開戦

メラン島北東部の海上で最初の轟音が鳴った。濃い霧の中、どちら側の兵士もどちらが先に発砲したかわからずにいた。分かったのは、とうとう戦争が始まったということ。

 砂利が敷かれた船上に絶え間なく暗号文が走る。旗は役に立たない。無線での意思疎通だけが頼りだった。

「本隊は今どこにいる?」

「わかりません! ノイズが強く聞き取れません!」

「貸せッ」

 上官に席を譲った通信兵の目の前に、敵艦の砲撃で身体が吹き飛んだ砲撃手が落ちる。

「――マサッ」

 低い声で死体となり果てた彼の名を呼んだ。彼を彼と同定できたのは他でもない、軍服の胸ボタンから端が見える紙切れだった。娘からの手紙だと彼は言って通信兵に見せたものだ。

 しかし通信兵は泣くことはない。こちら側の死人を増やさぬためには、ただ無心に任務を果たすしかないのだ――もう始まってしまったからには。

「ちくしょう! 妨害電波か?」

 上官は無線機を忌々しげに叩きつけ、引き続き通信を試みるよう通信兵に言いつけたあと通信室を出ていった。

『こちら第四艦隊、本隊は応答されたし。こちら第四艦隊、本隊は応答されたし。こちら第四艦隊、本隊は応答されたし――』

 なんども同じ文面を、決められた暗号で繰り返し打った。彼は無心になって、砲撃の音や高い波の音を身体から除外していく。

『ズズ……』

「本隊からの応答か?」

 精神を集中させて聞き取ったのは、聞き慣れない暗号で、艦内無線で上官に報告するために受話器をとろうとすると、無線からフェードアウトするにつれ艦内のどよめきを聞く。

「なんだ――これは!」

 新しいタイプの船でもあったのかと思えば、聞き捨てならないセリフが飛び出した。

「我々は、敵艦隊の中を単独航行していたというのか?」

「なんだと!」

 通信兵は任務を忘れ外に飛び出す。血を吸った砂利と同胞の骸の奥には、霧の向こうにバカでかい船の横腹があった。

「我が船は艦隊とはぐれたのですか?」

「そのようだ……やんぬるかな、ワシはここで死ぬ」

「早まるな! この霧で相手はこちらに気づいていない――通信兵、敵艦隊の出没を本隊に連絡しろ!」

 怒号が響き、我に返ったように兵たちが各々の任務に戻っていく。

 ただの斥候に過ぎなかった船は、本隊もまだ認知していなかった巨大艦隊の存在をただ一隻で捕捉し、その存在を周囲の味方に周知し続けた。

「もう少しで抜けるぞ……」

 緊迫した空気を抜ける頃には、兵たちの疲労もピークに達していた。彼らの長い一刻が、メラン国海軍を救うことになった。

「曹長、第四艦隊斥候船からの無線連絡です!」

 本隊が戦っていた艦隊とは明らかに異なる様相の艦隊の存在が明らかになったことで、本部は作戦の練り直しを迫られた。斥候船の報告では自船の正確な位置がわからないということだったので、本部は決定を下す。

「本日は撤退する。敵に悟られぬよう、適度に砲撃しつつ領海まで退却せよ」

「はっ!」

 伝令が走り、無線が飛んだ。メラン海軍は徐々に戦場から離脱し、霧が晴れていった。

 敵はなぜメラン軍が撤退したのかまだわからずにいた。幸運な奴めと悪態をついただけで、奇襲計画を知られたとは露ほどにも思っていない。メラン側は敵の計略を逆手にとって、逆奇襲のプランをまとめつつあった。

 斥候船は戦功を挙げた。無事帰還したときには乗船していた船員に故郷を思わせるご馳走が振る舞われた。命からがら逃げてきた彼らにとって束の間の休息は有り難く、死んだ同胞のためにもこの戦争を勝利で飾ろうと決意を新たにした。

 二日目の朝、計画は実行に移された。探査レーザーで小島の影に隠れていることが分かった敵の奇襲部隊を、二倍の戦力で圧倒し壊滅した。一方他の部隊は戦列を組んで航海し、敵艦隊に総攻撃を仕掛けた。

 一連の計画はメラン軍の圧勝に終わった。その勝利は、新たな怨恨を産み、サンクロリア国民をより好戦的にさせた。メラン国民は大国相手の勝利に舞い上がり、圧倒的に不利な戦力差にも関わらず大勝することを軍に期待するようになっていた。

「さて……」

 メラン国を牛耳る軍人はつけ髭をつけて議会へと向かった。

「問題は、ここからだ」

 軍人は政治家としての類いまれな能力も生まれ持っていた。政治家とは信任をえて生き永らえる者――彼は自らを妄信する者に心地いい言葉を吐くのがうまかった。彼はこの国の世論の熱狂が危ないものであることはわかっている。それでもなおそれを煽るのには訳があった。

「この国が負ければ私は――」

「総統、演説の時間です」

「――今行こう」

 幕の外側には市民が、国旗ではなく軍旗を振って大勢詰めかけていた。その誰もが、自分たちの飢えを、渇きを、この軍人が癒してくれると信じて疑わない。

 彼らの妄信を裏付けるものがあった。戦争景気でわずかながら経済が好転したのだ。

 もっと戦えばもっと暮らしは豊かになる、そう市民は信じた。信じずにはいられなかった。

「諸君に問いたい」

 演説が始まった。

「この海戦はわが軍の勝利であったか」

 圧勝と報じられている戦況を国のトップが改めて問うことに群衆はどよめく。

「勝利だと思っている人間は――甘い! 我々はまだ勝ってはいない」

 局地戦の勝敗を巧みに戦争そのものの勝敗にすり替える。

「勝利に必要なものはなにか? 敵を一人でも殺すことだ。なにも戦場にいる者だけができることではない。夫を、子を、兄弟をサンクロリアに殺されたことを思い出せ! 身近にいる敵を弑すことはこの国の栄光を我らの手に近づける行為である!」

 功名心を募らせては相互不信を蔓延らせ、もっと、もっとこの国を狂わせる――。それこそが、この軍人の本懐である。


 メラン島東北部の片田舎に住んでいたクロリアとリアの夫婦は、戦争が始まる少し前に家と農地を売って引っ越していた。しかし引っ越し先は村人の誰にも明かしていない。

 二人は、なんと軍にいた。クロリアは先の大戦と同じような特殊部隊の長にさせられ、リアはクロリアを動かす駒として丁重に軟禁された。

 陸軍の一部隊を率いる者として、クロリアは海軍の圧勝の報を聞いた。軍部の奴隷であることを知らしめるように、他ならぬ統帥につけられた頬の刀傷を、配属された若い兵士は先の戦争で負った傷だと信じていた。

「閣下、私は閣下の隊に入ることができて光栄に思います!」

 来る兵士誰もがそう言った。これからお前が仕えるのは先の戦争で多くの戦功をたてた武神であると宣伝されたクロリア――今はサクリと名乗っているが――は彼らに本当のことを告げられない。

「それにしても、我々が戦線に出向けるのはいつになるのでしょうか?」

 サクリ隊は本国での待機を命じられて久しい。

「我々の機動力は大事な時に取っておくと統帥がおっしゃっていたではないか」

 新人をいさめるように言う古参兵の言葉に頭痛がした。訓練もろくにしていないこの隊に機動力がある訳がない。それに、自分は武功でなく知で国に貢献した人間である。この少人数の隊で、武神も人形にすぎないまま、“機動力を生かした”闘いなどさせられた日には、それは無理な行軍と特攻でしかないだろうと思っていた。そしてそれが狙いだろう、とも。

 この隊に精鋭だといって自尊心をくすぐられて集められたのは、統帥こと軍部トップに懐疑的な家庭の子である。相互不信をあおって市民のなかから情報を募り、武装した兵に親を“説得”させて子を引き取ることで、真実を勘付きかねない家庭に楔を打ったのだ。お前たちの子はいつでも特攻をかけて殺せるのだぞ、と。

「閣下?」

 知らぬ間に部下の伺いを聞き逃していたようだ。サクリは咳ばらいをして無理に笑みを作ってみせる。

「なに、考え事をしていてな。なにか用か?」

 部下の取るに足らない報告を聞きながら、彼は二人の息子を思って心で泣いていた。彼には、息子は殺した、と軍統帥に伝えられていたのだ。

 そんな折、ふと部下が発した言葉が頭に引っかかる。

「もう一回言ってくれないか」

 切迫した雰囲気に若い部下は叱責を恐れて硬直した。サクリはすまんと謝り、もう一度、同じ言葉を聞かせてやった。

「はっ、ミケ=マラ大佐からお手紙がきております。ご覧になりますか?」

 慌てて見る旨と部屋から出ることを言いつけ、無我夢中でその手紙を手に取り、封を開けた。でてきた紙は真っ白で、なにも書いてはいない。

 サクリは部屋から部下が出ていったのを確認し、その手紙を暖炉の前に持って行ってはマッチ棒に火をつけ、注意深くその手紙を炙り始めた。

「――!」

 そこには達筆な、しかしどこか急いだような字で長文が書かれていた。

 読むうちにサクリは口を押さえて嗚咽を隠した。サクリとしての仮面が取れ、たちまちクロリアに戻っていく気がした。

「生きていたのか、我が息子たちよ」

 そこにはクリスとハートをかつての部下メルのもとに遣わした旨、メルが召集された旨、兄弟は今メルの家族を連れて身を隠していることが綴られていた。

 ミケ=マラ大佐は、かつてのクロリアの直属の上官であり、軍部のやり方に従順なふりをして危険な仕事を請け負ってくれていたのだ。

「マラさん……!」

 その手紙の最後はこう締めくくられていた。

『リア夫人にもこのことは伝えてある。君は、どうしたい?』

 ――妻との約束がクロリアにはあった。もし自分たち夫婦と我が子が天秤にかけられたときは、迷うことなく子を優先させようと。軍に囚われているリアは、今からクロリアが起こすことを軍部が知り次第殺されるだろう。

「それでも、わかってくれるな――私がお前を今でも愛していることを!」

 彼はもう嗚咽を隠さなかった。何事かと扉の前に軍靴の音が群がる。

「各々行軍の準備をしておけ。明日には発つぞ」

 戸の中から聞こえる命令に部下たちはたちまち動き出す。隊はせわしなく朝まで動き続け、早朝雪の降る町を進んだ。兵士たちの家族への手紙は、彼らの目の前で焼かれた。

「お前たちの父親は、母親は、兄弟は、私が行軍を命じたことで死ぬだろう」

 彼らは隊長の言葉を反芻する。その言葉が放たれた空間の凍てつくような寒さも、同志のどよめきも、彼らは生涯忘れなかった。

「それでも戦わねばならぬ相手は、国内にいる。心してかかれ!」

 存在を秘された独立戦争の英雄が、その知を尽くして軍部全体を敵に回そうとしていた。


 悲しげな旋律を奏でる虫が、青々と茂った森から大音量で騒音を四方八方に送っていた。いつもは夏の風物詩として親しまれる虫であったが、この年は大量発生していた。徴兵で林業の担い手である働き盛りの男がいなくなり、森の手入れをする人間が減ったからだった。

クリスとハートは、林業を生業とするその山奥の農村に身分を偽って潜んでいた。強盗に襲われ家を出たという嘘もそのうち露呈するだろう。しかし、彼らは容易には動けない。メルの母親は老齢で腰が弱く、さらに慣れない環境での生活が続き住み慣れた家に戻れるのかという不安で精神を病み食事を受け付けず、衰弱していた。

 村の人々も親切にはしてくれたが、食料を分けてくれという時には皆申し訳ない顔をしながら渋った。まして、手伝いもせず寝ているだけの老人と赤子への食べ物と知ったときは分けてくれないこともあった。忌み子と呼ばれたこの子が、また疎まれるのに兄弟は心を痛める。

「ハート、よく聞け」

 兄クリスが深刻な顔をして弟を、二人に宛がわれた納屋の外に誘う。

「このままでは俺たちも飢えてしまう」

 その言葉通り、育ち盛りの二人は成長に影響が出そうなほどにやせ細っていた。

「……」

 ハートは、話の行きつく先を見据えてか、うつむいたまま唇を噛みしめている。

「メルさんが言ったよな、こんな時代だからこそ、自分を第一に考えろ、と」

「兄貴……」

「俺たちは母さんを置いてここを出る」

 メルの母親を二人は母さんと呼ぶようになっていた。出自を隠す目的もあったが、そう接するとメルの母親の癇癪が収まるという理由もあった。必要に迫られてとった苦肉の策が二人の心臓を掴み、激しく揺さぶる。

「母さんを置いていく……」

「俺たちは生きなきゃいけない!」

「母さんを」

「ハート! 気を確かに持つんだ」

 兄が肩を掴んで揺さぶっても、弟は虚ろな目で空を見つめるだけだった。

「――呼んだかね?」

 クリスは顔を青くして開けっ放しにしていた扉の前を見つめる。ハートも虚ろなままであるが振り向き、その人を確認するや握っていた拳に爪をたてた。

「私が死んで二人が助かるならそれもいい」

「兄貴、母さんにこんなこと言わせていいのかよ!」

 息子を演じるモードに入った弟に兄は目くばせする。

「ハート、母さんは俺たちのことを息子じゃなく二人と言った」

 はっと我に返るハートは、さらに残酷な現実に気づき、たてた爪にさらに力を込めた。

「メラさんが正気のまま、俺たちが見捨てるなんてできるかよ……」

 肩を震わすハートにメルの母は優しく告げた。

「私に付き合ってくれてありがとうね」

 今生の別れのような言葉に、それを提案した側が戸惑う。そして、目を見開いた。周囲の音が全て消え、メラがゆっくりと力を失い倒れていくのをただ見つめるしかない。彼女の口からは真っ赤な鮮血がとめどなく溢れる。

「かあ、さん」

「もう母さんと呼ばなくていいわ。夢を見させてくれて、楽しかった」

「かあさん!」

 金縛りから逃れたようにハートはメラに歩み寄り、その身体を抱き寄せた。

「俺は、メラさんに本当に母を見たんだ……嘘じゃないんだ」

 泣きじゃくるその姿は実の母親を失った息子そのものだった。さめざめと泣くハートに、泣くまいと決めていたクリスも涙腺が緩むのを感じた。

――そのとき、なにか仰々しい音を聞いた気がしてクリスが視線を泳がす。潤んだ目はたちまち乾き、クリスは身を固くした。その音はだんだんと近くなり、泣きじゃくるハートにも騎馬の駆ける音だと認識できるまでになった。

「敵軍か? まさか、海の防衛線が破られたというのか? それなら避難命令が出ないのはおかしいし、だからといってメラン軍は出払っているはず。まさか、敵軍の秘密行動の最中だというのか」

 最後の可能性ならば二人の命はない。気づいてしまうだろう村人とともに、口封じに消されてしまう。

「ハート、逃げるぞ」

「でも兄貴、どこに逃げるっていうんだ?」

 寝ていた村人たちも何事かと起きてきている。幼い赤子がわんわんと泣いた。

「くそっ、とりあえず納屋のなかに身を隠そう……?」

 カッカッと馬の蹄の音を響かせて、怯える村人の間を擦り抜け、やってきた軍人はこう言った。

「息子よ、迎えに来た」

 見慣れぬ頬の傷が凄みを出していたが、それ以外はのどかに農業を営んでいた二人の父親の顔そのものだった。


 クリスとハートは予備の軍服を着せられ、クロリア隊に編入された。赤子は、クロリアが懐から出した砂金で村人の元に預けられ、老婆メラの遺体は村の墓場に簡易的に葬られた。

