136.ヤンデレの取扱説明書(2)

「夜会はいかがなさいますか?」


「せっかくですから、皇帝陛下に拝謁させていただきましょう」


 ようやくここでシンの手が口元から離れた。柑橘系のすっきりした香りがする手は、引いた血が戻ったのか温かい。ほっとしながら、シンの指先を握る。気づいて顔を向けた兄に、お強請り第2弾を発動した。


「ねえ、もう起きてもいい?」


「ああ、そうだね。身体は楽になった?」


「うん、ありがとう。お兄ちゃん」


 解毒剤を使った設定なので、頷いておく。ついでに膝枕のお礼も忘れない。こういう部分の積み重ねが、ヤンデレに「待て」させる有効な手段だって、ラノベに書いてあった。


 あのバイブル的なヤンデレ本、この世界に持ち込んで愛読しておきたい。逃げるヒントになりそうだもん。ブラウが前世界に顔を出すときに、ぜひあの本を探してきて欲しいものだ。まあ、タイトル思い出せないけど。


 面白そうな顔でシフェルが見ている。絶対に後で「お兄ちゃん」の呼び名で弄られるだろうが、ヤンデレフラグを収める方が優先事項だった。揶揄いは我慢できるが、ヤンデレに首を掴まれたら闇の底に沈められる未来しか見えない。


 深窓のご令嬢よろしく、抱き起された。怖いので手が振り払えずに大人しくしていると、当たり前のように膝の上に後ろ抱きに乗せられる。なぜだ? 解せぬ。


 兄と弟の距離じゃなかった。髪を緩やかに編んだために、首筋が露わになったオレの無防備な肌に兄の吐息が当たるとか……マジ怖い。腹に回した手も離して欲しい。肉食獣が耳元に肉薄してると表現したら伝わるだろうか。


「お、お兄ちゃん。一人で座れるから」


「ダメだ。まだ顔色が悪い」


 それは兄のヤンデレの闇を覗いた恐怖で、血の気が引いたせいだぞ。口にする勇気はないので、大人しく抱っこされておいた。珍しいものを見つけたような顔しないでくれ、レイルもシフェルも失礼すぎる。逆の立場ならオレも興味津々で眺めるけど。


 3人掛けのソファの中央に座る兄の膝に乗るオレ、向かいで行儀悪く足を組んだレイル。姿勢よく立つシフェルに、空いているソファを勧めてみる。公爵家の当主だから、別に他国の王族と臨席してもいいんだよな? 勉強で詰め込んだ知識を、頭の中から引っ張り出す。


「失礼します」


 きちっと礼をしてから着座する流れは、スムーズで洗練された感じだった。生まれながらのお貴族様はやはり違う。オレの頑張った感満載の付け焼刃とは、レベルが段違いだった。


「キヨ、まだ具合が悪いですか?」


「ううん。平気」


 レイルが目配せしてくるため、ヒジリの治癒解毒能力には触れない。シフェルは知っているが、やはり口にしなかった。聖獣のもつ能力は意外と知られていないのかも知れない。

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