ポンポコハローユーチューブ

 黒煙が上がる第一サークル棟から、建物を三つほど隔てた場所に、ぽんぽこ大学の七号館はある。

 その四階の、一号室。

 階の半分以上を使ったその大部屋で、ずんちゃずんちゃ学の授業がおこなわれていた。


「えー、であるからしてうんぬんかんぬんどうたらこうたら」


 教授の眠くなる講義が続く。実際に、大部屋にある椅子の三分の二程度を学生が使っているのだが、そのうち三分の一は寝てしまっていた。

 この科目は、出席してさえいれば少し勉強するだけで単位が取れるという代物。更に言えば、むしろ教授も眠そうだ。睡眠学習者の溜まり場と化すのも無理からぬことではある。


 しかし。

 そんな中で、適度な緊張を保ち、バリバリに起きている者がいた。


 ひとりは、天然パーマの長い前髪が目を隠しがちな優男。

 ひとりは、身長が百六十センチ程度しかない小柄なツリ目の男だった。


 天パ優男が、教室の一番後ろ、机のないやや広い空間の床にあぐらをかいている。小柄ツリ目男は、ビデオカメラを持って優男を映している。

 互いに、小声で、喋っていた。


「(準備OK?)」

「(おけ。いつでも録画開始していいよ)」


 ツリ目男が、カメラのボタンを押す。カウントダウンを口頭で言った。


「(3、2、1)」


「(ポンポコハローユーチューブ。どうも、ぽこどんです。今日も僕の通うぽんぽこ大学に来ています! 今授業の真っ最中で、みんな真面目に寝てますね。ハハハ。はい、お気づきの方いらっしゃると思いますが、ここに今日使うものが置いてありまーす。なにをすると思いますか~? お皿に、酢飯に、マグロの切り身……そろそろおわかりなのではないでしょうか。そう! 今回は『大学の講義中に回転寿司を営んでみた』やっていきたいとーぅぉもいまぁす!)」


 ぽこどんは、新進気鋭の大学生YouTuberである。

 初投稿作品の『大学の講義中に鍋パーティーやってみた』が十万再生を超えてからは、大学を舞台にした様々なバカ動画を投稿し続けている。チャンネル登録者数は五十万人超。講義中に隠れて流しそうめんやら金魚すくいやらをやる〝講義中シリーズ〟の他にも、『大学のいろんな場所で布団敷いて寝てみた』『ぽんぽこ大学の有名人にインタビューしてみた』など、主に学生の視聴者層をターゲットにして精力的に活動中だ。


「(僕はね、思うんですよ)」


 ぽこどんが手振りを交えてカメラ目線で話す。


「(大学の講義では、食事が禁止されてる場合が多いじゃないですか。でも、もし朝ごはんや昼ごはんを抜かざるを得なかった日に、講義を受けたら? 空腹で勉強どころじゃなくなっちゃいますよね。僕はそんな人のために、じゃじゃん! この簡易組み立て式ベルトコンベアを使って回転寿司を開店し、がっぽがっぽ儲けン゛ッンン゛!! 失礼。寿司を食べることで講義への集中力を高めてもらいたいと思ったわけなんです)」


 視聴者はここで画面に向かってツッコミを入れるだろう。そこも、エンターテイナーぽこどんの、人を楽しませるテクニックである。


「(この簡易組み立て式ベルトコンベアは、『ミヤナカ』さんという会社が出している商品なんです。簡易なのでお安いのですが……でも、見てください)」


 そこで一旦カットが入る。ツリ目男――――助手の田中が、カメラを床に置いた状態で、並んだ机の下を撮影した。この大部屋は段差がないため、こうすれば部屋の一番前まで見通せる。


「(そう! それはもう回転寿司ですから、ベルトコンベアを向こうまで敷かないと意味がない! これだけの長さを揃えるために大枚はたいたわけですからね、どんどん稼がないとね。いや稼ぐんかい! おや、早速ご注文が来たみたいですよ。LINEを開いてっと)」


 予定では動画編集の際に『このためだけに受講者全員をグループLINEに追加しています』とテロップを出すことになっている。ぽこどんはスマホの画面をカメラに向けて「(最初のご注文はサーモン!)」と言った。


 ねじり鉢巻きを頭に巻いて、ぽこどんは寿司を握り始める。


「えー、ずんちゃずんちゃ学ではなんたらかんたらであるからして、こうこうこうなるわけであるから」


 教授は気付いていない。

 机の下の床にベルトコンベアが敷かれ、寿司が流れていることなど、想像すらしていないだろう。


「(はい、お皿が戻ってきました。戻す時、こんな感じで皿の上にお代を置いてもらうことにしてまーす。五百円玉ですね。最初の売り上げゲット! ……っとと、どんどん来ますね注文。大繁盛じゃーん)」


