第三章 女王ゆえの傲慢

第10話 彼の事情(1)

 暗い檻の中でジルは目を伏せていた。


 この場所は地中に穴を生み出したらしく、出口も入り口も存在しない。出入りはすべて転移が使用され、転移が使えない魔物や人間が入り込む余地はなかった。


 音も光もない暗がり、長く囚われれば気が狂う場所だ。


 しかしジルは逆に落ち着いている。この程度の期間と拘束で狂えるほど、マトモじゃない。


 狂うならとっくに狂っている。

 ――…そう、狂っていたのだから。


 狂気を受け入れるほど強くなく、しかし狂気に溺れるほど弱くなかった。常に両方の天秤の間を揺れる精神はひどく不安定で……いつ崩壊してもおかしくない。


 あの奇跡が起きるまで―――オレは狂気の海に漂っていた。


 考え事から意識が浮上したのは、転移による気配によってだ。


 魔力を感知する能力は働かないが、生き物の気配は察知できる。これは魔力と関係ない能力なのだから。


 そして目の前に現れた者は、黙っていられるほど大人しい性格をしていなかった。


「へえ、本当にジフィールだ」


 上級魔性に分類される男の声に、ジルは僅かに身じろぎした。ずいぶん久しぶりに声を聞いた知り合いへ、最低限の礼儀として視線を向ける。


 檻のほぼ中央に座したジルは、片膝を立ててもう片方の足を投げ出していた。大きく溜め息を吐く。


 面倒くさい。


「ん? おまえ……誰だっけ」


 名前など覚えていない。ただ『いずれかの魔王』の側近だと思い出した。


 相手を怒らせると承知で、小首を傾げてみせる。檻の中で囚われ人となっていても、ジルにへりくだる様子は一切なかった。



 むっとしたのか、男は紺の瞳を眇め同色の短髪を掻き上げる。


「随分、いい格好じゃないか?」


 馬鹿にした口調で挑発してくる彼の言葉に「じゃあ代わってやるよ」と軽口を叩く。予てからの知己のように振る舞いながら、その言葉や表情に棘が満ちていた。


 温度が一定に保たれた檻で、気温が低下する肌寒さを覚える。目の前の上級魔性の感情に、檻の外の外気が引き摺られているのだ。


 魔力自体を体内に封じる檻は、しかし格子という形状のため空気は通す。それが魔力によって冷えた空気であろうと、例外はなかった。


 魔力の使える側で冷やされた空気は、冷気を纏った物として通過する。


「女王に感謝しなくては……」


 こんな姿のジルを見られるとは思わなかった。実力者として常に上位に君臨した男は、彼を含めた上位魔性を見下してきたのだ。それが檻の中に閉じ込められ、成す術なく虜囚に甘んじている。

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