ドーナツの穴専門店〝Afterglow〟
一人でも
独りでもあるよ
それでもね
風は踊って
花は色づく
こんにちは。わたしは
誰に向かってお届けしているのだろうかと自分でもたまーに疑問に思うけれど、大学では会話する相手がいないのだから仕方がありません。
そう。
わたしは、いわゆる〝ぼっち〟なのです。
昔から無口で臆病だったわたしは、生まれてこのかた友達と思える相手と出会ったことがありません。他人と会話でのコミュニケーションをしようとすると、声が震え、目が回り、足に力が入らなくなります。
小学生の頃から不登校で、勉強はYouTubeにアップされている動画を見て頑張りました。高校は行っていませんが、一般的な高校レベルの学力は持っていると思います。
ぽん大に通い始めたのは、商店街のガラポンで二等が当たったからです。
まさか二等の景品がぽん大への合格通知書だとは思いませんでした。ちなみに一等はPS4でした。ぽん大はPS4以下なのでしょうか。
ところで、わたしはコミュ障のぼっちだと言いました。ですが、ぽん大へ来てからは、そのことをあまり苦に思ったことはありません。
ぽん大は懐の深い大学です。人間でも、人間じゃなくても、平等に授業が受けられるし、そこに差別はありません。学長が人外なくらいですから、もはや善いことならば何でもありという場所です。
そんな中、ひとりでいたいという女子がいても、まったくおかしくはないのです。
そんなこんなで今、わたしは、めくるめくぽん大ぼっちライフをエンジョイしているのでした。
「~♪」
鼻歌をうたいながら、ぽん大の中央広場を歩きます。
右を見れば、八号館の壁に『ぽんぽこ大学みかん剥き研究会全国大会六連覇おめでとう!』の横断幕が。
左を向けば、五号館に『ぽんぽこ大学サッカー部地方予選一回戦負けドンマイ!』の横断幕が掛かっています。
そして正面には、学長であるスターリースカイ・スカッシュメタル・リリカルサファイア先生の姿を模した像が噴水の壺を掲げていました。
そういえば、実際の学長は幼い女の子の姿をしていますが、この噴水像は髪の長い大人の女性の姿をしています。
どうしてだろう。
背伸びしたいお年頃なのかな。
とりあえず、噴水で虹ができていたので一眼レフを取り出し、パシャリ。わたしは自称・多趣味なのですが、写真もまたそのひとつです。
虹に見とれていると、どこからか飛んできた一玉のラーメンがボチャンと音を立てて泉に落ちたので、咄嗟に短冊を取り出し、サラサラリ。わたしは俳句や川柳や短歌も趣味なのです。
「古池や ラーメン飛び込む 水の音 っと。それにしても、どうしてラーメンが? 学食ストリートの方から飛んできたみたいけど……」
それにしても……。
わたしは、ぐうと鳴るお腹をさすります。
「おなか、減った」
食べ歩きも、趣味だったりします。
◇◇◇
ぽんぽこ大学には、学食が無数に存在している。
学食として営業するには、正式な届け出をする必要がある。しかしその届け出をサボっていたり、受理されていなかったりと、様々な理由で公認されず――――それなのに勝手に営業している〝非公認学食〟が多数存在する。それらの多くはデデドン通り(十号館と十一号館の間~十二号館と十三号館の間の通り)に店を構えており、今やそこは〝学食ストリート〟と呼ばれる一種のレストラン街の様相を呈している。奥へ行けば行くほど暗くディープでミステリアスな学食が増えていくため、ぽん大新入生にはおすすめできない。新入生の諸君には、学食ストリートの外にある、平和な公認学食〝第一学食〟で慣れていくのがよろしかろう。
……と、いう文言は、わたしが去年の四月に入学した時にもらった『ぽんぽこ大学ガイド 新入生向け』からの引用です。入学式の後にぽんぽこタイムズという新聞系サークルが配ってました。
新入生にはおすすめできない都合上か、この冊子には学食ストリートについて詳しくは書かれていません。だからわたしはこのストリートについて深くは知らないのですが……でも、いいのです。ぽんぽこ大学ガイド上級編とかもらってきて読むのも楽しそうですが、いいのです。わたしは新鮮な出会いを大切にしたい。少なくとも、いまはそんな気分なのでした。
十号館と十一号館の間。
わたしは学食ストリートの入口に足を踏み入れました。
基本的に静かですが、それぞれの店内やカウンター席からは笑い声が聞こえてきて、活気があるように感じます。バラエティに富んだ非公認学食の数々。ラーメン屋、天丼屋、オムライス屋。ここらへんはまだ比較的普通の店が多いみたい。
元々は広い通りだったのでしょうが、店をそこに無理矢理押し込んだために、通路は狭いです。ぽん大生たちとすれ違うたびに、肩が触れ合いそうになってちょっとビクビク。テラス席もあるので、椅子で食事中の人も避けないといけません。
おいしそうなもの食べているなあ。
パシャリとやりたくなる気持ちを抑えながら、とことこ歩いていると、すれ違った女子大生ふたりの会話が聞こえてきました。
「じゃあこれは知ってるかにゃ? 『ドーナツの穴専門店』!」
………………??!?!?!
