第6話 その日、彼は数年ぶりに大声で泣いた(後編)

 二階堂夏子が死んだ……。

 たった2日の付き合いだったが、すごく長い時間一緒に過ごした感覚だった。

 夏子は、穏やかな顔で息を引き取った。僕はそれをそばでずっと見ていた。


 ただ、ひとつ残念なことは、夏子が最愛の夫に最後を看取ってもらえなかったことだ。施設に入院中で病院には来れない、たぶん夏子が死んだことすらもわからないだろう。


――さあ、ここからが死神の仕事だ。


 夏子が息を引き取った数秒後。

 夏子の体から、ゆっくりと薄いモヤ掛かったものが出てきた。それが夏子の魂だった。


 はじめは、モヤだったものが少しずつ形になり、その見た目は夏子になった。

 僕は初めて見る光景に少し驚いたが、自分が死神になったことなどを考えると、何が起ころうとも動じなくなっていた。


「死神さん。私、死んだのね。死ぬとこうなるのね」

 魂になった夏子は、自分の死体を見ながら話した。しかし、どことなくすがすがしい顔をしていた。


「さあ、旦那。これから死者の門へ向かいますよ」

 死神パッドのドクが話しかけてきた。

「まあ、なんて可愛らしい生き物ね」

 夏子はニコニコしながらドクを見ている。

 ドクは照れているのか不機嫌なのか、顔を赤らめていた。


「ロックの旦那、オイラのここを押してアプリを立ち上げると。死者の門へ続く道へ行けるでやんす」

 僕は、ドクに言われるままに操作した。


 すると、辺りが急に回りだしグニャグニャになっていった。

 気が付くと、僕たちは何とも言えない奇妙な場所に立っていた。

 そこには、ただまっすぐな道が続いており、周りは薄明るいが昼なのか夜なのかよくわからない、草や木もない、何もない景色が続いていた。


「ここから、道なりに歩くでやんす。そうすれば、死者の門が出てくるでやんす」

 僕たちは死者の門へと続く道を歩いて行った。


 歩いている間、夏子は色んなことを僕に話してくれた。そのどれもが、夫との楽しい思い出話だった。

 自分のことよりも、夫のことを楽しそうに話す夏子に、僕は心底愛しているんだなと感じた。


 そして、僕たちは死者の門へたどり着いた。

 死者の門は、見上げるくらいに大きく、恐ろしい雰囲気を醸し出していた。


 「キキキッ! オイラたちはここまででやんす。死神の仕事は、この門の向こうに死者を送り届けることでやんす。この門をくぐれば、死者の国へと行けるでやんす。そこで審判を受けて行き先が決まるでやんす」

 ドクが僕に教えてくれた。


「夏子さん……。僕たちはここまでです。この先は夏子さん一人で行かなければなりません。夏子さん。天国へ行ってもお元気で」


 死人に「お元気で」はおかしいかと思いながら、僕は夏子にさよならを告げた。


 「死神さん。かわいいコウモリさん。色々お世話になったわね。本当にありがとう」


 そういうと夏子は、何度もこちらを振り向き笑顔でお辞儀をしながら、門の向こうへと行ってしまった。


 ──こうして僕の「死神の初仕事」が終わった。


「キキキッ! 初仕事お疲れさんです。」

 ドクは僕に労いの言葉をかけてくれた。

「結構キツイナな……。死神の仕事って」

 僕は、今にも溢れそうな涙をこらえて、うつむいていた……。


「──旦那知ってますかい? 」

 ドクは少し静かなトーンで僕に話した。


「死神は、人に感情移入してはいけません。感情が入れば入るほど、死者に対して悲しみや憎しみが溢れて、何もできない自分がどんどん嫌になって、辛くなってしまうから……。だから、死神は感情を捨てなければならないでやんす」


 僕は、うつむいたまま涙をこらえドクの話を聞いていた。


 「ロックの旦那……。どんなに悪い奴でも、どんなにいい奴でも『死』だけは平等にやってくるんです」

「──だから。オイラたちだけでも、その人の最後の最後ぐらい、笑って見送ってあげましょうぜ」

 ドクの言葉に、胸が締め付けられる思いがした。

 僕は、顔を上げて大声で笑ってみた。


「ハッハッハッハッハ!」

「ハッハッハッハッハ!」

 笑いながら僕は、死神サイの「ヌハハハハハ! オッケー!」と言う変な笑い方を思い出していた。

 だから、あいつも笑っていたのかな?

 そして、少しだけサイの笑い方を真似てみた。


「ヌハッハッハッハッハ!」

「ブハッハッハッハッハ!」

「ブハハハハハ!」

 ドクは、「しょうがない奴だな」という顔で笑いながら見ている。

 僕は笑い続けた。この気持ちをかき消すために。

 辛い気持ちを必死で抑えるために。

「ブハハハハッ!」

 泣くのを我慢し、ふざけて笑った。

「ブハハハハッ! ロッキュー、ロッキュー」

「ブハハハハッ! ロッキュー」

 ドクが僕のことを黙って見守ってくれてくれているのがわかった。

 「ロッキュー? なんですかいそれ? 面白いでやんすね。じゃあオイラも真似して……」

「キキキキキッ! ロッキュー」

「キキキキキッ! ロッキュー」

 ドクも一緒になって笑ってくれた。

 たぶん、僕一人だったら、この涙を止めることはできなかっただろう。


──そして、後から知った話だ。

 

 夏子を見送って数日後、施設で暮らす夏子の夫の様子を見に行った。

 その時、介護士同士が話している声が聞こえた。

 どうやらその日、夏子の夫はご飯を一口も食べず、1日中ずっと窓から空を見ていたらしい。

 いつも、無表情な顔だが、その日だけは、何か言いたそうに口元が小刻みに動いていたという。


  もしかしたら、何もわからない感覚の中で、夏子の死が近いことだけは感じ取っていたのかもしれない。


 そして、夏子の夫は突然、空を見たまま目を大きくカッと見開き! 口を大きく開けて涙を流し始めた!

 それは、夏子が亡くなった日のことだった。


――その日、彼は数年ぶりに大声で泣いた。

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