地下
その基地は、森の奥にあるスパイの情報基点だった。誰もが互いの本名を知らないと知り新参者は言葉を失うが、それが生まれた瞬間からの理である彼らはそれを笑って話す。
全くもって、彼らは様々な外見だった。もちろんのこと、一目見てカタル族だと分かる辮髪は誰もしていない。クロリア隊メンバーの誰も知らない遠い国の商人や宗教指導者に変装できる者たちや、乞食に化けるのが得意な者、居酒屋の店主をやりながら町での同胞の援助を行っている者などが一堂に会すると、この狭い地下施設の食堂で世界をこの目に収めた気にすらなった。
「で、メランの同志のお悩みには大体想像がつくぜ。大方軍部を牛耳っている統帥さんとやらに一泡吹かせたいんだろう?」
さすがの情報網といったところだろう。彼らは皆、メラン国の政治情勢を正確に把握していた。それに感心するとともに、隊員だけの話し合いで信任を得て隊長となったクリスには、はっきりしておかねばならないことがあった。
「ところで、話の流れを切るようで申し訳ないのだが、ここにいる方々はどういう指揮系統で動いておられるのか」
誰の管轄下にあるか、すなわち、遠回しに貴殿らは自分の味方か否かとクリスは問いを突き付けた。クロリアが正式に依頼し、世話になった人間とはいえ、はっきりさせておかねばならないことはある。それは情とは切り離さなければいけない。
「いいね、さすがはカタル=サクナの同志だ」
地下の人々は、同志という言葉をよく使った。カタル族の矜持も落ちたものだとサンに言われたその日に、サンと同業の人間にさすがと褒められてはどういった顔を作ればいいものか。
「そういう慎重な姿勢、好きだよ。サンは世間知らずでくちばしの青い、手のかかりそうな子どもだと散々だったが、なかなか見どころはあるじゃないか」
「質問に、答えてください」
口先で遊ぶような言いぐさに、クリスはやや苛立った。それを見てその男はカラカラと快活に笑った。
「なるほど、素質はあるが確かに経験値が圧倒的に足りない。まあそれも含めて可愛いがな」
男は海岸沿いで岩についた貝をとって生計をたてる潜水士だと言った。クリスやハートたちの鋭い目線に男は格好を崩し、すまんすまんと謝った。
「わかったよ、俺たちはお前らの味方だ。――少なくとも、共通の敵を倒すまではな」
「共通の敵、統帥ですね」
ハートが確認する。そうだとサンが答えた。
「それが聞ければいい」
クリスはそう言って、静かに強い酒を流し込んだ。ハートも真似をしたが、咳き込んでしまった。
話が終わればクリスをはじめとする隊員は食卓を見回し食欲旺盛に食べ続けた。疲労がたたって動けないまま横にさせてもらっているハートはその姿に目を丸くする。
「皆、よく食べられるな……」
「まあ、軍人ですからね!」
満面の笑みで答える若い兵士の頭が隣の青年に叩かれる。若い兵士はふてくされたように叩いた本人を睨むが、青年は取り合わないまま故郷の味がする混ぜ飯を口に運び続けた。
クリスが自分の皿を持ってハートの近くに歩み寄った。大丈夫かと言葉を交わし、少しでも食べた方がいいと口当たりのよさそうなスープをすくい弟の口に運ぶ。ハートは慌てて上半身を起こすと、照れたように椀を奪い本当に少しだけ温かいスープを口にした。
「気にするな」
クリスが身体を寄せ耳元で囁いた。周りを気にしながら、すぐに身体を離す。
「なにがです?」
嚥下するのに苦慮しながらやっと飲み干したハートは兄に椀を返しながら尋ねる。液体が喉を伝い流れていくのを感じながらゆっくり身体を倒し横になる弟に、クリスは優しく何でもないといい席に戻った。
「クリスだったか。あの男を長にしたのは正しい」
潜水士の男がサンに話しかける。