わたしは流れるような動きで方向転換し、すれ違った人の後ろを歩き始めます。ストーカーじゃないです。気になるワードが聞こえたのでストーキングしてるだけです。
「ドーナツの穴専門店!? きゃははっ☆ なにそれおもしろーい!」
「
「ドーナツの穴って、おいしーのかなー?」
「無の味がすると思うにゃ」
金髪でJK制服を着たギャルっぽい女子と、ボサボサな髪でよれよれの服を着た芸術家肌っぽい女子は、それきり『ドーナツの穴専門店』の話はしなくなってしまいました。
わたしはストーカーをやめて、考えます。
おなかは減ってる、けど……
ドーナツの穴専門店の方が、気になる……!
よし!
わたしはリュックを背負い直すと、学食ストリートの喧騒の奥へ、一歩を踏み出しました。
◇◇◇
ぽんぽこ大学の七億七千七百七十七万七千七百七十七不思議、というのは聞いたことがありました。小学校によくある『学校の七不思議』という都市伝説めいた怪奇な噂を大学レベルにまで引き上げたもの、らしいです。『トイレのパな子さん』『人面人』『夜の音楽室に入ると突然グランドピアノが独りでに笑点のテーマを奏で始める』『チャバン粒子』『百回留年している長老』『学長の正体』などなど、様々な不思議がぽん大にはあります。この前はサッカーグラウンドの方から骸骨とゾンビと小さな妖精が歩いてくる(妖精の方はふわふわ浮遊している)のを見ました。ふしぎです。
「ドーナツの穴専門店かあ……」
どうやってドーナツの穴それのみを販売しているのでしょう。
考えてみます。
ドーナツの本体における、ドーナツの穴を形作っている部分だけを限りなく薄く切り取る、というのはどうでしょうか。ドーナツ本体の内側の円だけを残すのです。
それでは限りなく薄いとはいえドーナツの食べられる部分が残ってしまうじゃないか、という反論も考えられますが、そもそも、穴というのはその周辺の縁がなければ成立しないもの。それに、ドーナツの縁を残す際には本っ当に薄く、それこそ一ミクロンの厚さくらいにしてしまうのです。これならどうでしょうか。
あるいは……、
あるいは、ドーナツの穴自体を保存可能なものに変化させて取り出してしまうというのはどうでしょう。
ドーナツの穴を構成するものとして、まず空気があります。これを取り出せるものに変化させてしまうのです。例えば、固体化。空気はマイナス219℃まで冷やすと成分中の窒素や酸素が凍って、固体になります。つまりドーナツをマイナス219℃の空間に放り込めば、ドーナツの穴は固体化して、保存できるようになるのです。
それとも……、
そうだ、こんなのはどうでしょう!
ドーナツの穴の定義から考え直すという思考。すなわち、ドーナツの穴とは本当に真ん中の穴なのか? ということから疑ってかかるのです。
現在、宇宙は膨張していると考えられています。これを膨張宇宙論と呼びますが、その中の様々な説のうち『宇宙は閉じている』と考える説があります。ビッグバン以降、宇宙はずっと膨張し続けていますが、ある時を境に収縮に転じてしまうという説です。もしもこの『閉じた宇宙』説が正しいとするならば、宇宙の広さは有限であり、宇宙を進み続けてもやがては同じ地点へ戻ってきてしまう……らしいです。そういうことになっているらしいですこの説では。
で、ドーナツの話に戻ります。ドーナツの穴というのは、つまりは『ドーナツに囲まれている部分』と考えることができますよね。ゆえに真ん中に開いている空間をわたしたちは穴と認識しているわけです。でも、もし、ドーナツの外側を『穴』と定義できるとしたら?
