楽器持ってきて。チューニングやるぞ」
「あ、はいわかりました先生…………もモヒカンになってる!?!?」
「いちいち驚いているんじゃありませんわよ。また指導されたいのかしら?」
「奏鈴院先輩まで極長睫毛!?!?」
音楽室の至る所からクスクス笑いが聞こえてくる。純粋にこの状況を楽しんでいるような笑い方だ。しかし愛歌がキッと周囲を睨む。
「皆さん? 気を引き締めて練習に臨まなければ……わかっていますわね?」
睫毛が十センチあるので目力がすごかった。睨まれた奴らは噴き出した。
「ちょ、ちょっと!? 何を笑っていますの!?」
「だって愛歌まで悪魔契約するとは思わなかったんだもん~、ねえ?」
クラリネットの四年生が言い、隣のオーボエの四年生へ振る。オーボエの四年生は笑いすぎて呼吸困難になっている。
愛歌はフルートをキュっと握って「だって……」と呟いた。
「わたくし……もっとフルートが上手になりたいんですもの。そのためならば、ちょっと睫毛が長くなるくらい気にしませんわ。もちろん、上手くなる努力はこれまでと同じように継続します。ですけれど、聴衆の方々に美しい音色をお届けするためなら、使える手段はいくらでも使うのですわ」
自分は奏鈴院愛歌という先輩を誤解していたのかもしれない。
重明はそう感じた。
確かに他の部員がミスをするたびに説教を始めるのはどうかと思う。だが、それは持ち前のストイックさからくるものだったのかもしれない。彼女自身は合奏練習中ノーミスともいえるほどにフルートが上手いが、きっと陰でかなりの練習量をこなしてきたのだろう。キツく当たられてきた記憶は今更消えないが、重明の胸に、少しだけ尊敬の念が芽生えた。
それはそれとしてその顔で真面目なことを言ってるのが可笑しくて噴いた。
「皆さん!? 真面目な話をしていますのよ!? 笑わないでくださ……みなさーんっ!?」
◇◇◇
その日以来、吹奏楽部は笑いの絶えない部活となり、しかも全員の演奏技術がプロ並みになったのであった。モヒカンマツゲ吹奏楽団、結成である。
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