 グループLINEに『マグロの赤身ください!』と来たので、握って、流す。


「(やっぱ赤身は鉄板ですよねえ)」


『イカとかあります?』と来たので、流す。


「(イカも旨いですよねー、僕もかなり好きですイカ)」


『サーモンください』と来た。


「(サーモン人気だなあ! はいはい、お待ちを)」


『アナゴください』


「(アナゴね、おっけー)」


『ティラミスくれ』


「(寿司屋なんだけどなあ……とか言いつつ、実はあるんですよ。流しまーす)」


『酒』


「(いや、さすがにないよ?)」


『次の授業は試験なんだけど、過去問くれない?』


「(ねーよ)」


『単位ください』


「(取り扱ってません)」


『ギャルのパンティー』


「(それは無理だ。私の力を超えている)」


『今日いい天気だね~(*^▽^*)』


「(注文をしろ注文を)」


『てか、LINEやってる?笑』


「(それLINE上で訊く?)」


『クイズです。

 パンはパンでも食べられないパンはな~んだ?

 ヒント:ぽこどんの脳はスポンジケーキみたいにスカスカ』


「(ちょっとこいつにワサビ山盛りサーモン送ります)」


『こたえ:フライパン』


「(何で僕ヒントのところで罵倒されたの?)」


 大学生特有の遊び心満載な注文に何度も対応していると、教授が「ん?」と声を出した。ぽこどん寿司開店から三十分が経った頃のことだ。


「なんだかお酢と醤油と、なまぐさい匂いがするな」


 ぽこどんは、やや大げさに驚いてみせる。

 アクシデント発生である。

 ここをなんとか誤魔化し切れれば、動画の質は何倍にも良いものになる。しかしバレたら、活動の幅が狭くなることも覚悟せねばならない。


「誰か刺身の弁当でも食べているのか? 講義中に匂いのある物を食べてはいけないぞ。真面目な学生の迷惑になってしまう」


 ずんちゃずんちゃ学を履修している学生は全員がぽこどん寿司に賛成しているのだが、それを知らない教授は眠たげながらも語気を強める。


「刺身か何かを食べている学生は今すぐ名乗り出なさい」


 教室中が、しん……とする。

 教授は溜息をつくと、教壇を降りて、ゆっくりと学生たちの机を見回しながら歩き始めた。


「(まずいな……ベルトコンベアは机の下にあるから気づかれないかもしれないけど、一番後ろの、僕のところまで来たら完全にバレてしまう)」


 音を立てないように、そーっと皿や炊飯器を片づけるぽこどん。

 その時だった。


 なにが面白いのか、誰かが、ブフッと笑いをこらえきれず噴き出した。


「……どうした、青井あおいさん。突然噴き出して。スマホになにか面白い物でも映ったのかな?」

「い、いえ……この……こんなツイートが……」

「見せてくれるのかい。どれどれ。これはツイッターか……って、うちの学生の緑川みどりかわくんじゃないか。どうしたんだこのアフロヘアは。しかも50000リツイートされている」


 ぽこどんは青井の席の方を見る。いつもツンとしている青井麗華れいかは、ツボに入ったのか、突っ伏して肩をプルプルさせていた。周囲の学生もツイッターを開き始め、ホァンという学生がしたというそのツイートを見つけては笑い始める。


「まったく……ああすまない、青井さん、スマホを返します」

「は、はい……あっ」


 青井はスマホを受け取り損ねて、取り落としてしまった。「おや、申し訳ない」と教授が屈んで、スマホを拾う。


 その、屈んだ教授の眼前を。

 サーモン握りの皿がゆっくりと通過していった。


「…………………………これは?」


 ぽこどんは、

 助手の田中は、

 青井麗華は、

 そしてこの場の学生全員は、

 同じことを思った。


〝終わった…………〟




     ◇◇◇




 その後、YouTubeにアップロードされた動画『【引退の危機!?】大学の講義中に回転寿司を営んでみたら先生に見つかって……!?』は数日で十万再生のヒットを飛ばした。動画の最後に、ぽこどんはこう言って締めている。

「ご覧いただいた通り、教授は僕の企画を面白がって笑ってくれました。きみにはセンスがあると絶賛されてしまい……まあそれはそれとして授業は真面目に受けろということで、回転寿司の営業をやめるよう言われたわけですね」

「反省して、僕も、もう講義中に回転寿司はやらないことにします」

「たぶん」

「ではまた次の動画でお会いしまっしょう! BYE!」







 こうしてぽこどんは勢いを落とさず躍進し続けているのであった。緑川隼人はやとはこの動画を見た時、自分のアフロ頭が動画のサムネイルに使われていることに気付いて飲んでたお茶を噴いたのであった。ホァンはその横で笑い転げていたのであった。


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