閉じた宇宙説では、ある一点からまっすぐ進み続けると宇宙を一周してやがてその一点へ戻ってきてしまいます。その『ある一点』を『ドーナツのある地点』に置き換えてみるとどうでしょう。どこまで行っても最後にはドーナツが立ちはだかります。四方八方、上下左右どこへ行ってもです。
ということは、ですよ?
わたしたちのいるこの空間は、ドーナツに囲まれている、ということになりませんか?
この空間こそが、ドーナツの穴なのだと考えることはできませんか?
つまり、空間に存在する全てのものはドーナツの穴の構成物であり、わたし=ドーナツの穴、あなた=ドーナツの穴という感じで、この世にはドーナツの穴が偏在しているということになるのでは!?
「あだっ!」
考え事をしていると、壁におでこをぶつけてしまいました。暇な時にちょっとググって得ただけの浅い知識でよくわからない脳内演説をぶった罰でしょうか。途中から自分でも何を言ってるのかわからなくなってましたし。
「いたた……、ん? あれ?」
わたしがぶつかった壁は、何の変哲もない建物の壁です。
でも。
よく見ると、壁が、忍者屋敷の『どんでん返し』のような感じにズレて、奥へと進めるようになっていました。
「……ごくり」
……気になる。
わたしは周囲を落ち着きなく見回すと、息を吐いてから壁をくるりと回して、そーっと奥を覗いてみます。
ドーナツ型の大きなトンネルの向こうには。
ショーケースと、ムードのあるイエローホワイトの照明と、ドーナツの香り。
「おや」
そしてショーケースの向こうにいるのは、ダンディな声の男の人。
「ようこそお客様。どうぞ、中へ」
ドーナツの穴専門店
〝
店主である透明人間・ドリームさんとの、出会いでした。
◇◇◇
「店主のドリームです。当店ではいろいろなドーナツの穴を取り揃えておりますよ。どれも自信作です」
「ひゃっ、ひゃい……」
変な声を出してしまいました。わたしは目を合わせられず(そもそもドリームさんのどこに目があるのかは見えないけど)、しどろもどろになります。うう。コミュ障体質が恨めしい。
ドリームさんは優しげに微笑む、ような雰囲気を醸し出すと、「ご注文がお決まり次第お申しつけください」とダンディボイスで言って隅の方で皿を洗い始めました。着ている服は透明になっていませんが、よく見るとエプロンです。
気を遣われてしまった……。でもいい人だ……。
ショーケースの中を見てみます。
何もありません。
強いて言えば、メニュー名と値段が書かれた小さな立て札が置いてあります。オールドファッションの穴、\100。エンゼルフレンチの穴、\130。なんだか、『無』に値段をつけているように思えてならないのですが……。
わたしは勇気を出して、頭の中で会話のシミュレーションをした後、ドリームさんを呼びます。
「あ、あのっ!」
「お決まりですか」
「あ、いえ……しゃ、写真、撮ってもいいですか? そ、それと、穴、この、ドーナツの穴、って、なん、どういう、その」
シミュレーション通りにうまくいったことはありません。今回もそうでした。顔を真っ赤にして「あう」としか言えなくなってしまうわたし。でも、ドリームさんはフフと笑って優しく答えてくれます。
「店内の写真撮影は、申し訳ございませんが、ご遠慮いただいております。それからドーナツの穴について、説明をご希望ですか?」
わたしはぶんぶんと頷きます。
「承知いたしました。では、試食用のドーナツの穴をご用意しておりますので、こちらをお召し上がりください」
新作の穴です、と空っぽのバスケットを差し出してくるドリームさん。わたしは困惑します。でもドリームさんが「つまむフリをして、口に入れるフリをしてみてください」と言うので、わたしはその通りにしました。
その瞬間。
目の前に、ここではないどこかの風景が広がります。
◇◇◇
そこは南国でした。
透き通る海、青い空。
白い砂浜に打ち寄せるさざ波。
ヤシの実が風でわずかに揺れて、強い陽射しが彩ります。
わたしは浮き輪でぷかぷかり。
穏やかな海に浮かんでいます。
熱い水面の下を覗けば、色とりどりの魚たち。
ここはどこだろう?