「ああ」
肯定しながらもサンはどこか不満げだ。
「日なたで生きるものの最良種だね、あの男は」
汚い仕事ながら、それがないと国は生きていけないのも事実だった。情報の鮮度が何万人の同胞を救うこともあるとサンを初めとするこの組織の人間は誇りをもって仕事をしていた。それを、他ならぬ母国が裏切った。それがサンには許せなかった。
「あと、私の前でサクナという言葉を使うな。何度言えばわかる」
ヘイヘイと気乗りしない返事をしながらもう背中しかみせず歩き始めてしまった彼に、サンは舌打ちをする。
「もう、後戻りはできない、か」
サンは軍服を脱ぎ捨てた。
「ことを起こすのは早い方がよかろう」
囚われの身になったクロリアは、息子たちがかつて囚われていたような地下牢にいれられていた。少し違うのは、そこで“丁重に扱われていた”ということ。
「なんのつもりだ」
囚人に与えるものではない量と質の配膳にクロリアは怒りすら覚えるらしい。見張りの男は何も言わなかった。
「くそッ」
クロリアとて見張りとのやり取りを期待しているわけではない。クロリアを見張る者は聾であった。囚人から要らぬ悪知恵を聞かされないようにとの配慮だろうか、クロリアにうっかりなにかを漏らさないようにとの深慮だろうか。
恐らくどちらもだろう、とクロリアは思った。どうやら自分が重要人物だということがばれてしまったらしい。メラン国軍の意思に反する行動をした軍人を、サンクロリアがどう扱うのかクロリアは測りかねていた。
仕方ないので飯を口に運ぶ。地下まで運ぶ間に冷めてしまったのだろうが、味自体は美味であった。
「こんなところでこんな旨いものを食う羽目になろうとは……」
薄暗い地下牢に物言わぬ牢番ではせっかくの飯も不味くなろうというものだ。
「しかし……この味は」
スプーンを止め、椀を置く。妙に食が進むと思えば、食べ慣れた味だと思い当たった。
「コボナの出汁がよくでている。海に囲まれた我が国固有の文化だと思っていたが、この国にも海藻を煮だして味付けに使う文化があるのだろうか」
使っている具材はサンクロリア原産の豆や芋である。色鮮やかなそれらは島国であるメラン国では育たない作物だ。だが味付けは、明らかにメラン国を想起させるものだった。
「――これは」
料理を持ってくる役回りの男が味見をしておらず、あるいはしたとしてももの珍しい味だと思うだけで、この味の意味を知る者が自分しかいないとしたら、これは暗号になり得る。
「なんだ……どういうことだ」
膳が下げられても、クロリアは椀を置いたその姿勢のまま、眉一つ動かさず思慮を重ね続けた。
「どうであった」
物言わぬ牢番が料理人の手を掴み、その手を握らせたり五本の指のうちの何本かを握ったりしていく。この言葉を日常使わないであろう料理人にもわかるよう、手の形を変える時には一呼吸置くところに牢番の思いやりがあった。
「――そうか。奴は飯を前にしてこめかみに手を当て何かを考えていたか」
聾の者が使っているのを指文字と言った。手話と同じく、サンクロリアでは忌避される言語体系である。耳の聞こえる一般市民は自分たちの知らない言葉があることが気に入らないのか、あるいは無知ゆえの恐怖心か、手話や指文字を悪魔との意思疎通だとして禁じ、時には罰した。しかし彼らが指で伝えるのは、他ならぬ人間の言葉である。
「よくやった。これからもあの囚人には注意を払ってくれ」
牢番は口の動きを読んで発話者の言葉を理解することができた。しかし、耳が聞こえず“悪魔の言葉”を覚えてしまったことから幼少期に虐待を受け実母に舌を抜かれ、読唇術ができる者の大半が習得する発話をできない身体にされた。
「ん、ありがとよ」
牢番は秘密の伝令をこなすときは必ず主への感謝の言葉を添えた。スパイの手下として働く背徳感を、自分の言葉に意味を与えてくれた喜びが勝るらしい。料理人のスパイは複雑な顔をした。
「有り難いが、勘違いしない方がいい。俺は君を利用しているだけだ」
それでもいいと、聾の牢番は言った。
クリスたちが生活をすることになった地下は、日光が届かないほかは驚くほど地上を忠実に再現していた。
「これは……土ですか?」
動けるようになったハートが潜水士の男に連れられて寝室へ案内されている。その最中、足元がやけに柔らかいので手に取ってみた次第である。
「ああ」
潜水士の男は自嘲するように笑った。
「不思議なもんだよなあ、こんなところに金と技術をつぎ込んで。このエリアは俺のテリトリーなんだが、わざわざ任務の合間に危険を冒して母親の故郷から土を持って来たんだ。この壁の岩盤も、故郷のものを持ってくることはできなかったけどできるだけ色味が近いのを選んだ。他のやつも、それぞれのテリトリーで似たようなことをやってるぜ」
それまで背中を向けていた男が振り返った。型にはまった笑顔を顔に張り付けて笑う。
「変だと思うか? そうしないと精神がやられるんだ。そうやって脱落した者を俺は何人も見た」
「脱落したらどうなるんです?」
男の顔が曇った。
「それは……聞いちゃならねえ。でもわかるだろう。秘密を知っていて、何しでかすかわからないやつの場所はここにはねえ」
そう言って再び前を向いた男の肩は、ほんの少し下がって見えた。
地下の町は広大で、あちこちに蜘蛛の巣のように通路が張り巡らされていた。ここで生活をしている身でも時々迷うと彼は笑った。そして通路は人一人が通れるほどの幅しかなかった。どこかが敵の手に落ちたとき、すぐにそこと交流を断てるようにだということは、今度は説明されなくてもわかった。
クリスはというと、サンに付き従って通路を歩んでいた。サンは軍人に化けており、なかなか基地に戻ることもないのか、通路はところどころ壁が崩れていた。
「殺風景だろう」
何者も近づけない雰囲気を醸し出していたサンが不意に振り返る。なにか話す気になったのだろうか。聞いてはいけないと話しかけるのを自粛していたクリスはサンの次の言葉を待つ。しかしサンはこちらを向いたまま何も言わない。
「あ、あの?」
「そういうところだ」
「……え?」
決めつけるような口調にサンの苛立ちが見え隠れする。
「お前は空気を読み過ぎだ」
「しかし……」
「それではここでは生きてはいけんぞ」
サンなりの、激励のつもりである。
「この国、この土地ではお前たちはただでさえ異質だ。ましてや今は敵。お前は人が良すぎる。もっと疑え、もっと空気を乱せ。私がお前を罠に嵌めない確証でもあるのか」
サンの口調は厳しい。
「そんなわけ」
「ある。この土壁は対象を埋めるためのもので、蜘蛛の巣の回廊は対象と一対一になるための仕掛け」
「……え」
サンはあからさまに肩をすくめ、何か唇を動かした後、ため息を吐いた。
「そんなわけあるか。裏切り者が自分で裏切っていると言う訳がない。お前は私を信用したお父上を過分に信用し、私の偽の独白もあっけなく受け入れようとした。もう一度言う、それではここでは生きていけない」
クリスはやっとこれが自分への善意の注意喚起であると理解し、はいと言ってとうに歩き出していたサンを追った。ただ案の定、その日の夜は寝られなかった。
「朝だ」
聞きなれない声がしたような気がして、クリスは身じろぎする。ここは田舎の家で、弟と両親に囲まれている。それに、今はまだ真夜中ではないか。
「朝だ、地下だから日光がなくても起きられるようにしろ」
地下だと? ここは田舎の農園で、俺は……!
バサッと大仰な音をたてて布団を返し、ぼやけた目を懸命に凝らして周りを探る。電灯が天井からぶら下がった、土の香りのする空間に、クリスは昨日の出来事を完全に思い出した。
「お、おはようございます」
「しかし昨日の今日でよくそんな無防備な寝顔晒せるな」
違う、寝られなかったから寝過ごしたのだと反論を試みたが軽くかわされた。
「朝飯ができているらしい。行くぞ」
クリスは慌てて服を着て、サンを追う。先に行かれてはこの迷路のような通路で無事に食堂までたどり着ける気がしない。帯もなおざりに結んだまま走って部屋を出ると、だいぶ前に部屋を出たにしては近いところにサンが背を向けて歩いていた。
「殺風景だろう」
昨日と同じ言葉がサンの口をついた。
「私にはこことて心休まる場所ではない――休めてはならないのだよ」
クリスには見えなかったが、サンは顔を歪めていた。自分の歩む道に今にも唾を吐こうとする己が己を呪う心と、サンは懸命に闘っていた。
「しかし、食堂は皆さんが集まる場所にあるんですね」
クリスの言葉にああ、と我に返り、「この迷宮が敵を迷わせるためにあることには気づいたのだな」と言った。
「食堂は基地の出口の近くにある。なぜかわかるか?」
「いえ」
素直にクリスは首を振った。
「各テリトリーにも緊急出入り口はある。ただ滅多に使わないから滅多に見つからないだろう。当局に最初に押さえられるとしたらあの出口だ。そこを押さえられたら、その場にいた人間があるからくりで基地の全員に危険を知らせることになっている。危険を知ったら各人は食堂に通ずる道を土で閉ざす」
「食堂にいた人はどうなるんですか」
聞かなくてもわかっていたが、聞かずにはいられなかった。サンは知ってか知らずか、冷酷に突き放した。
「全体のために死ぬに決まっているだろう」
「そうですよね」
落胆するクリスを横目で見て、サンはまた何か言いたげだったが、思いとどまった。ここで生きていく以上この世界の厳しさを教えておかねば気がすまなかったが、全てを教えてしまうのも違うと思った。
外部の人間は信用できないというのもあったが、このクリスという青年は、地下の住人にはしてはいけない、そんな思いが去来した。
サンが軍人になったのには訳があった。新入りに全体を説きながらずいぶん私情の混じった理由だとサンは失笑をこぼす。
メラン国のスパイがここに基地を築く前、基地が発見され多くの同志が死んだ。弟分と可愛がっていた少年が、検挙に来た軍人に連れていかれ行方が分からない。そして愛する人は、自分を庇って死んだ。
敵を発見していながら、報告もせず動けなくなってしまったのは幼いサン自身だった。固まる自分を、基地から飛び出して救ってくれたのが彼女だった。スラム街で生まれ親に捨てられた自分を育ててくれたその人だった。
しかし、彼女が飛び出したせいで脇道がばれ、そこを通って逃げていた同志が発見されてしまった。サンは無我夢中であらぬ方向に逃げ助かったが、逃げた先にかつての仲間が来ては彼をスパイの道に引きずり戻した。多くの人間を殺したのはお前自身であり、贖罪をしてもらうと告げられた。その目は敵を見る目そのものだった。
弟を探し、恩人の仇をとる。それがサンの生存理由。そのために軍に志願した。
「誰が頼んだというのだ」
サンは珍しく怒りを隠そうとしなかった。冷たい怒りを言葉ににじませることはあっても顔色を変えることはなかったサンの怒りにクリスは中てられ足を止める。
「組織とあなたを犠牲にして俺を守ってくれと誰が頼んだ」
クリスはなにも言えない。
「罪を背負ったまま、生きていきたくはない」
背中は心なしか震えていた。泣いているのかと見まごうほどに。
食堂の戸の前にはもう着いていた。サンは長らくその戸を開けなかった。もしかすると、本当に泣いていたのかもしれない。
「飯が冷めるぞ」
誰だろう、食堂のなかにいる誰かが声をかけた。
「わかっている。クリス、これから料理人のマチを紹介しよう。組織のなかで一番食堂にいる時間が長く、一番死にやすい人間だ」
クリスはうなずく。緊迫した空気を、他ならぬ戸の向こうの人が和らげた。
「サン、また新入りを脅かしてんのか? やめてやんな、前の奴みたいに寝しょんべんすっぞ」
「事実と異なることを言うな。奴はしょんべんだけで済んではいない」
恐ろしいことをサンは言った気がしたが、クリスはその“前の奴”の名誉のために黙っておいてやった。
「マチ、聞いているだろうが改めて紹介する。こいつが、俺が皆に無理言って仲間に加えてもらった奴らの長だ」
