19.闘争より逃走(5)

 転がりながら彼方此方ぶつけ、痛みに呻く。昨夜脱臼した右肩も痛いし、腹や背も打ち付けた。どのくらい落ちたのか感覚が麻痺しているが、とにかく転がる身体が止まる。


「……痛ぇ」


 痛いときほど隠して笑ってろ――レイルに教えられた心得だが、一人で強がる意味も趣味もない。痛いものは痛いのだ。呻きながら身体を丸めた。引きつる背中も痛いし、なぜか腹部がめちゃくちゃ痛い。撫でる手がぬるりと濡れた。


 何か刺さっている。引き抜いて大丈夫だろうか…迷うより前に抜いてしまった。考えるより反射的な行動だ。自分の腹に何か刺さってれば、ほとんどの奴が抜くと思う。


 どばっと血が溢れる感覚に「ああ、失敗した」と声が漏れた。収納魔法で絆創膏を取り出しながら、血を拭う時間も惜しいので貼り付ける。沁みないし臭いがない湿布みたいな絆創膏は、血の上から貼っても効果があると実証済みだった。


 問題があるとすれば、絆創膏で傷の治癒が始まっても完治するまで痛い。痛みの緩和は含まれていないらしい。片手落ちの機能だ。いつか改造してやると思っていたが、もっと早く着手すべきだった。


 後悔しながら何とか身体を起こして、落ちた崖を見上げる。かなり高い。黒豹がいるから登る気はないが、迫り出した形の崖は屋根のように姿を隠していた。


 少し、休もう……あいつら逃げたかな。幼馴染の少女と逃げたはずのユハを思い浮かべ、なぜかムカッとした。


 ちきしょう、リア充爆ぜろ! 溢れた本音を声にすることなく、寄りかかったまま意識を失った。






 華美ではないが実用的なテーブルに両手を乗せ、レイルは報告を聞いていた。執務に使う部屋は質の高い家具が並ぶが、壁紙や装飾品は地味な色合いで整えられている。落ち着きを優先した実務向きの部屋は、彼の爪が机を叩く音が響く。


「…それで?」


 言い訳を許さないレイルの冷たい声に、部下は言葉を失った。感情を表に出さず冷たい態度で接するのはいつも同じだ。しかし今のレイルは、ひどく苛立っていた。それを部下に感じさせるのは珍しい。


 まだ見つからない旨を報告した部下に、レイルは淡々と言い聞かせた。


「言い訳も見つからない報告も不要だ。さっさと情報を集めろ。すべての網を使え、絶対に見つけ出せ」


 皇帝の命令だとして、自由人であるレイルは気に入らなければ撥ね退ける。それだけの実力と実績、勢力を誇る組織を束ねる存在だった。なのに宮殿から戻るなり、子供一人を探せと命じて自らも動いている。


 よほどその子供が気に入ったのか。

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