ワイキキだろうか?
わたしは南国のビーチといえばワイキキビーチしか知りません。でも、写真で見たワイキキとはまた違う気がします。
見たことのない景色。
来たことのない場所。
これは、いったい――――?
◇◇◇
「…………はっ!」
わたしは気付けば、イエローホワイトの明かりが照らすドーナツの穴専門店に立っていました。南国は影も形もありません。
えっ、今の、何。
なにか怪しい薬を飲まされてトリップしてしまったとか……!?
「お楽しみいただけましたか」
ダンディボイスで、ビクッとするわたし。
店主のドリームさんが、こちらを見つめていました(透明人間だからこちらから顔は見えないけれど)。
「当店で扱っている『ドーナツの穴』には」
ゆったりと語りだします。
「それぞれの種類ごとに様々な効能があります。『見たことのないはずの景色を見る』『食べたことのないはずの食べ物の味を知る』『聞いたことのないはずの音を聞く』…………他にもいろいろありますが、共通していることがあります。それは、『ないはずのものをそこに存在させる』ということ」
「ないはずのものを……存在させる」
「いま召し上がっていただいたドーナツの穴は、ココナツチョコレート・ドーナツの穴です。その効能は、『見たことのないはずの景色を見る』。実際に、あなたは記憶にないはずの景色を見たのではないですか?」
「は、はい……」
「ドーナツの穴を、穴単体として存在させる。それは、そこに在るはずのないものを在るものとして定義するということ。そういった過程を経て作られたドーナツの穴は、『ないはずのものをそこに存在させる』という不思議な力を発揮するようになるのです」
「で、でも、その」
「なんでしょう?」
うう。
これ、聞いてもいいのかな。
だめかな、やっぱり。
迷っていると、ドリームさんがフフと笑いました。
「『そんな不思議なものをどうやって作っているのか』ですか?」
「ひぇっ!?」
「すみません。こっそりドーナツの穴を食べて、言ったはずのない本音を聞かせていただきました。……ふむ。製法は企業秘密で、お教えすることはできませんが……そうですね。あなたならきっと悪用はしないでしょうから、特別なドーナツの穴をひとつ、サービスいたしましょう」
少しお待ちを、と店の奥に引っ込んでしまうドリームさん。もしかして、いま本音を聞かれた時に、頭の中もまるっと見られて、悪用をしそうかしなさそうか判断されたのでしょうか……。こ、怖い……。
「お待たせいたしました。スターリー・カスタード・フレンチの穴でございます」
戻ってきたドリームさんは、小さな紙袋を差し出しました。やはり何も入っていないように見えます。
「こ、これは……?」
「スターリーカスタードフレンチの穴は、『この宇宙に存在しないはずのものを想像力により創造する』効能を持っています。想像力が追い付かないと、食べても特に何も起きませんが、もしもここぞという時があったらお使いください」
「は、はあ……でも……」
「初めてのお客様には毎回こういったサービスをしているので、心苦しく思う必要はありませんよ。さて、他にご購入いただけるものはありますか?」
穏やかで落ち着かせてくれるその声に導かれ、わたしはたっぷり五分悩むと、いくつかのドーナツの穴を買いました。
◇◇◇
お店を出ると、そこは喧騒の中。振り返ってもそこには壁があるだけ。でもわたしは知っています。この向こうに、不思議なお店があることを。
「あー、すごい体験だった」
おなかも空いたままだし、どこかのお店でランチをしよう。ビビっと来るお店があったらいいけど。あと、あまり奥には行かないようにしよう。学食ストリートのディープな層へ足を踏み入れるのは、まだ早い気がする。ドーナツの穴専門店があるここも、どちらかといえば明るい方みたいだし……。
あ、そうだ。
わたしは短冊と小筆を取り出します。
ドーナツの
おいしい部分を
食べている
味がしなくて
なんだか楽しい
「よしっ!」
したためたわたしは、ワクワクしながら新しい店を探していくのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます