偽りの王家

 クロリア家に失踪した令嬢がいる――クロリア家に下りディーケ卿を称したサナ王女に化けた女はそう言った。あくまで他人事のように述べる彼女の策略は功を奏し、その令嬢がカタル族の旅芸人の男と子をなしていたという肝心の事実にクロリアは迫れなかった。

 彼はカタル=サクナとしての矜持を持っていた。混血ではあるが、いや混血だからこそ、カタル族ともミタ=ヴァ―レ人とも違う文化を担ってきたのだという自負があった。

 一方王宮ではクロリア家の提案で皇太子の選出会議が開催された。ディーケ卿としてクロリア家を継いでいたサナ王女が殺されたことで王家に隠していた伝家の宝刀である青年を慌てて跡継ぎに据えたが、これは王家に対する嘘を自ら明らかにしてしまった形である。

そして王のたった一人の息子であるカシュ王子はまだ幼少であり、本当ならこのような会議が招集されることはない。それでもクロリア家がかたくなに開催を強行したのは、“国の将来を決める大切な会議にバース家は来なかった”という事実を作りたかったからだ。

「なぜ奴がここにいる……」

 忌々しげに、自分に次ぐ高位な椅子に着席した男を見つめるのは、クロリア家の当主だった。

「なにか御用ですかな、サー・クロリア」

「いや……軍事行動を起こしておいてよく当主がこの場に来られたものだ」

「サー・クロリア、不当な濡れ衣を着せるのは止めていただきたい。バース家は王の許可なく軍を動かしちゃいませんよ」

 バース家当主の言ったことは大嘘である。しかしそれ以上突っ込むとクロリア家にも流れ弾がくるとなれば、押し黙らずを得ない。

「ささ、国王陛下が来られますぞ」

 他ならぬバース家当主に促され慌ててクロリア家当主は胸の前で腕を交差させ頭を下げた。すでに低頭していた他の当主たちが沈黙を以てして嘲笑しているのを感じない彼でもない。

 国王が、現れた。心なしかやつれているが気に留める神官はいなかった。

「面をあげよ」

「国王陛下、ご機嫌麗しゅう」

 形ばかりの忠誠に王は許しを与え、神官たちが一斉に顔をあげた。

「――さて、カシュ殿下の立太子に関することですが」

 幼少の王子を立太子した事例はサンクロリア王国に数例しかない。そのどれもが、その時の王が老齢か病弱で治世が長く続かないと思われる場合である。

 この会議を招集したクロリア家は、健康そのものである現国王に対する侮辱をほのめかしながらもバース家を貶めたかったのだ。それももう叶わないが。

「国王陛下はご健康であらせられますし、カシュ殿下もまだ幼少でございます。はっきり申し上げますと、これは時期尚早かと存じます」

 若い神官が言った。招集権を行使したが故に司会進行を任されているクロリア家当主は言葉が続かない。それを見て今度はあからさまに多くの出席者が笑った。

 なぜなのだ、とクロリア家当主は歯噛みした。蛮族を懲らしめた神話の英雄は初代国王でなくてクロリア家初代当主であったことを知れば、みなクロリア家になびくと思ったのだ。自分を頂点にする、新しい国家を西の大国の支援を得て成し遂げる目論見だったのに。

 しかし盟約を取り付けた西の国は、いざ露見したときに自国の関与を疑われないよう海賊船に模した軍しか寄越さなかった。神官勢力も、多くが革命には後ろ向きだった。

 クロリア家当主には忘れていたことがあった。元来この国の神官は神話の英雄の子孫だと思われていた王家にも大して忠誠心はない。

初代国王クロリアを団長にする騎士団の構成員のうち特にクロリアに近かった団員が創始したのが神官家であり、庶民が王を現人神と崇める一方神官にとっての王は国の名家の一つの延長に過ぎなかったのである。そんな王に取って代わったところで権力は見込めないし、第一そんな王家のさらに下にあるクロリア家の言うことを聞くわけがない。

「まあまあ、サー・クロリアの言い分もちょっとはお聞きしましょう」

 事あるごとに敬称である“サー”を厭味ったらしくつけてくるバース家当主にクロリア家当主は苛立ちを隠せない。

「ですから、メラン国との戦闘状況が落ち着いた今、今後の国体に関して議論することは無意味ではなく……」

 また失笑が漏れた。国王は気だるげにただ彼らを見つめるだけだった。

 いざクロリア家が国を乗っ取ったときのために、家にただ一人の男児を王家に差し出したくなかった。体のいい人質である僧侶を差し出さなくても済むように、この国の掟を曲げた。男児は森の奥の薄暗い屋敷に秘され、ただ帝王学を学ばされた。社交の場に出たことなどなく、あるのは無意味な知識のみ。

 自分をこんな目に遭わせておいて不意に死んでしまった先代の当主が恨めしかった。お前は王になる身だと自分に言い聞かせたあの女性は、クロリア家の内情を探るべく王家から遣わされた賢い矢でありながら、王政に嫌気がさしていたようで王家の秘密をあっさり暴露してみせた。そして自分の子を王にすべく、王国を内部から瓦解させようとしたのである。

 サナ王女は確かに父王から無知であることを強いられた。しかし、彼女の貴人故の気高さが王や身近に侍る人々の目をかいくぐって書庫に向かわせ、秘された王国の真実を暴くに至ったのである。そして彼女の孤独は、権力欲へと繋がった。

「議論は尽くされた。議題にはないがバース家当主に尋ねたいことがある」

 国王が口を開いた。議場はしんと静かになる。気だるげな王が何を言い出すのか、見定めるような視線を送られた王は、静かに、口を開いた。

「我が娘サナを殺したのはお前の手下だそうだな」

「そ、そんなはずはございませぬ」

「なぜ情報が漏れたのかそれほどに不思議か」

 国王にしては珍しく強い口調だった。

「朕はこの戦争を終わらせようと思う」

 クロリア家当主も、バース家も、そしてすべての神官がこまごまとした勢力争いを放棄しなければならない、痛恨の一手だった。クロリア家が王を廃そうとしたのもバース家が王を傀儡にしようとしたのも、全世界を襲う不況の影響を受け以前のように豊かとは言い難い王国が新たな植民地を楽に手に入れられる算段があったからだ。

「陛下、終戦協定を今結ばれるのは……」

「黙れ」

 王は騒がしくなった議場を一瞬で沈めてみせた。そこに暗愚な王の姿はない。

「朕はメラン島との交信に使っていた隠密隊を全て貴殿らに差し向けた。貴殿らの目論見は全て暴かれている」

 今度こそ、氷も凍てつくような王の威厳による静寂が具現した。神官たちは、ただちに言い訳を舌の上で転がし、直にそれも諦めた。王はもはや王ではなかった。それでいて政治を司る最終決定者らしく、冷静に敵対勢力の血肉を削ぐ理論を打ち立ててもいた。その原動力は、愛娘を殺された、という事実だった。

「――皆の者、下がってよい。追って沙汰を待つことだ」

 神官たちは逃げるように議場から去っていく。王の目前から去るときの作法も忘れ、ただひたすらに出口に殺到した。

 それを見て王はすがすがしく感じていた。見かけだけの忠誠を繋ぎ止めるために払ってきたすべての心労が馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「父上、ご立派でした」

 後ろから聞こえてきたのは王子カシュの声だった。

「そうだろう」

 父である王は誇らしげにそう言った。


 メラン国の統帥は焦りを隠せないでいた。自分をただ一人島に遣わした本国の人間とのパイプが断絶したまま一向に情報をあげてこない。

 付け髭をとった時だけが、素の自分をだせる時間だった。海底火山が隆起してできた島だけあって、温泉が各地に出ている。統帥は一つの泉源からの湯を自邸に引いた。

そこでしばしのくつろぎを得、本国に帰るときに約束された破格の報酬に地位、そしてサンクロリア王国の被差別階級であるヘーラ、すなわちサンクロリア国土内に定住しているカタル=サクナの同胞の解放を夢見て偽りの付け髭をまた付ける――そんな日常はもう来ないのだろう。

この際自らを慕う国民に懺悔して裁きを待つか、本国サンクロリアに逃げ帰るか、それとも……。裏切り者は身内にいると散々相互不信を煽っておいて、自分が一番のサクナ(裏切り者)だったなどという事実を国民が許すだろうか。

「閣下、そろそろお時間です」

 ミケ=マラ大佐の声がした。念のため言っておくが、統帥の直属の部下と名乗ったスパイはサンクロリアのバース家の囲われだから統帥とは面識すらない。そしてミケ=マラ大佐を殺してもいなかった。

「わかった。軍事会議ののち、時間はあるか?」

「はい、ございます」

「君と二人きりで話がしたい」

「会議からのお帰りに、執務室に寄られますか」

「いや……再びこの屋敷に来てほしい」

 大佐はしばし考えたのち、こう答えた。

「かしこまりました。閣下が我が国にとりよき決断をしてくださることを願います」

 統帥は大佐の言葉には答えず、身体を入念に拭いたのちに付け髭を付けた。願わくは、これが最後の偽りの自分であってほしいと思った。


 議会での統帥の演説はいつも通りに終わった。いつも通り士気の高揚に努め、出征する兵士も夫や兄弟、息子を失った者も、独り身も新婚も、男も女も国を護る戦争に高揚し、心酔し、敵を一人でもあの世に道連れにすることを名誉と信じて疑わなかった。

しかし、統帥はあることを始めて言及しなかった。国を内側から瓦解させるスパイが身近にいると恐怖を煽る言及を、統帥就任以来初めてしなかった。そのことに気づいたのは、高揚に動じない一部の冷静な国民だけだった。

 そんな中、クリスと行動を共にしていたはずのサンがその演説を遠巻きに眺めていた。サンはクリスを肉屋シャーレのもとに遣わし、自らはメラン島に負傷した帰還兵に紛れて忍び込んでいた。

 サンはそのために自らの利き腕の肘から先を切り落としていた。そこまでしてメラン島に帰還した目的は、知りたいことがあったからだ。

 サンには一つの前から疑念があった。統帥という人物の人相書きを見たときに感じた違和感から始まり、だんだんとその疑念は高まっていく。彼は、統帥にかつて会ったことがあるのではないかという思いを捨てることができなかった。

 確かめるために、自分一人で本国に帰還することを決め、クリスをシャーレに託した。帰還後、事あるごとに統帥の演説を聞き、疑念を確かめようと努めた。しかし、答えはなかなか定まらなかった。統帥は一部の側近しか自分の身近に近づけることなく、一般人は遠くから月一回の演説を見るしか彼のことを知るすべはない。

 この広場に足を運ぶのも十回になったその日、サンは統帥の演説に変化を感じた。

「相変わらず景気よくやっているな……しかし、私が聞いたなかでは唯一排外主義的な匂いを感じない」

 少しでもミタ=ヴァ―レ人の血を多く引く者に軍事拡大のためと称して人頭税を課税したり、異国料理を提供する飲食店を激しく弾劾し店を閉店に追い込んだりした彼には珍しいことだった。

「そういや、スパイがどうとかいう話も聞かなかったな」

 サンはそんな統帥の変化に興味を持ち、何とかして接触できないかと考えを巡らせる。

「――?」

 他ならぬ統帥が演説しているテラスから視線を感じた。悟られたかと身が縮む思いで視界を戻すと、そこには何事もなかったように演説する統帥とただの一般人には興味がない風に仏頂面を決め込む護衛がいるのみだった。

 気味悪さを感じながら身寄りのない帰還兵の収容施設に帰ると、二十人ほどの帰還兵を管理する世話人が建物の前でサンを出迎えた。何やら誇らしげで、サンの肩をバンバンと叩いてみせた。

「痛い、痛いですよ先生。何かあったんですか」

「なに、記憶喪失ってったって惜しい記憶を無くしたもんだなあ、お前。人相やら身に付けていたものやらを照合したら軍でのお前の所属がわかったそうだ。それもお前、敵地のなかに突っ込んで大変な武功をあげたそうじゃないか。よく敵地から戻ってきたもんだ。それで、統帥閣下から直々に話がしたいとのお達しだよ」

 聞くうちに顔が真っ青に変化していくのがわかった。不覚をとってしまった。自分は極秘裏に消されるのだろう。なにせ、サンの属する諜報機関はメラン国が戦争に勝つことを快く思わない勢力にとって目の上の瘤なのだから。

「おい、どうしたライド君。具合でも悪いのか」

「い、いえ……」

 この世話人には、できるなら迷惑をかけたくなかった。人を裏切る職業に長く就いていながら滑稽だが、嘘をつくことに心の奥が痛んだ。しかし真実を告げるわけにもいかない。

「実は、その時私の隊には退却命令が出ていたのです。それを無視し突っ走り、指揮系統を混乱させてしまったことを叱られると思い、記憶喪失などという嘘を……」

 世話人は深刻な顔をしたのち、サンの方を向いて微笑んでみせた。

「確かにそれは困ったな。しかし怒っていればわざわざ私に伝言を頼んで呼び出すこともなかろう。何でもそれで局地戦の趨勢が変わるほどの戦功だったそうじゃないか。胸を張って出向きなさい。何なら私がよく言っておこう」

 サンは何も言えなくなってしまった。促されるまま相部屋に向かい、祝福の言葉を投げかける同部屋の男たちの目から逃げるように布団に潜り込んだ。

 統帥に見(まみ)えるための礼服を買いに行くと意気込んでにこやかに笑ってみせた世話人の顔が浮かんでは消えた。

 次の日の朝、やけに角度の大きい日差しを感じてサンは目覚めた。寝過すなんてことは組織に入る前からない経験だった。地下の基地で過ごしていても朝が来たら起きられる身体になっていたはずなのに、クリスのことを言えないと自嘲した。

「いや、待てよ……」

 昼にもなるのに部屋も運動場も人の気配がない。なにかあったのだろうか? 統帥側は待ち切れずにここで自分を消すことにしたのだろうか?

 死ぬなら綺麗な状態で死にたいと思い壁にかけられていた礼服を着こなす。世話人が買ってきたのだろう。それは建国記念日のときに兵士が着る民族衣装だった。

 帯を締め終わったころ、長い廊下を二三人が歩く音が聞こえてきた。そのうちの一つは軍靴の高い音だった。

 その音は角部屋のサンの部屋まで三部屋のところで止まった。軍靴ではない方の足音が足早にサンの部屋に走ってくる。

「ライド君、起きたまえ……おや、もう起きていたか」

 世話人だった。

「今日は寝坊をしてしまいました」

「いや、今日義務労働はないから皆出掛けたり寝ることを決め込んで部屋に籠ったりしている。寝坊じゃないから安心したまえ」

「しかし、今日は大事な日でありましょう」

「まあまあいいから。統帥閣下の右腕たるミケ大佐がいらっしゃっている。着替えているんならすぐにでもお呼びできるな」

 サンの言葉を最後まで聞かず、世話人は軍人を呼びに部屋を出てしまった。サンはやれやれと肩をすくめる。ただ、世話人に先導をさせたということはここで血を流すつもりはないと思っていいだろう。その点、世話人や同居人に心配をかけないで済んだとサンは胸をなで下ろした。

「入るぞ、構わんか」

 太い声が響いた。

「はっ」

 サンは立ち上がり敬礼して戸が開くのを待った。

「ライド軍曹、具合はどうだ」

「万事問題ありません」

「――それはよかった。君には閣下の元に来てもらう」

「統帥閣下の元に……」

 サンは敬礼を下ろす。

「丁重にもてなそう。君には終戦協定を結んできてもらうからな」

「……は?」

 サンは目を白黒させざるをえなかった。


 クリスはサンクロリア王国の、東部に広がる森のなかに潜んでいた。言わずもがな、組織の基地のなかである。そこでは情報が錯綜していた。

 戦争は相変わらず停戦状態だったが、互いの国の停泊している巡回船が徐々に港に引き上げていくことがわかっていた。それでいて少しの小競り合いもあり、死人も出ている。まるで双方の国民に示しを付けつつ戦争を止めようとしているようだった。

 メラン国の士気を大幅に削ぎ有利な講和を結ぶにしては、双方の戦果は五分五分だった。これではどちらかが勝ったと言い切ることは難しいはずなのだが……。

「それで、王都ではシャーレとマチは処刑されたのか?」

「それが、よくわからないんです」

 マチが処刑前の引き回しにあっているという噂を聞き父であるクロリアと相談して真逆の方角に逃げてきた。しかし、彼が処刑される瞬間を目にしたわけではない。

まして、肉屋のシャーレはクロリアから託されたマチの伝言を言いに西の港のミチのところまで行ったのではなかったのか。なぜサンクロリア王都に戻ってきたのか。クリスには分からなかった。

「それと最近気になることがある。我々の諜報活動を散々邪魔してきたサンクロリアのスパイ集団の数が減っている。こっちとしてはやりやすいこと極まりないが、こうまで静かだと不気味になるよな」

 別の人が口を出した。事態の真相を知っているはずの構成員がことごとく基地におらず、皆戸惑っていた。

「まあとりあえず、これまで通り情報の収集に努めてくれ」

 仕切っているのはサリという青年だった。

「クリスさん、あなたのご家族のことも分かり次第報告する。ただ、我々にとって第一に考えるべきは昔からの仲間だ。努力はするが、すぐには知らせられないことを許してくれ」

 クリスは分かったと言い頷いたが、各々の構成員がそれぞれの任務に散っていたあとの食堂の広い空間に取り残されると落ち着かず立ったり座ったりを繰り返した。

サリが通り掛かった。何か言いたげだったが、クリスが頭を抱えて座り込んだのを見ると何も言わず入り組んだ迷路に消えていった。

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