 二人は譲られた馬に飛び乗り、父クロリアから事の次第を聞く。

「クーデターでも起こされる気ですか?」

 上官となった父親にはそれ相応の口の利き方がある。二人は再会の喜びに浸ることなく、長く把握できていなかった国の内情を父から吸収した。

「いや、今兵を起こしても勝てはしない。ここは、戦果を挙げるべく単独行動しながら敵地を進む」

「戦果を挙げては国民を戦争に駆り立てる扇動をする統帥とやらの望み通りなのではないのですか?」

 クロリアは戦況を過大に報じ破竹の勢いで国民の支持を勝ち取りつつある統帥をけん制すると言った。それと今からクロリア隊がとる行動は矛盾していないかとハートは尋ねた。

「いや、この隊が戦果を挙げることを統帥は苦々しく思うはずだ」

「と言いますと?」

「戦況は、わが軍が負けるように仕組まれている可能性がある――」

 クロリアは一つの可能性に言及し始めた。それは、彼が本国待機中に感じたある違和感がきっかけだった。

 クロリアは部下の一部に紛れ込んだ統帥側のスパイに始終監視されながら日常を過ごしていた。

 隊の拠点であった町の者たちは、武神と宣伝されたサクリ率いる隊が町に来たことに歓喜し、軍旗を振って歓迎した。そんな行進の最中、両脇を固める部下が不意に馬を寄せてきた。

 観衆の中に不審な動きをする者がいたと彼は報告した。サクリことクロリアは、一見普通に見えたその一連の部下の動作にほんの少しだけ引っかかるものを感じた。その根拠は、初めは不審な動きをした観衆はいなかったという自身の確信によるもので、自分の能力への自信から来るものだった。その引っ掛かりはクロリアに、馬を寄せてきた部下の奥に視線を向かわせるに至った。そこにあったのが、米屋だったのである。

 この半年、国民の主要な食糧源である国産米の価格が高騰している。その高騰の仕方にクロリアが常々感じていた引っ掛かりとその時見た米屋が彼のなかで繋がる。

「その米屋になにがあったんです?」

「――見慣れた顔があった。統帥の右腕とも呼ばれる側近、マグナ中佐だった」

 二人は顔を見合わせる。軍の高官がただの町の米屋に何の用だったのだろうといぶかった。クロリアは続ける。

「需要がなくなったら価格が高騰するのはわかる。しかし、昨今の米の高騰の仕方は不自然だとは思わないか? ブロック経済からはみ出した我が国において輸出も輸入も振るわないなか、どんな野菜や穀物、家畜も国内生産で賄っている。小さい島国だ、気候も各地の農地でそれほど違うとは思えない。そんななか米だけが、異常なペースで値上がりしているのだよ」

「売り渋りでしょうか?」

 歴史にも明るいハートが、知識のなかから該当すると思われる事象を引っ張り出す。クロリアはそれもあるかもしれない、と断った上で、自身の考えを述べた。

「米屋が渋っているだけならいい。だがそれだけなら米屋に統帥直属の部下がいた理由を説明できない。もしかしたら統帥は、秘密裏に米を敵に流しているかもしれないのだ」

「なんですって」

 クリスとハートは目を見開き、信じがたい仮説を必死に否定しようとする。自分たちが仕えていた軍のトップが国を売っているなどと、容易に信じることなど、若い二人には難しい。

「しかしそうすると、謎が全部繋がるんだよ。彼が独立戦争で勝った国民の自尊心をくすぐる演説で主導権を握り、海戦において敵の奇襲艦隊の存在を権力で握りつぶした理由が」


 統帥はクロリアの息子二人をミケ=マラに命じて殺させたつもりである。妻を人質にとり、生きる糧たる息子も消した以上滅多なことでは逆らわないと踏んでか、クロリアに対する監視は怠らなかったが情報に関する統制は比較的ずさんだった。

