145.臭い奴なんて知らないな(2)

 他者の注目を集めるために大きめの声で尋ねた。


「ヒジリ、ブラウ、スノーも……知らない?」


『主殿、を我が知るはずなかろう』


『僕も知らないな〜、この


『このは主様より偉いのですか?』


 全員が煽る、煽る。悪気のスパイスたっぷりで言い放った。ただの獣や爬虫類じゃないぞ。これは世界を支配する聖獣様だ。宗教がない世界で崇められる最上位者に対し、どう出る?


「というわけで、オレも知らないよ。ご令嬢を自称する女と一緒に礼儀作法を学んで出直せ」


 ここで背を向けたらオレが悪者にされる。貴族社会の嫌な部分を叩き込んでくれたシフェルの教えを、しっかり守って相手が下がるのを待った。敵を一方的に罵って去れば、相手に同情が集まるから不在者のオレが悪く言われるのだ。


 学校の蔭口と同じ理屈だと思う。その場にいない奴はどんなにいい奴でも重箱の隅をつつかれ、面倒な委員や役割を押し付けられ、気づいたらハブられる。


 厳しい現代社会の学校は、動物園だった。肉食獣も草食獣もごちゃまぜで、生き残るのに空気を読み苦労しながら人間関係を構築する。あの殺伐とした動物園を生き抜いたオレは、そのあとの社会という無法地帯サバンナを前に挫折したけど。


 きっちり相手を言い負かし、去るのを見届けて動くのが正解だった。無言になったリーゼンフェルト侯爵の様子に油断がなかったとは言わない。少しだけ気を緩めてしまった。


『主殿に触れるでないわっ! 痴れ者が!!』


 リーゼンフェルト侯爵の後ろから飛び出したの1人が手を伸ばし、オレの手首を握った。すぐに離れるが、ちくりとした感触に肩を震わせる。ぐらりと足元が揺れる気持ち悪さに、膝をつかないよう深呼吸した。


 飛び出したヒジリは、貴族らしき男の首を巨大猫パンチで叩き折る。実行犯は悲鳴を上げる間もなく、息絶えた。すぐに戻ったヒジリは興奮にヒゲを震わせ、大急ぎでオレの手を確認する。触れられた左手首は赤黒く腫れていた。


「よほど憎まれておいでのようだ」


 リーゼンフェルト侯爵の声に、口角がにやりと持ち上がった。やっと罠にかかったぞ。決定打を得たオレは気持ち悪さを堪えて顔を上げる。周囲の奥様方の悲鳴に、ヴィヴィアン嬢が駆け付けるのが見えた。それを右手を挙げて止める。


 声をかけるのは我慢したが、彼女は美しく彩られた唇をきつく噛み締め悔しそうだった。夜会で貴族という熱帯魚の間を泳ぎ回るヴィヴィアンにしたら、テリトリーを荒らされた苛立ちが強い。己が守ろうと決めた相手を、己の手が届く範囲で害された。近くにいればと悔やんでいる姿は、それでも美人さんだ。

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