「クリスってあんちゃんか。俺はマチという。よろしくな」
気風のいい兄貴肌のマチに、似た気質のクリスはたちまち心を許した。
「はい、よろしくお願いします」
「ささ、冷めちゃうからとっとと食いな。まあ、俺の飯は冷めても旨いんだけどな」
「自画自賛も大概にしろ」
「またまた、サンもそう思ってるだろ?」
付き合いが長いのだろう、サンの言葉は相変わらず冷たいが、どこか肩の力を抜いているように見えた。クリスは椀によそわれたそれをスプーン一杯分口に運んだ。
マチは二人が料理を完食するのを見届けると、手早く荷物をまとめて出ていった。何でも、囚人に与える監獄食を作る料理人だという。
彼は有名な料理店で修業を積みサンクロリア王室公認の資格をとった男で、内外問わず彼が刑務官の一種になることに驚いたとサンは昔を懐かしむようにいった。
「その腕ならもっと花形の場所に潜り込めるだろう。そう言った同志がいた。その言葉をマチは笑った。刑務所にいつ入るかわからない人間が罪人を下に見ているとは笑いものだと」
彼は反対を押し切って監獄食の料理人になった。刑務官は田舎の農家の末っ子で飢饉のときに売り飛ばされたような口がなる職業だから、料理人たちはまともな下処理の仕方も知らず衛生概念にも乏しかった。マチは上司を説き伏せて、同僚たちに教育を受けさせた。
「いつ死んでもいいような罪人の食事に金をかけるのかという批判を、マチは見返した。あいつが作った飯を食べた人間は不審死しなかったし、なぜか重要なことを自供することが増えた。それまで、事件に関わったはずの重要人物の不審死で、永遠に解決不能になった事件が多くあった。飯一つであいつは首都の治安を向上させた」
すごい、とクリスは言った。どうすごいのか上手く説明できなかったが、兎に角すごいと感じた。
「すごいと思うか」
サンは冷たく言う。
「実績をあげて信用を得るのは我々のやり口だ。よく覚えておけ」
「わかりました」
クリスは答えた。
「でも、それでもすごいと思います」
クリスの言葉にサンは何も言わなかった。
あとから聞くに、マチの作った飯を食べられるのは珍しいことらしい。各テリトリーの人間はただでさえ食堂に人が集中するのを避けるため食事の時間帯をずらす。クロリア隊歓迎の宴は例外中の例外である。そんな中マチは忙しく仕事をしている。時間が被ることがそもそも無く、料理を振る舞えるに足る時間があったのは奇跡だと潜水士の男にクリスは言われた。
「兄貴だけ卑怯だぞ」
食堂から出るときにハートと出くわし、そんな話をして別れたときに耳元で囁かれた。
「いいだろう」
クリスはとりあえず自慢しておいた。
クロリア隊、名を変えてクリス隊は組織に一旦組み込まれ、その活動を手伝うことになった。ハートは新入りとして潜水士に仲間入りするらしく基地を出ていき、他の隊員もそれぞれの任務についた。
クリスは暇を持て余した。サンとて同じことだった。サンは軍から追われる身であり、音沙汰を起こさないことが組織に貢献する唯一の手段である。
基地からでることもできない。誰かが基地を見張っているとも限らず、人相書きに書かれた人間がうっかり出ていこうものなら相手に基地に踏み入る決定的な理由を与えてしまう。
「……」
「……」
サンは本を読んでいた。クリスにも見覚えのある、有名なパイロットの基礎知識を掲載した参考書だった。クリスは勇気をだして声を掛ける。
「サンクロリアでもその参考書を使うんですか」
「これか……これは、メラン国から流出したものだ」
「メラン国から?」
流出したという言葉の意味を考えて、戦慄する。
「メラン国軍の誰かがサンクロリア軍に流したと?」
「そうだ。そうしてサンクロリアの軍人であった私が持つに至った。敵国研究のために」
クリスはつい“表に生きる者”として怒りがこみ上げるのを放置した。それをそのままサンに吐き出す。
「それって、サクナ(裏切り者)じゃないですか」
「その言葉を私の前で使うな」
切羽詰まったような声で言われクリスはきょとんとする。
「サンクロリアの情報網が優れていた、それだけのことだ」
クリスは思い出した。この地下という場所では、表の常識も、価値観も、捨てなければならない。
「すみません」
「……わかればいい」
クリスは赦され、やることもないので横になり目を閉じた。
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