「私はあの海戦終結の三刻前に、サンクロリアの艦隊が奇襲をかけようとしていることを伝える極秘回線を使った無線を傍受している。奇襲部隊を見つけた船が英雄視されているのは、本営が知っていた敵の作戦を現場が知らなかったことになる。斥候船は所属する艦隊からはぐれていたらしいが、それなら斥候船の決死の報告に艦隊が“喜ぶ”のはおかしい」

 島国であるメラン国を守るのは、海の防衛線である。北東の海の制海権を取られては、戦局は大幅に不利になってしまう。

 帰還した斥候船の船員の名誉勲章授与式に行ったクロリアの部下は、統帥の顔はまるで敗戦国の元帥のそれのように暗く不満げだったと漏らした。お身体でも優れなかったのかとその時の部下は統帥を思い遣っていたが、もし統帥が本心から彼らの手柄を喜ばなかったのなら大問題である。

「まるで、戦争に勝つことを統帥はお望みではないようです」

 率直な感想をハートは述べた。クリスはまだ今一つ飲み込めずにいる。

「父上、統帥を困らせるために戦果を挙げる必要があることはわかりました。しかしそれと米がどう関わるのですか?」

「今、島も大陸も今までにない不作に苦しんでいる。米を敵に流すことで、統帥は儲かる――メラン島を圧倒的に有利な条件で植民地に組み込めたならサンクロリアの経済は潤う」

 クリスの顔は複雑だった。理屈に納得できても、感情的に納得はできないようだった。表情一つ変えずに話していたクロリアがそんな息子を見てわずかに遠くを見るような、悲しげな顔をした。

「それだけ先方もこの不景気に困っているんだろうね」

 クロリアはミタ=ヴァ―レ人の王国サンクロリアを模したその名の通り、どちらかというとカタル族よりミタ=ヴァ―レ人の血を濃く引く男である。混血の種族故の苦悩、すなわち血を引く者を今から殺しに行くことに躊躇はないのかとハートは尋ねた。クロリアは言った。遠い血の敵より愛する息子の将来を明るくしたいと。このままではメラン国はサンクロリアの奴隷になってしまう。それだけは避けたいとクロリアは無表情に戻った顔で言った。


 軍でありながら軍に見つかってはいけない隊ゆえに、慎重に国土を動いて来たつもりだった。しかし、いくら少人数の隊とはいえいくつもの村々を通ってしまうと噂は広がる。風より早い市民の噂はたちまち首都に届き、統帥の耳にも入った。

 クロリアを筆頭にする隊が、彼の遣わしたスパイの骸を置いて行方知れずになっていることは統帥も知っていた。しかし彼はすぐに追手を放つことはしなかった。確実にクロリア隊の居場所を掴んでから、迅速に、目立たないように彼らを始末するつもりだった。

 大仰な追手を放てば、クロリア隊が逆らったことを全国に宣伝してしまう。本の少しでも変に勘ぐられたくないというのが統帥の本心であっただろう。

 追手は統帥の息のかかった信用できる精鋭で構成された。今回の任務のことは口外を禁止され、軍の公文書では休暇をとったことにされた。軍の保有する駿馬が惜しげもなく追手の構成員に与えられ、機動力を生かしてたちまちクロリア隊に迫る。クロリアは生け捕りにし、クロリア隊員はその場で殺すようにと命が下っていた。この時点で、クロリアの息子とクロリアが合流した情報は統帥側には入っていない。ミケ=マラ大佐が慎重に情報を選んで統帥に伝えている成果である。

 三日目の朝、クロリアが馬から降り、地に耳をつけた。クリスとハートを初めとする隊員たちは目配せをしあい、作戦を頭の中で反芻する。

「各々、抜かるな」

 それだけで隊員たちには通じたようで、さっと何個かの隊に分かれては違う道を進み始めた。ものの数日で新兵をこれほどまでに、行軍しながら鍛錬しえたのは、さすがクロリアと言ったところだろうか。

 クロリアの戦争が、始まった。

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